第15話 決闘が終わって
決闘から遡ること二日――。
楓は康太から受けたとある"お願い"を叶える為に動き出していた。
「楓さん、高船神社当主、高船頼芸様のアポイントが取れました」
「ありがとう、桜」
秘書の近江桜は、執務室の机に座る楓に報告すると、メモを差し出した。
楓はそのメモに目を通しつつ、桜に尋ねる。
「頼芸氏の感触はどう?」
「戸惑っておられる様子です」
「そう。……まぁ、無理もないか。四男と分家の婚約話に、全く部外者の西城院家がしゃしゃり出て来たんだからね。まったく康太も面倒臭いことを」
康太のお願いとは、決闘後の高船美里に関することだった。
高船美里は今回の決闘を乗り切ることができれば婚約騒動を収束させる事が出来ると考えているようだが、康太はそうみていなかった。例え決闘で史郎を降すことが出来たとしても、史郎が美里の事を諦めるとは思えなかったのだ。
この事を楓に相談した結果、史郎が美里を諦めざるを得ない状況を作れば良いという話になった。
美里に対する史郎の強みは、本家という圧倒的に優位な立場にあることだ。ならば、その優位性を取っ払ってやればいい。そうすれば史郎は美里にちょっかいを出し辛くなり、結果的に諦めざるを得ない状況に陥るはず。
具体的には、高船本家より財力も社会的立場も遥かに上の「西城院家」のネームバリューを用いる。
楓は、「美里の器量の良さが気に入った。是非、彼女の許嫁を西城院家から出したい」と高船本家に申し出た。史郎と美里の婚約話はこれまで高船神社内部の話だったのだが、こうなると事情が変わってくる。いくら史郎が本家の人間とはいえ、いや本家の人間だからこそ、西城院家が目を付けた美里に対し今後はおいそれとちょっかいを出せなくなる。
ただし、この案にはリスクもある。
他家の婚約話に強引に首を突っ込む事になるので、下手な立ち回りをしてしまうと西城院の評判を落とすことにも繋がりかねない。そして、史郎は美里に甚くご執心だ。史郎が本家に要請すれば、交渉は難航する可能性もあるのだ。
とはいえ、楓には史郎を退ける勝算があった。
そして、そのためのに二手三手先の行動も準備していたのだが……。
「頼芸様は戸惑ってはいらっしゃいますが、こちらの申し出に否定的ではないようです。案外、交渉はスムーズに進むかと」
「え、そうなの? 他家の人間が身内話に首を突っ込んで来たら、突っぱねそうなものだけど……」
意外な報告を聞いて、楓は思わず桜に視線を向けた。
「はい。これには高船美里様のご実家と本家の関係が絡んできます。実は高船美里様のご両親は本家と距離を置いており、本家もさほど影響力を振るえないようなのです。何でも、ご両親が結婚する折、本家の薦めるお見合い相手を袖にしたことが原因だとか」
「つまり、美里ちゃんの親も本家が持ってきた見合いを断ったってこと?」
「はい」
「へぇ~、親娘二代揃って自由結婚を選ぶ、か。血は争えないって事ね」
「本家から見ても、美里様の実家は言う事を聞かない分家の一つという扱いのようです。異端の分家が一つ傘下を離れたところで高船神社全体では大した影響はないという見方なのでしょう。才女である美里様の事を諦めるのは惜しいと思われているようですが、一方で、史郎様の無茶な行動も頼芸様の耳に入っているそうで、むしろ、今回の当家の申し出が史郎様を諌め美里様を諦めさせる良い機会になるのでは、と考えておられる様子です」
「……そうなんだ」
桜の報告を聞いた楓は、拍子抜けしたように呟く。
もちろん、高船神社には、遥かに格上の西城院家の提案を無碍にすることは出来ないという本音があるのだろう。楓も、万が一高船本家との交渉が難航した場合はそういった力押しも視野に入れていた。しかし―――。
「これまで美里ちゃんと史郎の婚約話は高船本家の総意だと思っていたけど、どうやら史郎の独断が専行している部分が大きいみたいね」
「はい、仰る通りかと」
ゴネているのが史郎だけという事なら交渉の難易度はグンと下がる。呆れたように言う楓に、桜も頷いたのだった。
その後の高船頼芸との交渉は、二人の予想通り大して揉めることなく終了した。
