第3話 新学期
「ふぁ~あ」
鏡に向かって大きな欠伸を一つすると、康太は寝癖を整える。
昨晩はあの後もハクビが悪戯をしたり他の精霊たちも出て来たりで、結局引っ越しの片付けが終わったの日付が変わった頃だった。
寝不足の気怠さを感じながら、康太は学園の制服に袖を通す。
今日から新学期がスタートする。
昨日、思いがけない人物によって自分のクラス割を知らされてしまったが、それでも、クラスメイトに会うのは今日が初めてだ。
友達になれる奴はいるかな?
可愛い子はいるかな?
もしかしたら高等部で過ごす間に彼女が……。
康太も年頃の男の子である。
ついつい人並みにそんな事を考え、胸を高鳴らせてしまう。
とはいえ、目立つことは厳禁だ。
あくまで普通の、一般的な異能者として振る舞う事が最優先事項になる。
新しいクラスを楽しみにしている康太だが、一つだけ懸念があった。
学園のほとんどの生徒は中等部からのエスカレーターで進学してきている。だから康太以外の生徒同士はみな顔見知りであり、既に友人関係が出来上がっていると考えた方が良い。
つまり、康太は転校生に近い存在だ。
暫くの間、少し目立つ事になるのは止むを得ないだろう。
大事なのは、なるべく早く馴染む事だが……。
(まぁ、あまり気にしても仕方ないか)
現時点でこれ以上考えても無駄と思い、康太は思考を止めた。
康太はあまり小さい事に拘らない性格がある。
楓に言わせると、この辺りは母に似ているらしい。
康太はそれを指摘されると気恥ずかしいと同時に、なるほどと思った。
確かに、母も小さい事には拘らない人だった。
そんな人だったからこそ、いきなり見知らぬ地球に召喚されても生き残り、更に一人の息子を育てることが出来たのだろう。
―――
学生寮を出て、高等部の校舎に向かう。
学園の敷地は広い。
大体、徒歩で十分ぐらいだ。
歩道に植えられた満開の桜が、風にたなびく。
ニュースでは今週末までが見所らしい。
高等部の校舎の前には、張り出されたクラス表を確認しようと人だかりが出来ていた。既に自分のクラスを知っている康太も、一応自分の名前とクラスを確認してから教室に向かった。
――「特殊クラス」。
正式には一年八組。
まだ朝のホームルームが始まるには時間があり、登校している生徒は半数ほどだった。
康太がその教室に入ると、予想通り好奇の視線が一斉に向けられた。
チラチラと、まるで窺うような。
好奇心が大半だが、侮蔑の視線も含まれているようだ。
その視線の中、康太は黒板に張り出された座席表で席を確認し、自分の席に座った。
教室を気まずい空気が覆う。
その空気を壊すかのように、一人の少年が康太に話し掛けた。
「よう、俺は日野亮平。席が近いどうし仲良くしよーぜ」
康太の後の席の少年は、人懐っこい笑顔を浮かべてそう言った。
なかなかイケメンだ。
「え、ああ。俺は、秦野康太」
「秦野康太か。康太って呼んでいい? 俺の事も亮平って呼んでくれればいいから」
「あ、うん。わかった。よろしく、亮平」
いかにもコミュニケーション能力が高そうな少年だ。
康太はそんな亮平に少し戸惑う。
「……みんなさ、康太がレイタ―だからどう接していいか分からないんだよ」
亮平が小声で囁いた。
それは康太にも分かる。
明らかに余所余所しい雰囲気。
中には、康太と喋ることはない、そんな空気を醸し出す奴もいる。
「亮平は、そうじゃないのか?」
康太がそう聞くと、亮平はニカッと笑った。
「俺はあんまりそういう拘りはねぇな。レイタ―とか別に関係ないし。むしろ、席が近い奴と今後ずっと気まずい関係って方が嫌だな」
亮平の答えに康太は僅かに目を見開く。
亮平は見た目もいいが、中身もなかなかにイケメンらしい。
康太は亮平の厚意に有難く乗っかる事にした。
「助かったよ、知り合いがいなくてちょっと気まずかったんだ」
「まぁ、そうだろうな。他のレイターも最初はそんな感じだぜ」
「やっぱりレイターって珍しいの?」
「そうだな、中等部三年間で十人いなかったと思う」
ということは、毎年三人ほどしかレイターが入学してこない計算になる。
学園には一学年に三百人ほどの生徒がいるにも関わらずだ。
(やっぱり、少し目立つのは仕方ないかな)
そんなことを康太が考えていると、亮平がグイッと顔を寄せてきた。
「レイターってのも康太が注目を集める理由の一つだけど、それだけじゃないと思うぜ?」
「というと?」
「康太がこの特殊クラスに編入されたことだよ。特殊クラスは普通の測定で計れない連中が集まっている。みんな康太が特殊クラスに入れられた理由が知りたいのさ」
「……別に大したことじゃないよ」
そう言うと、康太はポンと手を叩いた。
机の上に子猫大のモフモフがパッと出現する。
『にゃ~』
「……これは、精霊?」
康太の手にじゃれつくモフモフを見て、亮平が目を丸くする。
「そう。名前はハクビ。何故だが知らないけど、俺は精霊に好かれ易い体質らしい。特殊クラスに入れられた理由がコレだ」
この設定は楓の発案だ。
康太の正体がハーフエルフだとバレるのは拙いが、だからと言って一から十まで康太の力を秘密にしては、それはそれで怪しまれる。適度に情報を開示した方が周囲の目も和らぐだろうとのことだった。
そして、康太が精霊に好かれ易いという設定は、色々と都合がいい。
康太が使役しているハクビや他の精霊の存在を無理に隠す必要がなくなるし、不測の事態が起きて高度な魔法を使う必要が生じても、精霊の力を借りたとか適当な言い訳が立て易い。
(楓さんって、こういう点に関してはほんとには頭が回るよな……)
『にゃっ、にゃっ、にゃあ♪』
「……へぇ~、結構可愛いんだな」
机の上で無邪気に遊ぶハクビを見て、思わず亮平の顔にも笑みが浮かぶ。
ちなみに、ハクビには人前では喋らないよう言い聞かせてある。精霊に好かれ易い異能者はそこまで珍しくはないが、会話が出来るほどの精霊を使役している異能者は滅多にいないからだ。
(取り敢えず、ハクビのお陰で特殊クラス入りした理由を納得して貰えた感じだな……ん?)
