【 5 】
空き地に向かう足取りがすごく重く感じる。
ケンカに弱いという点は同じでもこの世界の僕は全然違った。ショーリは常に前向きだ。それに引きかえこの僕と来たら。
たった今ショーリに諦めないで頑張れって激を飛ばされたけど、こんなネガティブな僕がどうしてあの真柴さんに告白なんか出来る? きっと僕が告白したって真柴さんのあの澄み切ったオアシスのような笑顔をいたずらに曇らせてしまうだけだ。
美しい泉の中に腐った汚物を投げ入れて濁った波紋を起こしちゃいけない。
だから僕はこのままでいい。
覇気も希望も何も無い、マイナスに対してあからさまに無防備なこのままの僕でいいんだ。
「待て北原!!」
ん? 僕、名前呼ばれた?
振り返るとそこに立っていたのはちょっぴり顔を赤らめた、その頬と同じ色のヘアピンをつけたポニーテールの女の子。
「うわっ真柴さん!? そこで何してるの!?」
「お前が来るのを待ってたに決まってるだろ!」
「ここでずっと!?」
「悪いか!? 制服を着たってことは学校に行くんだろ!?」
「学校!? えと、その、行くような、行かないような……」
学校には行くけど、この世界の芽羊中じゃないんだよなぁ。ここはなんて言えばいいんだろう。
どう答えればいいのか戸惑っていると急に真柴さんがもっと近寄ってきて僕の顔を下からグイと覗き込む。
「……その眼鏡、初めて見るな。さっきかけてたのと違うぞ?」
あ、そっか。僕とショーリの眼鏡って形が全然違うもんね。
「うん、眼鏡はいくつか持ってるんだ」
「その眼鏡は止めておけ。お前に全然似合ってない」
しくしく。ズバリと言われてしまった。どうせ僕にはセンスなんか無いですよー。
「それにバッグはどうした? なぜシャツなんか持っているんだ?」
「あ、これ!? えーと、鞄と間違えて持ってきちゃったのかな。ア、アハハ……」
スクールバッグの代わりに畳んだ芽羊の指定シャツを握り締めて歩いている僕。確かにおかしいよね。
そんな僕の間抜けな返答に真柴さんは一瞬呆れたような顔になった。だけどその表情はまたすぐに硬くなる。
「そ、それより北原! さっ、さっきのお前が私に言った、はっ、発言について聞きたい!!」
「さっきの発言? あぁ、真柴さんのことを好きって言ったこと?」
「おっお前そんなあっさり……!」
僕があまりにもサラリと言ったので真柴さんはまた硬直してしまったみたいだ。あれ、しかもどんどん顔が赤くなってきてる。
「……あ、あれは冗談ではないのか……?」
あらら、とうとう俯いちゃったよ!
しかもとうとう耳たぶまで真っ赤になっちゃった。これって恥ずかしがってるってことだよね、きっと。
でも驚いた。この僕が女の子の前で「好きだ」なんて言葉を上がること無く言えるなんて。
やはりこれは今僕の目の前にいる真柴さんが僕が好きな真柴さんでは無いことと、僕がこの恋愛の当事者ではなく、第三者的な立場、ぶっちゃけ野次馬的心境でいるからだろう。
―― そしてこの時、僕の胸にムクムクと、助っ人的心境が湧き起こってきた。
手助けできるかもしれない。この世界の僕のために。
僕のいるべき世界では僕は臆病なミジンコだけど、この世界でなら僕は僕ではないから、少しぐらいの勇気は頑張れば出せるかも。
たった一人でガラの悪い大人たちに立ち向かっていったショーリのようなあんなすごい勇気までは出せないけど、今僕なりの精一杯の勇気をこの世界の真柴さんにぶつけてみよう。紅い勲章を持つもう一人の僕のために。
言葉を出す前に大きく息を吸う。
すぅ、はぁ、すぅ。……よ、よし、行くぞーっ!!
「まさか!! 冗談でこんなこと言えないよ!! 僕は、本当に好きなんだ!! 真柴さん、君のことがっ!!」
い、言えたぁ――――ッ! ショーリ、君のためにと思ったら言えたよ!!
