地獄でバイト
57Hz
閻魔大王に映し出されたこの数値を見た時、俺の頭を様々な思考が駆け巡った。
57って確か素数だよな。なんか3と19に素因数分解できる気がするけど気のせいだ。だってグロタンディーク大先生がそう仰ってるんだもん。57=3×19?それがどうした。合成数かつ素数。それでいいじゃないか。p=57。うん、なんの問題も無い。
こんなにもとりとめもない事しか考えられないくらいに俺は混乱していた。だって、半年間で8Hzしか伸びなかった戦闘周波数が残りの1年で39Hzも伸びているのだから。57x-39y=1。いや、さっさと退出しなきゃならないのに不定方程式とか解いてる場合じゃないぞ。
・・・あ、これ解けない。環ℤの有限生成イデアル(39,57)に1は含まれてない。解無しだ。
とまあしばし混乱していたが、別に悪いことが起きた訳でもないので数分後にはだいぶ落ち着いた。
と同時に、この瞑想部屋に対する名残惜しさを感じるようになってきた。
最初の数か月こそする事も無く徒然なるままに時間を浪費するのみだったが、戦闘波の波形を把握できるようになってからは数学に没頭できた。眠くなることもなければ、ご飯の心配をする必要もなく。
転生してしまえばそんな天国のような時間は終わる。ああ、もう少しこの部屋、この至福の刹那を堪能したい──
そこでふと、俺は閻魔大王の右下にある情報に気がついた。よく見ると、それは地獄での短期のバイト募集だった。
仕事内容は、針地獄の針の洗浄作業。要は肉体労働だ。だがそんな事はどうでもいい。何より俺の気を引いたのはその給与。なんと、日給1の徳が得られるのだ。
これがあれば、もう暫く俺はこの部屋に留まれる──。
◇
数時間後、地獄に着いた。求人情報をタップして現れた鬼に連れてきてもらったのだ。
「しかし、『死者の瞑想部屋』にボクの求人依頼が張り出されるとはね。結構キツイ肉体労働だから、戦闘周波数50Hz以上の人がいるところにしか表示されないはずなんだけど、、、君周波数いくつ?」
「57Hzだ」
鬼が歩みを止めた。
「57・・・?バカな、そんなに長期間修行できるほど徳を積んでたら十分天国に行けたはずだろう?なぜ転生を選んだんだ?」
「いや普通に1年半ちょいしか瞑想してないが、、、」
「たった1年半で57Hzだと!?そんなことがあって良いのか?まあ確かによく考えたら徳が100あっても普通57Hzには到達しないはずだしな、恐らく何か効率の良い鍛錬を積んだってとこか。君、瞑想部屋で何してた?」
「最初の数か月間は普通に瞑想だな。心を無にしてた。すると、戦闘波の波形を感知できるようになったから、それからは数式を戦闘波に入力して遊んでた。」
「うーむ、大方原因はそれだな。前例が無いから確証はできんが、、、」
鬼に会って、自分の異常成長のきっかけを知れたのは大きな成果だな。そんなことを考えていると、作業現場にたどり着いた。
バイトは重労働だった。血糊がこびりついた針山の針を1個1個超音波洗浄機のある池まで運ばなければならないのだが、これが兎に角重い。1歩1歩、足が地面にめり込みそうになりながら数kmの道のりを何往復もしなければならないのだ。しかも道の途中途中が血で泥濘んでいてこの上なく歩きづらい。
もはや、地獄に堕ちた人より従業員の方が大変なのではとさえ思えた。
だが、それも瞑想部屋のモラトリアム稼ぎのため。満期の4日間、血反吐を吐くような思いをしながらも何とか働き通した。
管理職の鬼の「お疲れ様でした」の掛け声とともに合格通知を受け取った受験生のような気分になりながら俺は瞑想部屋に戻った。
その後の瞑想部屋での追加の1か月強の日々は、バイトの苦労の経験や少ない残り時間からか、ありがたみが凄まじく大きく感じられた。
そしてついに運命の日がやってきた。周波数を確認する。74Hz。どうやら、地獄でのバイトは瞑想期間の延長だけでなく戦闘周波数の急成長という恩恵もあったらしい。
残念ながら、今回は求人情報は何も載ってない。
とうとう打つ手もなくなり、まだ部屋を出る前だというのに瞑想部屋ホームシックを患いながら、俺は転生の扉を開くこととなった。