1章-6 旅立ちの準備
【ここから読まれる方へ ~簡単なあらすじ紹介~】
ニートで引き篭もりな主人公は、カリスマゲーマーの「ベル」の誘いを受け、オフ会に参加することになりました。
そして、いよいよゲームが始まります。
ゲームの参加者は、主人公(プレイヤー名:ニト)のほかに、
①美人だけど謎のあるライデン
②社交的な青年のジャンヌ
③ゴスロリな女性のエルフェン
④学者肌の司馬
⑤肉体派の多賀
⑥オタクっぽい青年のエマノン
⑦DQNぽいサブロー
の、合計八人です。
それでは殺人ゲームスタートです。
日が完全に沈み、さらに時間が経つと、辺りは暗闇の支配する世界へと変貌した。
森は黒いひとつの塊となり、山の輪郭は夜空を透かしてみることでしか確認できなくなる。でも無数に散らばる星たちの輝きは素晴らしかった。空には星があることを、久しぶりに思い出した気がした。
スタッフたちが片づけを進めるのを横目で見ながら、僕たちは飲み物を片手に談笑を続けていた。テーブルにあった料理もすでに下げられていて、今はランタンが並んでいるだけだ。テントも順にたたまれているのは少し意外だった。僕たちの寝床として用意されているのだとばかり思っていたからだ。
ライデンからは未だに、昼間の説明を聞くことができていない。ずっと気になっていたからどうにか聞き出そうとしていたが、機会の見つけられないままずるずると今に至っていた。
だが自分の憶測が正しければ、そのうちに何かの発表があるはずだと僕は考えていた。
予想は当たっていた。
「さて冒険者のみなさん、いよいよ旅立ちのときが近づいて参りました!」
スタッフたちによる片づけがほぼ終わりかけた頃、佐々木が高らかに宣言した。皆が何事かといっせいに注目する。八人分の視線をたっぷりと浴びてから、佐々木はベルにあとを譲った。
ベルは少し言葉を探してから、口を開いた。
「まずは問題。実は今日集まってもらったみんなには、ひとつ共通点があるんだけど、それって何だかわかる?」
誰からの答えも待たずに、ベルは目を細めて言った。
「それはね、みんなが心の底から本物の冒険を求めてるひとばかりってことなんだ。今までにボクが『ウロボロス』の世界で出会った冒険者は、それこそ数え切れないほどいるよ。でもね、本当に冒険を欲しているひとってのはなかなかいない。にせものばかりさ。でもみんなは違う。真の冒険者だ」
ちょっと大げさな前口上だな。そう思って微笑みかけた僕だったが、周りの空気に口元を引き締め直した。どうしたことだろう。誰もが真剣にベルの言葉に耳を傾けている。そこには緊張感さえ孕んでいるようだった。
「だからボクは、みんなに本物の冒険を楽しんでもらおうと思うんだ。それが真の冒険者という尊敬する者に対して、ボクができる最高のプレゼントになると考えたからだよ。きっと気に入ってもらえると思う」
ベルの言葉を聞きながら、僕はまだ状況が飲み込めていなかった。だが口を挟めるような雰囲気でもない。みんなはすでに了解済みであるかのように聞き入っている。
もしかして何も知らされていないのは、僕だけなのかもしれない。ちょっとした疎外感を味わいながらも、仕方なく僕は黙ったままでいた。
ベルが再び佐々木をうながした。佐々木は一礼してから、取り出した紙を読み上げ始めた。
「それでは冒険のルールを説明します。まず舞台となるこの地について説明しますと、ここはとある廃村です。お察しのこととは思いますが、山深い場所でして、通り抜けできる道もありません。つまり山に囲まれた行き止まりの場所となってます。そして今いるこの場所は、村の中でも一番奥に位置しています。要するにこの村から出るには、ここをスタート地点として村を縦断し、向こう側まで行かなくてはなりません」
説明しながら佐々木は暗闇に沈む向こうを指差した。
