第8話 高船神社
『あらあら、これはまたエラいべっぴんさんが来はりましたなぁ』
アカメがクスクスと笑い、そう言った。
―――高船美里。
高船神社の娘にして、学年でもトップクラスの美少女。
腰まで伸ばした艶やかな黒髪とその洗練された立ち振る舞いは大和撫子と呼ぶに相応しく、そんな美里に憧れる男子生徒も多いと言う。
「新学期初日にお話しして以来ですね」
康太は、この美少女と一度だけ会話をしたことがある。
だが、クラスが違うのでそれっきり。
以降は全く絡む機会はなかった。
ほとんど面識がないはずの自分の名前を美里が憶えていた事を康太は驚いた。
「高船さんが俺の名前を憶えていてくれてたなんて、意外でした」
「素敵な精霊をお持ちだったので、印象に残っていました。まさかその方の名前を後日、決闘の協力者候補として聞くとは思いませんでしたが。
それよりも――」
もともと姿勢良く立っていた美里が、一段と居住まいを正す。
「今回はこのような強引な手段に出てしまい、秦野くんには大変ご迷惑をお掛けしました。本当に申し訳ありません」
美里が深く頭を下げる。
「高船さん、頭を上げてください。……やはり、貴方が今回の黒幕ということですか?」
「仰る通りです。もっとも、黒幕というほど大それた企みを持っているわけではありませんが……。
秦野くん、たった今謝罪した身でお願い出来る立場ではないのは分かっています。ですが、どうか私の―――」
「―――宇佐部部長にも言いましたが、俺はその決闘とやらに関わるつもりはありません。今回の件は、動画を消して、俺の事を口外しないと約束してくれるのであれば、全てなかった事にするつもりです」
美里の言葉を遮り康太がピシャリと言い放つ。
黒幕が美里だというのは予想外だったが、だからと言って康太がお願いを聞いてあげる理由にはならない。康太には、下手な厄介事に首を突っ込む気など毛頭ないのだ。
「ま、まぁまぁ、話ぐらい聞いてあげてよ」
取りつく島のない康太の様子に、舞が助け舟を出そうとする。
「話を聞いたら後戻りは出来ない、――なんてことにはなるのでは?」
「その点は大丈夫です。身内の恥ではありますが、機密に該当するような話ではありませんから」
「……」
「ですから、お願いします。話だけでも」
康太の懸念を否定した後、美里はジッと康太を見つめてきた。
真っ直ぐ祈る様な視線だが、康太にはその瞳の奥が不安そうに揺らいでいるのが分かった。
美里は、周囲の人がほとんど気付かないほど小さく、ゴクリと喉を鳴らした。
康太は、ハァと溜め息をつくと、観念したように力を抜いた。
「……分かりました。話を聞くだけですよ」
康太の言葉を聞いた美里は「ありがとうございます」といって安堵の息を吐き、舞も「おぉ!」と言って笑った。
「少し長くなりますので」という美里の言葉を受けて、康太達三人は旧時計台の近くのベンチに腰を降ろした。アカメとらいらいはベンチの近くに立ち、お互いけん制し合うような位置取りだ。
「えーと、何から話しましょうか……。秦野さんは、私が高船神社の者というのはご存知ですか?」
「はい。クラスメイトが噂しているのを聞いたことがあります」
「話が早くて助かります。私の実家は高船神社の分家になります。事の発端は、本家当主の息子から、婚約の申し出を頂きまして、それをお断りした事なのです」
「……」
高船神社は国内に千以上の分社を持つ高名な神社だ。
その神主ともなると暮らしっぷりは上流階級のそれになる。
自分のような一般家庭で育った者とは住む世界が違うとは康太も予想していたが、まさか高校生のうちから婚約の話が出るとは。
金持ちの世界も色々あるんだなと、康太は変な感想を抱いてしまった。
もっとも、美里自身が類稀なる美少女ということもその原因なのだろうが。
「本来なら本家の申し出を分家が断る事は出来ません。ですが、彼――高船史郎は四男でした。将来の跡継ぎではないので彼にそれほど力もなく、何とか断る方向に話を持っていくことができました。その時に使ったのが、『決闘』です」
「決闘……」
