小さな国の暗殺者④
氷室雪也の目の前で知り合いの少女が、大男に首を絞められていた。少女の名前は斎藤美樹と言って雪也の同級生である。大男の方は初めて見る顔だった。長髪で赤い革ジャンを身に付けていて大昔のパンクのような格好だ。
大男は雪也に気付くと、美樹の首から手を放した。美樹が地面に倒れた。
「見知らぬおじさん。何をしているの?」
「俺はこの娘が哀れだから、助けてやろうと思ったのだ」
「助けているようには見えなかったけど」
「この娘は悪い妖怪に呪われ、無意識に悪事を犯すようにさせられていた。この呪いを解くには、娘を殺すしかないと判断した」
「いや、殺す方が可哀そうだよ」
「案ずるな。人間は一度死んでも、500年すればまた生まれかわることができるのだ」
大男の言葉に、雪也は困ったような笑みを浮かべた。男が冗談を言っているのか、それとも本気なのか判断がつかなかったのだ。
「お前は、妖怪か?」大男は雪也の足元に影が無いのを見て言った。
「あぁ。自己紹介がまだだったね。僕は氷室雪也。妖怪の血は引いているけど、人間だ」
「妖怪の血を引いているのか?」
「うん。そうだよ。日本の大妖怪、雪女の雪代の孫だ」
雪也は堂々と名乗った。雪代の名を出せば、妖怪も、人間も怖れ慄くのを経験から知っていた。しかし大男は雪代の名を聞き、眉を顰めた。
「俺の名は吉備津命<<きびつみこと>>。『桃太郎』継承者だ」
「あぁ。桃太郎のお話は知っているよ。日本の英雄だよね。君はその祖先なの?」
雪也が訊ねた。吉備津は質問に答えずジロジロと雪也を見つめてから溜息を吐いた。それから空を見上げた。
「お前がこの雪を造っているのか?」
「雪?」
「冬ではないのに、依然として雪が降り続いている。予報ではこの雪が止むのはいつになるのかまだ分からないらしい。こいつは妖怪の所為じゃないかって『ヤオヨロズ』では考えている者も多い」
「僕がその原因を造っているっていうの? 冗談じゃない。僕にそんな力はない」
「どうだかな」
吉備津は背中に手を伸ばした。そこには身の丈ほどもある大剣があった。刀身は巨大な鞘に入れてあり、鞘は鎖で吉備津に巻き付けてあった。吉備津は大剣を抜いた。大剣と鞘には影が無かった。
「この剣の名は『鬼斬』。こいつは普通の人には見えないんだ。おかげでどこにでも持ち運べる」
そう言ってから、吉備津は大剣を振りかぶり、こちらに走って来た。雪也は舌打ちをしながら、ナイフを突き出した。雪也の周囲にいくつもの氷の剣が現れ、それを一斉掃射した。大剣一つでは防ぎきれない数だった。が、氷の剣は吉備津に当たらなかった。氷の剣は吉備津に近付いたが、一定の場所で全て消え去った。それはまるでどこか別の空間に吸い込まれるように綺麗に消滅した。
吉備津が雪也と間合いを詰める。瞬間、グワンと耳で音がなり、空間が歪むような感覚があった。よろめきつつも、雪也はナイフを振りあげた。大剣が斜めに振り下ろされ、ナイフと衝突した。甲高い音がした。あまりの力に耐えきれず、雪也は吹き飛ばされた。
地面との接触部分を氷らし、雪也の身体は雪の上を滑っていく。十分に距離を取るためだ。
「『鬼斬』は破魔の剣だ。そして半径4m以内にも、破魔は有効範囲内だ。雑魚ならば、この球体に入った瞬間に消滅する」
また雪也は空間が歪むのを感じた。身体がよろめく。気付けば、吉備津に間合いを詰められていた。再び、大剣が襲いかかる。咄嗟に、ナイフで防ぎ、また吹き飛ばされた。
「この『鬼斬』で斬られれば、どんな大妖怪でもその傷は蘇生させることはできない。精々、気をつけな」
「っち」雪也は呻くように言い、ナイフを己の左手の甲に突き刺した。ナイフがドクン、ドクンと音を立て血を呑んでいく。空間がまた歪む、脳がグルグルと掻きまわされ、身体中に痛みが走る。吉備津は休むことなく、雪也に迫って来ていた。手からナイフを抜き、何とか吉備津の攻撃を防いだが、今度は壁まで吹き飛ばされた。もう、逃げ場は無い。
「なめるなぁ」地面から巨大な氷柱が生まれ、雪也を上空へと押し上げた。それから雪也は壁と靴を一時的に氷らせることで、3階建ての建物を駆けあがった。屋根から下を見下ろすと、吉備津は鋭い目付きで、雪也を睨みつけていた。
「複製しろ」血が浸み込んだ真赤なナイフを向けた。赤い刀身が脈動し、空間に赤い火花が散った。そこから生まれたのは、『鬼斬』とそっくりな大剣だった。雪也は大剣を撃ちだした。吉備津は贋物の大剣を、本物で撃ちおとした。雪也が造った大剣が消え去らなかったことに驚いたのか、吉備津は表情を顰めた。
「性能は劣るかもしれないけど、今のは『鬼斬』だ。同じ『鬼斬』ならば、破魔の範囲内に入っても消滅しないみたいだね。僕は『鬼斬』をいくらでも複製して、撃ちだせる。命乞いしてくれれば、命はとらないよ?」
「もう、勝ったつもりか?」
「まぁね」
「命乞いなどしない」
「最後に聞かせてよ。どうして僕を殺そうとするの?」
「遠い昔、人間と妖怪は契約を交わした。妖怪は人間の世界には、何があっても足を踏み入れない。その禁を破れば、『執行人』が妖怪を殺す決まりとなっている。そして『桃太郎』も『執行人』の一人だ。故に、俺は日本を旅し、妖怪を殺し回っているのだ」
「そんなの、昔の決まりだろ? いくらなんでも問答無用で妖怪を殺すのはどうかと思うんだけど」
「契約内容が変更されていない以上、俺は『執行人』としての役目を果たすのみ。俺を止めたければ、人と妖怪の契約を変えるしかないな」
「それは、難しい」
雪也は溜息を吐いた。現代の妖怪達はあまりに数が増え過ぎている。大妖怪達が一応は、妖怪達を束ねているが、大妖怪を束ねる者はいない。大妖怪達は基本的に仲が悪く、妖怪としての意見をまとめるのは不可能だろう。
「ならば、俺達は殺し合うしかない」
「待ってくれ。僕は妖怪じゃないよ」
「今の力を見て分かった。お前は人間を凌駕している。いや、並の妖怪ではない。今ここで退治できずとも、どこまでも追いかけて息の根を止めてやる」
雪也は『鬼斬』をいくつも複製した。それを吉備津に撃ちだした。吉備津の大剣では今度こそ、撃ち落とせない。しかし、吉備津が大剣を一閃した途端、空間が歪み、贋物の大剣達の標準がズレた。一本も吉備津に突き刺さることは無かった。
「本当に良く出来ている」
吉備津は雪也が複製した大剣を掴み、振りかぶり、雪也に向けて投げつけた。弾丸の如く雪也に迫った。贋物の『鬼斬』の効果範囲内に入ってしまい、雪也は眩暈によって身体がよろけた。それでも身体を捻り、大剣を避けることに成功した。
信じられないことが目の前で起こった。吉備津が地面を一蹴りし、瞬く間に雪也がいる屋根の上まで飛び上がっていた。
「悪いが、俺は改造人間なんだよ」
吉備津が嫌らしい笑みを浮かべ、言った。