「さてみなさんには、村を越えたところにあるゴールを目指して頂くわけですが、その途中には色々な怪物が登場します。何と言っても最終迷宮ですから、怪物も強いやつばかり。どうぞお気をつけ下さい。しかし困難と危険ばかりではありません。迷宮内にはそれぞれの場所に宝物が眠っています。また怪物を倒すことでも様々なアイテムが入手できるでしょう。冒険を有利に進めるためには、怪物を積極的に倒すことが近道となるかもしれません」
なるほど、そういうことか。僕はようやくオフ会の本当の目的を理解した。
――心を同じにする仲間たちといっしょに、冒険の世界を実現させてみませんか。
ホームページの言葉にそうあったように、まさに『ウロボロス』の世界を現実のものとして楽しもうというわけだ。
何という大掛かりで凝った企画だろう。僕は興奮と期待が膨れ上がるのを感じた。
「もちろんゲーム中と同じで、ひとりで行くも良し、パーティーを組むのも自由です。もちろん、パーティーを組めばそれだけ取り分は減りますけどね。あと注意事項としては、村の外――山の中へは入らないようにして下さい。迷うこともあるでしょうし、非常に危険ですからね。あとお伝えすることは……」
少し思案顔を作ってから、佐々木は手を打った。
「そうそう。ゲームには時間制限がありまして、明朝の五時で時間切れとなります。その時点で誰もゴールされていない場合は勝者のないまま、強制終了となりますのでご了承下さい」
今が八時半だから、ゲームの時間はおよそ八時間ということになる。夜を徹してということになるが、その点はさして気にならない。いつもネットでゲームをしているときと同じだと思えばいい。
「以上なんですけど、質問はございませんか?」
佐々木の問いかけに、サブローが挑むような口調で訊いた。
「お宝って言うけどさ、具体的にはどんなものなんだい? オモチャやお菓子ってわけじゃねぇよな」
「まさか、そんな失礼なことはしないよ」
ベルはこともなげに答えた。
「宝物は全て現金さ」
逆に驚かされた。現金を用意しただって? 僕にとってはそっちの方が“まさか”だった。どうやらゲームは思っていた以上に本格的らしい。
さらにベルは、一枚の透明なプラスチック板を取り出して続けた。
「迷宮の半ばには“賢者の塔”が建っているんだけど、そこには最高の財宝が眠ってるんだ。その財宝ってのがこれだよ」
ベルがプラスチック板をサブローに手渡した。板は二枚重ねになっていて、その間に一枚の紙切れが挟まっていた。
板を受け取ったサブローはそこにある紙切れを凝視した。隣にいたライデンと多賀がいっしょにそれをのぞき込む。三人はほとんど同時に驚愕の声を上げた。
「これって、マジかよ……?」
呆然となるサブローからジャンヌが板を受け取り、エルフェンといっしょに目を落とした。結果、エルフェンこそ無表情を貫いていたが、ジャンヌは僥倖に出遭ったような笑みをこぼした。
やっと僕の番だった。残る司馬、ユマノンとともに紙切れを調べる。
プラスチック板に挟まれているのは横長の紙だった。クリーム色の下地に、精巧な模様が複雑に印刷されている。そして中央には機械で打ち込まれたと思われる数字が並んでいる。
「……ま、まさか」
そう、これは小切手だ。そこに打ち込まれている数字は五千万。
信じられない。五千万円だ。この紙切れが五千万円。そこにあるのは紛れもなく、五千万円の小切手だった。
「どう? すごいでしょ」
いたずらを成功させたようにベルが笑った。しかし僕にはその笑顔が、一転して悪魔的なものに見えた。まだどこか半信半疑のまま、とんでもないことになったという感覚があった。
僕の手から小切手を取り戻したベルは、それを頭上に掲げて宣言した。
「もちろん、これは手に入れた冒険者のものだよ。ボクは決して嘘はつかないからね」
