小さな国の暗殺者
小さな国に小さな王がいた。小さな王は数え切れないほど人間を殺戮したため、国民からも他の国の者達からも怖れられていた。だけど、誰も小さな王に逆らう者はいない。それほど小さな王は強い力を持っていた。
とある大きな国は、小さな王の力を畏れ、暗殺者を送り込むことにした。暗殺者の名はエレナ。エレナは使用人として城に入りこんだ。彼女はとても優秀で、すぐに小さな王のお世話をする者に選ばれた。
小さな王が朝起きたら、髪を梳かし、着付けの手伝いをする。小さな王が仕事をしている時は、彼の近くに控えていた。いつでも小さな王を殺すことができた。しかしエレナはすぐに暗殺を行わなかった。それというのも、大きな国は小さな王を暗殺することと同じくらい、小さな王の情報を欲しがっていた。小さな王が、何を考えているのか、どこでその強大な力を授かったのか。その情報を集めるまでは小さな王の暗殺を決行しないことに決めていた。エレナ自身、小さな王に興味を持ち始めていた。
小さな王はまだ少年だった。家族は無く、臣下に心を開いている様子もなかった。口数が少なく、政治も臣下たちが執り行っていた。小さな王は玉座に腰をおろし、話しを聞いているだけだ。だが、意見が割れた時には最終的な判断は小さな王が下していた。外交も全て臣下達によって行われた。故に、小さな王が心の底でどのようなことを考えているのか誰にも分からなかった。
巷で噂されているように、冷徹非道な悪王なのか、それともただの傀儡にすぎない暗君なのか、はたまた才知と徳を兼ね備えた賢王なのか。
エレナは小さな王の情報を集めることにした。情報収集していると、奇妙な話を手に入れた。それは小さな王が死体であるというものだった。神官達が赤子の死体を拾い、それを改造して生き返らせた。そんな確証も無い話しだ。けれどその話しを完全否定できないという事実もあった。小さな王の両親や、彼の側近達も死んでいる。そしてピエロの面を被った妖しい神官達が、この王宮にやって来てから、城の中の牢屋にずっと幽閉されていた小さな王が牢から出てきた。
情報を整理しているエレナの背後に、いつの間にかピエロの面の神官が立っていた。
「暗殺者よ。何を調べている?」
神官は右手をエレナの頭に手を伸ばした。手が触れた瞬間、エレナの身体から力が抜けて行く。意識も遠のき、あたりは真っ暗になっていく。暗い水の中に沈んでいき、彼女は己の名がエレナではないことに、はっと気付いた。これは夢だ。彼女の名前は斎藤美樹。
目を覚ますと、教壇からお経のような声が聞こえてくる。どうやら授業中に眠ってしまったようだった。窓の外の景色を斎藤美樹はぼんやりと見つめた。5月に入り、ゴールデンウィークを終えた後でも雪が降り続いていた。
不意に視線を感じた。一人の男子生徒がこちらを見つめていた。美樹と目が合うとすぐに目を逸らした。童貞かよ、と心の奥で美樹は毒づく。その男子生徒の名前は仁村。気弱な性格をしていて、教室でも友達は少ないが、確か親はお金持ちだという話だ。
本日最後の授業が終わると、仁村は教室から出て行った。美樹もその後をかけ足で追った。「仁村君。落としものだよ」と声をかけた。美樹の手には彼女自身のシャーペンが握られていた。仁村が振り向き、不思議そうに美樹が突き出したシャーペンを見て、「これは俺のじゃないよ」と照れながら言った。「あら、違ったんだ。それじゃあ誰のかしら?」と美樹が白々しく言い、「うーん。分からないや。先生に預かってもらったほうがいいかもね」苦笑しながら答えた。美樹は軽く謝罪すると、仁村は「いえいえ」と笑顔で返し、美樹に背を向けた。その瞬間、美樹は仁村の鞄に紙切れを突っ込んだ。幼い頃から万引きをしていたため、誰にも見つかることなく自然にできた。幸い、仁村はだらしない性格なのか、鞄の口は開いていた。紙切れには、「仁村君へ 今週の日曜日9時に駅前の「自由の人」の像の前に集合」と書いておいた。これで新しいお財布ができるとかもしれない。美樹は仁村の背中を見つめながらほくそ笑んだ。
