第11話 高船神社の決闘②
「久しぶりだねぇ、美里ちゃん」
中央の男――高船史郎が口元は厭らしく歪め、ゆっくりと康太たちに近付いてきた。
「……お久しぶりです、史郎さん」
美里の声が硬い。
顔も凍りついたように無表情だ。
「ああ、ようやくこの日を迎えた! 僕たちが結ばれる日ッ……!」
「……」
「本当はもっと早く君を迎えたかった……。君の本当の居場所である僕の隣に、ね」
「……」
「君だってそう思うだろ? 君の容姿や実力を考えると、もっと華やかな舞台こそ相応しい。僕たちが結婚すれば、君は本家の人間になれる。君の本来いるべき場所に近付くんだ。僕たちの間に行き違いがあったみたいで、決闘という形になってしまったのは残念だが、それも今日で終わりだ」
史郎が美里に舐め回すような視線を向ける。
その視線を直に受けた美里はビクリと身体を震わせ、舞も小声で「うぇぇ~」と呟いていた。そして当然、康太も――
(……お兄さんの件がなくても、これとの結婚はキッツいかもな)
と、史郎の言動にドン引きであった。
見た目はごく普通の男子高校生なのだが、中身はかなりぶっ飛んでいた。
「それが君の連れてきた決闘メンバーかい?」
「……そうです」
「どこから連れて着たか知らないけどこんな覆面の奴まで……。それは何かのハッタリのつもりなのかい?」
「……」
「またダンマリか……。まぁ、どんなハッタリを仕掛けていたとしても、結局、無駄なことなんだけどねぇ。――おい」
「はい」
史郎が声をかけると、後ろに控えている男の一人が一歩前に出た。
男はブツブツ呟きながら、史郎と舞に向けて手をかざす。
「……両方ともDランク中位ってとこですね。大した事ありません」
「そうか」
男が舞と康太の異能値をズバリ言い当てる。
「……まさか、その人は感知系の異能者……?」
「そうだよ。だから僕たちにハッタリなんて無駄なんだよ。残念だったねぇ」
「……」
「それにしても、美里ちゃんの連れの二人は両方Dランクか。これはせっかく用意した用心棒が無駄になったかもねぇ」
「用心棒……?」
美里が訝しい表情をしていると、史郎の後ろに控える男の一人が口を開いた。
「――おいおい、無駄になったと言われても、約束の金は頂くぜ?」
黒い服を着た、大柄な男だった。
三十歳前後とみられるその男は、飢えた獣のように獰猛な笑みを浮かべていた。
「ち、金に汚い奴め。……もちろん、せっかく高い金を払って連れてきたんだ。決闘には出てもらうさ」
「……その男、まさか……」
「ん? 美里ちゃんも知ってるかぁ。まぁ、"狂犬"は業界でそこそこ有名だもんねぇ」
戦慄する美里を見て、史郎のニタニタが一層深みを増した。
「"狂犬"、……鯖島猟司」
美里の声は震えていた。
舞も鯖島のことを知っているようで、顔を青褪めさせている。
この場で唯一鯖島を知らない康太が、小声で舞に話し掛けた。
「……誰?」
「秦野くん、知らないの?」
「ああ」
「あんなに有名なのに……。あ、そっか。秦野くんはレイターだもんね、業界事情に疎くても仕方ないか。鯖島ってのは業界じゃかなり名の知れた異能者だよ。ランクはB」
「へぇ」
「ランクだけ見ても相当な実力者ってのが分かるんだけど、問題はその戦闘スタイル。敵対した相手にはどんな残虐な手法も厭わない。むしろ、残虐な行為を喜んでいる奴なの。結果として付いた通り名が……」
「―――"狂犬"ってわけか」
康太は覆面越しに鯖島の姿を油断なく眺める。
「もちろん、決闘に参加するのは異論ないぜ。ここまで来て何もしないってのは逆に身体がなまっちまうからなぁ。で、この可愛いお嬢ちゃんがその決闘の相手なんだろ?」
得物を見る狼のような獰猛な視線、それが美里に向けられる。
「――っ!」
鯖島からの強いプレッシャーを受けた美里の額に油汗が浮かぶ。
「おい、"狂犬"……! 事前に言ったが美里ちゃんは――」
「分かってるって。冗談だよ。このお嬢ちゃんは傷を付けねぇよ」
史郎の言葉に、鯖島はすぐに殺気を引っ込める。
「でも、後の二人は好きにしていいんだろ?」
「あ、ああ」
「くく、楽しみだぜ」
舞と康太に向け、鯖島の鋭い視線が飛ぶ。康太は身動ぎしなかったが、舞は「ひっ!」と小さな悲鳴をあげた。
そんな鯖島の様子に最初は呆れていた史郎だったが、やがて口元に嫌らしい笑みを浮かべた。
「全くお前は。……でも、そうだなぁ。最愛の兄に加えて、せっかく連れてきたお仲間も痛い目に遭えば、さすがの美里ちゃんも目が覚めるよねぇ」
「……『兄もって』、それはどういう意味……?」
その言葉を発したのは、美里だった。
本当にこの台詞を発したの美里なのだろうか?
