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4章-14 殺人の扉

「戦いに興奮して忘れてたよ。ここに段差があったこと」


 ベルが上半身を起こし、具合を確かめるように首を回していた。その右手には、ボウガンが握られている。


「それにしてもニトさん、駄目だよ。ボクはボスキャラなんだからさ。不用意に近づくと危ないよ」

「まだ、そんなことを……」


 僕は矢を引き抜いた。たちまち服に血がにじむ。骨に異常はない。腕の外側を貫通しているだけだ。そう言い聞かせても、痛みは去らなかった。


 痛みに歯を食い縛りながら、僕は起き上がった。先に平然と立ち上がっていたベルは、ヘルメットのバイザーを上げ、笑顔をのぞかせた。


「何だか最後の決闘って感じでわくわくするよね」


 僕はとうとう、トカレフを抜いた。気づけば手に取っていた、と言う方が正しいかもしれない。銃口は、真っ直ぐベルに向いている。


「ベル、もうやめよう。こんなことをしても何にもならないよ」

「何にもならないってどういうこと?」


 笑みを消したベルに、僕はぶつけるように言った。


「こんなくだらないゲームは、もう終わりにしようって言ってるんだよ」

「え? だって、ニトさんも楽しんでくれてたでしょ。それなのに、どうして?」


 本気で戸惑っているベルがあまりにももどかしく、僕は怒鳴っていた。


「楽しんでるはず、ないだろう!」

「うそ、そんなはずないよ。ニトさんも言ってたじゃない。ウロボロスの世界が現実になればいい。そうすれば、みんなも自分を認めてくれるのにって」


 確かにゲームの中なら僕は、ひとが注目する冒険者だった。羨望される存在だった。でもそれは「ニト」であって、三影平介ではない。偽りの僕であって、本当の僕ではなかった。そんな虚像に、本当の意味や価値は宿らない。


「僕は間違っていたんだ」


 そうつぶやいた刹那、ベルが意味を成さない言葉を叫んだ。そしてボウガンを構えた。咲に向かって。


「ベル!」


 器械が噛み合うような音を立て、銀色の矢が発射された。

 短い悲鳴。僕が振り返るより早く、咲は地面に崩れた。


 一瞬、世界が途切れた気がした。

 僕は雄叫びを上げ、ベルをにらんだ。無意識のうちに銃を向けていた。


 そこまでだった。そこから先へ進むには、指を動かすほんのわずかな力と、自分の存在をかけた覚悟が必要だった。


「撃つのなら、ここだよ」


 ベルは嬉しそうに、ヘルメットからのぞく顔面の部分を指でなぞった。

 

「最終迷宮のラスボスである“邪神バルバロイ”は、唯一、頭だけが弱点だからね、僕を倒すにも、顔を狙うしかないんだよ」


 がくがくと震える手で銃を構えながら、僕はどうして撃てないのかと自問していた。

 そして唐突に、答えを見つけた。


 ――あなたは結局、欲しがっているだけなのよ。


 さらに挑発するように、ベルは服の前をはだけた。下からは黒鉄色のベストが現れた。実物を見るのは初めてだったが、それがいわゆる防弾ベストだと理解できた。


「ちょっと的は小さいけど、ちゃんと狙えるかな。距離はおよそ六メートルってとこ? 馴れてるひとなら余裕なんだろうけど、ニトさんは右手を怪我してるから難しいかもね」


 僕は銃を下ろした。すぐに咲のもとへと駆け寄った。


「咲!」


 咲は生きていた。その事実にまず僕は、全身の力が抜けるほどの安堵を覚えた。

 だが左太腿に矢が突き刺さっていた。細い足を銀色の矢が貫き通している。それは、僕が負わせた傷だった。


「しっかりするんだ、咲」


 僕の呼びかけに、咲が目を開いた。


「さすがに平気やとは、言えへんみたい……」

「じっとして。今、矢を抜くから」


 僕は咲の足を押さえ、矢をひと息に抜いた。白い足を鮮血が伝う。僕は自分の左腕を縛っていたハンカチを解き、傷口に当てた。


「少しの辛抱だ。だから頑張るんだ」


 そう励ましてから、僕は再びベルへと向き直った。ベルは肩をすくめながら、ため息混じりの苦笑を洩らした。


「仕方ないなあ、ニトさんは。三十まで数えてあげるから、逃げるのなら今のうちだよ。本当は邪神に麻痺や眠りは効かないんだけど、ここであっさりと終わっちゃ、つまんないもんね」