こうして楓は頼芸の封書を手に入れ、決闘の場で史郎にトドメを刺したのだった。
――――
「はぁ~、そんな舞台裏があったんですね」
楓の話を聞いた舞が、感嘆したように溜め息をもらす。
「色々とお手数をお掛けして……。楓様、本当にありがとうございました」
一方、当事者である美里は楓が話している間ずっと恐縮しっ放しだった。
「いいのよ、別に。康太は私にとって可愛い親戚だからね。その子のお願いならお安い御用よ」
畏まって礼を言う美里に、楓はカラカラと笑って応じた。
「秦野くんにも本当にお世話になりました。決闘での活躍もそうですが、決闘が終わった後の事も考えて下さって……。秦野くんがいなかったら今頃どうなっていたか分かりません。本当にありがとうございました」
「気にしなくていいですよ。実際に動いてくれたのは楓さんですから」
「その楓様のご協力を得られたのも、秦野くんがいたからじゃないですか」
そう言う美里の視線には、どこか熱っぽいものが含まれていた。それを感じ取った康太は、思わずドキッとしてしまった。
決闘を終えて以降、美里の態度は明らかに柔らかくなった。
態度が柔らかくなった理由は何となく察しがつく。自分で言うのも何だが、康太は決闘でそれなりに活躍した。たぶん美里は、その点を評価してくれているのだと思う。
そのことは単純に嬉しい。美里のような可愛い子と仲良くなれるのは、康太としても願ったり叶ったりなのだ。
ただ、時折見せる今回のような熱い視線の意味は、康太にはよく分からなかった。
「ま、その、俺は出来る事をやっただけですから」
気恥ずかしくなった康太は、顔を逸らし誤魔化すようにそう言った。
決闘が終わって数日が経った。
康太たちは今、学園の近くにある喫茶店に集まっていた。
声を掛けたのは楓だ。
楓が高船本家と行った交渉の結果、美里は事実上、西城院家の派閥に引き抜かれる形となった。その詳細を説明する為に、当事者である康太、美里、舞の三人に集まってもらったのだ。
「それにしても、まさか秦野くんが西城院家のご令嬢、楓様と親戚だなんてね……。決闘では"狂犬"を圧倒してたし、秦野くんのことを知れば知るほど驚かされるよ」
舞が興味津々の表情で康太を見る。
「舞さん……」
舞の視線に気付いた美里がジトっとした目を向ける。
"康太のことは詮索はしない"
それが決闘に参加する際に康太と美里達が交わした約束だ。
「わ、分かってるよ美里ちゃん。約束は守るから!」
「……本当ですか?」
「ほ、本当だよ。だからその半目をやめて!」
「……まぁ、秦野くんの事が気になるという気持ちは分かります。ですが約束は約束、これはしっかり守らないといけません」
「はい、ごめんね秦野くん」
「いえ……」
美里と舞のそんな遣り取りを見て、康太は苦笑を漏らしてしまう。
「それより楓様、私の許嫁を西城院家で決めて頂けるという話ですが……」
美里が楓に水を向けると、楓は少しバツの悪そうな顔をした。
「こんな大事な事を勝手に決めてちゃってごめんね、これが一番収まりの良い言い訳だったのよ。でも安心して、西城院が許嫁を決めるって話はあくまで建前だから。美里ちゃんは気にせず好きなように恋愛してくれていいよ。ただ、結婚のタイミングだけは少し調整してもらう必要があるかもしれないけど……」
楓がそういうと、美里は慌てて首を振る。
「い、いえ、迷惑とかではないんです! むしろ、楓様に厄介事を増やしてしまって申し訳ないと思いまして……。それと、その、結婚を考えるような相手もいませんので、そのような心配も当分先かと……」
「あら、そうなの? 美里ちゃん可愛いからもう相手いると思ってた。でも、美里ちゃんが気にしてないのなら安心したわ。最悪、康太を美里ちゃんの許嫁にしようと考えていたのよ」
「――え?」
「ちょ、楓さん何言ってんの!?」
「だって、西城院家が横槍を入れた理由としてはそれが一番自然でしょ。決闘のメンバーの一人である康太が美里ちゃんに一目惚れし、横恋慕をしかけた。すごく有り勝ちな話だから本家は何も疑いを持たないと思うよ。アンタだって建前とは言え、こんなに可愛い子の許嫁になれるんだから良い話じゃない」
