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ぽてっち  作者: しーえー
1/5

一話

「高校生って、判子絵みたいだなって思うんですよ」

 校舎の屋上で開かれる、小池夜(こいけ・よる)と佐川先生だけの青空教室は、今日も煙臭い。

 今はたしか、三時間目だっただろうか。小池は長い黒髪をかきあげて、ふと考える。なんの科目かなんて、思い出せるわけもない。

 授業をサボってここにいる自分と、職員室から抜け出して隣に座る先生。変な組み合わせだな、と、少し思う。

 先生はタバコを携帯灰皿に押し込み、「ふぅ」と一息吐いた。

「それは、お前がここにいることと、何か関係あんの?」

 女性にしては低めの声。渋い大人の格好良さという奴だろうか。妙にタバコが似合う。

「いや、あんまり」

「そうか」

 少し疲れたような、短い声。

 小池には、その返答が、続きを促すものなのか、興味がないからしゃべるなという意図によるものなのか、判断がつかない。

「それはそうと、私すぐおなか減っちゃうんで、二時間目と三時間目の間に間食タイム設けません?」

「おいおいおい、話題の吹っ飛び方が女子高生だな」

「女子高生ですし」

 というわけで無難に話を変えてみたが、どうやら先の返答は続きを促されていたらしい。もう少しわかりやすくコミュニケーションをとってほしい、と文句を言いたくなる。

 そんなだから職員室でも喫煙室でも気まずい思いをして、屋上に避難してくる羽目になるんだよと、心の中で愚痴る。きっと高校生時代もそうやってボッチになっていったんだろう。なるほどそうしてみると、この人のこのいかにもやる気なさそうな雰囲気もそういうところから察せられそうに見える。

「今時の高校生って、みんな、同じ顔に見えません?」

「それやる気なくしたクソ老害教師が言うことだぞ」

 ジュッと、火のつく音。ニコチンのにおいが再び、鼻を襲う。こういうとき、両親がタバコを吸う家に生まれてよかったなと思う。きっと肺のことを考えると良くはないのだろうけれど。

「先生は見分けがつくんですか?」

「当然だ。生徒のことを第一に考える良き教師だからな」

「言うとそうでもない感出ますよ」

「いいんだよ。誰も言ってくれないんだから、アタシが言うしかねえ」

 諦めたような口調で佐川先生が言う。

「なんか、小さいころから他人の顔を見分けるの苦手だったんですけど、高校生になって、周りが化粧をしだしてから余計にわけわかんなくなってきて」

「ふぅん。ちなみにアタシのことはわかるのか?」

「まあ、一応。多分、この学校で唯一名前と顔が一致します」

「それは光栄だな」

 冗談めかして笑う。

「それで、クラスメイトの名前と顔が覚えられなくて、教室に居づらくて、ここに来るようになったと」

「ん、まあ」

 小池の、歯切れの悪い返答。自分がこうして授業をサボって屋上で受動喫煙しているのは、先生の言うような理由ではなかったけれど、そういうことにしておいたほうが何かと都合がよさそうな気がした。

「お前がここに入り浸るようになったのが夏休み前だから、もう二か月くらいになるのか? 出席日数はまだ大丈夫だろうけど、このままずるずる引きずるのも良くはないわなぁ。なんとか教室に戻れるようにならないとな」

 もうそんなに経ったか。少し驚くとともに、我ながら高校生活に対するモチベーションがなさ過ぎて笑いそうになった。

「さすが、生徒のことを第一に考える良き教師は優しいですね」

「それに、タバコは一人で気ままに吸うに限るしな」

 前言撤回。小池は確信する。絶対それが本音だ。

「先生、教師向いてなくないですか?」

「向いてる仕事とやりたい仕事は往々にして合わないもんなんだよ。お前は向いてる仕事を選べよ」

 投げやりな声は、コンクリートの照り返しに温められ、少し心地よく感じられた。先生のこういうところは好きだな、と、改めて感じる。

「なんの仕事するにしても、まず人の顔を見てしゃべれなけりゃ話にならんからな。お前の場合、他人の見分け以前にまずそこだろ。とりあえず、今だけでいいから、視線はこっち向けてみろって」

