悲劇のヒーロー
妻と娘を失ったのは今から6年半前、20××年の春だった。
私は1期目の選挙の真っ最中。2歳になる娘を連れて妻海南子は遠くから選挙の応援にやってくる国会議員弁士を出迎えに、空港まで出向いた。
デッキに彼が降り立った瞬間、凄まじい爆発が起き、一瞬にして空港が血の海となった。
弁士である与謝野晃彦衆院議員・共立党最高顧問ともども、海南子も海優も吹き飛ばされ、帰らぬ人となった。
私は悲劇の主人公として、一週間後の投票日で躍進。トップ当選を果たした。
この爆破事件は与謝野と秘書や空港関係者そして私の妻と娘、合計20人が死傷する近年まれにみる爆破事件となった。
しかし、捜査当局は一週間後には、この事件をイスラム過激派によるテロ事件と断定。
その理由は具体的には明かされていないが、マスコミを通じてイスラム過激派勢力と称する組織からの犯行声明「らしきもの」が公表されたことが最大の要因とされる。
二条官房長官(当時)は
「テロとの闘いは既に始まった。テロには我々は屈しない。根源を今こそ断つのだ。私は国民の皆さんに呼び掛ける。この怒りを立ち上がる勇気に変えよう。どんな犠牲を払ってもテロに必ず勝とう」
と語り、翌年の総裁選で与党総裁に選ばれた。
ここで意識的に忘れ去られた事実があった。対テロ戦争に強行に反対していたのは共立党であった。そして、この対テロ戦争反対派の理論的支柱である与謝野を失ったことによって、皮肉にも一気に世論は参戦ムードへとすすんで行った。