そう思わせるぐらい、彼女の声は低く、重かった。
「おっと口が滑った。くくく、だけど覚えておくといい。君が意地を張るという事は、色んな人を不幸にする可能性もあるって事なのだよ」
「お前……っ!」
普段の美里からは想像も出来ないほど、乱暴な言葉。
それ以上に美里の顔は怒りと屈辱で真っ赤であった。
美里が思わず殴りかかろうとする。
だが、その肩が後ろから掴まれた。
「っ! 秦野くん……離してっ!」
「やめとけ」
「でも……っ!」
「ここで殴っても後々面倒だろ。その感情は決闘でぶつけろ」
「…………はい」
美里は絞り出すような声でそう言った。
その後、ニヤつく史郎を尻目に、康太達は決闘会場の脇に作られた控室に向かった。
――――
「……先ほどは、すみませんでした」
落ち着きを取り戻した美里が、康太に謝罪した。
少しバツが悪そうな表情だ。
取り乱していたのは美里自身も理解しているのだろう。
康太も美里の激昂ぶりには驚いたが、逆に言えば、それだけ史郎に対する怒りが強いという事でもある。何か声をかけるべきかとも思ったが、康太には気の利いた言葉が見つからず、「気にしなくていいよ」とだけ返事をするに留めた。
「……それにしても、まさかあの"狂犬"がいるなんてね」
話を変えるかの如く、舞がそう言った。
「ええ、予想外でした。……いや、予想が甘かったと言うべきですね」
美里が悔しそうに呟く。
「美里ちゃん、そんなことないよ」
「でも、私がもっとしっかり敵の戦力を把握していれば……」
「そんなに卑下しないで、美里ちゃん。資金力やツテの多さで敵わないのは最初から分かっていたじゃない。美里ちゃんは私達ができる準備を最大限してきたんだから」
「……」
美里はこれまで相手の戦力予想を甘めに行っていたわけではなかった。高船神社の中で史郎が動し得る最強の異能者を対戦相手と想定して動いてきた。
しかし今回、史郎は高船神社以外の人間を決闘に参加させてきた。
もちろん、外部の人間を使うのはルール違反ではない。舞も康太も外部の人間だ。だが、人脈も実力も劣る分家との決闘に本家の史郎が助っ人を使って来るとは思っていなかったのだ。
そして助っ人として現れたのは"狂犬"。舞や康太とは違い名の知れた異能者だ。当然、それなりに金も掛かったであろう。
美里が今回読み間違えたのは、史郎の本気度だった。
「……決闘は、不戦敗にしましょう」
しばしの沈黙の後、美里が言葉を発した。
「美里ちゃん、何言ってるの!?」
「今回の相手は危険すぎます。"狂犬"が相手ではどんな事になるか……」
「そんな……。でもいいの!? このままだったら美里ちゃんは史郎と―――」
詰め寄る舞だったが、美里の目から零れる涙を見て言葉を失ってしまった。
舞は「いいの?」と聞いたが、もちろん良いはずがない。
悔しくない筈がない。
だが、勝てる見込みはほぼゼロなのだ。
それに、このまま決闘を続ければどうなるか。
"狂犬"は残虐な行為で知られる異能者だ。
決闘に託け、舞や康太を嬉々として甚振るだろう。
その未来が分かっていて、自分の我儘を通すことなど美里には出来ない。
美里としては、悔しくても不戦敗を選択する以外に道はなかった。
「……美里ちゃん」
愚かな事を軽はずみに口走ってしまったと、舞の顔にも後悔の念が浮かぶ。
無力感に打ちのめされている二人に、覆面の少年が声をかけた。
「いや、予定通り決闘に挑みましょう」
「え!?」
「は、秦野くん!?」
「その"狂犬"の攻撃をどこまで防げるかは分からないですが、何とか高船さんが史郎を倒す時間は作りますから。ハクビ!」