「先生、教師みたいなこと言いますね」

 コンクリートを指でなぞる。ざらざらとした感触が好きで、子供のころからよく地面を触っていた気がする。虫が苦手だから、土いじりとかはできないけれど。

 他人と顔を合わせなくて良い仕事って何があるんだろうか。足りない脳みそを稼働させて想像力を働かせてみた。ユーチューバーとか? 将来の夢はユーチューバーになることです。イマドキの小学生か。

 漫画家とかユーチューバーとか、進路希望調査に書けないものは、だいたい社会不適合者のための職業なんだろう。

「なんか、目じゃなくて鼻を見るといいって言いますよね。相手の醜い部分を見て安心するなんて、ひどい話だと思いません?」

「真意の拾い方がひねくれすぎだろ」

 試しに先生の鼻を見てみる。慣れなくて、磁石の同じ極を近づけたときみたいに、すぐに目をそらしてしまう。

 でも、思った以上に、印象に残った。小さくて、きれいで、少し高い。

 自分の鼻に手をやり、その感触に少しへこむ。

「世界って不平等ですね」

「なんの話だ」

「どっかの国みたいに、みんな目元以外全部隠して生きれば良いんですよ。そうすれば顔面偏差値はわかんなくなるし、何より顔を覚えなくても文句言われませんから」

「ほーそうかそりゃ名案だなぁ。ぜひ学会で発表し――」

 先生の声が途切れる。

 ギィィ。

 右。小池たちのもたれかかるコンクリートの近くから、扉の開く音がした。

 少し、身体がこわばる。

 校舎内から屋上に通じる扉は一つしかない。小池たちは、その扉のすぐ真横に腰を下ろしてもたれかかっている。

 この屋上に身を隠す物陰など存在しえない。それはつまり、もしも誰かが小池ないしは佐川先生を探しに来ていた場合、どうやっても見つかってしまうということだ。

 そして今が授業時間中であることを踏まえて考えると、その誰かは、きっと、ほぼ確実に教師である。見つかれば説教は免れ得ないし、今後屋上に来ることは不可能になるだろう。

 こつこつこつこつ。ほとんど間隔のない、早い足音が響く。

 息を殺して、そちらへ目を向ける。

 思わず、声が出そうになった。

 てっきりスーツのおじさまの登場かと思いきや、そこにいたのはセーラー服だった。

「あぁ、香流か」

 奥のほうへ、遠ざかるセーラーを見やった先生の、小さな、しかしどこか気の抜けたような声。

 小池は、聞き覚えのるようなないような響きに、首をかしげる。

「かなる?」

「……お前、本当に覚えてないのか。同じクラスだぞ」

 うんうんと頭をひねって、なんとか記憶を探る。なんか言われてみるとそんな人がいた気がしないでもないけれど、正直全然覚えていない。顔を見てもみんな同じに見えるんだから、後ろ姿で区別がつくはずもない。

「まーなんでもいいっすわ。教師じゃないなら。向こうもサボりなら、咎められるいわれはないですし」

 小池は香流から視線を外し、ぐっと伸びをする。まったく驚かせやがって。生徒なら生徒だって宣言してから入ってきてほしい。

 と、そんな小池に、先生が信じられないものを見るような目を向ける。

「……えぇ、お前、マジか」

「え、なんですか?」

「授業時間中に、クラスメイトがふらっと屋上に来たんだぞ。何しに来たのかとか、気にならんのか?」

「んー……そう言っても、私だって理由なしに屋上来てますし。誰だって、そういうことはあるんじゃないですか?」

「えぇ……」

 理解できない、とでも言いたげな先生の反応。多分、一般的には自分が間違っていて、先生の感覚こそが正しいのだろう。他人に興味を持ち、わからないことが気になる。だからこっそり他人を観察したり、会話の中でさりげなく情報を引き出そうとしたりする。

