第六話 出会い
上空にある火球により、辺りが照らされて竜と猛獣たちの位置が相互に目視できるようになった。
それを尻目に竜は間髪入れずに次を狙う。
ジュッと肉を焼き切るような音と共にあっさりと一体のジャイアントスネークの首が飛んだ。
「……は?」
何らかの抵抗を警戒して氷の盾を用意していたにも関わらず、無抵抗に果てた様を見て素っ頓狂な声を漏らす竜。攻めの手を止めて辺りを見渡す。猛獣たちは皆同様に顔を隠して行動を停止していた。どうやら目が強い光に対応できていないようだ。
「よく分かんねえけど今がチャンスなのか?」
悩ましげに首を傾げた後、竜は容赦ない殺戮を始めた。
ウィンドモスキートの羽を燃やして焼き殺し、アイスエレファントの鼻から冷気を突っ込みそのまま器官を凍結させて殺し、ファイアモンキーの両手と尻尾の炎を集団ごと氷を発展させた水で鎮火し無力化、湿った手と尻尾を点火させるのに手こずっているところを氷の刃で斬殺した。
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火球が消えては打ち上げて殺し、消えては打ち上げ殺しを繰り返し、辺りが膝下くらいまで血の海になる。竜が視認できる範囲では敵が居なくなった。
「これだけ殺して膝下までか。まぁ、無限に広いわけじゃない事が分かっただけでも希望はあるな」
肩で息をしながら額に滲む汗を拭う。明らかになった異常な魔力量。それを以ってしても枯渇寸前までその量が減っているのは、ここの圧倒的物量故だろう。
ぐにゃりと地面が竜の落下の衝撃を吸収した時のように軟化する。殺意や激しい衝撃に反応して凸凹とし、硬くなるようだ。よって、戦闘が終結した今は柔らかくなるのだろう。
地面に僅かな驚きを示すが、あの猛獣を見た以上、深い感慨を覚えることはないようだ。チラッと見てすぐに視線を戻した。
「それにしても、どうしたら出れるんだろ」
火球を三十メートルほど飛ばした時ですら、天井が見えなかった。竜が今いる場所は底知れないくらいに深い場所なのだろう。
「ーーアベっ!?」
バィィンという間の抜ける音が響く。奇声も漏れたため、恐らくここに落とされた竜と同類だろう。境遇は知らないが。
しかし、落ちてきたという事は上に光が見えるかもしれない。竜は暗闇を見上げる。そこには一筋の、星屑のような光が一瞬だけあった。
「っしゃ!」
光が見えた点に火球を飛ばし、光と自分の位置の延長線を作り、地面を削り周りを氷で囲い、そこに火を灯す。自然に燃やすのではなく、継続的に魔力使って燃やしているため消えはしない。
「ぅう……いったぁい! ……って生きてる?」
幼い女の子の声だった。幼女が一体何をしたらここに落とされるのか。甚だ疑問である。
「火? 誰かいるの?いるなら返事してよ」
「……」
少し上擦った声色で見えない竜に問いかける幼女。当の竜は華麗に無視して地面の火が見える範囲で探索をしていた。チラチラと見てはいるが。
「……ねぇ、お願い! 返事してよ! いるんでしょ! ねぇっ!」
「……」
甲高い声で叫ぶ声は竜の耳にも届いていた。だが、ここに落ちてくる者など、猛獣たちの凶悪さを踏まえて、ろくな者だとは思えないだろう。
僅かな良心が胸を痛めることで自己主張をするが、初めて猛獣たちを感じた時の恐怖がリスクを冒すことを許さない。しかし、捨てるに捨てきれない。そんな半端なところに竜は立っていた。
「お願い、お願いだよぉぉぉ!! ぴぇぇん!」
遂には泣き出す幼女。悲痛な叫喚が木霊する。竜より先に落ちていたらと思うとゾッとする。
「あぁもう、煩い! 泣くな喚くな!」
幼女を放置するのが居た堪れない気持ちになったのか、嫌そうな顔をして応答した。
「ふぇ? たずげでぇぇ!!」
聞き間違えかと、首を傾げた後、事実だと確信した幼女は一心不乱に声のする方向へ駆けた。何度か可愛い悲鳴と水がバシャッと音を立てたが無事竜の元へ辿り着けたようで、何者かも確認せずに飛び付いた。
「いてっ!」
「うぅ……ぐすっ」
腰のあたりにしがみ付いて嗚咽を漏らす幼女。竜としては不意打ちを警戒して、一定の距離を保とうと考えていたようだが、こうなってしまえばどうしようもない。
「……落ち着け、何があった?」
「生ぐちゃい」
