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結婚という名の一大事  作者: ここ掘れワン
10/11

10  経緯は必要で

「まずは君達と家族になろうと思った。これは存外簡単で、難しかったよ」


 ニヤリと口元を歪めた男に、レティシアは顔を顰める。


「グレイ様の言ってることを理解する方が難しいわ」


 実の娘である自分より上手く両親と付き合い、ご近所さんからも名実ともに『男爵家の長男』と認められている男が家族になるのが難しいとは笑わせる。何しろ彼女の記憶にある限り、グレイはずっと昔から自分の家族だったではないかと胡乱な目をすれば、大真面目にいや本当に大変だったんだと彼は譲らない。


「私は『家族』を知らない。親もろくろくいない生活をずっと続けてきた人間が、いきなり両親と妹を与えられても戸惑うのは道理。男爵にも夫人にも遠慮するな、気を使うなと何度言われたかわからないよ。だが君はあれこれ考えるのが馬鹿らしくなる無邪気さで私に懐き、両親との仲を自然と取り持ってくれた。だから私もレーテを大切に思うように男爵夫妻を大切に思い、レーテに話す気安さで彼等に話しかけたらなんとか家族としての格好がつくようになったのだよ」

「まあ、人の真似をしてみるのっていい手ですものね…」


 人との距離がわからないというのなら幼子に倣うのは良い方法であろうし、それでグレイが自分たちと共にいることに慣れたというのなら素晴らしい。

 だが、ならば難しいことなどなかったのではないかと首を傾げればレティシアの内心を見透かしたように彼は問題はそこではないのだと主張した。


「家族にはなれた。あの家は居心地が良かったし、与えられた仕事も向いていた。毎日が充実して、初めて幸せがどんなものなのか知れたことも収穫だった。だが、人生には誤算が付き物で、まさに私の誤算はレティシア、君だったのだよ」

「…まさか、それが難しかった原因なんて言わないわよね?」

「いや。それこそが原因さ」


 わたしのお蔭で家族になれて、わたしのお蔭で家族になることが難しい。

 勘の良いレティシアは、ここで最初の疑問の答えが出るのかと頭を抱えたい気分であった。


「十一も離れた子供との結婚をグレイ様ほどの方が望むというのなら、よしみある家に恩を返したいからだと考えるべきね。それがいいわ。そうしましょう」


 だがはっきりと言葉にしなければ、悪夢はあくまでもレティシアの想像で留まるのかもしれない。

 意味深に光る隻眼に無駄な足掻きだと知りつつも、どうか予想は自分の自惚れであってくれと彼女はよそいきに微笑むのだが。


「レティシア、恍けてもまことは覆らない。恩を返したいだけならいくらでも方法があるのに、わざわざ君を妻にと望むほど私が愚かでないことは知っている筈だ。何より突発的に思いついたことならば、何年も前から周到に用意している説明がつかないだろう?」


 そうしてやはり、グレイは彼女を逃がしてはくれなかった。いやむしろ折角追い詰めたのにここで逃してなるものかと、じりりと包囲を狭めてくれる。

 言葉と連動するように腰に腕を回されて退路を断たれたレティシアは、眉尻を下げて間近の美貌を窺った。


「…ありえないんだもの。グレイ様の周りには美しくて聡明な人が溢れているのに、よりにもよって行き遅れ遅れの小娘を選ぶなんて。ああでも…王族に連なると知っていたから、お仕事の助けになると思ったとか?」


 本人はついさっき知ったことだが、あの口ぶりからするにグレイは以前からレティシアの血の秘密を知っていたようだった。ならば利用価値があると彼女を望むのかと思ったのだが、グレイは不機嫌に鼻を鳴らす。


「生まれついて王宮に伝手のある王族ならいざしも、市井で人脈もなく育ったレーテに大した利用価値などないよ。せいぜいが見世物として数か月か。それ以降はむしろ、姪を奪ったとカモナカ王に制裁を喰らうのではないかな」

「え?!陛下ってそんなに狭量だったかしら…」

「あの方は夫人と君に負い目しかないかのでね、こと男爵家のことになると何をしでかすのかわからない」

「はた迷惑な…」

「全くだ」


 主題からずれていく会話にほっと息をついたのはつかの間だった。

 だからと甘く微笑んだグレイが、不意打ちで耳元に愛をささやく。


「君が欲しいと言っているのだよ。町娘でも王女でも関係ない。君が”私のレーテ”であるから、妻に欲しいのだ」


 鼓膜を震わせた低い声が、慣れ親しんだ表現を零したとき、レティシアの胸に去来したのは諦めと喜びだった。とうに忘れかけていた感情が、ひょっこり顔を覗かせたのだ。

 あれは乱暴な口ばかりきいてたリウが感情を覆い隠す柔らかな言葉遣いを始めた頃、母の後ばかり追っていたレティシアも少女と呼ばれる年になっていた。

 とはいえまだまだ幼かった彼女だが、恋を知るには十分成長していたのも事実で、恐ろしいほど美しく常に優しい身近な男に心を寄せるのは、当然の成り行きだったようにも思える。


