4章-10 過去
「駄目だよ。この子を、咲を見捨てることは絶対にできない」
瞬間、香澄の瞳が揺れた。差し出されていた手が、うなだれるように下がっていく。
「どうしてなのよ、平介」
香澄は必死に笑みを浮かべようとしていた。
「まさか、そういう子が趣味なんて言うんじゃないでしょうね」
僕は首を横に振った。
「僕はこれ以上、くだらない存在になりたくない。だから咲を見捨てることはできない。ただ、それだけなんだ」
「くだらないって?」
「ひとは誰かを殺したときに、生まれ変わってしまう。そして僕はあの日から、何の意味もなく、何の価値もない人間になってしまった。死んだように生きる毎日を送るようになっていたんだ」
殺人を犯した誰かを指して、まさかあのひとが、などという言葉をよく耳にする。信じられません、大人しいひとです、そんなひとじゃないと思っていました、と。
当然だ。ひとは殺人を犯すときに、突如、人格が変わるわけではない。悪魔に取り憑かれたように豹変し、ひとを殺すわけではないのだ。
ひとを殺すという選択肢は、誰の中にも眠っている。ただその選択肢の存在に、一生気づかずに終える者が多いというだけのことだ。
だがあるとき、気づいてしまう者がいる。殺人という選択肢。殺るのか、殺らないのか。
自分がどちらを選ぶのかは、終わってみて、初めてわかる。決意をどれほど固めていても実行できない者もあれば、気づけばすでに実行してしまっていたという者もいるだろう。あくまでも結果なのだ。選んで、実行するのではない。
そして、実行してしまった者は、生まれ変わる。殺人を犯したという事実が、その者を否応なしに変えてしまう。
なぜなら、殺人を犯した者は、自分の中に殺人という選択肢が厳然と存在していることを知り、さらに自分が一度その選択肢を選んでしまったという現実を背負うことになるからだ。
そう、一度目は選べないと思っていた選択肢が、二度目からは選ぶことができるようになる。選べる自分がいることを発見する。そして自分が、今までの自分でなくなってしまったことを自覚するのだ。
もちろん訪れる変化は、ひとによって違う。同じ傷を負っても、その痛がり方や治し方が違うように、殺人に手を染めた者たちの変化も千差万別のはずだ。ただひとつ言えることは、変わらずにいられる人間など、決していない。
「僕はずっと、誰からも必要とされてなかった。必要とされることなんてないって、あきらめてたんだ。けれど香澄は僕に優しく接してくれた。名前を聞いてくれた。指切りの約束を交わしてくれた。だから、もしも君が必要だと思ってくれたなら、生まれ変われるんじゃないかって思ったんだ」
たとえ偽りだったとしても、利用しようと考えていたのだとしても、僕は香澄の笑顔に、言葉に、仕草に、救われていた。もう一度、生まれ変われるかもしれないと思える力をくれたのは、確かに香澄だった。
「でも僕は卑怯だった。少しでも必要とされたくて、受け容れて欲しくて、だから自分を偽って、隠し通していたんだ。そんなことをして、もし僕に意味や価値を見つけてもらえたとしても、何の意味もないというのにね……」
「平介……?」
「僕は謝らなくちゃいけない。僕と香澄は同じだ。そのことを、ずっと隠してた」
息を吸い込み、罪といっしょに吐き出した。
「僕は、父さんを殺しているんだ」
両親と僕の三人家族。住まいは三十坪の一戸建て。父はサラリーマンで、母はパートをしながら家庭を切り盛り。どこにでもある、一般的な中流家庭の図。
でも幼い僕には、父は誰よりも怖くて頼りになるひとだったし、母はどの友達のお母さんよりもきれいに見えていた。
それが崩壊したのは、僕が小学校五年生のとき、母が家出をしたからだった。
当時、母は三十八歳。女盛りと言ってもいい年頃で、よくあるようにパート先で知り合った男とどこかに逃げた――と、知ったのは随分あとのことだ。その日の僕は、いつものように母が作っていってくれた夕食を食べようとしていたところで、いきなりやって来た父に皿を取り上げられ、ぽかんとなっていた。
夕食のメニューは僕の大好物だったオムライスだったから是非とも食べたかったのだが、泣きながらオムライスを捨てる父には何も言えなかった。結局、その夜の食事はカップラーメンに変更され、僕はラーメンをすすりながら、とんでもないことが起きたのだと漠然と感じ、すごく不安になったのを覚えている。
ひと月も経たないうちに、僕は事の全容を知ることとなった。親戚のおっちゃんやらおばちゃんが来訪し、父と色々な話をしていたのが聞こえたからでもあったし、数人からは直接、「これからはお父さんとふたりで頑張っていかないと駄目だからね」なんていうことを言われたためでもある。
寂しさや悲しさが本格的に迫ってきたのはそれからだ。そしてきっと、父も同じだったのだろう。父は飲めない酒を飲むようになり、僕に暴力を振るい始めた。
数百回にもなるだろう父の暴力を、僕はいちいち憶えてはいないが、その一回目だけは鮮明に記憶に残っている。
そのころの僕はベッドに入って涙を流す日が続いていた。なかなか寝つけないものだから、次の朝はぼうっとなる。その日の朝もそうだった。ひとりで起きて、ひとりで焼いたパンを食べていた。父が台所にやって来たのはわかっていたが、特に反応できなかった。
いきなり頬を平手で殴られた。僕は椅子から転げ落ち、床に這いつくばった。驚いて見上げた先で、父は言った。