「離れろ」
「やだ!」
今の今まで泣いていたが、血の臭さにそれを抜かれたようだ。竜は頭を鷲掴みにし、引き離そうと試みるが、幼女の意外な力の強さに拮抗する。
「お前、少しは言うこと聞けよっ」
「一人はやだもん!」
「何があった?」
「それはーー」
要するに、諍いに負けて魔王城に連れてこられて落とされたらしい。
思ったより自業自得だった理由に竜は頬をヒクつかせる。
「……名前は?」
「一般的には"厄災"って呼ばれてるよ。本当の名前は……あるのかも分からない」
「ふぅん」
少し寂しげな顔をする幼女。この世界の常識が分からない竜は軽く流した。しかし、軽い口調とは裏腹に舌打ちを漏らすのだった。
竜は幼女を引っぺがした後、再び探索を始めた。
「ねぇ、あなたの名前はなんて言うの?」
「春野 竜」
「リュウ……変な名前だね。どこから来たの?」
「変な名前……。んー、"ニホン"って地域から」
「聞いた事ない所から来たんだねー」
ふむふむ、と顎に手を当て頷いている幼女の"変な名前"呼ばわりに心的ダメージを受けた竜はそっぽを向いて動揺を隠していた。
「なんでここに来たの?」
一転、静謐で真剣な声音が竜を貫いた。竜は目を細めて幼女を見た。
燻んだ癖っ毛の橙色の髪が竜の視界に入った。初めて見た幼女の姿に、竜の瞳が驚きに揺れた。
「っおい、なんでそんな怪我して……」
「今頃気づいたの? まぁ、喧嘩しちゃったんだよ」
儚い笑顔を見せた幼女の身体に刻まれていたのは切創。腕や腹部、脚にあり、結構危うい格好だった。
「……早く出るぞ」
先ほどまで、数多の命を奪ってきた竜にも、人の形をした生物の血濡れた姿は情を誘ったようで、言外に「一緒に出よう」と口にしていた。
「え……ううん、やっぱりいいよ。出ても生きていく希望も無いし、お金もアテもないから」
さっきまで子供だったのに、この悲観ぶりはなんなのだろうか。
視線で「聞くな」と訴えかけている幼女。しかしその手は竜の方に伸ばされていた。あべこべな言葉と行動が、久しぶりのように人間性を感じれたのか、竜は安心したようにくすり、と笑い、伸ばされた小さな手を握った。
「……なに?」
痛々しい姿を見てられなかったのかもしれないし、子供が一人で暗黒に閉じ込められるのがなんとなく嫌だったのかもしれない。それを見捨てる自分を嫌悪しただけかもしれない。
「……それがどうした。俺がしたいからそうするんだ」
「?」
"そんな軽い気持ちでいいのか?"と訴える自分自身と決別し、決然とした表情をして告げた。
「こんな所で野垂れ死ぬくらいなら、俺と来いよ」
「っ!? でも……」
「こんな所で死にたいのか?」
「それは……」
「まだやりたい事があるだろ?」
「……私は、リベンジしたい」
恐らく、"喧嘩"の事だろう。幼女は「どう? 不純でしょ?」と目で訴え掛ける。
「別にいいじゃねえか。したい事があるならそれで」
「……理由も聞かないでいいの?」
「話したい時に話してくれればいいよ」
「うぅ……信用していいの?」
「絶対とは言えない。けど、後に引けなくてな」
「なにそれ……でも、私も死にたくない。だから、付いてくっ!」
幼女は熱を孕んだ顔を隠すように竜の胸に飛び込んだ。優しく受け止めた竜は出る方法を考える。
「……階段作るか」
「え?」
ポツリと零れた竜の言葉に幼女が頭に"?"を浮かべる。
「いや、螺旋状に階段作れば時間は掛かるけど登れそうだな、と」
そう言って手の中に氷の小さな階段の模型を作ってみせる竜。「ほぇ〜」と間抜けた声を漏らす幼女を尻目に、上空にある火球に向けて螺旋階段を作っていく。
「お前は魔法使えるのか?」
「地上だから、補給したら使えるよ」
「なら、明かりを作ってくれないか?」
「うん!」
了承の返事と同時に、幼女は竜に飛びつき首筋を噛んだ。
「いてっ」
「ちゅっ、じゅるっ……なんか、濃いね」
「あぁ、そう。それじゃあお願い」
「うん!」
突然の事に反応すらできずに頬を引き攣らせる竜。相当危うい事をしでかしたと自覚しているのだろう。
幼女がおもむろに片手を天に向けると、パチパチと黄色い電気のようなものが幼女の髪を迸り、その髪も鮮やか黄色に染まる。
「おりゃっ!」
刹那、稲妻が暗黒を切り裂いた。
「……え?」
