70 大人会議
夕飯を食べ終えた後、ミアから今朝のユンナの事について話があるからと、俺、アンヌ、アルはミアから皆が寝静まった時間帯にリビングへと集められていた。どうやら俺以外の二人も予め声を掛けられていたらしく雑事などは先に済ませてしまっていたみたいだ。
皆でリビングのテーブルを囲うように座ってから、アンヌが準備してくれたお茶へと口を付ける。
するとアルが先に口を開いた。
「それで奥様、今朝の話でございますよね?」
アルが何処か苦い表情でそう口にするとミアは静かに首を縦に振った。
「あの後はリノアと風呂に入ったんだろ?」
「はい、お嬢様と一緒に入浴してから、ユンナは特に何も変化は無く1日過ごしておりました。」
俺の質問にアンヌが答えその後不思議そうにミアを見つめ返す。
ミアは話辛そうに下唇を噛みながら、少しだけ肩を震わせると重そうなその口を開く。
「その時にね、リノアが気付いたのよ、ユンナの身体中に小さな切り傷や火傷の後みたいな古い傷が有ったって…。」
一瞬の沈黙が場を包んで行く。
「マジかよ…。」
俺は思わず天井を見上げながら、片手で頭を押さえる。
「しかし、それだけでは、その…。」
アンヌがそれ以上は口にするのも悍しいと口籠る、しかし皆、それだけで十分に伝わっており、アンヌへと視線を送ると皆一様に頷いた。
「私もアンヌと同じように考えて、悩んだのだけど、ユンナに直接聞いてみたのよ。」
俺はもうミアの表情を見て大体の内容を理解してしまい、思わず手に持っていたグラスを握り潰した。
ガシャン。
「…閣下。」
俺を諫めるような眼差しでアルが見つめて来る。
「あ、あぁ悪い。」
そう謝った俺の手はガラスの破片が所々突き刺さっており、血がポタポタと床の方まで滴り落ちていた。
「閣下、お手をお出し下さい。」
アンヌはそれだけ言うと、いつの間にか持って来ていたポーション等を手に振りかけると包帯を巻いてくれた。
それからミアは目を伏せながら、ユンナから聞いた事を俺達にも伝え聞かせてくれた。
「ユンナは六人家族の末っ子として生まれたそうよ。家族の中で一人零民だったユンナは小さな頃から大切に扱われる事は無かったそうよ。」
「それはそのつまり…。」
アンヌが聞き辛そうに口籠ると、ミアはゆっくりと頷いた。
つまりそう言う事だろう。
思わず俺は奥歯を噛みしめ、ギュッと先程怪我したばかりに右手を握り締める。アルも同じ気持ちなのか、身体からは少しだけ殺気を漂わせていた。
「それは、その俺に会うまでずっと続いていたのか?」
俺の問いかけにミアは、ハッキリと首を横に振って否定する。
「いいえ、そう言う目に合っていたのは幼い時だけだそうよ。」
その言葉にホッとする物の理由が分からず俺を含めたミア以外の三人は言葉の真意を探るような視線をミアへと固定させる。
その視線に気付いたミアは大きく溜息を吐くと話を続けた。
「話した事は本当よ?でもそれは肉体的な意味って言うだけで、そう言う目に合わなくなったのはユンナ自身が誰とも口を聞かなくなって気味悪がられた事が理由らしいわね…。」
「誰とも話をしなくなった?」
「えぇ、丁度今のリノアくらいの年齢の時に、両親が寝室で処分してしまおうと言う話をしていたのを聞いて怖くなり話が出来なくなったそうよ…。」
ゾワッ!
