5 意外な真相
話しは勝手に進み、グレイとお嬢様(仮)レティシアと王子様(仮)で合同結婚式をしようと三人の高貴なる方々が盛り上がり、制止も否定も無視される当の本人がもうどうとでもしてくれとやけ食い(お菓子)やけ飲み(お茶)に精を出している頃だった。
「そろそろ気は済まれましたか?」
「グレイ様!!」
背後からかかった声に天の助けと勢いよく振り返ったレティシアは、名を呼びながら矢のような速さで長身の男に飛びついたお嬢様と、グレイの背後から悠々と歩いてくる男に凍り付いた。
呼吸も止まりそうな緊張の中、必死に視界から外した茶にも見える金髪は国王陛下ではないか。王女殿下とお子様方とのお茶だけでもお腹が一杯胸一杯だというのに、これ以上は無理だと彼女は深く顔を俯ける。
「まあ、陛下。お話はもうよろしいんですの?」
「ああ、終わった。というより、一方的にグレイの要求を飲んだという方が正しいか」
「随分な仰り様だ」
苦笑いを含んだ声と、いつものどこか人を食ったような声。どちらも近づいてきたかと思うと、片方はクリステの隣りに、もう片方はレティシアの隣りにゆっくりとした動作で腰を下ろす。
「…何か君を困らせるようなことがあったかな?」
顔を上げようとしないレティシアの背をそっと撫でたグレイが落とした囁きに、視線だけ上げると彼女は小さく首を振った。
「いいえ。皆さまとても親しくしてくださいました」
嘘ではない。本来なら目通りも叶わないほど身分差がある彼女に、王族が直々に声をかけ気遣ってくれたのだ。意地悪もされず寧ろ親切にしてもらった。けれど。
「そう?私にはレーテが困っているように見えたのだけれどね」
長い付き合いのグレイにはわかってしまったように、困らなかったわけではないのだ。
ちらりと小さな方々に目をやったレティシアは、もごもごと言いよどみながら己では対処しきれない段階にまで勝手に進んだ話をなんとか止めてもらいたいとグレイに訴える。
「あの…王子殿下?と、王女殿下のお嬢様?が、ですね、その…グレイ様と、えっと、何故かわたしと…結婚?するとか、しないとか?…仰ると申しますか、式とか、日取りとか…もう、色々で、その」
「ああ皆まで言うな。すまなかったなレーテ。我が息子と妹、更には姪までもが迷惑をかけて」
要領を得ない説明ではあったが、途中で遮った国王は盗み見た視線の先で困ったように頭を掻き掻きレティシアに謝罪をしてくれた。
当然、困惑して困り果てたのは謝られた本人だ。
「と、とんでもありませ…っ」
「陛下。彼女のことはレティシアとお呼びください」
慌ててそんなことはしないで欲しいと、言いかけたのを引き取ってグレイが静かにどうでもいいような訂正を入れる。
「え?あの、グレイ様、わたしの名前なんてなんだって…」
「ダメだよレーテ。この国では愛称は伴侶にしか呼ばせないのだよ」
「えっ!そんな風習あったの?」
「あるんだ」
「ないないないない、そんなのないから」
「なにか仰いましたか、陛下?」
「…いや、いや、だがなっ」
「仰いましたか?」
「…いや」
微笑んでいる筈なのにグレイから発せられる殺気にも似た冷気に、言いたいことを呑みこまざる得なかった国王は、小さなため息に鬱憤を乗せて吐き出すと改めてレティシアに向き直り話しを続ける。
「あー、レティシア。それでもしやと思うが、子供らの名を聞いていなのではないか?」
「…はい」
思い起こすまでもないが、突然現れて好き勝手に話してるお子様たちは、名乗りを上げるつもりすらなさそうであった。
いつもならそういった礼儀に煩いクリステまで共に盛り上がり、真っ先にしなければならないことを忘れてしまった失敗にごめんなさいと眉を下げる。
「やはり、な。これらの身分も曖昧だったのはそれが理由か。…お前たち」
それまでの軽い調子が一変、低く威厳を含んだ声で呼ばれた子供たちはそれぞれグレイの隣り、クリステの隣りから立ち上がるとレティシアに向けて名乗った。
「パルバー国第一王子エリアスだ」
「ボレリウス公爵家のセルマよ」
尊大なのは子供と言えど王族あるのだから当たり前だろうが、ここでレティシアは己の大失態に気付いて顔を青くしながら転げ落ちる勢いで椅子から立ち上がると、膝を折りドレスを摘まんで深々頭を下げる。
「わ、わたくしこそ名乗りもせず大変失礼いたしました。カモナカ国より参りましたレティシア・コーエンと申します。ご無礼の程、どうか平にご容赦くださいませ」
出会いが衝撃過ぎて名乗りを上げなかったのは彼女も同じだ。
長々と会話、というか同席していたくせに今頃、それも国王陛下に指摘されて王族に挨拶をするなど以ての外だと、下る罰に怯えながら頭を下げた彼女に、だが周囲は寛大だった。
「レティシアが気にすることではないわ。この子達があの勢いで話し始めてしまったら名乗るどころではないもの。わたくしも面白かったものだからつい止めずに聞き入ってしまって。陛下も想像はつきますでしょう?」
「ああ、つくな。つきすぎるほど、つくな」
「わたくしも気にしていないわ」
「そうだ、私も気にしていない」
「皆様ああ仰っているのだし、顔を上げなさいレーテ」
こうして大失態を不問に付して貰ったその後は、それでも緊張の解けないレティシアを除いて非常に平和にお茶会が進行されていく。
