1章-5 晩餐
呼んでいる。そう気づいた直後、激しい揺れに襲われた。はっとなって目を開けると、ライデンの顔が近くにあった。
「着いたわよ、ニトさん」
そうだ、僕は寝ていたんだ。でも随分と早かったな。ぼやけた頭でそんなことを思いながら外を見ると、すでに空の色は夕方のそれへと変わり始めていた。携帯電話を取り出して時刻を確認すると五時半になっている。
もともと眠りの浅い僕にしては、珍しく深い眠りを貪っていたようだ。そう認識すると、気力と体力がすっかり回復した気になった。
長い道中で皆も疲れていたらしい。まだサブローと多賀が眠りこけていた。多賀を揺り起こしている司馬と挨拶を交わしながら、僕もサブローを起こすことに努めた。
目を開いたサブローに到着を告げてから、車を降りた。すぐに自分たちのいる場所が山の合い間なのだとわかった。どの方角へ目を向けても、取り囲むように山が鎮座している。
僕たちがいるのは広い空き地だった。駐車場で言えば、車が三十台ほどは停められるだろうか。山を切り崩して作られた場所らしく、地面はむき出しのままで、広場の境界線には木々が迫っていた。
どうやらこの広場がオフ会の会場となるらしい。中央にはキャンプ・ファイヤーよろしく綺麗に積み上げられた薪が炎を上げており、その周囲にコンロやテーブルが用意されていた。
幾つかのテントも張られていた。ロッジ型テントとイベントなどで使う四脚の大型のものが、燃え盛る薪を中心に少し距離を取って設置されている。また離れたところには簡易トイレもあった。アウトドアだと片付けるには、随分と本格的な会場だと言えた。
地理で言えばどの辺りになるのか、まるで見当もつかなかった。どこかのキャンプ地というわけでもない。その証拠に外灯のひとつも見つけられない。
あまりにも静かで辺鄙なところだ。ひとの声も僕たちのもの以外は聞こえない。
でもそれは決して悪いイメージではなかった。西に傾きつつある陽の下で見る山々は、雄大さと寂しさを共存させ、心に沁みるような感慨を与えてくれたし、森の匂いが混じる空気は肺を清涼感で満たしてくれた。また高所であるのか気温も穏やかで、汗とも無縁でいられそうだった。
やっぱり来てみて良かった。僕は自然の風景を前に、素直にそう思えた。
「みなさん、長旅お疲れ様でした。ご案内致しますので、各自、荷物をお持ちになって頂けますでしょうか」
佐々木の声に、皆で車のうしろへ回った。
僕は面食らった。佐々木は先ほどまでのスーツ姿と打って変わり、いつの間にか茶色いローブに身を包んでいた。その姿はまるで、と僕が思いついたとき、同じことをジャンヌが口にした。
「いいですね。魔術師ですか」
そう、佐々木の格好は『ウロボロス』に登場する魔術師そのままだった。首には五芒星のペンダントがぶら下がり、腰はこぶし大の珠がついた紐で縛られている。あとは杖を持てば完璧というところだ。
佐々木は照れたように笑った。
「いわゆるコスプレというやつでして。これも皆様に楽しんでいただくための演出というわけです」
ふと思いつき、僕は運転手の男を探した。だがすでに車はもぬけの殻で、近くにも男の姿はなかった。やはり運転手として雇われていただけなのだろうか。少し気になったものの、もう深くは考えなかった。
荷物を受け取ってから佐々木に導かれ、僕たちは広場へと案内された。
近づくにつれ、誰からともなしに感嘆の声が洩れた。木のテーブルと丸太の椅子が用意され、テーブルの上には凝ったデザインの食器類とランタンが置かれている。片隅には大型のクーラーボックスが並べられ、冷凍保冷材とともに様々な食材とアルコール類を含む飲み物が詰められていた。冒険者たちが晩餐するなら、きっとこんな風だろう。そう思わせるだけの雰囲気が漂っていた。
「それではまず、スタッフをご紹介しましょう」
佐々木が傍らに置かれたラジカセのスイッチを入れた。
音楽が流れ始める。その曲に、誰もが周りと顔を見合わせた。もう頭で演奏できるほどに聴きなれた『ウロボロス』の楽曲だった。
壮大さを感じさせるオープニング曲が流れる中、ロッジ型テントの入り口が開かれ、中からひとが整列して現れた。
全員で四名。驚いたことに、その誰もが『ウロボロス』に登場するキャラクターのコスチュームを身にまとっていた。かつらに付け髭までが使われており、ただ服装を真似たというレベルを超えている。
「何だか本当にゲームの世界に来た気分になっちゃうわね」
隣でつぶやくライデンの言葉に僕もうなずいた。M駅のことやスタッフの格好をはじめとする会場の演出を思うと、主催者側の並ならぬ熱意を感じ、圧倒される思いだった。