「北原っっ!!」
「ハ、ハイ!? うわぁああああっ!?」
…………あの、どうしたらいいのでしょう、真柴さんがいきなり抱きついてきたのですが……?
思考回路が完全オーバーヒート。
いくら蓮っ葉だから、乱暴だから、とは言っていてもそれでも真柴さんは真柴さん。
そんな彼女に抱きつかれて頭の中は真っ白。
あぁ、真柴さんの胸が僕の鳩尾辺りにぷにぷにと押し当たっています。幸せすぎて死にそうです。
でもこの幸せに浸っていてはいけないってことだけは分かる。
真柴さん、申し訳ありませんがターゲットが間違ってます。君が飛び込むべき相手は僕じゃない。こんなしょうもない僕じゃなくてこの世界の勇敢な僕、ショーリなんだ。
「真柴さんっ、ちょっ、ちょっと待って!」
渾身の力を込めて真柴さんを体から離した。あぁもったいない。けど仕方ない。
「ど、どうした北原……?」
「あのね、僕これからちょっとだけ用事があるんだ。それ急いで済ませてからもう一度会おう? 三十分後にまた僕の家に来て欲しいんだ。いい?」
「うんっ行くっ」
頬を染めてコクリと素直に頷く真柴さん。
あぁっ可愛い!! 突っ張っていた娘がこうやって急に従順になるっていうシチュエーションもいいかもいいかもー!
「じゃ急いで用事済ませてくるね! また後で!」
走ってその場を離脱。
良かった、僕の頬に殴られた傷がないことに真柴さんが気付く前に逃げ出せることができたよ。このダサい黒ぶち丸眼鏡に真柴さんが気を取られたせいもあるかもしれない。似合ってないって言われてショックだったけど、今はこの眼鏡に感謝だ。
行き先を真柴さんに悟られないようにちょっとだけルートを変えてこの世界の自宅に戻る。
玄関に出てきたショーリのは僕の姿を見て顔色を変えた。
「あれっ君どうしたの!? まさかやっぱり戻れなくなったの!?」
「違う違う! 帰る途中で真柴さんに会ったよっ」
「真柴さんに!?」
「うん。そんでさ、真柴さんがさっきの君の告白は冗談かって問い詰めてきたから本気だって言っておいたよ。余計なことだった?」
僕のこの報告を聞いたショーリが緊張した顔でゴクリと唾を飲み込む。
「そう言ったら真柴さんは何て言ったんだい?」
「真っ赤な顔で抱きついてきたよ」
「ほ、本当っ!? ……ってちょっと待ってくれよ! 抱きついてきたってどういうことさ!?」
―― あ、声の調子が変わった。
「だってしょうがないじゃん! いきなりだったから避けられなかったんだもん! でも僕もこれはまずいと思ったから三十分後にもう一度家に来て、って言って別れたんだ。だからもう少ししたら真柴さんここに来ると思うよ」
「まっ、真柴さんがまたここに来るの!? う、うん、分かったよ! ……君に一応はありがとうと言うべきなのかな」
「ううん、いらない。だって僕何もしてないし。頑張っているのは君だもん。じゃあね」
さっさと用件を言うと僕は今度こそショーリの家を後にする。
……なんだろう、この脱力感。
さっきまでショーリの想いが届く事を願って、代役だけど真柴さんに必死に告白したのに、今は空しさという空っ風が僕の心の中をブリザードのように舞っている。
本当に僕は救いようの無い人間だ。だって分かるもん。僕の中のこのブリザードが何の作用で巻き起こったのかが。
―― 妬み。
たった今、おそらくショーリは真柴さんと両思いになった。僕はそれが妬ましいんだ。妬ましくて羨ましいんだ。
僕が自分の世界でどんなに願っても必死に祈っても絶対に届くことのない真柴さんへの思いが、この世界のショーリは通じちゃったことが悔しいんだ。
自分は何もしていないくせに、ショーリのように前向きに努力しているわけでもないのに、こうやって妬むことだけは一人前、最強クラスの僕。本当に最低だよ。