康太がポツリと反芻する。
先ほどから舞が何度も口にしていた言葉だ。
「高船神社には、揉め事が起きた際には両者の決闘によって事を収める古いしきたりがあるらしいの。室町だか平安だかの時代にできたカビの生えた風習なんだけど、下手に伝統があるせいで無視できないみたいなの」
横から舞が美里の説明を補足する。
「決闘に臨んだのは、私の兄でした。本来なら私が戦うべきなのですが、兄は私を危険な目に遭わせたくないと考えたようです。『これは婚約の応否を決める決闘だ。婚約とは家と家との問題。ならば高船分家として俺が出ても問題はない』と言って私の代わりに戦に挑んでくれました。決闘は、兄の勝利で終わりました。これで高船史郎の申し出は退けた、そう思っていたのですが……」
そこで美里は、一旦言葉を区切った。
しばし虚空を見つめた後、話を続ける。
「決闘から数ヶ月して、兄は何者かに襲われました。幸い一命は取り留めましたが、凶器に毒が盛られていたようで、今でも意識は戻っていません。そして、それから間もなくして高船史郎が再度、決闘を申し込んできました。前回の決闘は当人同士が戦っていないので無効であると言って」
「こんなの奴らの陰謀に決まっているよ! 絶対に許せない!」
舞が小さな手をブンブン回し、全身で怒りを露わにする。
康太も内心で、『確かにそうだろうな』と思った。
美里の兄が襲われたこと、そして再戦申し出のタイミング、どう考えても史郎の策謀だ。
『その不審な点を訴えることは出来へんの?』
それまで黙っていたアカメが尋ねる。
「兄を襲った相手はかなり手慣れた者だったようで、高船史郎に繋がる証拠は残されていませんでした。決闘も、正式な手続きを踏んで申し込まれているので拒否する事は出来ません」
「勝てる見込みはないんですか? 一度はお兄さんが勝利した相手なんですよね?」
「……恐らく、無理でしょう」
康太の問いに、美里は悲痛な表情で応えた。
「高船神社の決闘は三対三で行われます。強い仲間を集めるのもその人の力の内というのがその理由です。前回の兄との決闘の時、高船史郎は分家と油断して格下の者を引き連れてきました。その結果、史郎は敗北。史郎は前回の失敗を反省し、今回はかなりの実力者を揃えてくるようなのです」
「なるほど」
美里の説明を聞いて、ようやく康太にも話の概要が見えてきた。
その決闘で、美里は康太を美里チームの三人の内の一人にしたいということなのだろう。
「そんなに重要な決闘ならば、尚更俺じゃない方がいいんじゃないですか? この学園には俺よりも強い人がいくらでもいると思いますが」
「それが……」
「私達ももちろん声はかけたよ! でも、上位ランクの生徒はみんなどこかの派閥に入っていて、それぞれ立場があるからって断られちゃったの……」
舞の話によると、上位ランクの生徒はほとんどがどこかの派閥に入っており、その派閥の利益を害するような行動は取りたがらないそうだ。
今回、美里に味方するということは、高船神社本家に喧嘩を売るということ。異能者業界ではそれなりに力をもっている高船神社から要らぬ反感を買いたくない、彼らはそう考えているのだという。
「いろいろな方に声をかけましたが、結局、私と一緒に戦ってくれると言ってくれたのは、昔からの付き合いのある舞さんだけでした」
康太は一度、美里が引き抜きをしている現場を見かけたことがある。
あの時は告白の類かと思ったが、それにはこんな事情があったのだ。
「派閥に入っていない人は、言い方が悪いけど実力の無い人。とてもじゃないけど決闘で満足に戦えない。……そう思っていたんだけど、秦野くんは違った。秦野くんは少なくともDランク中位以上の実力がある。美里ちゃんはさっき決闘で勝つ見込みは少ないって言ったけど、秦野くんが協力してくれるなら話は違ってくる」
「無茶なお願いなのは分かっています。ですが、私にはもう秦野くんしか頼りになる人はいないんです。どうかお願いします! 私達と一緒に、決闘に出て頂けませんか。出来る限りのお礼は致しますので」
美里が再び康太に頭を下げる。