僅かに残光し、再び暗黒が立ち込める。竜の視界に危うい格好……見えてはいけないものが映っていたが、それよりも稲妻に驚き口を開けていた。
「やだなにこの子怖い」
「えっ!? そんな事言わないでよ……」
ショックだったのか瞳を潤ませ竜の服の端っこをキュッと掴む幼女。
「うっ……ごめん、冗談だから泣かないでくれ」
「分かった!」
「うん。あと、稲妻じゃなくて上に浮いてる火の玉みたいに、継続的に出せるやつないか?」
「無理」
「……」
竜は思わず頭を抱える。魔力を吸われた上に瞬間的な明かりしか出せない幼女。明らかに損している。
「階段作るから、後ろからの奇襲を警戒しててくれ」
「うんっ!」
ある程度回復した魔力を練り、氷の階段を想像する事でそれを作る。
因みに、この世界の常識では既存の魔法をイメージするという事が常識で、オリジナリティもなにもない。
十秒ほどで高さ二メートルくらいの螺旋階段が作られた。カツカツと階段を上りながら止まる事なく階段を作っていく。
ぐるぐると上り、空にあった火球の高度も上げていく。その事により、光があっただいたいの位置が分かるのである。
ニ、三十分ほどそれを続け、地面に燃えていた炎も豆粒ほどの大きさになった。火球を打ち上げてみると薄らと天井の岩が見えている。
「ねえリュウっ! もう天井が見えるよ!」
「ん? ホントだ、長かったな」
「うん!」
いつしか幼女は竜を名で呼ぶようになっていた。竜もそれを受け入れているようだ。
そんな期待を胸に抱き始めた時、地面が揺れた。それは氷を伝って竜たちまで届き、警戒心を呼び起こす。
「なんだっ!?」
「下!」
「それは分かってる!」
竜は火球を地面に向けて飛ばす。火球は踏み歩いた氷の階段を照らしていき、地面まで到達する。
「っ!?」
「なにあれ!」
火球が照らしたのは"バッファロー"のような生物。竜たちがいる高さからでも"アイスエレファント"に匹敵する大きさを誇るサイズだ。ラスボス臭がするバッファローに二人は戦慄し、行動が停止した。
「ブルゥゥゥゥッ!!」
鼻を鳴らす音が空気を揺らす。バッファローが鳴いたのだろう。それだけで氷の階段はピシピシとヒビが入り、危機的状況に陥る。あの猛獣がいる以上、バネのような地面ではないだろう。
「っ! 急ぐから雑になるぞ!」
「心配しなくても落ちないよっ!」
「おーけー!」
もはや作業となっていた階段作りに"危機"というスパイスが加わり、冷や汗を滲ませながら凸凹の階段を作る。
「きゃぁぁ!! 蹴ろうとしてるよっ!」
「嘘だろ!? クソッ!」
竜は咄嗟に天井から氷の柱を降ろしてそれに掴まったが、幼女は瓦解した足場におり、自由落下の形になっている。
「リュウっ!」
「くっ!!」
幼女と竜は精一杯手を伸ばし合う。
しかし、さっきと同じようにそれは重なることなく、空を切った。
「くそッ!」
魔力の使用により、再びオレンジっぽくなった髪が遠くなっていく。それをただ見ることしかできない竜の表情は悲痛だ。歯を食いしばり感情の奔流を堪えている。
幼女は離れ行く竜を寂しげに見つめた後、くるりと身体を反転し、地面に墜落間近というところで稲妻を放った。
「あんな顔されちゃ、頑張るしかないよね」
幼女の表情は敢然としていた。稲妻の反動で地面への衝突の衝撃を相殺した幼女は、竜が助けにくると信じて、遥か上から睥睨するバッファローと相対した。
竜は逡巡していた。すぐそこにある出口と、遥か下の、出会ったばかりの幼女とを、どちらを取るか迷っていた。
生き残れる確率が高いのは当然ながら前者だ。チヨ・ソルテが挑戦的な目をしていたのを考慮して、竜は試されたのだろう。生きて地上に出れたのなら、恐らくその後も無事だ。しかし、後者はどうだろうか。さっきまでの猛獣たちが猫に見えてくるほどの巨体に、数キロは離れているのにも関わらず届くプレッシャー。そんな場所に行くなど、死にに行くようなものだ。
断然、前者が安泰なのだが決めきれない竜。そんな時、二度目のスパークが起こった。その光は弱々しく、風前の灯火のように竜の瞳には映った。
光が消えた時には、竜は氷から手を離していた。
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