佐々木も営業スマイルのまま、平然と付け加える。
「他にも迷宮内には合計で一千万円の宝が眠っています。みなさん、一攫千金の気持ちで頑張ってくださいよ」
僕はぼんやりとした思いに囚われていた。その間にも、話はお構いなしに進んでいく。
これでいいのか? 僕は助けを求めるように周りのみんなを見た。が、誰一人、同じ疑問を持っている者はいないようだった。上気した顔つきで、熱心に話を聞いている。
僕は薄ら寒いものを感じた。五千万円という金額の持つ魔力がみんなを絡めとり、変質させてしまったようだった。
佐々木の合図を受けてスタッフが荷物を持ってやって来た。
スタッフからは各自の荷物に併せて、ビニール袋とノート型パソコンが手渡された。袋の中にはコマーシャルでもお馴染みの携帯食料が三箱と、二リットルボトルの水、虫除けスプレーが入っていた。
「ゲームは長丁場が予想されますからね、とりあえず最低限の食料と水を用意させて頂きました。迷宮内でも入手可能となっておりますので、もしもこれだけじゃお腹が減りそうだったり、喉が渇きそうだと思う方は、是非とも探してみてください」
佐々木の説明に続き、ベルがパソコンについて説明した。
「PCはボクからのプレゼントだよ。中にはひとつだけファイルがあって、そこに最終迷宮についての情報を入れておいたんだ。ボクは最終迷宮にたどり着いたばかりのひとだけに声をかけていたから、ここにいるみんなはあまり情報を持ってないよね。だから、これからのプレイに役立ててもらえると思うよ。もちろんお持ち帰りでいいからね」
最終迷宮である“死と再生の魔都”は、『ウロボロス』におけるそれまでの迷宮とは比べものにならないぐらいに広大で、困難だと聞いている。それだけにベルの情報は『ウロボロス』をクリアするための手助けとなるに違いない。
しかし正直に言えば、受け取るのは帰り際の方がありがたかった。いくら持ち運びに便利なノート型だからといっても、三、四キロの重さはある。二リットルの水と合わせれば、持っているだけでも一苦労だ。
しかもノートパソコンは今どき見かけないほどの旧式だった。ドライブもDVDではなく、3.5インチのディスクのみの対応となっている。持ち帰ったところでこんなパソコンを使う機会はないだろう。
どうにもちぐはぐな印象を受けながら、しかし注文をつけるわけにもいかず、僕はそれらの品を自分のリュックに詰めた。
「それじゃ、いよいよみんなには本物の冒険者に変身してもらおうかな」
ベルはそう言って、ひとりずつの名を呼び始めた。
まず最初に呼ばれたのはジャンヌだった。ベルの言った“変身”の意味はすぐにわかった。進み出たジャンヌにベルが手渡したのは、剣と盾だった。
一般にはあまり知られていないだろうが、ファンタジー世界のアイテムを模したグッズを売っている店がある。そこでは様々な衣装を始めとして、アクセサリーや呪術の道具、薬草といったもの――どれほど効力があるのかは知らないが――が取り扱われている。
用意されていた剣と盾も、その手の店から購入したものだろう。だが決して安い買い物ではない。模造刀なら一振り数万円はするはずだ。僕は今さらながらゲームにかけられた異常なまでの熱意を感じ、すくむような思いを味わっていた。
次に多賀とユマノンが呼ばれた。ふたりの職業はアーチャーだ。そして渡されたのは、アーチェリーで使う弓と矢だった。
遊びで使うのは危険ではないだろうか。思ったが、やはり口を閉ざしていた。自分が人形にでもなったような情けない気分になる。
続くは女性陣のふたりだった。職業はライデンが魔術師で、エルフェンは僧侶だ。
「ふたりには魔法の代わりとなるものを用意しておいたからね」
