4 訪問先は思いもよらず
貨物船に客室などあるわけもなく、その夜は甲板でグレイと二人毛布をかぶり星を眺め、座ったまま器用に寝たレティシアは、朝の目覚めも清々しく颯爽とパルバーの港に降り立った。
交易で国を支えるケンガルドとは違い、美しい海での保養と温暖な気候を利用した農業を主な国家収入とするパルバーは港の雰囲気からしてどこか長閑だ。
男性に混じり女性も多く働く桟橋から、船長と船員たちに手を振り別れの挨拶を済ませた二人は、迎えに来ていた馬車に乗り込むと白壁の美しい街並みを突っ切って、小高い丘に建つ王城に向かってのんびり進んでいた。
「…グレイ様、この馬車はどこに向かっているの?」
走り出してしばらくは車窓からの景色を楽しんでいたレティシアだったが、だんだんと民家が減り道沿いにポツリポツリと兵士を見かける段になって渦巻く不安に耐え切れず、隣りの男に問いかける。
「さて、どこだと思う?」
眇めた隻眼にからかいの色を乗せたグレイは、彼女の聞きたいことなどわかっているくせに意地悪く笑うばかりだ。
「そうね…あのお城が実はグレイ様のもので、わたしを招待してくれるとか?」
巨大船を買えるほどの金持ちならばできないこともないだろうと、はぐらかす彼に意趣返しのつもりで真顔で返せば、やはり相手は一枚上だ。
「レーテが望むのなら手に入れてもいいが。さすがにすぐには無理だろうね。王に別の城を建ててやれば、叶えられない願いではないな」
「ちょっ冗談なのよ?!そんなこと、間違っても国王様に言わないでねっ」
下手をすれば侮辱罪で首を刎ねられてもおかしくない物騒なグレイに、うっかりしたことは言えないと肝を冷やしたレティシは、回りくどいのはやめて素直に行き先を聞いた。こうすれば彼もふざけるのをやめるであろうと考えて。
「城だよ。陛下に顔を出すように言われていてね。姫がいるから、お茶でもご一緒させていただくといい」
それは、大いなる誤解であったようだ。
「まあ、それは災難だったのね」
あれからおよそ一刻。
爽やかな風の吹く中庭で、レティシアはグレイに言われた通り、お茶をいただいていた。
目の前でくすくすと笑う麗人は、正真正銘の王女殿下だ。
蜂蜜色のブロンドに、空を映したような瞳、レティシアよりほんの少し濃い肌の色は健康的に輝き、紅も差していないのに輝く唇は摘みたての野いちごのように輝いている。
まるでお話の中の姫君そのものの容姿をしたクリステ殿下は、控えの間でクリーム色のドレスに着替えさせられ訳もわからず王の私的謁見の間に引き出され卒倒しそうだったレティシアを、早々に連れ出してくれた可愛らしく慈悲深い女性であった。
今も涙ながらにここにいる経緯を語ると、可哀想にと同情してくれたのだ。
…笑いながらではあったけれど。
「本当に、本当に災難だったんです。観光のつもりで、まさか国王陛下や王女殿下にお目通りするなど夢にも思っていませんでしたから、何の用意もしていなくて…あの、わたし自国でも貧乏男爵の娘でたいした教養もなく礼儀作法もなっていなくて、何か失礼がありませんでしたでしょうか?」
他国へ訪問するとき、相手国の風習や歴史、現況などを学んでからいくことは貴族の常識だ。もちろん招待する側も同じように学んでいるので話題に事欠かないし、相手を不快にさせることなく円滑に外交をこなすことができる。
貴族の末端でそんな状況に直面することのないレティシアでも、一般常識としてそのくらいの知識はあったが、今回に限り全く生かされていない。
何しろだまし討ちのように王城へ連れてこられたのだから、思わず優しくしてくれる人に縋ってしまうというのもだ。
「大丈夫、何も心配要らないわ。陛下もおっしゃっていたように、これは本当に非公式な謁見…いいえ、これすらふさわしくないわね。面会、というところかしら。グレイと陛下は古くからの友人で、もちろんわたくしにとっても良いお友達なのよ」
身を乗り出して涙を浮かべたレティシアを宥めながら、心配しなくていいのよと笑う殿下はどう多く見積もってもレティシアより年上には見えない。せいぜい16,7だと思うのだが、グレイを友人と表すあたりもしかしてもう少し年上なのだろうか。
礼を失していないかと問うたその口で、好奇心に勝てなかったレティシアは無礼千万な疑問を声に出してしまった。
「殿下は、おいくつでいらっしゃいます?」
「ふふ、いくつに見えて?」
疑問に疑問で答えさらに満面の笑顔とは、少し前の悪夢が蘇る所ではあるが、馬鹿正直にレティシアは16と答えていた。
「あら、嬉しいわ!それじゃあわたくし、レティシアより年下なのね」
