57 アンヌの過去
ポーションを購入して店を出てから直ぐに俺はアンヌへとある提案をする事にした。
今日絶対に俺が行こうと決めていた場所の一つアンヌの祖父へのお見舞いである。
本当はもう少し早くお見舞いに来る予定だったのだが色々とこちらの都合で遅くなってしまったことを申し訳なく思っていた。
「それじゃ、アンヌお前のじーちゃんの所に連れて行ってくれ。」
「あら、いいわね、是非そうしましょう。」
俺が笑顔でアンヌへとそう告げるとミアがそれに賛同する様に頷く。しかしアンヌは一瞬嬉しそうな表情を見せるがすぐに困った様な戸惑う様な表情へと移り変わっていく。
更にアンヌは視線を一旦足元へと落とすとモジモジと何かを話し始めるがすぐ口籠った。
「あの閣下、リュノミア様、大変お気持ちは有り難いのですがその…」
あんまり見ないアンヌのらしくない姿に俺とミアは同時にお互いの顔を見合わせる。
「ん?もしかして都合悪いか?」
「いいえ、そうではないのですが、その…」
俺とミアはクエスチョンマークを頭に浮かべ小首を傾げながらアンヌを見つめる、するとアンヌは何かを決心したのか気合を込める様に両手をぐっと握りしめて普段よりも少しだけ声を張り上げる。
「き、汚いのです!!」
アンヌはいい終わるや否や俯いて頬を染めた。
「へ?掃除とかか?」
「うふふっ♪」
俺とミアから思わず笑いが洩れる。
「ち、違いますよ!そうでは無く閣下達をお連れする様な建物じゃないんですよ!掃除はちゃんとやってまおります!これでもメイドなんですから!」
〝クワッ〟と瞳を見開いてから心外だと言う様にアンヌは更に声のボリュームを上げる。
「なんだ、そんな事?別にいいよ?なぁミア。」
「えぇ、まーったく問題無いわね!」
「ほ、本当に汚いですからね?覚悟だけはしておいて下さいね?」
全く引き下がら無い俺とミアへアンヌは観念したのか何かを諦めた様な表情を晒すと小さく溜息を吐いた。
途中肉屋を見つけたのでそこである物を購入しておいた、俺がこれはアンヌの祖父へのお土産だと告げると、口では何も言わないが〝病人にそれはあり得ないだろう″とその瞳が雄弁に物語っていた。
今のうちに笑っておけば良いと、俺は内心ほくそ笑む。
たわいも無い話しを続けながらアンヌの後ろをついて歩いていると、賑やかだった場所から一変、驚く程静かで活気があるとはお世辞にも言えない場所へと周囲の雰囲気が変わっていった。
俺が蕭索たる表情で周囲を確認しながら歩いているとアンヌが何かに気付いたのか、自嘲気味な笑みを浮かべながら気遣う様に声をかけて来る。
「閣下、驚かれたんじゃないですか?」
「この場所の事か?」
俺はそう告げるともう一度周囲を見渡した。
この辺りは、治安もあまり良い方では無いのだろう。あちこちに蓙の様な物が敷いてあり、その蓙の上に生気がない表情で数人の人が横たえていた。容姿は見るからに不衛生で、身体中が黒ずんでおりそれは身体だけには留まらず服も同じ様な状況であった。
「えぇ、そうです、私はあまり裕福で無い家の出なんですよ、いいえ、違いますんね…かなり貧しいと言うべきでした。元々、金銭的に苦労している環境でしたが私は家族が大好きでしたし、勿論両親のことも誇らしく思っていました。両親がいるときはまだ、今の様な環境ではありませんでしたしね。」
何かを思い出す様なそんな目をしながらアンヌは空を見上げた。
「アンヌ聞いてもいいかしら?ご両親はその…亡くなられてるのよね?」
ミアが少し遠慮がちに問いかけた。
「はい、私が10歳の時にはもう…両親揃って冒険者だったんですよ、でもあまり戦闘の才能は無かったみたいでしてとある依頼の最中にそのまま家には帰ってきませんでした。」
「そう…」
沈黙がその場一帯を支配する。
更にアンヌの発言がその沈黙を重苦しい物へと変える。
「…確かに両親が亡くなった事は悲しかったですがそれよりももっと…ある日両親の冒険者仲間だった一人に言われたんですよね。『お前の両親は仲間を見捨てて逃げる本物の屑だ!』って…。」
「「・・・・・・」」
「私は信じられませんでした、あんなに家族を大切にする、本当に大好きだった両親がそんな事をするはずがない!絶対に何かの間違いだと子供ながらに色んな冒険者の人に聞いて回りました。両親の他の冒険者仲間は勿論、色々な人にそれこそ朝から晩まで一日中歩きっぱなしでした。」
