【 3 】
「あそこが真柴さんの家だよ」
トシさんに連れられてきた僕はその建物を見上げる。
初めて見たなぁ、真柴さんの家。三棟に分かれているちょっと古めのマンションだ。
そしてここに来るまでの道すがら、トシさんは真柴さんの事で知りうる限りの事を僕に話してくれた。
―― 中学に入学してまもなく来なくなってしまったこと。
―― そしてもうすぐ一ヶ月が経つこと。
―― 口数がとても少なくて、あまり笑わない女の子だということ。
―― ご両親は共働きでとても忙しいらしく、一人娘の真柴さんは日中は家でいつもひとりぼっちでいるようだということ。
僕には想像も出来ない真柴さんがこの世界の真柴さんらしい。
「とにかくおとなしい人なんだ。最初学校に来ていた時も、あまりのおとなしさにいるのかいないのか分からない、薄い影法師みたいな人だった」
トシさんは真柴さんに対し、そんな儚い表現をする。
「でもさ、どうして君はほとんど話した事も無い真柴さんの家を知っているの?」
「真柴さんの様子を見に行ったり、プリントを届けに行ったりとかしているからね」
「あ、もしかしてクラス委員なの?」
この世界の僕なら全然おかしくないな。頭良さそうだし、大人びてるし。
「いいや、僕はクラス委員じゃないよ」
「え、違うの? じゃあなぜ君は真柴さんにそうやって色々してあげているの?」
「うーん……、どうしてなのかなぁ。よく分からないけどいつのまにかこうやって毎日真柴さんの様子を見に来るようになってるんだ。今朝も彼女を学校に誘いに行ったんだけど相変わらず出てきてくれないし、きっと僕はあの人に嫌われているんだと思う」
最後の言葉を口にした時、トシさんの横顔がちょっぴり寂しげになった。
「じゃあもしかして通学途中で真柴さんの家に寄り道をしてたせいで遅刻しそうだったの?」
「そうだよ」
ゆったりとした歩幅で歩きながらトシさんは頷いた。その穏やかな歩調に合わせながらこみ上げてくる笑いを必死にかみ殺す。
……なーんだ、結局こっちの僕も真柴さんのことが気になってるんじゃん!
「何がおかしいんだい?」
結局ちょっとだけ笑みがこぼれてしまった僕の顔をトシさんが覗き込んできた。慌てて顔を平常モードに戻す。
「なんでもないよ。思い出し笑い」
しかし今の所どの世界に行っても僕は真柴さんが好きなんだなぁ。我ながら自分で自分がスゴイと思う。
「それでこれからどうするの?」
「学校に来るようにって真柴さんを説得したいんだけど僕じゃ話もろくにしてもらえないから、君も一緒に説得して欲しいんだ。それに僕そっくりの君を見たらビックリして出てきてくれないかなぁと思って」
「そう簡単にうまくいくかなぁ……。先生は何もしていないの?」
「してるよ。この間ここに来て真柴さんと話をしたみたいなんだけど、どうして学校に来ないのか真柴さんが話さないみたいなんだ」
「……もしかしてイジメ?」
「クラス内でそういうことが無かったかって僕らも先生から聞かれたけど、まだ入学したばかりだしそれはないと思うんだけどなぁ……」
トシさんが真剣な表情で頭をひねっている。この世界の真柴さんがとても心配なんだなぁ。
二人並んでマンション前のアーチを通り抜けると、右手に現れたのは管理人さんが日勤している管理事務所。
「おはようございます」
朝の清掃を始めていた初老の管理人さんにトシさんは礼儀正しく挨拶をしている。管理人さんは「おう、また君か」なんて言っているし、なんかもうすっかり顔馴染みたいだ。
管理事務所を抜け、ずらりと並ぶ三つの棟の中でトシさんが足を止めたのは真ん中の棟だった。
「出てきてくれるかな……」
トシさんはそう呟きながら棟のホール内にあるインターフォンのボタンを四回押す。
最後に呼び出しボタンを押した後、たっぷり二十秒は待たされた上でようやく応答が聞こえてきた。
「……はい……」
真柴さんの声だ。間違いない。
でもとっても元気がない。信じられないくらいか細くて、何かに嘆いているような力の無い声。
「真柴さん? 北原だけど」
「……! な、何かご用ですか……?」
「あのさ、君に会いたいっていう人がいるから連れてきたんだ。ちょっと会ってやってくれないかな?」
「……私に、ですか? 一体どちらの方なのでしょうか……?」
トシさんが僕を肘で軽くつつく。前髪をささっと手で整え、立ち位置を交代してインターフォンのカメラに向かって話しかけた。
「あ、あの、初めまして。北原勝利です」
インターフォンの向こうはしばらく沈黙。
「……北原さん、私をからかっているのですか?」
「違う!」「違うよ!」
同時に叫んだ。 でも同じ声でも二人分の声。しかも微妙に発言のタイミングがずれたので真柴さんが「……え?」と呟いているのが聞こえた。そしてぷつりとインターフォンが切られる。
「やっぱりダメか……」
トシさんがやりきれなさそうにため息をつく。しかしその次の瞬間、ホールのドアロックが解除され、扉は音も無く開いた。「あっ開いたよ!?」と僕が言うと、トシさんは良かった、と呟いてさっさと中へと入って行く。
「待ってよ!」
僕も慌てて後を追った。