 

 そう言うと、ベルはのんびりとした声で、一から数え始めた。


「平兄ィ、行こ」


 咲が自分から体を起こした。


「ごめん。もう少しだけ、我慢して欲しい」


 僕は咲を支えて立ち上がらせた。

 ベルに背を向け歩き出す。背負ってやりたかったが、僕にもそんな力は残っていなかった。


 左足を負傷した咲を支えてやるためには、僕は右腕を使わなくてはならなかった。一歩ごとに、肩が突き上げるような痛みを訴える。

 ベルが愉快そうに数を増やしていく。とても逃げ切れはしない。

 僕ははっきりと言った。


「咲ちゃん。君のことは、僕が必ず守る」


 瞳を驚かせてから、咲はちろりと笑った。


「うん、平兄ィ」


 三十、という声とともに、ベルが足を踏み出した。右足が義足なために、歩き方はぎこちない。だが足取りはしっかりとしている。


「ほらほら、もっと急がないと追いついちゃうよ」


 からかうような声のあと、近くを銀色にきらめく影が追い越した。焦りと戦慄が胸中に落ちた。ベルとの距離は二十メートルほど。十分、ボウガンの射程距離だった。


 山の斜面が目の前にまで迫り出していた。その一角に木々が伐採されている場所があった。見れば細い階段も作られている。

 どうしてこんなところに? 考えている暇はなかった。僕はすがるように階段を上り始めた。


「そんなところに逃げても無駄だよ、ニトさん」


 嘲笑するベルに構わず僕は階段を進んだ。

 僕は暗闇を求めていた。僕たちの身を隠してくれる暗闇を。だが空が明け始めている上に、木々もまばらで、求めるほどの闇は見つからない。

 咲が顔をしかめた。なだらかではあるものの、斜面を登っているために足へ負担がかかるのだ。


「僕の首につかまって」


 咲の左手を自分の首にかけさせ、僕は咲の体を抱えるように右手を回した。とっくに右腕は血に濡れていた。なおさら力を込めて咲を支えた。


 五メートルほども階段を登ったとき、不意に探しものが見つかった。切り取られたような黒い円。山肌に大きな穴が空いている。

 コンクリートに固められた小さなトンネルだった。小さいとはいえ、高さはニメートル、幅は三メートルほどの規模がある。

 

 ポケットに入れていたライト・スティックを取り出した。すでに光量は頼りないものになっていが、水に濡れた通路がずっと奥まで続いているのがわかった。

 迷わず足を踏み入れた。そこらで小さな影が蠢く。トンネルの住人を驚かせてしまったらしい。


 咲が強くしがみついてきた。でも弱音を吐くことはない。僕といっしょにいれば大丈夫だと、強く信じてくれている。


 トンネルはおそらく試掘のためのものだったのだろう。十メートルも進まないところで行き止まりとなっていた。

 人為的に破壊された形跡があった。崩落した巨大なコンクリートの塊が山積みになって、通路を塞いでいる。


 だがその手前、右の壁面に、ひとが通れるほどの四角い穴が空いていた。中を照らすと、何もない部屋だとわかった。トンネルにつきものの待避所にしては広く、四十畳はある。肝心なことは――。


「行き止まりだよ」


 僕の思考を読み取ったように、ベルの声が届いた。トンネルの入り口に、小さな影が立っている。


「ここは事前に調査済みなんだよね。まさか使うことになるとは思ってなかったけど」


 声の反響に重なって、飛んできた矢がコンクリートの壁を削った。

 

