狐の集会
「神々は『夢』を観て、妖怪達は『夢』を造り、人間達は『夢』の中で踊り続ける。それが『夢』の世界の理だ」
野外のライブ会場に少女の声が響く。少女は皆から、九尾の狐と呼ばれていた。深夜近くでありながら、収容人数五千人の箱はほぼ満員だった。
「妖怪は『夢』の中でしか生きられない。消えたくなければ、この世界の『夢』を覚ましてはいけない。目を覚ます要因はどんなものであろうと、跡かたも無く喰ってしまえ。消してしまえ。壊してしまえ。殺してしまえ」
可憐な少女の姿に化けた九尾の狐は歌うような口調で言った。腰まで伸びた白い髪に、金色の瞳を持つ少女の姿は九尾の狐のお気に入りなのか、師匠として現れる際にはこの姿で現れることが多かった。
少女一人、高いステージに登っていた。客席には、老若男女の群衆が集まっていた。皆、人間に化けた狐達である。無名の狐達は、師匠である少女の声に耳を傾ける。
「大妖怪の座を求める者達よ。私達が造ったこの世界はちっぽけで、儚くて、空っぽだ。神無きこの世界において、大妖怪はこの世界を創造し、守護しなくてはならないのだ」
師匠の話は延々と続く。それをある者は熱心に、ある者は眠そうに聞いていた。そして青木数馬という男に化けた狐は別のことを考えていた。
(この世界が空っぽだというのなら、妖怪が夢の世界の住人だとするなら、『俺』という存在は無意味で無価値なのか?)
身体の芯にミシリと亀裂が入るかのような錯覚を抱いた。
(俺は神々の虚妄の類と言うのか。それなら、『夢』が覚めたらどうなる? 消えてしまうのか?)
亀裂がギリギリとジリジリと胸を締め付ける。泉のように湧き出るその痛みから逃れる術は無かった。
狐は周囲を見るが、他の狐達は自分が抱いた痛みを負っている様子は微塵も見られなかった。彼のみが、痛みに囚われていた。
ふと狐は鼠の話を思い出した。青木数馬に化けてしばらく経った時のことだ。インターネットで鼠の記事を見つけたのだ。鼠が好物ということもあり、何となくのぞいてみた。
強い電撃を流され続ける鼠の話がのっていた。その鼠は人間達に容赦なく電撃をくらわせられ、その様子を観察されていた。その鼠は電撃から逃れる術を持たず、ただただ一方的に電撃を受けるだけだった。
狐が受けている痛みは、その電撃に似ていると思った。鼠が受けた電撃は失神するほど強力であったらしく、狐が受けている痛みは確かに失神するほどではない。それでも、理不尽で逃げられない痛みというところは同じように思えた。
(消えたくない)
ギリギリと血が出るまで歯ぎしりをするが、痛みは止まらない。
痛みを消すためには、別の感情で塗りつぶすしかないのに。
狐は空を見上げた。そこには星の光一つ無い黒い空があった。
(消えてたまるか。意地でもこの『夢』にくらいついてやる)
「『殺戮王』」
少女が横に座っていた。九尾の狐だ。気付けばステージには誰も立っておらず、客席の狐達も消え去っていた。
九尾の狐はからかうような笑みを浮かべた。
「『殺戮王』は目覚めることを求めている。神々を『夢』から覚まそうとして、その第一段階として私達の世界の人間に呼びかけている。消えたくなければ『殺戮王』の感染を受けた者達を喰って消してしまえ」
「……」
「あぁ。あともう一つ。『漂流者』にも気をつけた方が良い。もしかすると、『殺戮王』の差金の可能性があるから」
「期待しているよ。若い狐君」
それが半年前の出来ごとだ。それから白狐は九尾の狐の言いつけを守り、人に化け、『夢』の構造を知るため、『夢』を護るため動いてきた。
そして今、『夢』を壊す者が白狐の前に現れた。
半妖の少年は屋上から飛び降りて、逃げようとしている。それを白狐は忌々しげに見つめた。
(こいつには、俺の痛みは分からない)
妖怪と人間の間に生まれた禁忌の子。妖怪でもない癖に、妖怪の力を受け継いでいる。
この事実は白狐にとって許されることでなかった。
ただでさえ人間という存在が憎いのだ。もともと妖怪というのは、神々と人間の呪詛や怨念等の黒い想いから生まれる。呪詛や怨恨の類が意思を持ち、互いに喰らいあい、成長、進化し一つの妖怪となるのだ。あらゆる負の想いを起源とする妖怪が、人間を快く思わないのは当然のことだ。
だが、この少年は莫大な呪詛や怨恨の中での淘汰をえていない。負の想いから誕生していないにもかかわらず力を手にしている。
そして何より、少年は『夢』から覚めても消えることは無い。はっきり言って、妬ましかった。
(だが、今は半端者に構っている暇は無い。問題は『漂流者』だな)
白狐はミラが逃げて行った方へと歩き出した。