「なにこれ、可愛い~」
「私も触っていいかな?」
気付くと、康太と亮平の会話を遠巻きに見ていたクラスの女子が、席の近くまで来ていた。
「あ、ああ。大丈夫だよ……」
「ありがとー!」
「うわ、めっちゃ可愛いっ!」
「超モフモフー!」
『にゃにゃー!』
(……何なんだこの状況は?)
急な展開に付いていけず康太が内心で戸惑っていると、ハクビを取り囲んでいた女子の一人が声を話しかけてきた。
「えっと、秦野くん……でいいんだよね? 私は美崎香奈。これから一年間よろしくね」
はにかみながらそう康太に挨拶してきた彼女は、中々の美少女だった。
大きな瞳に首まで伸ばしたブラウンの髪。
屈託のないその笑顔は、彼女自身が持つ明るい雰囲気を醸し出しすかのようだ。
「あ、ああ、よろし――」
若干照れつつ康太が香奈に挨拶を返そうとした時、横でハクビの頭を撫でていた少女がパッと割り込んできた。
「ああ! 香奈だけ勝手に自己紹介してズルい! 私は瀬戸麻美だよ! 秦野くん、よろしくね!」
「野村涼子です。よろしく」
「えっと、よ、よろしく!」
思いがけず三人の女子と知り合いになり、内心で大いにドギマギする康太。
すると、亮平がまた康太に囁いてきた。
「この三人とは中等部からの付き合いなんだ。こいつ等もレイタ―だからどうとか気にする連中じゃねぇから」
どうやら、このクラスは排他的な人ばかりではないらしい。
少なくともこの三人の女子は、康太を疎外していたのではなく、初対面で単に話すキッカケがなかっただけのようだ。
そうなると、今回のお手柄はそのキッカケを作ってくれた亮平と、ハクビの愛らしさと言える。
(これはハクビにも感謝だな。寮に帰ったら何かご褒美をあげないと)
そんな事を康太が考えていると、背後から更に声が掛かった。
「――あら、可愛い精霊ですね。私も触らせて貰ってもいいでしょうか?」
凛と透き通るような声。
振り返ると、芸能人顔負けのとんでもない美少女が立っていた。
「た、高船さん!」
亮平が驚き、ガタガタッと椅子を揺らして立ち上がる。
「ごめんなさい、急に声を掛けたから驚かせてしまいましたか?」
「あ、いえ……。あ、この席どうぞ!」
「ありがとうございます」
席を譲った亮平に、高船さんと呼ばれた少女は上品な笑顔で礼を言った。
腰まで伸ばした黒髪に、透き通るような白い肌。
そして柔らかな物腰。
その立ち振る舞いは正に大和撫子と言うに相応しい。
「申し遅れました。私は高船美里と申します」
美少女が康太に名前を名乗る。
「あ、えっと、秦野康太です」
「秦野さん、ですね。素敵な精霊をお持ちなんですね。私も触らせて貰ってもいいでしょうか?」
「あ、はい。どうぞ」
「ありがとうございます。ふふ、素敵な毛並みですね」
『うにゃ~ん♪』
美里は柔らかな笑みを浮かべてハクビの頭を優しく撫でる。
それを一頻り愉しんだ後、美里は康太に礼を言って去って行った。
「ありがとうございました。機会があればまた触らせてくださいね」
最後にそんな言葉を残して。
彼女が去った後、亮平が興奮した様子で康太に話し掛けてきた。
「おいおい、入学初日から高船さんに名前を覚えて貰えるなんて凄ぇな!」
「えっと、あの人何か凄い人なの?」
話が見えずにそう聞き返した康太に対し、亮平は信じられないと言いたそうな目を向ける。
「いや、すげぇ美人だろ! 学年でも三本の指に入る美少女だぞ。彼女とお近付きになりたい男子は山のようにいるんだよ」
「あー、まぁ確かに美人だとは思うけど……」
興奮する亮平に呆れた視線を向けつつ、香奈が会話に入ってきた。
「亮平の言う事は置いといて、高船さんがみんなから一目置かれているのは本当よ。分家とはいえ高船神社の巫女であり、異能値はCランクに達しているらしいからね」
「……へぇー、そりゃ凄い」
香奈からもたらされた情報を聞き、康太の視線が、周囲の生徒から分からない程度に僅かに細められる。
――Cランク。
それは学生が到達し得るほぼ最高峰のランクだ。
つまり、先ほどまでいた彼女は学園最強の一角に相当する。
その事実を考えながら、康太は美里の顔を脳内に焼き付けるのであった。
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