美樹は帰宅する前に、一応在籍している美術部に足を向けた。幽霊部員であるが、あまりにも出席日数が悪いと除籍されるかもしれないという噂を聞いたためだ。部室に入ると、男子部員達がいた。どれでも先輩だ。美樹が挨拶すると、先輩も挨拶を返してくれた。先輩はにやけた顔つきで美樹の方によってきた。美樹は美人の部類に入るため、男子にはうけが良かった。女子からは良くないけど。
「なぁ、美樹ちゃん。氷室はまだ見つかってないのか?」
先輩に訊かれた。氷室というのは氷室雪也のことだ。氷室も美術部に在籍しているが、最近は部活に顔を出していない。学校にも来ていない。電話も繋がらず、不審に思った教師が氷室のアパートへ行くと、見知らぬ女性が住んでいたという。
氷室は一人暮らしのため、教師は保護者である彼の祖母に連絡を取ったが、祖母も孫の行方を知らないという。そういうわけで氷室雪也は「行方不明」として扱われ、警察も捜索中なのだ。
「氷室は美樹ちゃんは小学校も、中学校も同じなんだろ? 心配じゃないの?」
「ええ。心配ですけど、あまり話しをしたことないので」
美樹は曖昧に誤魔化した。
美樹の氷室雪也に対する印象は、「大人しそうだがキレると何をするのか分からなくなる奴」という感じだ。小学一年生の時、とある生徒が大人しい氷室に嫌がらせをした。目の前で給食に虫を入れ、氷室の机に死ねと落書きした。氷室は何の反応も見せず、昼食は食べず、落書きされた机も苦言一つ漏らさず使った。そして三回目の嫌がらせ。体育で校庭を走っている際、後ろからとび蹴りをした。蹴りとばされた氷室は立ち上がってからすぐに殴りかかった。顔面を何度も何度も一方的に殴ったのだ。それから殴られた生徒の兄が仲間を連れ、氷室をリンチしようとした。しかし、それも氷室は一人で返り討ちにしてしまった。それ以来、誰も氷室にちょっかいを出さなくなった。皆、氷室を怖れたが、美樹は怖いとは思わなかった。むしろ、躊躇なく暴力を振るう氷室に憧れすら抱いた。実を言うと、美樹は小学生の頃、氷室に告白されたことがある。嬉しいと思ったが、告白を断った。氷室は美樹にとって憧れであるが、彼が何を考えているかいまいち分からない。その頃から万引きをしていた美樹は、氷室に万引きをしていることを気付かれたら、彼にキレられ殴られるのではと思ったのだ。
美術部室で適当に雑談をし、部活終了時間になったら下校した。校舎の外はまだ雪が降っていた。一人歩いていると授業中に見ていた夢のことを思い出した。夢の中で美樹はエレナという名前で、小さな王を調べるためスパイとして小さな国に潜り込んでいた。しかし、エレナはスパイであることがばれてしまった。
エレナは殺されてしまうのだろうか。そう思った途端、悪寒が走った。所詮は夢の話しなのだが、エレナが死んだら、美樹も死んでしまうのではないかという気がしたのだ。美樹は真剣に、エレナはどうすれば助かるのか考えてみた。
(小さな王に助けてもらおうかしら)
美樹はふとそんなことを思った。小さな王は無口だが、巷で言われているような残虐非道な王ではない気がした。それに、小さな王は氷室雪也によく似ているため、勝手に親近感も持っていた。
あれこれ考えていた時だ。「僕の声が聞えませんか? 僕のナイフを知りませんか?」そんな声が聞こえてきた。それは氷室の声によく似ていたため、はっと声の方を振り向いた。そこに氷室の姿は無かった。男の姿も無く、会社帰りのOLしかいなかった。
美樹は地面に何かが落ちているのを見つけた。それはナイフだった。ナイフを拾ってマジマジと見つめた。刀身が血のように赤く、綺麗だと思った。美樹はそれを鞄の中にしまい込んだ。
今日は万引きはしてないけど、良い収穫があったと美樹は喜んだ。