その瞬間、途轍も無い魔力の渦が俺自身を包み込んで行く。
「あなた!」
ミアが大声を張り上げる、アンヌ、アルも同様に声を張り上げようとするがそれはすぐに治まりを見せ始める。
俺は天井を見上げ、刻み込むように言葉を紡いで行く。
「なんでだよ…なんで魔力持ってない位でそんな風に考えられるんだよ…。」
俺の瞳からは今の心情を表すかのような大粒の涙が溢れ出していた。
「…あなた。」
「…閣下。」
「…。」
ミアやアンヌは呟きながらそんな俺を辛そうな表情で見続け、アルは無言で拳を握りしめていた。
「…あ、あぁ悪い。話しの続き聞かせてくれる?」
俺はそう呟くと服の袖で涙を拭き取り、今の心情を誤魔化すような笑顔を振りまいた。
「…えぇ、その処分を免れたのは父親が世間体を考えて機会を待っていたからだそうよ。」
「チャンスですか?」
アンヌの視線が鋭くなって行く。
「あー。そうか。そういう事か、そのチャンスと言うのがアイリス達と同じ、討伐への応募の話か。」
俺は先程涙を流したせいか、もうその両親には何も期待等しておらず淡々と事実だけを受け入れ始めていた。
俺の言葉を肯定するようにミアが頷いた。
「それでその人達何処に住んでるの?」
俺はソファーから立ち上がると感情の篭らない瞳でミアを見つめた。
俺の言葉に反応を示すようにアンヌもソファーから立ち上がる。
「あなた、それからアンヌもダメよ?」
ミアはジッと俺を見つめ続け、俺はその視線を瞬きもせずに受け止め続けた。
1分くらい見つめ続けた後俺は大きく溜息を吐くとソファーの背凭れに背中を預けながら深く座り込んだ。
そんな俺の様子を見てアンヌも同様にソファーへと腰掛ける。
俺とアンヌの様子を見て珍しく、アルが舌打ちをしているのが聞こえて来た。
「奥様、失礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした。如何様なご処分でも御受け致します。」
アルはそう告げると深々とミアへと頭を下げ続けた。
ミアはそんなアルへと視線を送ると大きく溜息を吐く。
「処分なんてしないわよ?寧ろ私も思わずユンナと話をしてる時心の中でしちゃったもの。」
それからミアは苦笑いを浮かべながら、話始めた。実はミア自身も一番に仕返しを考えたそうだ。
しかし今回、仕返しを望んでいないのは他ならぬユンナ本人だと言う。
本人からそう言われれば何も出来なくなったと悔しそうに顔を歪ませていた。
しかし俺はここで微かな違和感を感じた。
ミアの話によるとユンナ自身はもうあの人達、元家族の事はどうでも良いとそうしっかりとそう告げて来たそうだ。
「元家族ねぇ…。」
俺の呟きに笑いながらミアが答える。
「新しい家族はここだそうよ?」
「何?本人がそう言ったの?」
「えぇ、表情は変わらなかったけれど、なんだかとても嬉しそうに言っていたわよ。」
俺はあの花がポンポンするやつかと思わず口許が緩む。
アンヌはお茶に口を付けると微笑みながら話始めた。
「しかし、よくそんな目に合いながら閣下の家族になる事を簡単に受け入れましたね。」
「そう、そこなのよ!私も不思議に思ってそれ聞いちゃったのよ!」
ミアは何をそんなに興奮しているのか前のめりになりながらアンヌへと詰め寄る。
俺はその様子を見て、アルへと視線を合わせると二人揃って苦笑いを浮かべた。
「さぁーなんでしょうかね。」
アンヌは可笑しそうに笑いながらミアを受け止めるとそう呟いた。
「あのね、私と同じ理由なのよ!」
そう言うとミアは俺の頭を背後から押さえつけ、両手の人差し指と中指で俺の両瞼をこじ開けて来た。
「目!目が信じられるとそう感じたそうよ!私もあなたの目に惹かれちゃったのよねぇ〜ユンナ見る目あるわねぇ。」
ミアはニコニコしながら二人へと告げ、アンヌは納得するように頷き、アルは首を傾げていた。おい。
更にミアは言葉を続ける。
「リノアには全く通じないのよねぇ。この話。やる気の篭っていない中年の瞳だって言うのよ?酷いと思わない?」
ミアとアンヌは心外そうに眉間にシワを寄せながら頷いているのに対しアルは満面の笑みで頷いていた。
アルキオス君喧嘩なら買いましょうか?それからリノアさんは明日眼科な!
