緑色の敵(三十と一夜の短篇第27回)
それを森と呼ぶのは不適切である。もともと一個の個体であって、それがほかの動植物を吸収して肥大化した。現在直径三〇キロメートル。それが徐々に徐々に日々、大きくなってゆく。もともとは試験管のなかの、〇.五ミリメートルの小さな小さな植物性プランクトンだった。
光合成をおこなうこの単細胞生物は、雑食である。植物性プランクトンも動物性プランクトンも、隔てなく喰らう。特異であるのは、食べたものを吸収して肥大化してゆくところ。取りこんだ体積をそのまま、自己の体積として倍増させる。体積の倍増に伴って、捕食対象も変化する。
単細胞生物でありながら、分裂をしない。捕食をしなくても、光合成によって体積を膨張させてゆく。人造の光でも光合成をなす。光を断っても死なない。試験管に収まりきらなくなり、水槽で飼われるようになる。膨張八〇センチメートル。それはついに自力で、水槽を抜けだす。研究員ひとりを喰らって、研究所からも抜けだした。
研究所とはなにか。陸軍の開発課とも、帝大の実験室とも噂される。憶測の域を出ない。出所は秘匿される。巷間で語られるそれの由来については、真偽があやふやである。人造であるか天然であるか、定説であるか仮説であるか。ただ事実として、それがそこにある。脅威として、そこに存在している。そこにある以上、対処していかなければならない。
それが動くことはない。そこから動くことはないが、その体積を膨らませていっている。獰猛に、そして狡猾に。町ひとつと一市の半分が、それに喰われている。そこの住民は安否不明。それに捕食されたものと思われる。
私は車を飛ばし、それのもとへ向かった。都市を侵蝕した、不気味な森。樹齢を重ねた大木の幹のような野太い茎が、幾重にも折りかさなって森のように見える。茎の隙間を縫うように、無数の蔓が伸びている。私は思わず、声をあげる。
「京子......」
愛しい女の姿が、そこにある。それに呑みこまれたはずの、私の恋人。噂はほんとうだった。それのまえに立てば、それに喰われた人にあえる。
「来てくれたのね、うれしい......」
まぎれもない京子の声だ。その体を抱きよせるが、私にはわかっている。これは京子ではなく、ただの「疑似餌」だと。体内に取りこんだ京子を、体外で再構築しただけの肉。土中に根が繋がっているはずだ。それは狡猾きわまりない。人間というものを深く理解し、「疑似餌」を用いる。記憶と人格を擬態した肉で、おびきよせる。まんまとおびきよせられた私は、それの餌食となるのだ。
私は眼を閉じた。私を喰らうために、京子の体が花ひらくさまを見たくはなかった。私は喰われる。だが、ただで死ぬつもりはない。効くかどうかわからないが、除草剤の瓶を大量に身につけている。こんな微量でどうにかできるものでないことはわかっている。けれど少しでも、痛苦をあたえることができるのではないだろうか。
瞼の裏の闇のなかで、それの悲鳴が聞こえたような気がした。