ベルがふたりに渡したのはポシェットだった。肩から斜めがけをするためのベルトが付いている。なぜか大小の差があり、大きい方はライデンに、小さい方がエルフェンに渡された。
魔法の代わりとは一体何だろう。思いを巡らせてみたものの、中身については想像もつかなかった。
忍者であるサブローと司馬に支給されたのは、短剣と手裏剣だった。短剣は刃の湾曲した和風のデザインで、手裏剣も赤や白で着色されたカラフルなものだ。やはりともに市販されているものだろう。それにしても本物の忍者じゃあるまいし、手裏剣などどう使えと言うのだろう? 僕は他人事ながら思わず考え込んでしまう。
最後に僕が呼ばれた。
「ニトさんには特別にこの剣を用意したんだ」
受け取った剣を見て、僕はベルの言う“特別”の意味を理解した。剣の鞘にはびっしりと並んだ鱗の彫刻、柄では竜が翼を広げて咆えていた。
「ドラゴンスレイヤーですね」
「そういうこと。見つけたとき、これは絶対にニトさんのものだって思っちゃったんだ。ねえ、装備してみてよ」
言われるまま、僕はドラゴンスレイヤーを腰に下げた。鞘に付属している分厚い皮ベルトを腰に巻きつける。盾は円形のもので、腕を通すベルトと、内側から握る取っ手で固定するようになっていた。
剣と盾を装備すると、にわかに本物の戦士となった気分がしてきた。が、かなりの重量がある。さらにリュックを担いで行動するのだと思うと、手放しに喜んではいられなかった。
ベルはそっと僕の手を引いて顔を近づけさせると、小声で言った。
「主催者のボクがこんなこと言っちゃいけないんだろうけど、ニトさんにはすごく期待してるからね」
はあ、と曖昧に答える僕に、ベルは真剣な眼差しを向けていた。
「絶対に勝ち残って、ボクのところまで来てね。迷宮の奥で待ってるから」
いろいろと言うべきことや訊くべきことがあったはずだったが、結局、僕はうなずいただけでそのまま引き下がった。
最後にもう一度、佐々木が質問の有無を確認した。もう誰も手を挙げなかったし、僕もそれに倣った。
五千万円のかかったゲーム。常識では考えられないと思う一方で、参加するしかないのだという思いが僕を支配している。
ベルから再び合図を受けた佐々木が、大切なことを忘れていたかのように、慌てた手つきで僕たちひとりずつに封筒を配った。
中を確かめて驚いた。ニ十万円が入っていた。
「往復の交通費です」
佐々木は短くそう告げた。多すぎる金額については、誰も何も言わなかった。言葉も出ないというのが実際のところだろう。
これから始まるゲームが嘘ではないことを、僕はまざまざと見せつけられた気がした。
「それではみなさん、冒険の開始は三十分後になります」
佐々木がそう言って、テーブルの上に目覚まし時計を置いた。
「この時計が鳴りましたらスタートです。それ以前にこの広場を出られますと失格になりますので注意してください。では、私からの説明はこれで終わります。長々とご清聴ありがとうございました」
片手を胸に深く頭を下げて、佐々木が話を締めくくった。
並んでやって来た二台のワゴンにスタッフたちが乗り込んでいく。一台は僕たちが乗ってきたもので、もう一台は始めから広場に停めてあったものだ。また気になって運転席をのぞいたが、やはりどちらの車にもあの男の姿はなかった。
「じゃあみんな、本物の冒険を思いっきり楽しんでよね」
ベルは車椅子ごと専用キャリアーに運ばれている間、ずっと手を振っていた。乗車が完了したあとも、窓を開けて別れを惜しんだ。
子供らしい人懐っこいところもあるんだな、と思う一方で、手を振るベルの懸命さが不思議でもあった。それがまるで、もう二度と会えない相手に対するかのようだったからだ。
僕たちも手を振って見送る中、ワゴンは広場から去って行った。
急に静けさが辺りに満ちた。寒いはずもないのに、僕は思わず自分の肩を抱いていた。