顔を輝かせたクリステにやはりそれほど幼くはないかと納得しかけて首を傾げる。
「…わたし、年をお教えしましたか?」
おぼろげな記憶の中で自己紹介した覚えまではあるが、年令までは言っていない気がするのだがと疑問を口にすれば、グレイに聞いたのだという。
「あの方が語られる祖国のお話にはね、いつも”レーテ”という小さな女の子が登場するの。お転婆で血の繋がらないリウ兄さんの後を追いかけるのが大好きな、紫の瞳の女の子。貴女のことでしょう?レティシア。すぐにわかったわ」
大きくなったのね。
慈愛を滲ませた声音にレティシアはぽかんと口を開けてしまう。
自国でも上がったことの無い王宮に他国で突然訪問する羽目になったのは、どうやら口の軽いグレイのせいであるらしい。自分のあずかり知らぬところで何故か王族に子供時代を知られているとは、何ともこそばゆいことこの上ない。
「お母様に差し上げるんだと崖登りをして取った花を帰り道で転んで散らせてしまったことや、お父様の剣を届けようと大剣を持ち出して危うく鞘の外れた刀身部分で指を落としそうになったこと、グレイを追いかけて裸馬の背に乗ったのはいいけれど振り落とされて池に落ちたこと、他にも…」
「わーっ!!もういいですっ言っちゃだめです、王女殿下!!」
可愛らしい思い出というよりも失敗譚の羅列に場所も状況も忘れて大声を上げたレティシアは、警護に立っていた騎士と控えていた侍女に睨まれて慌てて黙ると居住まいを正した。
羞恥に火照る頬を俯くことで隠していると、楽しそうに笑ったクリステがなぜか周囲を諌めている。
「貴方たち、わたくしのお友達を威嚇しないでもらえるかしら。”レーテ”はこれでいいのよ。ここは公式な場ではないんですからね」
「はっ申し訳ありません」
「申し訳ありませんでした」
「え、ああの、こちらこそ申し訳ありませんでした」
すぐさま騎士と侍女に謝罪され、寧ろ居たたまれなさにレティシアこそが謝罪する。
なにしろ王族付きの使用人は大抵が貴族の子女で、爵位も上の者であることが多いからだ。国によって多少の違いはあるだろうが、茶会で主人の傍に侍る彼等はほぼ間違いなくレティシアより身分が高い。例えここをクリステが無礼講としてくれていても、貴人に対し最低限の礼儀も弁えない人間が糾弾されるのは当然のことなのだ。
そんな方々に頭を下げさせるなど恐れ多いと、恐縮して身を縮めていたらとんとんと肩を叩くものがある。
まさか王女殿下が自ら立って近寄ってこられたとか?と、更なる事態の悪化に恐る恐る顔を上げると…
「貴方がグレイ様が連れてきた方?」
十歳くらいのハニーブロンドが豪華な女の子と、同じ年くらいの茶色の巻き毛の男の子が、レティシアの傍らで腰に手を当てて立っているではないか。
「え?はい?」
「お前、グレイの妻なのか?」
「ええ?!」
「それとも恋人?」
「いいい、いいえ?!」
矢継ぎ早に質問をしてくる子供たちは、天使のように可愛らしい顔立ちを不機嫌に歪め、はっきりしない返事を繰り返すレティシアに真っ直ぐ不満をぶつけてきた。
「違うというの?!」
「…違いますっ」
「ではなぜ一緒に来たんだ」
「え…なぜって、その婚約破棄や、その後の騒ぎなど色々ありまして…いうなれば逃亡?でしょうか」
改めて問われれば今回の旅行にはっきりした理由などつけていなかったなぁと、思う。
何しろ前日の早朝たたき起こされ、訳も分からず馬に乗り念願だった船に乗り、気づいたら王宮でお姫様とお茶を飲んでいるという怒涛の一日半だ。
その旅に連れ出してくれたのはグレイだが、どうして一緒にいるのだと聞かれれば説明には困る。敢えて言うなら逃走旅行に付き添ってくれている出資者兼保護者と言うことになるだろうか。
必死にお子様方が納得してくれそうな理由を探してたら、またもや即答できないレティシアに苛ついたらしい彼等が勝手に答えを出してくれた。
「そう、ではグレイ様は今後もわたくしの婚約者でいいわね」
「ええ?!」
「お前は私が婚約者にしてやろう」
「なぜっ?!」
ここまでの会話のどこに婚約話に続く何かがあったというのだろう。
闖入者の発言に困り果てて、はたと味方(らしき)人物がこの場にいたことを思い出したレティシアは、クリステを縋る瞳で見上げる。
「そうなったら、素敵よね。グレイが義理息子で、レティシアが甥の嫁なんて」
だが、全方向敵だったらしい。
説明臭い言い方で子供たちと自分の関係を語ったクリステは、驚きすぎて声が出ないレティシアを見やりながら優雅な笑い声をたてていた。