感染源
「この日本で君と対をなす者がいた。そいつは君と同様、特殊な存在だったはずだ」
白狐は裸になったミラを見下ろしながら話し出した。
小さな声で白狐が何かを呟いた。瞬間、螺旋階段に青い炎が二人を取り囲むように燃え上がった。
「3年前、雪也君の友人が『神隠し』に遭い、異界へと連れてかれた。それ以降、『神隠し』に遭ったという事実は無い」
青い狐から炎の弾丸が放たれ、ミラに直撃した。炎に焼かれ、ミラは叫び声を上げた。その声に白狐は聞き惚れた。彼は人が悶え苦しむ声が、顔が好きだった。圧倒的な暴力で人を踏みにじるのが、彼にとっては一つの趣味でもあった。
「だが、その友人君と対になると思われる『漂流者』は発見され、『ヤオヨロズ』という人間の組織に保護されている」
身体に纏わりつく火から逃れようと、転げ回るミラを見て鼠みたいだと思った。人間達に捕まり、理不尽に高圧電流を流され続ける実験動物。きっと実験していた人間達も、今の白狐みたいに鼠がのたうちまわる姿に興奮していたのだろうと思いを巡らせた。
「ということは、君の半身は異界へ『漂流』したのではなく、君が日本へ『漂流』したタイミングで消えてしまったのだろう」
ミラの身体から火が弱まっていく。身体は全身肌が焼きただれていたが、瞬く間に治癒していった。その化け物じみた再生力を見て、白狐は糸のような目を一層細めた。面白い実験動物が手に入った。
「君が日本で発見される少し前に、氷室雪姫という女が死んでいる。彼女は雪也君の母親で、己のことを大妖怪だと嘯くような頭のおかしい女だったらしい。でも、もしかすると彼女は禁忌の子だったんじゃないか? もしそうなら君の分身としてぴったりだ。年齢に差があるが、いや、その奇妙な体質を見る限り、見た目と実年齢は合致しそうにない」
ミラを焼いていた火が消えた。白狐はミラに向けて炎の弾丸を撃ち込んだ。再び、呻き声が螺旋階段中に響いた。鼓膜をビリビリと揺らす音は、巷で溢れている曲や高尚とされる音楽よりも気持ちよかった。
「雪姫が死んで、君が日本で現れるまで時間差があるが、それはきっと君が『神隠し』の体内にいたからだろう」
更に苦しめさせようと、もう一度白狐が炎を放とうとした時だ。青い炎の中から赤い光が輝いた。光はミラの瞳だった。炎に包まれながら、激痛に苦しめながらも、その瞳には強い意思がしっかりと存在した。
「お前の予想はおおよそ正解だろう」
火を浴びながらも、しっかりとした声でミラが言った。
「アタシがこの世界に『漂流』したのは、『漂流』させられたのは、アタシの分身が『殺戮王』の分身と近しい関係にあると神官達が判断したからだ。この世界に来て、『殺戮王』の分身に仕えること。それが私に与えられた使命だ」
「やはり『殺戮王』と雪也君は対になっているということか」
「そうだ。雪也様は『殺戮王』にとっての分身であり、『殺戮王』の野望を成すための『感染源』でもある」
「『感染源』?」
「雪也様の周囲にいる者達は、夢の中で異界の記憶に引き寄せられやすくなる。つまるところ、『感染』するらしいわ」
「なるほど。それでこの街では、『殺戮王』の夢を見る人間が多かったのか。そうなると、『殺戮王』の企みを潰すためには雪也君を殺せばよいわけだ」
「その通り。アタシが死んでも無意味なんだ」
「ははは。でも、どうして君はそんな大切なことを教えてくれるんだい?」
「その前に、アタシの話しをさせてくれない?」
未だ炎はミラを燃やしているが、彼女は苦痛の表情一つ見せていなかった。もう、慣れたと言わんばかりに、彼女はあまりにも普通に話しをしていた。
「アタシは異界で『ベリア』と呼ばれる一族の一人だった。『ベリア』というのは悪魔の子孫と呼ばれていて、お前が言うところの禁忌の子という者達と似た立場にあるのかもしれない。山奥でひっそりと幸せに『ベリア』は暮らしていた。だけど、ある日『殺戮王』が山奥へやって来て『ベリア狩り』と称して一族を皆虐殺しようとした。アタシの父も母も友人も皆殺された」
「まて。『殺戮王』と君は血縁関係にあるんじゃないのか?」
「ふん。アタシと『殺戮王』に血縁関係なんてない。分身同士はただ夢が繋がっているだけだ。お互いに夢を共有しているだけで、身体的特徴や性格、性別、血縁は関係ないとするのが一般的だ。まぁ、年齢だけは同じだが」
「それなら、どうやって君が雪也君の母親と繋がっていることが分かったんだ?」
「神官達だ。あいつらが神の声を聞き、アタシと雪也様の母親が夢で繋がっていることを知った。そしてアタシが日本へ『漂流』すれば自然と雪也様と引き寄せられるだろうと予想を立てた」
「ふーん。それで『殺戮王』は君を捕まえるために、君達が住む山奥へ来たのだね」
「そうだ。アタシは捕まったけど、『漂流』なんてしたくなかった。何より、一族を殺戮した奴らの言いなりになんてなりたくなかった。神官達はアタシに様々な拷問をしてきたよ。殴られ、蹴られ、刺され、酷い凌辱を受けた。更にはアタシの前で一族を殺した。ギロチンで首を落としていったんだ。そして最後には、目の前で大好きだった姉をいたぶられた。姉を人質に取られたアタシは絶望し、神官達に従った」
ぎらぎらと目を光らせ、ミラが言った。その瞳には熱い憎悪がこもっていた。
「アタシの話しはこれで終わりだ。とにかく『殺戮王』が恐ろしくて、憎い。そしてその想いは雪也様に対しても同じなの」
「はははは。君は『殺戮王』と雪也君の敵だと主張したいのかい?」
「ええ。アタシは『殺戮王』の敵。『殺戮王』と、神官達の思い通りにはさせない。だから取引しましょうか?」
「面白そうだ。言ってごらん」
「アタシは『殺戮王』の敵だけど、『殺戮王』に服従するよう呪いをかけられている。そしてこの呪いは分身である雪也様にも適用される」
「なるほど。君は雪也君を殺せないと」
「アタシは雪也様を護る存在なの。でもアタシは姉を救いたい。だから約束して。アタシの姉を救うって」
「そんな約束できないよ。俺に何のメリットも無い」
「アタシの姉を救ってくれるのなら、アタシが雪姫の役目を引き継いであげる」
「ん? 君は何を言って」
「今のアタシの中には、アタシのものではない記憶が出てきた。これは雪姫の記憶なのね。ありがとう白狐、ようやく理解出来た」
「今さら、死んだ奴のことなんて関係ないだろ」
「これからは貴方に雪姫のことを語ってあげるわ。雪姫が貴方をどう思っていたのか。そして彼女のかわりに貴方を愛してあげましょう。どうかしら?」
歌うような朗々とした声が響いた。白狐は困惑し、ミラに説明を求めようとした。
悪寒が走った。とても冷たく、鋭い冷気が廊下を駆け巡った。
テレビのチャンネルを変えた時のように、景色が一転した。
炎燃え盛る火災現場だったのが、気付いた時には氷りの洞窟のような眺めになっていた。辺り一面、雪と氷で覆われていた。
ザクザクと音を立て、少年が階段を上って来た。
「うん。取引しよう。でも、愛情はいらないかなぁ」
青い目を光らせ、氷室雪也が呆れているような笑みを浮かべた。