「さあ、いよいよ決着ってことだね」


 ベルがライトで通路を照らしながら、トンネル内へ侵入してきた。

 もうここまでだ。僕は部屋の中へ体を隠し、声を上げて呼びかけた。


「ベル、お願いだ。僕たちを見逃してくれ」


 くすくすと笑い声が聞こえたあと、返事があった。


「駄目だよ」


 僕は静かに息を吸い込んだ。ゆっくりとベルの足音が近づいてくる。

 携帯電話を開いた。瞬間、時刻表示がひとつ進んだ。『04:24』。何となく不吉な数字の並びだと感じた。一定の時間が経ち、携帯電話はモニターの光を消した。


 素早く部屋の入り口までを往復してから、咲を壁際まで下がらせた。入り口から光を照らされたときのことを考え、正面の壁は避けた。


「なるべく小さくなっておくんだ。それと、絶対に目は閉じているんだよ。絶対に」


 咲にそう言いつけ、僕のヘルメットをかぶせてやった。

 僕は咲を背にかばい、入り口に向かって立った。部屋の大きさを頭に刻み込んでから、ライト・スティックをズボンのうしろポケットにしまった。真の闇が訪れる。


 目を閉じたような闇の中、父の顔が浮かんだ。

 残忍な笑み。最期の表情。そのときから生まれ変わってしまった僕。無意味で無価値な存在。


 ずっと抜け出せる方法を探していた。もう一度、生まれ変わるにはどうすればいいのか。

 その答えを僕は、他人に求めていた。

 誰か僕を見てください。僕を認めてください。愛してください。必要としてください。誰でもいい。僕に意味と価値を与えてください。


 ――あなたは結局、欲しがっているだけなのよ。


 自分は何もしないで、与えないで、偽って、隠して、傷つくことを怖れて、ただ欲しがっている。

 命を捨てるだなんて、君たちが大切だなんて、そんな言葉を吐いてまで、ただ欲しがっている。


 大馬鹿野郎。

 自分の意味や価値は、誰かからもらうものじゃない。誰かに決められるものでもない。

 自分で決めるのだ。自分で選んで、決意して、覚悟して、高めていくものなのだ。


「暗闇の中で待ち伏せしようなんて考えは、無駄だよ。ほら、こうすれば――」


 近づいていた光が、唐突に消えた。ベルがついに部屋の入り口までやって来たのだ。


「もうボクがどこにいるのか、わかんないでしょ。真っ暗な闇の中、最後の決闘の始まりだよ」


 大気を切るような鋭い音が、僕の耳朶を打つ。ベルが部屋の中へ、矢を放っているのだ。


「さあ、ニトさん。どうする気? 言っておくけど、ボクはまだまだたくさん矢を持ってるよ。いつまで命中せずに済むかな? さっさとボクを倒さないと、死んじゃうよ。ただし、ニトさんに与えられたチャンスは一度きりだからね」


 ベルは全てを見通していた。ベルは部屋の外から、適当に矢を撃っていればいい。そのうちに僕たちを仕留めることができるだろう。

 対して僕に許されているチャンスは一度きりだ。たった一度で、ヘルメットに守られたベルの顔面を撃ち抜かなければならない。


 偶然に頼るわけにはいかない。こんな暗闇の中で発砲しても、命中する可能性は皆無に等しい。そしてはずせばマズルフラッシュで僕の居場所は知られてしまう。そうなれば、逆にこちらが撃たれて終わりだ。


