ミラ
マンションの中心に一台のエレベーターがあり、エレベーターの周りに螺旋階段が設けられていた。
グルグルとミラは螺旋階段を下りて行く。このマンションの住人にすれ違うことは無かった。
彼女の頭の中で、記憶を覆っていた霧が薄まっていく。足を動かしながらも、必死に霧の向こうにある記憶に焦点を当てようと試みていた。チラチラと記憶の一部が鮮明になっていく。
そこで見えたのは怪しい笑顔をしたピエロの面だ。ピエロの面をした男は豪奢な飾りのついた白い衣装で身を包んでいる。胸にはペンダントが吊るされている。数字の4を90度回転させたような形をした金属が、鎖でつなげられていた。このピエロは聖職者だ。
「君は雪也君をどうするつもりだ?」
声によって現実に戻された。白狐が狐のような笑みを浮かべながら見下ろしていた。彼の周囲には青い炎が舞っている。茫然と立ち尽くすミラを見て鼻を鳴らした。
「雪也君を使って何をするつもりかって聞いているんだ?」
低い声で尋ねられ、ミラは困惑した。ミラには雪也をどうこうするつもりは無かった。むしろ雪也から遠ざかりたいとすら願っていた。とにかく雪也が怖いという思いが強かった。
(でも、悪い人ではななさそうなのよね)
雪也は何を考えているのか表情から読みづらいが、何度もミラを助けようとしてくれた。それでも雪也はミラにとって恐怖と畏怖の対象だった。どうしてそのような思いが自分から湧きおこってくるのかミラには説明できなかった。
「ふん。雪也君も君も無自覚で引き寄せられているのか? それとも誰かが仕組んだのか? 『殺戮王』か?」
ブツブツと白狐はしばらく呟いていたが、「分からねぇが、何やらヤバい匂いがするな。くそが」と吐き捨てた。
白狐の背後にいた炎の狐が咆哮を上げた。
「『殺戮王』が何を考えているのか分からないけど、君達の存在を消してしまえば問題無いよねぇ」
青い炎がミラを襲った。全身を焼かれ、ミラが悲鳴を上げた。
炎に焙られながらも、ミラの頭の中で映像が再び動きだす。
ピエロの面をした聖職者は全部で6人いた。彼らがいるのは玉座の間と呼ばれている部屋だ。ピエロ達の背後には、玉座に腰を下ろした少年がいた。少年の頭には王冠が被せてある。その王冠から薄絹が垂れ下がり、少年の顔を隠している。少年の許しを得ていない者が彼の目を見ると、目が焼かれ失明してしまう。誤って目を見てしまわないために、その薄絹が王冠につけられているのだ。この少年は『殺戮王』だ。
頭の中で声が響く。
ミラはピエロ達の前で蹲っていた。一人のピエロがミラに何かを言っている。「悪魔の子孫よ。『ベリア』の子よ。穢れた者に救済の道を示そう。遠い異界で生きる大王の分身を護るのだ」ピエロが真赤な棒を突き出した。熱せされた鉄の棒だ。4人がかりでミラの手足を押さえつけ、1人が頭を動かないよう固定した。右頬に真赤な棒が触れた。じゅわりと肉が焼ける香りがした。ミラは叫び声を上げる。棒は3回頬に当てられた。それはピエロ達がぶら下げているペンダントと同じ焼跡をつけるためだった。数字の4を90度回転させたような焼印が刻まれた。「これは聖なる印だ。もしも貴様が我らの命に背くことあらば、神によってその身と魂は業火によって消されるだろう」ピエロ達が騒ぎだした。「おぉ。見る見る火傷が治癒していく。あぁ恐ろしいや。悪魔の血」
それ以上、記憶を掘り起こすことはできなかった。
気付くと激痛が消えていた。服は燃え尽きていたが、彼女を焙っていた炎も無くなっていた。
「その肌は、髪は何で出来ているんだ? 難燃性のものでも入っているのか?」
忌々しげに白狐が言った。燃えていたのはミラの服だけで、彼女の身体に火が燃えうつることは無かった。
「やはり、君も禁忌の子の血を引いているみたいだ。いや、君達の世界では悪魔の子と言うんだったか?」
「悪魔の子。確かに、私はそう呼ばれていたわ。禁忌の子ってのは知らないけど」
「禁忌の子ってのは妖怪と人間の間に生まれた子のことを言うんだ。ちなみに雪也君も禁忌の子の血を引いている」
「雪也様も私と同じなのですか?」
「本当に知らなかったのか?」
「ええ」
「ふん」
白狐は親指の爪を噛み始めた。細い目でジロジロとミラを見つめた後、再び質問してきた。
「異界からの『漂流者』が来た場合、そいつの分身はどうなると思う?」
「分からない。考えたことも無かった」
「交換されるんだよ。異界から『漂流者』が来た場合、日本にいた分身も異界に『漂流』するんだ。でも、もしも分身が『漂流』できなかったり、『漂流』を拒んでしまえば分身は消えてしまう」
黙ってミラはそれを聞いていた。白狐が妖しく笑う。
「君の分身はどこに逝ってしまったんだろうねぇ?」