美里と舞は驚いて声をあげるが、康太はそんな二人に構うことなくハクビを呼び出す。
『はーい!』
「状況は分かっているか?」
『うん! 大体聞いてたから!』
「よし、なら決闘が始まったら二人を守ってくれ」
『……いいのかにゃ?』
ハクビは幾分声を潜め、康太に尋ねた。
「構わない。乗りかかった船だ。それに事情がどうあれ、こんな場面で引いたら母さんに顔向けできない」
『……そうだね』
ハクビは康太の言葉に頷くと、美里に向き直った。
『お姉ちゃん、久しぶりだね! ハクビのこと覚えてる?』
「あ、はい。確か新学期初日に……」
『おお、覚えててくれたんだ! ありがとう!』
「基本的に敵の攻撃は俺が防ぎますが、万が一がないとも限りません。ハクビが付いていれば"狂犬"の攻撃も多少は防ぐことができると思います」
「あ、ありがとうございます……」
突然現れたハクビに困惑する美里だが、すぐに我に返って康太に詰め寄る。
「は、秦野くん、ちょっと待ってください!」
「何でしょう?」
「相手はあの"狂犬"なんですよ!? いくら秦野くんが隠している力があるからって……いえ、その隠している力も先ほど感知系の異能者に暴かれていましたね。秦野くん、貴方はDランク、"狂犬"はBランク、これだけランクに差がある相手なんですよ? 絶対に敵いません!」
「もともと敵を倒すなんて作戦にはなかったでしょ? 俺と宇佐部部長が時間稼ぎをして、その間に史郎を倒す。事前の作戦通りです」
「それは相手がCランクの異能者を想定していた場合です。"狂犬"はどんな残虐な攻撃を行って来るかわかりません。秦野くんも無事ではすみません」
「でも、殺されることはないでしょ?」
「……正直、それもわかりません。一応決闘で殺人は禁止されていますが、名目上に過ぎないのです。例え殺してしまっても、罰則があるわけではありあせん」
決闘で最優先されるのは、相手に力を見せつける事。それ故に、他のことは大体二の次にされる。仮に決闘で死人が出ても内々に処理され、その後何らかの罪に問われる事もない。つまり、この決闘で殺される危険はかなり低いが、ゼロではないのだ。この事も、美里が決闘を不戦敗にしようとする理由の一つだった。
「そうですか。まぁ、それでも何とかなるでしょう」
「何とかなるって……」
あっけらかんと答える康太に、さすがに美里も呆れた声を出す。
「秦野くん、どうして、そこまでしてくれるんですか?」
美里に言わせると、もはや康太に協力を仰ぐ段階をとうに超えている。これ以上康太を付き合わせるのは危険なのだ。
「もちろん、高船さんに協力すると約束したという事がありますが、史郎という人間は、俺も見ていて不愉快です。あんな相手に高船さんは勿体ないです」
「な……」
予想外の康太の言葉を聞いて、美里は思わず頬を赤らめる。
「でも、やっぱり……」
「ではこうしましょう。危なくなったら迷わずとっとと降参する。さすがに降参は認められているんでしょ?」
「それは、そうですが……」
「ならば決まりです。どうせ降参するなら一回ぐらい剣を交えてもいいでしょう。宇佐部部長はどうですか?」
「うん、私も問題ないよ! 美里ちゃん、やろう! ここまで来たら諦めるなんて出来ないよ。最後まで足掻いてやろうよ!」
舞が美里に向けて笑顔を見せる。
美里は困ったような表情で、舞と康太そしてハクビの顔を順々に見つめる。
そしてやがて、大きく息を吐き、
「……分かりました。皆さん、ご迷惑を掛けますが、よろしくお願いします」
強く決意の篭った目で、そう言った。