 そして何よりもの絶対条件は、選択すること。あの日、僕の中に生まれた選択肢。二度目ならば、自分で選ぶことができる。


 殺すのか、殺さないのか。


 僕はすでに、選択を終えていた。

 何も見えない暗闇に向かって、僕は静かに両手で銃を構える。

 静かにそのときを待った。自分でも不思議なほどに落ち着いていた。


 時間が来た。かすかに唸るような音が部屋に響く。

 驚いたベルの目が、僕を見つめた気がした。


 引き金を引いた。

 ぱん、という銃声とともに、一瞬、全てが停止したように、闇が閃光に照らされた。


 何かが倒れる重たい音がした。

 僕は床に片膝をつき、数呼吸分の間を置いたあと、ポケットのライト・スティックを取り出した。


 すぐ目の前に、ベルがうつぶせに倒れていた。ヘルメットから溢れた血が、黒い染みとなってみるみる領土を広げていた。

 その横に落ちていた自分の携帯電話を僕は拾い、ポケットに回収した。


「平兄ィ、終わったん?」


 目を閉じたまま問いかける咲のそばに戻り、僕はうなずいた。


「終わったよ」


 おずおずと目を開いた咲は、最初に僕を見つめ、次に倒れているベルへ視線を向けた。

 何が起こったのかを考えるような沈黙のあと、咲がつぶやいた。


「運の悪い子やな。こんな真っ暗なとこで、鉄砲の弾に当たるんやもん」


 何も言えない僕に構わず、咲はもう一言、少し寂しげに付け足した。


「ほんま、あほな子や」


 それから僕たちはトンネルをあとにした。

 外に出ると、すでに空は透明度の高い青色に変わっていた。何の感慨も湧かなかった。ただ長い夜が終わったことだけを実感した。


 血まみれで、泥まみれになった重たい体を引き摺るようにして、僕たちはダムまで戻り、そこから一段ずつ、階段を上った。切り崩され、コンクリートで固められた山の斜面からダムの頂上へと、長い階段が続いている。


 長い時間がかかったはずだった。なのに僕は最上段を踏むまで、ほとんど何も考えていなかった。真っ白な意識に身をゆだね、機械的に足を動かしていただけだった。


「あれ?」


 階段を上り切ったとき、咲が小さく声を上げた。

 

「こんなん手すりに引っ掛かってた。落としモンやろか」


 僕はぼんやりとした視線を向けた。咲はペンダントを手にぶら下げていた。

 か細い鎖にぶら下がったプレートに、丸く青い石がはまっている。石には銀色の模様が流れ込んでいて、まるで宇宙から見た地球のような――。


 僕は慌ててペンダントを手に取った。間違いない。香澄が身につけていたものだった。

 だがおかしな所があった。チェーンの部分に細長い金属製の筒が通されている。明らかにあとから付け加えられた細工だった。


――女がモノを隠す場所は色々あるのにね。


 僕ははっとなった。そう、この筒の中なら紙切れの一枚ぐらい、丸めて収納できるだろう。あとはペンダントを身につけさえすれば、筒はあの長い髪の下に隠すことができる。


 もうひとつ、気づいたことがあった。見ると青い石がプレートから浮き上がっていた。いや、違う。石だとばかり思っていたそれは、蓋となっていた。

 

 僕はペンダントの中を調べた。空っぽだった。だが蓋の裏に、ひとりの女性の名が刻まれているのを見つけた。


 ――あなたはわたしの全てを知ってるじゃない。


 僕は電撃を受けたように顔を跳ね上げ、周囲を見回した。

 ダムの頂上。駐車場のような殺風景な風景が広がっている。その向こうには、渓谷を縫うように道路が延びていた。が、ひとの姿はどこにもない。


「香澄!」


 僕はそう呼んでから間違いに気づき、たった今知った名前を叫ぼうとした。

 鳩尾にちくりとした痛みを感じた。見下ろすと、小さな注射器のようなものが突き立っていた。


「くっ……!」


 僕はトカレフを抜き放ち、構えようとした。が、そのまま手から落ちた。吸い取られるように力が抜けていく。


 見れば、咲も目を閉じ、まさに地面へ崩れようとしていた。

 とっさに僕は咲を抱き締め、自分の体を盾にした。背中に新たな痛みが走った。

 咲。思うだけで、もう声も出せなかった。


 世界が転がるような感覚があり、僕の意識は途切れた。

 


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