アンヌは当時を思い出したのかワナワナと肩を震わせており両掌を口惜しそうな表情をしながら握りしめていた。
「それは、本当に大変だったでしょうね?アンヌはご両親が本当に大好きだったのね。」
ミアはアンヌの背中を摩りながらどこか悲しそうにアンヌを見つめた。
「えぇ、私は本当に両親が大好きでしたよ。父はよく冒険者の仕事の話をお伽話でも聞かせてくれる様に話してくれました、母はそんな父の話を聞きながら〝凄い!凄い!〟とはしゃぎ回る私を追っかけてきて諭しながら抱きしめてくれました。そして『お父さんの様に強い人間になるのよ』そう言いながら最後には必ず頭を撫でてくれるんです。」
当時の事が頭を過ったのか、アンヌの頬がわずかに緩む。
「だから、そんな大好きな両親が仲間を見捨てて逃げただなんて信じられなかったのです。しかし、そんな希望は一瞬で打ち砕かれました。その両親が逃げたとされている時に受けていた依頼はどうやら護衛の仕事だったらしく、依頼主の方にも『お前の両親はゴブリンの集団が襲ってきた時に真っ先に逃げた』とはっきりと言われました。」
俺はアンヌの話を聞きながら、リノアの事が頭を過る。
(俺は娘の為に死ねないと思っている。アンヌの両親と同じ状況になったら俺ならどうする…。そのパーティーとの関係性はわからないが…俺はもしかしたら…)
「それからの私の生活は地獄の様でした『仲間を見捨てた屑の娘』だと…不思議とそういう噂は広まるのも早いもので見ず知らずの大人達からも要らぬそしりを受け続けました。ただ唯一祖父だけが私の味方だったのです。そんな祖父は私に言いました『必ず何か理由が有る』と、『両親を信じなさい』と。」
「そう、お爺さまはそんな事を…。」
ミアが呟く様に言った。
「そうか、それで何かじーちゃんの言ってたモノは見つかったのか?」
アンヌは悲しそうに微笑みながら首を横に振った。
「そう言われてから私は何年も考え続けました、5年くらいたった頃でしょうか?私は冒険者にならないと分からない事なのでは無いのかと考えるようになっていました。」
「それでアンヌは冒険者になったのね?」
「はい、自分でもなんて単純なんだと呆れます。」
アンヌが力なく笑う。
「冒険者になって見つけられたか?」
俺がそう聞くとアンヌは再度力なく首を横へと振った。
「いいえ、ダメでした。結局何も分からないまま私は両親を超えAランク冒険者にまで成りましたが今もまだ何も分からないままです。」
「そうか。」
「結局時間だけが過ぎ、気が付けば唯一の肉親だった祖父まで病に犯され、男爵に利用され閣下やリノアお嬢様にご迷惑までお掛けする始末です。」
「本当に申し訳ありませんでした。」
アンヌが俺とミアへと視線を向けた後深々と頭を下げる。
「いや、それはもういいよ、だけど何で今回自分の事をこんなに話してくれたんだ?」
次に俺を見つめ返すアンヌの表情は今までとは違い、どこか吹っ切れた様なそんな笑顔をしていた。
「それはきっと、閣下があの時に男爵へと『俺の家族だ』と仰ってくれたから閣下達には知っておいて欲しかったのだと思います。」
「そうね、家族!あなたとリノアと私、それにアルとアンヌ、勿論お父様やアルの妹さん、アンヌのお爺さまも含めてね♪大丈夫みーんなアリヒトが守ってくれるから❤︎ねぇ?あなた❤︎」
ミアがニコニコと無言の圧力をかけてくる。
俺の意思と全く関係の無い所で守るものが増えていく…無論アンヌ達の事は家族だと思っている俺の答えもミアと同じなのだが…そうなのだが…態々口にしてプレッシャーを与え無いで下さい。しかも選択肢の無い問いかけですよね。
結局俺は項垂れながら『ハイ』とだけ答えておいた。
(そりゃ俺もカッコよく任せとけ!!全部俺が守ってやる!(キリッ)とかやりたいよ?でも俺はそんなイケメンキャラじゃ無い…唯のおっぱい好きなサラリーマンなのです…。)
圧力に屈した俺が不貞腐れて考え混んでいるとミアから声がかけられた。
「全く本当にあなたはリノアの言う通りしょうがないわねぇ〜?❤︎あなたはちゃんとイケメンよ?❤︎キリッとかしてもいいのよ?❤︎」
(えぇーウソ!考えてる事バレてるの?という事は…おっぱい云々もバレちゃったの!?)