その真摯な姿に康太の胸中も揺れ動いた。
正直に言うと、康太も美里の境遇に同情しない訳ではない。何とかしてあげたいという気持ちも湧いてくる。だが、自分の存在を秘密にしたい康太にとって、いささかハードルの高い話であった。
悩んでいる康太に代わるように、アカメが美里に問い掛ける。
『今回の決闘に勝ったとして、その史郎はんはお嬢ちゃんの事ホンマに諦めるんやろか? 話を聞く限りかなり強引な手段を使てくる相手のようやし。また同じことの繰り返しになるとちゃうの?』
「それは、確かに絶対とは言えませんが……」
『別の方法はあらへんの? 例えば、お嬢ちゃんには別に婚約者がおるとか』
「そのような方は、いません……」
消え入るような声で、美里が答えた。
「……分かっています。本当は私の我儘だって事を。最初から私が婚約に応じていれば、兄もあんな目に遭う事はなかった。それに、高船神社の一門は、本家や親が決めた結婚相手と一緒になるのは珍しい話じゃないんです。私も分家とは言え高船神社の一門の娘、その事は幼い頃より教わってきたのですが……」
美里が声を絞り出す。
その瞳には、薄っすら涙が浮かんでいた。
『まぁ、今回はその結婚相手が酷過ぎる気がするけどなぁ。お兄さんの襲撃がほんまにその史郎って男の仕業やったら、ちょっといただけへんなぁ』
「高船史郎が人として嫌だというのもあります。だけど、本当の理由は、結局、私の我儘なんです」
「美里ちゃん……」
『どういうこと?』
「……私の両親は、恋愛結婚でした。本家が決めた許嫁を断ってまで一緒になりました。私はそんな両親が大好きですし、誇りに思っています。私もそんな風になりたいと、小さい頃から考えていました。だから今回も、抗えるチャンスがあるのなら、抗いたい、諦めたくない。そういう私の我儘な思いが根底にあるんです」
目尻に涙を浮かべた美里の独白を遮ったのは、康太だった。
「そんな事はない。それは、我儘なんかじゃない」
「……え?」
力の篭った康太の声。
その声を聞いた美里と舞はポカンとした表情を見せ、アカメは『あらあら』といって口元を手で押さえる。
「先ほど、俺が決闘に参加すれば勝機はあると言いましたが、それはどの程度自信があるんですか?」
「……正確に言うと、勝てる見込みは薄いです。良くて引き分けだろうと予想しています。ですが、決闘の経緯次第では相手にこちらの条件を呑まざるを得ない状況に持っていく事ができると考えています」
「決闘の、経緯次第で……?」
「そうです。しかしそれも秦野くんの助力があってこそです。というのも、私達は勝手ながら秦野くんが隠している実力をDランク中位よりも上だと見ています。せめてその位実力のある方から協力を得られなければ、この作戦は根底から崩れるのです」
「……そうですか」
美里の言葉を聞いた康太は、考える素振りを見せる。
「秦野くん?」
そんな康太の様子に、舞が不安そうに声をかけた。
「……二つ、条件があります。その条件が呑めるのであれば、俺は決闘に参加しても構いません」
「―――え!?」
「そ、その条件って!?」
康太が急に態度を変えた。
美里と舞はその事に戸惑いつつも、その条件を聞こうと食いつく様に身を乗り出す。
「一つは俺の事です。これ以上俺の事を詮索せず、俺の実力も他人に漏らさない。もう一つはその決闘の事。出来る限り俺の正体を伏せるようにして欲しいんです」
「そ、その条件で……本当に?」
「もちろん、その条件は絶対守るよ! 本当にいいの? 出てくれるの?」
「はい。条件を守ってくれるのであれば」
「やったーー!!」
「あ、ありがとうございます!」
舞が美里に抱き付き、大きな声ではしゃぐ。先ほどまで泣いていた美里もそうだが、舞も薄っすらと目尻に涙を浮かべていた。
そんな二人を尻目に、康太はアカメにチラリと視線を遣る。
美里を助ける、康太は自分の決断に後悔はない。
とはいえ、少し早まっただろうか? という思いがあるのも事実だった。
しかしアカメは、そんな康太に静かに微笑を返すだけだった。