2章-2 魔犬の襲撃
舗装道路を真っ直ぐに進むと、三叉路に行き当たった。それまで道の左右に点在していた廃屋が途切れたところを見ると、スタート地点から三叉路までが、かつてはひとつの集落だったらしい。
三方向へ伸びる分かれ道を前に、僕たち七人はもう一度顔を見合わせた。
他に進むべき適当な道が見当たらなかったので、ここまでは皆で揃ってやって来た。しかしこの先は違う。
ゲーム続行はすでに決まっている。今からはまた、お互いが競争相手となるのだ。五千万円をかけたゲームが再び始まろうとしている。
「それではみなさん、フェアプレイで頑張りましょう。誰が財宝を手に入れても、恨みっこはなしですからね」
そう告げた司馬の態度には、努めて明るく振舞う固さがあった。五千万円を“財宝”と言い換えたのも、司馬らしい気の使い方なのだろう。
だが僕たちの間に漂うぎすぎすとした空気は、もはやその程度の努力でどうにかなるものではなかった。ライバル意識と言えば聞こえはいいが、それはすでに敵意とも呼べるものと化して、僕たちを煽り立てているようだった。
男の死については、最初にゴールした者が知らせるということが確認された。それで短い話し合いは終了した。
まだ全員がひとかたまりとなったまま、三叉路へと進んだ。
突然、どこかで乾いた音が鳴った。竹を打ち合わせたような、軽くよく通る音色だった。
「くそっ、何かの線に引っ掛かっちまった」
先頭を歩いていた多賀が罵ったとき、遠くから騒がしい吠え声が近づいてきた。
犬だ。真っ黒の大型犬、それも数頭。牙を剥き出して疾走してくる。
そう見て取ったときには、すでに僕たちは犬の集団に肉迫されていた。
町で見かける飼い犬のような柔和な気配は微塵もない。僕たちを攻撃対象としていることは一目瞭然だった。
悲鳴を重ね、全員がてんでばらばらの方向へ逃げた。
気がつくと僕は舗装道路を引き返していた。走りながら振り返ると、犬たちは三叉路へすでに到達し、それぞれが見定めた相手へと向かうのが見えた。
もちろん僕だけが見逃されるはずはない。ニ匹の犬が咆哮を上げながら、舗装道路を駆けて来た。
追いつかれる。そう直感した僕は、脇道へ逃げ込んだ。
近くの廃屋が目に付いた。廃屋といってもL字型に壁が残っているだけだ。
僕はその壁を回りこみ、内側に身を隠した。元は風呂場だったらしい。タイル張りの床が地面に残っていた。
ふと見ると、そばに真新しい段ボールの空箱が転がっていた。側面にはマジックで「宝箱」と書かれている。これに現金入りの封筒が入れられていたらしい。すなわちここは、誰かに探索されたあとということだろう。
犬の鳴き声はまだ聞こえていた。早くどこかへ行ってくれ。そう願う僕の耳に、言葉にならない叫び声が届いた。
すぐ近くだと分かった。誰かが襲われている。
もしかして香澄かも知れない。そう思いついたとき、僕は廃屋を飛び出していた。
お互いを決して見捨てない。僕たちは指切りで約束した。
舗装道路まで急いで戻る。悲鳴の主はすぐに見つかった。
ユマノンだ。二匹の犬に囲まれている。
犬たちは今にも跳びかかろうとしている態勢だった。それを地面に倒れたユマノンがアーチェリーの弓を振り回して牽制している。
何か武器は――と探して、腰の剣を思い出した。僕は剣を抜くと、大声を上げて犬たちに向かって行った。
突然の乱入者に、犬たちが後退る。僕はユマノンの前に立ち、喚きながら剣を無茶苦茶に振り回した。
だが犬たちは一定の距離を保ちながら、決して逃げようとしない。ばかりか唸り声をくぐもらせ、より獰猛な戦意を高めているようだった。
「ユマノンさん、早く立って! 逃げるんだ!」
叫んだものの、どこへ逃げればいいのか僕自身もわからなかった。
そのとき、目の前で火花が炸裂した。犬たちが怯えた声を上げて飛び跳ねた。
「平介、今のうちよ!」
道路を挟んだ向こう側に香澄がいた。手には打ち上げ花火を持っている。
花火からは次々と光弾が発射された。それがアスファルトの地面に跳ね、火花と煙を撒き散らす。犬たちはけたたましい声で叫びながら逃げ惑った。
僕は腕を取ってユマノンを立たせ、香澄の元へ走った。
弾ける光と、火薬の臭いの立ち込める煙の向こうへ、犬たちの声が遠ざかる。香澄は二本目の花火に点火し、なおも攻撃を続けた。