国王はグレイの一つ年下で王妃様は王子の出産時に身罷られていること、降下されたクリステ殿下もセルマ様が生まれて二年で夫が亡くなると公爵領を一旦王家に返上して王宮に戻っていること(その際、色々あって地位も以前の王女に戻されたのだとか)、一人っ子の王子様は従弟の君と同い年で揃って悪さばかりするとか、セルマ様は将来のことを考えて公爵位だけはお父様の物を継いでおられるだとか。
他国民のレティシアでは知り得ない情報を次々与えてくれながら、とうとう話題はなぜ平民であるグレイがこうも王族と親しいのかという核心に迫ってきた。
「もう十五年になるかな、視察中、賊に襲撃されているところを助けられて以来の友人だ。剣の腕もたち、頭も良く人脈があり情報にも精通している。ここ最近は腐るほどの金となんでも手に入る商業網まで構築し終えて、無いのは爵位くらいだと言われるこいつを取り込もうと各国血眼なんだが、我が国もその一つというわけだ」
「はあ、そうなのですか…?」
豪快に笑う陛下には悪いが、全くそんな実感が湧かないというのがレティシアの感想だった。
なにしろ彼女の中でグレイは、いつだって頼れる『リウ兄さん』でしかない。それは確かに豪華なお屋敷に住んでいるなぁとか、いつも忙しそうだなぁと思わなくもなかったが、いつ訪ねても執務室でのんびり話を聞いてくれるのが常で、少しも自分の自慢話などしないのだから内情など知らないに等しい。
それでも孤児であったときのように扱っていい人でないことは、だんだん良くなっていく身なりや渡されるおみやげの豪華さなどで理解していたから、呼び方や態度はちょっぴりかしこまったものにはなっているが。
「グレイ様、すごいんですね…」
寝耳に水の情報で混乱しながら隣りを見上げると、相変わらず感情の読みにくい隻眼を眇めてグレイはそんなことはないと笑んでいた。
「与えられた仕事、成すべきことを順に片づけて気づけばここにいただけのこと。ああそれに少しの野心もあっただろうか。どのみち男爵家に拾われなければ、読み書きもできず剣も扱えない私など生きていたかも怪しいからね。一番の功労者は君たち家族の方だ」
どうやら真剣にそう思っているらしいのはグレイの声からわかる。
だがレティシアはとてもそんな風に思えないし、何も考えていそうもない父親や、世間一般の枠にぴたりと嵌る普通すぎる母親が、一国の王にここまで言わせる人物の素地を作ったとは考え難い。
だがらふるふる首を振って、誤解してくれるなと王にも興味深そうなクリステにも両親の人となりをきっちり説明しておいた。
「父は新人騎士を指導するうだつの上がらない男爵で、母は噂話が大好きな夫人にすぎません。わたくしは婚約者に逃げられるようなできの悪い娘ですので、グレイ様に我が家が提供できたのは粗末な食事くらいです。どうかグレイ様の評価などお信じにならないでください」
いろんな国で必要とされるような人物を輩出したなどと誤解されては、のちのち男爵家の不利益にしかならないとかなり本気でお願いしたレティシアに、けれど首を傾げたのは国王の方だった。
「いや、グレイは事実を言っているだろう?現にどの国でもガルエルの名を知らない王はいないと思うが」
「え?」
突然国王の口に父のミドルネームが上って驚いていると、隣りでクリステも同じように首を傾げている。
「そうですわね、わたくしでも存じておりますもの。密偵であり対外国専用の工作部隊を率いていらっしゃるガルエルがお父上なのでしょう?奥方は前国王の落とし胤と言われる方で、今でも公爵夫人を通じて兄王に通じていらっしゃるとか」
「ええ?!」
俄かには信じがたい情報が、一人娘すら知らない事実が、何故外国でぽろぽろ零れ落ちるのか。
わけが分からず混乱していると、そっと髪を撫でたきたグレイがダメ押しをするのだ。
「国内で出世できない男を演じているのはね、その職務の特殊性故なのだよ。王族を妻にとし国王の信も篤い男がいるとなれば取り入ろうと碌でもない輩が集るだろう?そして国外の刺客からは一家そろって命を狙われることになる。だから父上も母上も、君にはすべてを隠し無害な男爵を演じていたんだ」
突拍子もなく、またひどく芝居がかった事情は他人事ならば胸躍る真実の露見だったかもしれない。けれど己の身に起こったとなればそれは、拒絶したい現実でしかない。
「で、でも、あの男と婚約を薦めてきたのは父さんで、喜んでいたのは母さんなのよ?そんなに優れた人達ならば、反対したりしないの?」
国の中枢で仕事をこなす人間の身内が、あれほど不行状が目立つ男ではまずいと思わなかったのかと問うレティシアにグレイはひょいっと肩を竦める。
「人となりは褒められたものではないが、剣の腕は確かだったので性根を叩き直せれば後継にと一瞬父上は考えられたようだな。しかし使えないとわかったのでそのあとは君を試すのに使ったと聞いていたよ。そのまま結婚してしまうようならば男爵家とは縁を切らなければならないし、上手く交渉して婚約を破棄できるのならば後を継がせられるとね。結果は予想外の相手の自爆で幕引きだが、腹は決まったらしい。君は嫁に行くのが望ましいそうだ」
それは見捨てられたのだろうか、それとも自由を勝ち取ったというのだろうか。
意味がよくわからなかったがかなり込み入った話を初対面の人々の前でしていると思い出したレティシアは、混乱を胸の奥にしまってじっと自分を観察しているグレイに薄ら微笑んで見せたのだった。