【 7 】
小山を駆け下り、僕らは急いで真柴さんの元に戻る。
そして彼女の両脇にそれぞれ腰をかけ、「今のこと全部話したからね」と言って口を閉じた。
さぁ僕の役目はここまで。ここから先はトシさんにバトンタッチだ。
もういいよ、というアイコンタクトをトシさんに送信すると、もう一人の僕は軽く頷き、真柴さんの方に身体を向けた。
「真柴さん」
「は、はい…」
「今、そっちの僕から話は聞いたよ。大変だったね」
真柴さんは俯いた。
「実は僕の家も犬を飼っていてね、二ヶ月前に死んじゃったけど」
―― へ? もしかしてそれってプーギーのこと?
「北原さんも犬を亡くされたんですか……?」
「うん、プーギーっていう柴犬だよ。僕の犬は事故じゃなく老衰だけどね。死ぬ直前の頃は後ろ足も弱って目もほとんど見えなくなっていたよ」
……やっぱりプーギーのことだ。
こっちの世界では二ヶ月前まで生きていたんだな。僕の家のプーギーはそこまでヨボヨボになる前に僧帽弁閉鎖不全という病気にかかったのがもとで去年死んでしまった。
「僕は真柴さんと違ってプーギーが死んだ瞬間を見ていない。僕だけじゃなくて家族全員見ていないんだ。僕らが学校や仕事、ちょっとした買い物に出た、たまたま誰もいないわずかな時間に眠っているみたいに死んでた。僕が生まれた年に貰ってきた犬でさ、それからずっと一緒に育ってきたから死んだ時はショックだったよ。……でもさ、もうすぐ死が訪れるってことを漠然と予感していた場合とそうでない場合とはショックが違うと思う。だからザッシュを失った真柴さんの辛い気持ち、全部は分からないけど想像は出来る。きっと僕の何倍もずっと辛かったんだろうなって思うよ」
「…………」
生前のザッシュの元気な姿、そしてトラックに轢かれて変わり果てた血みどろの姿、その両方を思い出してしまったのかもしれない。真柴さんが悲痛な顔で更に深く俯く。
そしてトシさんはそんな真柴さんに優しく語りかけ続ける。
「でもね真柴さん。辛くても学校にはそろそろ行かなくちゃ。いつまでも家に篭っていたってザッシュは生き返らない。それは真柴さんだってよく分かってるだろ? でもこうやってずっと家に篭り続けてきたから、今度は学校にも来づらくなっているんじゃないかい? 入学してすぐに学校に行かなくなったから友達も出来ないんじゃないかとか、勉強にもついていけないんじゃないかとか、そっちの不安も大きくなってきて、ますます学校に来づらくなっているんだろう? 違う?」
真柴さんは黙り込んでいる。僕は横でハラハラしながら聞いていた。
トシさん、それ、ちょっと責め過ぎっていうか、あまりにもストレートに言い過ぎじゃない?
確かに僕も内心では同じことを思っていたけどさ。
最初は純粋にザッシュが死んだショックで登校出来なかったんだろう。
でも日がどんどんと経つにつれて、この並行世界の内気でおとなしくて引っ込み思案な真柴さんはきっと怖くなったんだ。まだ全然馴染んでいない、中学校という名の新しい異世界に再突入することが。
「でも怖がらなくても大丈夫だよ」
「えっ」
真柴さんが小さく叫ぶ。トシさんが真柴さんの右手をそっと握ったのだ。
へぇー意外と大胆だなぁ、トシさんって! さすが大人びているだけのことはある。
「明日から僕と一緒に学校に行こう。僕が毎日君を迎えに行くよ。大丈夫、誰も君のことをまだ忘れていないし、クラスの女の子たちだってきっと君を受け入れてくれるよ。それに君の席は僕の前だ。だから安心して。僕がいつも後ろから君を見ているよ。何があっても君を全力で守るから」
僕は横で呆気に取られながらその言葉を聞いていた。
あのー、トシさん。今のそれって、もうはっきり言ってカンペキに告白の域に達しているような気がするのですが……?
「真柴さん、僕のプーギーと君のザッシュが天国で仲良く一緒に駆け回っているといいね」
真柴さんの手を握ったままでもう一人の僕は柔らかい表情で微笑んだ。
あぁ、本当に優しい人だなぁ……。
僕に向けられた言葉ではないのに今の言葉は驚くぐらいすんなりと心に入ってくる。きっと真柴さんの心にも届いているはずだよ。
「ど、どうして北原さんは私にそんなに優しいんですか……? 私、北原さんとはほとんど話したことがなかったのにこうしていつも気にかけてくれて……」
桜色の頬ですごく恥らっている真柴さんのその問いに、
「うーん、どうしてなんだろう……。そう言われると上手く説明する言葉が見つからないんだよね。君のことが心配だからなんじゃないかな」
とピントのずれたことを言うトシさん。
違うだろ! あーもうなんだよ、じれったいなぁ!!
鈍いトシさんがもどかしすぎてイライラしてきたので、代わりに今の正しい解答を抜けるような青空に向かってでっかい声で叫んでやった。
「もうっいい加減に気付きなよ! それは君が真柴さんのことを大好きだからだろっ!!」
僕のこの解答を聞いた真柴さんがビックリした顔で僕の方を見ている。そして一方のトシさんといえば、何度も深く頷きながら、
「なるほどそうだったのか……」
と今更のように納得していた。おいおい、鈍すぎにもほどがあるじゃん……。