佐々木は四人をバーベキューにおける世話係だと説明した。佐々木がスタッフの主任であり、彼らはその下で働いているということだ。恭しく頭を下げる四人に、僕たちは拍手を送った。
「では次に、今日の主催者をご紹介したいと思います。皆様、どうぞ温かい拍手でお出迎え下さい」
さらに盛大な拍手が沸き起こる中、開かれたままになっていたテントの奥から、何かの電動音が低く響いた。
出てきたのは小柄な男の子だった。年は十一、ニ才というところだろうか。チャック式の白い上下の制服を着ていた。
男の子は車椅子に乗っていた。四輪の電動式のもので、モーターが機械的な唸り声を上げている。
一同に戸惑いの空気が流れ、すっと拍手が小さくなった。
集まった僕たちの前に車椅子が停車する。男の子ははにかみながら、車椅子の上で頭をぺこりと下げた。
「みなさん、始めまして。そして迷宮の最下層へようこそ。ボクがベルです」
男の子は弾むような口調でそう名乗った。子供らしい無邪気な笑顔だった
だが僕たちは沈黙のまま、困惑するしかなかった。冗談に引っかからないように警戒するような、そんな気持ちだ。この子があの伝説のプレイヤーだって? そんなまさか。湧き上がる疑念に、僕はただ目を瞬かせているしかない。
戸惑いを露わにしながらも、口を開いたのは司馬だった。
「ええっと、君があのベルなのですか? “白の聖騎士”と呼ばれている?」
男の子は朗らかに笑いながらうなずいた。
「みんなが戸惑うのも無理ないと思うけど、ボクが正真正銘、本物のベルだよ。最終迷宮でみんなと会ったのも、もちろんボク。まあ証拠なんてどこにもないから、信じてもらうしかないんだけどね」
「じゃあひとつ質問」
手を挙げたのはジャンヌだった。ジャンヌは自分の名を告げたあと、問いかけた。
「ゲームの中で会ったとき、ベルさんは冒険者の装備を全部憶えてるって言ってたよね。そこで聞きたいんだけど、僕がベルさんと初めて会ったときの装備はどうだったかな?」
なるほど鋭い質問だ。確かにベルはキャラクターの顔パターンと装備を組み合わせて暗記していると言っていた。少年が本当にベル本人で、その言葉が嘘でないのなら、答えられるはずだった。
僕たちが注目する中、少年はすまし顔を作った。
「上からグレイスヘルム、バクラー・アーマー、凶戦士の籠手、疾風のブーツ。武器はハイエンドスピアで、盾はギャンシールド。ちなみに顔パターンは女性キャラのナンバー二十八で、長い赤髪に鳶色の瞳の少女。そしてボクは雷神の籠手をプレゼントしたんだ」
皆の視線がジャンヌに転じる。ジャンヌは目をぱちくりとさせてから、降参と言うように肩をすくめた。どうやら正解だったらしい。
少年はさらに続けた。
「このメンバーの中で戦士の職に就いているひとはもうひとり、名前はニトさん」
僕はどきりとして少年を見返した。さっきと同じように、少年は淀みなく僕の装備と顔パターンを言い当てた。
「大正解です」
僕は驚きを隠せないまま、そう告げた。途端に少年が顔を輝かせた。
「君がニトさんなんだね。今日は参加してくれてありがとう。誘ったのがあまりに急だったから心配してたんだけど、エントリーしてくれたとわかったときは本当に嬉しかったよ」
少年が車椅子から身を乗り出して伸ばしてきた手を、僕は前へ進み出て握り返した。
そして気づいた。少年の右足が義足であることを。
「すごく会いたかったんだ」
少年の笑顔には心からの歓迎があるように見えた。その表情には暗さの欠片も見つけられない。
もしも自分の足が不自由だったとすれば――そう考えたとき、僕は少年と同じように笑える自信がなかった。五体満足の今でさえ、そんな笑顔は作れない。
「思い切って参加させてもらいました。ベルさんとの冒険ほど、楽しいときはなかったですから」
意識しないまま、僕は目の前の少年を“ベル”と呼んでいた。一度その名で呼んでしまうと、心が納得してしまったようだった。相手が少年だということはもはや無関係だったし、目上の者に対するような言葉遣いも気にならなかった。僕は少年がベルであることを、すんなりと受け容れていた。
みんなも少年がベルであると信じたようだった。証拠と言える要素は何もない。だがそれぞれに感じるところがあったのだろう。
「こんなことで嘘をついても得にはならねぇし、嘘をつかれても損はしねぇもんな」
そう言い放ったサブローにも一理あった。少年がベルと名乗るのなら、それで問題はないのだ。
僕に続いて一同が順にベルと握手を交わしていく。ベルはひとりひとりに笑い、驚き、来てくれたことに礼を述べていた。
挨拶が終了したところで、僕たちはベルといっしょにテーブルを囲んだ。荷物の持ち運びやグラスの用意はスタッフたちの仕事だった。僕たちはまさに賓客として遇されていた。