「あらあら♪うふふっ、さぁどうかしらねぇ?❤︎あっ、そーだ、あなた、さっきのアンヌの話を聞いてご両親について思ってる事があるならちゃんと伝えてあげないとダメよ?」
俺がこの全てを見透かす不思議な奥さんに呆然としているとアンヌが声をかけて来た。
しかしどうも様子が可笑しい。瞳は明らかに期待する様な輝きを帯びており、それでいて妙にソワソワと落ち着かない何ともチグハグとした珍妙な姿だった。
「あ、あの、か、閣下は何かお分かりになられたのでしょうか?」
アンヌの瞳を覗き込む…その瞳にはやはり完全に期待の色を浮かべていた。
〝ンーッ〟と唸りこれ以上ハードルが高くなってしまう前に話を切り出す事にした。
「まず、先に言っておくけどさ?俺はアンヌのご両親では無いから正確にこれが正しい答えだとは言えないし、思わないようにな?」
「はい、分かりました。」
アンヌはしっかりと俺を見据え真剣に頷く。
「アンヌの話聞いてからさ、俺リノアの事考えたんだよ。」
「リノアお嬢様の事ですか?」
「そう、前にさ、俺も似たように戦闘の話をリノアにした事があってね、あいつその時青白い顔色をさせながら泣いたことがあるんだよ。それでその時に俺は死ねないって、勿論俺の…自分自身の為にもってのはあるけど、それ以上にリノアの事を一人にしない為にも絶対に死ねないって誓った事があってさ。もし、俺がアンヌの両親と同じ状況に陥ったと仮定して、ここで逃げないと間違いなく死ぬってそんな場面になったら俺はどうすんのかなーってな。」
「か、閣下ならどうされますか?」
アンヌが少し前のめりに話の先を促すような視線を向ける。
「俺は間違いなく逃げるだろうな。」
「なっ!私に気を使われてその様に言われているのでは?」
俺の言葉でアンヌに動揺が走る。
「いいや、違う、嘘も遠慮も気遣いもない、正真正銘俺の意思100%だよ。」
「そ、それは失礼致しました、ど、どうしてなのかと理由をお伺いしてもよろしいですか?」
「あぁ、全然いいよ。単純に優先順位だよ?」
「優先順位ですか?」
「そう、アンヌの両親にとってじゃ無かった…俺にとって、一緒に冒険者をやってる連中や依頼主なんかよりもリノアの未来の方が大切だったというだけの話、そもそも今の俺にとってリノアよりも優先する事は何1つ無いからな?」
そう発言した瞬間、本当に一瞬だが、鋭い視線が俺に突き刺さった。
自分の言葉で俺にも動揺が走る。
しかし、今はダメだ、今は屈しちゃいけない時間帯だ!
「そ、それじゃ…私の両親は…」
「そう、俺の勘なんだけど、アンヌの両親は恐らく、冒険者や依頼主なんかよりアンヌ自身と生きていく事を優先しようとしたんじゃ無いの?」
それを聞くとアンヌは小さく肩を震えさせ、その場に座り込んでしまった。
ミアがそんなアンヌへとそっと近づく。アンヌが悲しげな視線をミアへ送るとミアは笑顔でそれを迎え入れた。
アンヌはそのまま子供の様にミアへとしがみ付くと阿吽を漏らして咽び泣いた。
「あ゛っあ゛…っ……う゛あ゛…うわぁぁ〜あ〜っ…おどうざん…おがあさん…ごめんなざい〜!!うわぁぁ〜!!!」
そんなアンヌをミアが優しく抱きしめていた。
俺が言った事が絶対に正しいとは言い切れない、それでもアンヌの心が少しでも軽くなってくれればと祈らずにはいられなかった。
俺はそんな二人の姿に心が暖かくなった様に感じていたのだが…。
アンヌが泣き止むと同時に状況は一変する。
「リノアより優先するモノないんだ?そうなんだ〜へ〜ほ〜ふ〜ん。」
ミアが物凄く不機嫌になっていた、時折何かをブツブツと呟き、キッと鋭い視線を向けて来る。俺はそれを苦笑いで誤魔化す。
ちなみにミアは別に心が読める訳では無く、只俺が顔に感情を出しやすいだけだそうだ。
機嫌の悪いミアから「貴族失格ねぇ〜❤︎」とずっと弄られ続けた。
そんな俺たちの様子を見ながら笑うアンヌの笑顔は今までとは全く違い春の陽だまりの様な優しい笑顔だった。