 だが小池にとっては、そういう好奇心こそが、人間の嫌な部分であると感じられた。

「他人のそういう内側の部分って、こっそりと観察したり詮索するようなものじゃないじゃないですか」

 それは、きっと、自分がここでこうして退屈な青空教室に所属している理由の一つで。

「気になるなら先生が直接話してきたらいいんじゃないですか? 私はここで待機してますんで」

 そんな自分を、小池は肯定して生きていきたいなと思っていた。

「……はぁ」

 先生の、小さな溜息。

「まぁ、お前がそれでいいならそれでいいけど」

 呆れか、諦めか。青空をぼんやり眺める小池には、先生の感情がわからなかった。

「んじゃ、せっかくだから、お前が香流に興味を持てるように、面白情報を提供してやろう」

 小池には分らない程度に、声色にいたずらっ子の響きが伴う。

「いや、だからそういうのを人づてに聞くのはマナー違反ですって」

「第一問。香流の下の名前は何でしょう」

「クイズ形式かよ」

 思わず突っ込む。

 ううん、と少し考えたが、苗字すら覚えていない人の下の名前なんてわかるわけがなかった。

「なんでしょ。優子とか。優しそうだし」

「お前、人を見る目ないな」

「あの人優しくないんですか?」

「正解は、美一(よしかず)だ。美しいに一でヨシカズ」

「へぇ。美しそうですね」

「お前もう少し脳みそ使ってしゃべったほうがいいぞ」

 素直な感想を述べたらバカにされた。

 相手を選んで頭を使う省エネスタイルなだけだから、心配しないでほしい。

「第二問。香流のクラスでの役職は何でしょう」

「んー、美化委員とか。あ、ちなみに私ってなんか役職ありましたっけ」

「お前は無職だよ」

「その言い方悪意こもってません?」

 小池の反論に、先生は歯を見せて小さく笑う。

 教室では見せない笑い方。少しだけ、先生の特別になれているのかもしれないと、自惚れそうになる。

「んじゃ次、第三問」

 意味ありげに言って、右、香流が歩いて行った先を見やる。

「香流は現在、この屋上で何をしているでしょう」

「んーと」

 小池も横を向いて、彼女の姿を確認した。

「柵を乗り越えようとしてますね」

 温度の変わらない回答。

 ソレは、屋上の奥で繰り広げられる現状を完璧に言い表した、百点満点の正答であった。

 絶句。

 その二文字が最もふさわしいだろうか。先生は、小池の平然とした態度に、言葉を失った。

 沈黙する二人の間に、香流の柵を乗り越えようとする音が響く。 

「……お前、もう少し驚いたり、慌てたりしろよ」

 佐川先生の、やっとのことで絞り出した声。小池を非難する色はない。どちらかというと、悲しみにも似た響きがこもる。

「いやー、だって知らない人ですし。クラスメイトらしいですけど」

 自虐的に笑って見せる。

 佐川先生の表情は変わらない。

「…………」

「…………」

「………………いや、先生。違うんですよ」

 あんまりにも先生の放つ空気が重いものだから、小池はつい言い訳するような声を出してしまった。

「今私がこうしてのんびりと秋の陽気にあてられている間にも、地球のどこかでは戦争で人々が苦しみ、泣き叫び、死んでいるんですよ。もっと言えば、動物や昆虫や植物たちだって、私たちの預かり知らぬところでくたばっているわけじゃないですか。そういう事実があるということを認識しながら、私たちは一切それらに興味を示さず、日々自分のために生きているわけです。なのに、こうして目の前で誰かが死に近づいているというときだけ、特段慌てたりそれを止めようとしたりすることは、あまりにも偽善的だと思いませんか。気持ち悪くないですか」

 早口でまくし立てる。しゃべればしゃべるほど言い訳みたいになっていく。悪いことをしているわけでもないのに、なぜか必死で弁明しているかのようになる。なにしてんだと自分に突っ込みたくなる。

「それに、他人が死のうとしているのに、どうして私にそれを止める権利があるんですか。生きたい人を殺してはいけないのに、死にたい人を生かそうとするのはどうして善いことになるんですか。生きることはそんなに尊いことですか。死ぬことはそんなに忌避しなければならないことですか。他人の意志を挫くことが正当化されるほどの大義名分が、そこに存在するんですか」

 ついつい、語気が荒くなる。

 通常の人間は普段から少しずつ他人との会話で脳内に溜まったガスを抜いていくが、小池のように普段コンビニ店員以外と言葉を交わさないような人間は、少し話せることがあると、それまで溜めた文章をまとめて吐き出してしてしまう傾向にある。

 そんなだから余計に他人とコミュニケーションを取れずに孤立していく悪循環にはまるわけだが、「今回は、お前のソレがうまくはまったな」

 先生はニヤっと笑みを浮かべて、親指で小池の視線を誘導する。

「あー……。しまった」

 声がもれる。もう、気にする必要もない。

 柵の向こうから、香流が、目をまん丸くしてこちらを見ていた。


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