「では今宵、冒険者たちのみなさんとこうして集えたことを祝して――」
「乾杯!」
ベルの言葉に、僕たちはグラスを掲げた。こうしてオフ会は始まった。
僕たちはおしゃべりと食事に興じていれば良かった。スタッフたちによって、焼かれたばかりの肉や野菜が次々と運ばれ、グラスを空けるとすぐに飲み物が注がれた。普段はアルコール類を飲まない僕も、ビールの入ったグラスを片手にパーティーを楽しんだ。
一風変わって面白かったのは、本名を含む一切の履歴を相手に問いかけないというルールだった。もちろん自分のことを明かすのは構わない。ただ他人についての一方的な詮索はしないということだ。
「だってここは最終迷宮のキャンプ地で、みんなは冒険者として来てるんだからね」
ベルはおどけるようにそう言ったが、僕としては大いに賛成だった。ベルにはもう話してしまっていたが、自分が無職の引きこもりであることなど、いちいち話したくはない。僕はニトとして、このオフ会を楽しむつもりだった。
乾杯のあとの最初の話題は、当然ながらベルのことに集中した。ルールがあるだけに本人については誰も問いかけなかったが、それでもこれだけの会を開くことのできる手腕は驚くべきことだったからだ。
「実はボクたち、グループでRMTを運営してるんだよ」
ベルはいたずらを白状する子供のように、ちょっと照れたような顔を作りながら言った。
「専用のサイトを立ち上げていてね、そこでゲーム中の土地やアイテムを取り引きするんだ。もちろんチームで収集したものを売るのがほとんどなんだけど、ときには転売もやってる。これで結構稼げちゃうんだよ。ひと月に百万円ってのが平均だけど、多いときには数百万円ににもなるんだ」
ベルの説明に、周りからため息にも似た驚きの声がこぼれた。
確かに儲かるのだろうことは想像がつく。何といっても元手はタダなのだ。韓国ではゲーム上のRMTで収入を得る者を、「ゲーマー」という職業だと定義する動きもあると聞いたことがある。
が、それを仕事として成立させるには、やはり多大な努力が必要だろう。入手が非常に困難な土地やアイテムを、常に在庫として確保しておかなくてはならない。それを可能にしていることこそ、ベルが伝説のプレイヤーである理由の一端なのだろう。
話を聞いていた佐々木が横から口を挟んだ。
「ベルさんはこの若さながら、コンピューターについては天才的な才能の持ち主なんですよ。もちろんまだ未成年ですから公にはできませんが、彼にとってはゲームプレイヤーというのはほんの一面でして、ビジネスに関しても大いに力を発揮されているんです。それで我々スタッフもベルさんに雇っていただいているというわけでして」
「佐々木、おしゃべりなんだよ、君は」
ベルが口を尖らせると、佐々木は「これは失礼しました」と退散して行った。なるほど、雇われているだけあって、佐々木はベルに頭が上がらないらしい。
佐々木を追い払ったあと、ベルは子供らしいあどけない顔で、子供らしからぬことをさらりと言った。
「例えば株取引って、ゲームに似てるんだ。株価が上がるのか、下がるのか。モニターの向こうにいる何千、何万人との読み合いだからね。これが意外と儲かっちゃう」
僕はもうため息しか出なかった。他の面々も感心するやら呆れるやらといった表情だ。
いつしか太陽は西に沈み始めていた。山あいの場所だけに闇が忍び寄ってくるのも早い。テーブルのランタンに火が点されると、いよいよ冒険者たちの晩餐という雰囲気になった。焚き火があるので明るさには不自由しない。空を見上げれば、ちょうど今夜は満月だった。
始めはテーブルについていた一同も、時間が経つにつれ次第に席を離れ、開錠は立食パーティーの様相を呈してきた。
道中でほとんど話せなかった分、僕は司馬とユマノンに混じって『ウロボロス』を始めとするゲームの話題で楽しんだ。特にユマノンは僕の見込んだ通りの人物で、アニメ関係にもくわしく、その方面についても盛り上がることができた。
気になっていたライデンとサブローもすっかり打ち解けたようだった。ふたりだけで会話を弾ませ、ときに笑い声を上げている。ようやく肩の荷が下りた気分だった。
なのに一方でわずかな悔しさもあった。きっと自分こそがこの中の誰よりもライデンとは打ち解けていると自惚れていたからだろう。が、それは勘違いだった。
目の前にあるのが当然の現実だ。ライデンのような綺麗な女性が、僕なんかを相手にするわけはない。
ひとはそう簡単に変われない。変わるには大きな事件が必要なのだ。僕のあのときのような。
酔いが急に冷めるのを感じながら、僕は自重するように過去の自分を噛み締めていた。