『私のレーテ』


 リウが小さな彼女を抱き上げて頬にキスするたび、その呼び声に胸が躍った。

 彼だけが使う愛称を使い、誰よりも自分を甘やかしてくれる、美しい義兄。

 けれどリウの世界にレティシアのいる場所はほんの少しで、夜寝る前の僅かな時間以外は彼を独占できないことがほとんどだった。

 中でも彼女を絶望させたのは、美貌の男の隣りでも屈託なく笑っていられる自信に満ちた女性たちの存在だった。

 どうやったって縮まらない十一の年の差は、女にとって大きすぎる。ようやく少女へと踏み出したレティシアと、リウを取り巻く成熟した女性とでは比べるべくもないと気づいたのは、裏町の路地で情熱的なキスを交わす男女を見てからだ。


 優しい微笑みではなく、獰猛で色めいた笑みを浮かべるリウは、壮絶に美しかった。赤く濡れた唇が彼の耳元で何か囁くたび、腰に回された腕が強く女性を引き寄せる。

 昼日中であったのに、薄闇を作るその路地は夜が色濃く漂っていて、子供心に決して自分は踏み込めない場所なのだと思い知らされた気すらした。

 あれから、レティシアは不用意にリウに触れなくなった。近づくことにさえ慎重で、呼び名だって彼が使い始めた新しい”グレイ”に変えた。

 こうして距離を取り始めたことを誰も疑問に思わなかったのは、丁度リウが家を出たからだ。勿論定期的に通ってきていたし、同じ家に住まなくなっただけで顔を見る機会は十分にあったけれど、これを好機とレティシアは報われない恋心に見切りをつけ身の丈に合った相手を探し始めた。

 結果は男らしすぎる性格が災いして散々だったが、だからと言って今更おぼろな初恋を再燃させて恋ができるかと言えばそれはそれで難しいような気がする。


「リウ兄さんの『レーテ』は小さな女の子でしょう?こうも可愛げなく育ってしまったわたしでは、とても従順な妻にはなれないわ」


 ちくりと痛む昔の思いを押しやって、グレイが好きだったであろう女の子を思い出す。世界の全てがリウで回っているような、素直で無邪気な女の子を。

 だが、深刻な顔でそう告げたレティシアを、グレイはくつくつと笑うのだ。


「従順、ねぇ…。私が好きになった君は、お転婆で無謀で我儘な女の子だった気がするのだが?そういった意味では、今の方が幾分か従順な気がするがね」

「え…え…?」


 まさかそんな筈はないと、必死に”かわいい自分”を探そうとしたレティシアは、思いつく様にあげつらう。


「ほら、兄さんが帰ってくるとどこにいてもお迎えに出たでしょう?」

「どこにいても、か。物は言いようだな。降りられなくなった木の上や、剣の練習で泣かせた男の子を目の前にしたときは、私が迎えに行かされたのではないかな?木の葉塗れの君や、ばつの悪そうな君を助け出すのも楽しかったがね」

「そ、そんなのっ一度か、二度か、三度か…とにかくほら、数えられる程度よ?!」

「ああ五回に一回くらいだったかな」


 そんな筈はないと言い訳したくても、指摘されて思い出せば確かに何度か似たようなことがあった気がしないでもないから不思議だ。井戸に落ちかけていたり、猫と格闘していたことも芋ずる式に思い出したレティシアは、ため息交じりに別の自分を探してみる。


「うーんと…ほら、聞き分けはよかったでしょ?すぐに家を空ける父さんと兄さんを気持ち良く送り出してあげたわ」

「そうだね。必ずいくつかの持ち物を隠されていたのはいい思い出だよ。着替えや食料までは笑えたが、路銀と刃物が木刀だった時はさすがに腹が立って、絡んできた連中をうっかり殺しかけたんだ。君の責任は大きいよ」

「え…えーと、今から謝って間に合うかしら?」

「無理じゃないかな。裁判の後、処刑されていたから」

「ああ…そうなの」


 謝罪できないのが申し訳ないくらいひどい悪戯と八つ当たりだなと、さすがのレティシアも己の行動を振り返ってみる。そんなこと、いわれてみればした気がする。僅かな時間しか一緒にいてくれない父と兄へのささやかな嫌がらせのつもりだったが、お金や武器がなければ仕事にならないのだから、質が悪すぎる。


「本当に今更だけど、ごめんなさい」

「いいや、いい思い出だよ」


 恐縮しきりのレティシアに、グレイはちっとも気にしていないと背を撫でてくれるが、これで益々彼女は混乱した。

 なにしろ、振り返れば振り返るほど幼いレティシアに異性を惹きつける要素がない。寧ろこれまでの求婚者同様、相手にしきれないと呆れて去って行かれるのが関の山。

 こんな娘のどこを取って、嫁になどと世迷言を言うのか。この、引く手数多の男は。

 蕩けるほどの微笑みを訝しんで僅かに身を引いた彼女に、だがグレイは恋する男の眼差しでキスを一つ。


「なっ!!」


 瞬時に赤くなり両手でしっかり唇を隠した娘を引き寄せながら、七年は長かったと吐息混じりに愚痴を零した。


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