やがて花火が燃え尽きたとき、犬たちの姿も消えていた。遠くへ追い払うことができたようだ。耳を澄ましても、もう咆え声は聴こえなかった。
「助かったよ」
肩で息をつきながら礼を言うと、香澄は興奮した顔に笑みを咲かせた。
「見捨てないって約束したじゃない」
再び犬が戻ってくることを警戒して、僕たちは近くの廃屋へ移動した。犬の嗅覚を前にどれほど効果があるのかはわからなかったが、道端に身をさらしているよりはマシだろうと考えた。
まず僕たちがしなくてはならないのは、ユマノンの手当てだった。ユマノンは犬に左下腕と右足のふくらはぎを噛まれていた。どちらも重傷というわけではなかったが、はっきりと牙の跡がついていた。
香澄が数種類の薬を持参して来ており、ユマノンの治療はそれで行った。とは言え、施せた処置は傷口に消毒液を塗り、ガーゼを包帯で巻くことぐらいだ。
ユマノンは涙を流しながら、僕と香澄に何度も頭を下げた。犬に襲われたことに、かなりの衝撃を受けたのだろう。混乱し、取り乱すユマノンを落ち着かせるのには、しばらくの時間が必要だった。
手当てを終えた香澄は、神妙な顔を僕に向けてきた。
「あの犬の群れって、偶然に野犬がやって来たわけじゃないわよね」
「直前に多賀さんが、何かに引っ掛かったと言ってた。それにカラカラと音が鳴っただろ。あれが犬を呼ぶ合図だったんだと思う」
「じゃあやっぱり、ゲームの一環としてわたしたちを襲わせたってこと?」
「だろうね」
僕が首肯すると、香澄は語気を強めた。
「こんなの、遊びの範囲を超えてるわ。五千万円やるんだから、多少の危険は覚悟しろってこと?」
確かに犬の襲撃だけでも冗談では済まされないことだ。実際にユマノンは負傷してしまった。
でも、と僕は思う。本当にそれだけだろうか。あの男の不可解な死はゲームに無関係なのか。僕はあまりに不吉な予感に、ひとり慄然としていた。
「ねえ、これからどうする? この際、お金のことは諦めて、ここにずっと隠れておくのもいいかもよ」
香澄はしぼむような声でそう言った。犬と対峙しているときは勇敢に見えたが、やはり内心には相当の恐怖があったのだろう。
だが僕は香澄の提案を、否定しなくてはならなかった。
「このゲームは隠れてやり過ごせるほど、甘いものじゃないという気がするんだ」
どうして午前五時という時間制限が設けられているのか。
ゲームを長引かせ過ぎないように、夜が完全に空ける前までのところで区切っただけかもしれない。
しかし僕にはそこに、もっと深い意思が含まれているような気がしていた。つまり、隠れて時間を待つというような、消極的な態度を禁ずるといった意思が。そう考えると、佐々木の言っていた「勝者のないまま強制終了」という言葉も不気味に響いてくる。
そして何よりわからないのは、ベルたちがどういう意図でこのゲームを計画したかということだった。これだけの準備をするだけでも、相当な労力と金銭を使ったに違いない。そこまでのことをして、このゲームを行う理由は何なのか。それが分かれば、他の多くのことも見えてくるように思う。
だけど、と香澄が躊躇うように言った。
「このまま闇雲に進んでいくのは危険過ぎるわよ。何か対策を考えないと」
「それは僕も同意見だ。けど……」
言葉が続かなかった。対策といっても何をすればいい?
「あの、ちょっといいですか」
遠慮気味にユマノンが口を挟んだ。まだ表情は暗いものの、その目はすでに落ち着きを取り戻している。
「ある程度の危険は、予測できるんじゃないかなと思います」
「え?」
僕と香澄は驚きの声を上げた。ユマノンは痛みに顔をしかめながら続けた。
「おそらくここは最終迷宮をそのまま再現してるって思うわけです。あの運転手さんは賢者の亡霊役、さっきの犬は最初に登場するモンスターであるヘルハウンドってことじゃないかと。まあ、僕の勝手な推測なんですけど」
自信なさそうなユマノンの口振りだったが、僕にはそれで閃くことがあった。
「それであのノートパソコンが……」
つぶやく僕に香澄が素早く反応した。自分のリュックから支給されたノートパソコンを取り出し、電源を入れる。僕たちは動けずにいるユマノンを囲むように集まり、その画面に見入った。