「しかし、ユンナよく目がどうのこうのって言うよな?」
俺がそう言うとミアはつい先程まで明るかった笑顔を曇らせながら口を開いた。
「…その元家族がね、そう言う事をしてくる間に自分の心が壊れて行く感じがしたそうなのよ、でも最後の騎士隊の募集に無理矢理に応募させられた時に家族だった人達の顔を見て壊れているのは自分では無くてこの人達だったんだ、そう言う狂った瞳を家族全員がしていたそうよ…。」
何とも言えない重い沈黙が場を包み込んで行く。
「閣下、やはり私は我慢が出来ません!子供は守るべき対象であり自分の怒りを押し付ける対象では無い!」
珍しくアルが怒りを顕にしており、許可を出すと直ぐにでも飛んで行ってしまいそうなほど全身をワナワナと震わせていた。
「大変遺憾ではありますが今回はアルキオスと同じ気持ちです。閣下、ユンナはすでに昨日付で私の部下で有り、閣下が家族だと仰られた時点で妹も同然です。正直、腸が煮えくり返っております。」
俺は瞼を閉じ腕を組みながら少しの間沈黙を保つと徐に口を開いた。
「うーん。それは殺さないと気が済まない感じか?」
それからゆっくりと瞼を開けると二人へと視線を飛ばす。
「…いえ、そこまでは申しませんが…。」
アルはゴクリと生唾を飲み込むと視線を逸らす事なく俺を見つめ返す。
「閣下、私は殺して、魔物の餌にしてやりたい気分です。」
アンヌは何の戸惑いも無くそう告げると、太腿のナイフを摩るような仕草を見せた。
俺は頭を押さえると視線をアンヌへと向ける。
「やっぱりアンヌはそうだよねぇー。殺さないで済むならさーもう何かやってるか考えてるんじゃ無いの?」
俺はミアへと視線を送るとミアは満面の笑みで頷いていた。
「はぁー。やっぱりね。」
俺の呟きと同時に二人は驚いた顔で目を見開きながらミアを見つめた。
「それで一体何をやっちゃったの?」
俺はジト目をミアへと向ける。
「あなたよく分かったわね?」
嬉しそうにミアが微笑みながら俺へと抱きついて来る。
「いや、ミアがさっき自分で仕返し出来なくて思わず舌打ちしたみたいな話してたでしょ?そこまで怒ってるのに何もしない訳ないじゃ無い。はぁー。」
俺はミアへと視線を向けながら肩を竦める。
「うふふっ。あのね、あなたユンナの元家族ポーションを作って生活してるんだって。」
ミアがまるで魔王の様な黒い笑みを洩らす。
俺は思わず、先程自分を癒した奴じゃ無いだろうなと嫌そうな顔でポーションの瓶へと視線を落とす。
「違うわよ。それはうちの実家の商品だもの、ユンナの所と取引はしていない筈よ。うちの仕入れ先王都じゃ無いもの。」
乾いた様な笑みを浮かべながらミアは口を開いた。
俺はユンナの親は王都か等と考えていると更にミアが話を続ける。
「まず実家とは絶対に取引させないでしょ?それでユンナの生存をお父様に流して頂いて、ユンナは公爵家のメイドをしており、今は家族同然の扱いを受け以前の家族から受けた仕打ちに大変公爵様はお怒りだと噂を流してもらうの。」
ミアは自信満々に言い切るが俺達三人は微妙な表情を晒す。
「それだけ?」
俺がそう呟くとミアはプクーッ頬を膨らませ唇を窄んだ。
「だって、仕方ないじゃ無い!ユンナが望んで無いのに表立って動けないし!」
それだけ言うとミアはツンと顔を背ける。その後すぐにアルが口を開いた。
「いや、今出来る手段の中ではこれが最善かも知れません。」
アルは何やら普段見せないとても悪い顔でニヤニヤとし始める。
「サクッと行ってサクッと首を刎ねれば…。」
アンヌは納得がいかない様で物騒な事をブツブツと呟き始めた。
「まぁー、今はこれしか出来ないのよ!それであなた悪いんだけど名前使わせてもらってもいいかしら?」
申し訳なさそうにミアがそう告げてくるが俺は全然問題ないと言う風に笑顔で頷いた。
それから2ヶ月もしないうちにミアからユンナの家族が何処の商会にも相手にされなくなり、王都から出ていく羽目になった事実を聞かされる事になる。
しかし、噂が噂を呼び結局、何処の街に行こうと貴族のそれに公爵家に睨まれては堪った物ではないとポーション職人としては勿論の事、普通の仕事にすら雇って貰えない状況になったのだとそれはそれは真っ黒な笑顔で俺に愉しそうに告げてくることになるのだが、この時の俺はそんな事は知る由もなかった。