「他人事だと思って好き勝手な事言いやがって。そもそも俺が許嫁なんて高船さんに失礼だろ」
それを聞いた楓は、ニヤニヤと笑いながらワザとらしく謝る。
「そっか。確かにアンタじゃ美里ちゃんに失礼ね。ごめんねぇ、美里ちゃん」
「……い、いえ……。私は、別に失礼なんて……むしろ、その…………」
話を振られた美里は真っ赤な顔でボソボソと喋っていたが、声が小さくて何を言っているのか聞き取れなかった。
「史郎の事は大丈夫でしょうか?」
舞が楓に尋ねる。
少し不安そうだ。
「大丈夫じゃないかな? あの手のタイプは後ろ盾がないと何も出来ないだろうし。それに、康太の言葉も後々効果が出てくる筈だから」
決闘が終わって全員が解散しようとした時、康太は史郎に話し掛けた。
『な、なんだよ覆面! 今更僕に何か用か?』
『お前は先ほど高船さんを諦めると言ったが、それは本心か?』
『……あ、当たり前だろ! 僕を疑うと言うのか?』
『そうだ』
『なっ……!?』
『西城院や本家の目を盗んでいずれ……、なんて内心では思っているんだろ?』
『…………そ、そんなこと考えていない!本当だ』
『……』
史郎の答えにはかなり間があったが、康太は気にせず話を進めることにした。
『一つ忠告をしておく。俺は高船さんの友人だ。お前がまたちょっかいを出してくる事があれば、無条件で俺は彼女の力になる』
『……』
『その時は、少なくとも"狂犬"以上の駒を用意しておく事だな』
『……っ!』
「本家の援助なしで"狂犬"以上の異能者を雇うなんて史郎には不可能。アイツが将来再び野心を抱いたとしても、康太を倒す駒が手に入らなくて頓挫すると思うわ」
"狂犬"を超えるような高ランク異能者を雇う為には、莫大な金が必要だ。
史郎にその金があるとは思えないが、仮に何らかの方法で金が作れたとしても、そのような目立った動きをすればすぐに本家に悟られてしまう。
当主の息子ということで今まで多少の我儘が許されていた部分もあったのだろうが、今後は違う。
なんせ美里は、三大財閥の一角、西城院家が絡む案件になったのだ。
周囲の目は当然厳しくなる。
今後は、史郎が独断で動こうとしても、本家がすぐに潰しにかかるだろう。
「なるほど……。それにしても、こうなると秦野くんはまるで美里ちゃんのナイトのようね」
「宇佐部部長、あなたまで何言ってんですか?」
「ナ、ナイト……っ!」
からかう舞に、康太は呆れたような視線を送る。
一方、美里は茹でタコのように顔を紅潮させている。
「ふふふ、そんな訳だから史郎の件はもう大丈夫よ」
「あ、はい、ありがとうございます、楓様」
美里が礼を言うと、楓は怪訝な顔を向ける。
「その楓様ってのは何か仰々しいなぁ……。"楓さん"でいいわよ」
楓がそう言うが、美里も舞も戸惑っている様子だ。
「そ、そんな馴れ馴れしい呼び方は……」
「いいのいいの。康太と友達ってことは、今後も二人とは接する機会があるかもしれないしね」
「え? それってどういう……」
「二人とも脅迫状を送った時に一応康太の素性も調べたって言ってたよね? なら康太の両親が既に他界してるって事は―――?」
「……知っています」
舞は若干気まずそうに答え、康太の顔をチラリと見る。
そんな舞に康太は「大丈夫ですよ」と声をかけた。
「それで、両親のいない康太の親代わりをしているのが、私なの」
「……」
「まぁ、なぜ康太が西城院との関係を秘密にしているのかは詮索しないで欲しいんだけど、私が康太の保護者ってことを今更貴女たちに隠すつもりもないわ。
康太の保護者として、貴女たちと仲良くしたいと思ったのよ。ダメかしら?」
「い、いえ、そんな―――」
「私達でよければ!」
「ありがと。じゃあ、美里ちゃん、舞ちゃん。今後は康太共々よろしくね」
「「 はい! 」」
美里と舞が元気よく応じる。
そんな二人の姿に、楓も優しい微笑みを浮かべた。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
これで第一章終わりです。