「朝は“おはよう”だろ」
痛みよりも、頬を叩かれた衝撃が大きかった。幼少の頃から、父は尻しか叩かないひとだった。怒るときは正座をして僕を呼び、自ら尻を出させたものだった。頭や顔を叩くのは暴力であって、躾ではない。そう言っていた父が、僕の頬を叩いた。
悲しくて悔しくてわけがわからなくなって、涙が出た。
「おはようは?」
そう言って、また頬を叩かれた。僕は混乱したまま言葉が出なかった。父は無表情のまま、朝の挨拶を催促し、叩き続けた。涙がにじんで、もはやまともに声が出なくなっていた。最後は悲鳴を上げるようにして、やっと「おはよう」と言った。その日から、暴力が始まった。
今でも僕は、小さな動物を見ると、当時の自分を思い出す。全てにびくびくと怯えて生きている。僕も同じだった。父の視線、父の声、父の足音、全てが恐怖の対象だった。
それでも最初の頃は、まだマシだった。父が僕を殴るのには、何かしらの理由があったからだ。起きるのが遅い、帰宅が遅い、姿勢が悪い、声が小さい、テレビがうるさい、風呂が長い……等等。
一度言われたことは、二度と繰り返さないように細心の注意を払った。もちろん同じ失敗をすることもあったが、努力の甲斐あって、怒られる回数は徐々に減っていた。
だが中学生になる頃から、父の暴力から理由が消えた。しかも暴力の種類は増えた。これまで手だけだったのが、足と道具が追加された。一番きついのがバットだった。足腰が立たなくなる上に、熱が出てしまうのだ。
そうなると、もう僕にはどうしようもない。なるべく顔を合わせないように、家にいる時間を少なくするようにするしかなかった。
だから中学に入ってすぐに、アルバイトを始めた。本当はどこか運動系の部活に入りたかったのだが、父に禁止されれば断念するしかなかった。とにかく自分の身を守るために、家を空ける口実を作ることが必要だった。
勤め先は隣町のスーパーだった。勤務時間は四時半から九時。日曜日は一日中働いた。身分は高校生だと偽った。身分証明には比較的に仲の良かった友達の兄貴の学生証を使わせてもらい、店長からの確認の電話には、時間を指定しておいて、自分で対応した。
稼いだ金は全て父の酒代に消えた。取り上げられていたわけではない。僕が自ら献上したのだ。酒を飲んでいれば、父は比較的大人しい。僕としては常に深酒をして、眠りこけていて欲しいところだった。
しかしやがて、来るべくして決定的な終局が訪れた。
僕が“それ”を決意したのは、奥歯を折られたときでも、熱湯を足に浴びせられたときでも、左手にひびを入れられたときでもなかった。
「だんだんあいつに似てきやがって。そのうちに殺してやるからな」
いつものように散々足蹴にしたあと、父がそう言ったのを聞いたからだ。
今になって思えば、その一言はただの勢いだったのかもしれない。なぜなら最初に犯す殺人は、結果が全てだからだ。父が本当に僕を殺すことができたのかどうかは、わからない。
でも当時の僕は、やっぱりそうかと納得してしまった。薄々予感していたことが、いよいよ現実になるのだという諦観があった。もはや回避できない近未来として、そう受け止めたのだ。
耳元で、号砲が聞こえた。
殺人のハードル。気づけば僕は走り出していた。
中学の修学旅行が僕の最後の幸せだった。二泊三日で九州へ。阿蘇山に草千里、地獄巡り。行き先なんてどこでも良かった。父から離れていられるのが、最高に嬉しかった。
帰宅したその日から、暴力は五割り増しの大サービスだった。三日間の遅れを取り戻すように、父は僕を殴り、蹴り、バットで殴打した。
不思議なことに、反抗しようと考えたことは一度もなかった。反抗するという行為自体を思いつかなかったのだ。恐怖の大王である父に反逆するなど、とんでもないことだった。それなら殺人を計画、実行する方がストレスも少なくてすむ。
計画はすでに出来上がっていた。中学三年生の当時、僕はすでに身長で父を追い越していた。その身長差を利用することにした。
僕は父の最強の武器であるバットを、父の背が届かない倉庫の棚の上に置いた。隠したのではなく、これ見よがしに乗せておいたのだ。そして足場となる辺りに段ボール紙を敷いておいた。家の中はどこも四六時中散らかり放しだったので、段ボールがあったところで目立ちはしない。
本当はひどい言葉をぶつける気だった。父を怒らせる必要があったからだ。でも実際は、飲んでいる父と目を合わせるだけでよかった。
父は激昂し、僕を追いかけてきた。僕はバットのある倉庫へ逃げ込んだ。置いてあった作業机の下で小さくなった。父はすぐに棚の上のバットを見つけた。
しかし背が届かない。父は一番近くにあった椅子を棚の下へ移動させた。父は椅子の上に乗り、バットに手をかけた。
そのとき、父は僕を振り返った。笑っていた。僕の脳裏に焼きついて離れない、最期の父の顔。父は残忍な笑みを浮かべていた。
父は事故死ということになった。酔っ払ったまま椅子に上ったところ、誤って足を滑らせて転倒。コンクリートの地面に頭を強く打ちつけた上、不運にも棚の上にあったブロックが落下してきて頭部を直撃。発見が遅れたために、そのまま死亡――。
椅子の脚にはロープをくくっておいた。それを僕は思い切り引っ張った。椅子は段ボール紙の上だったから、簡単に脚を滑らせ、上に乗っていた父を振り落とした。
酔っていた父はそのままの姿勢で頭から落ちた。ごちん、と音がした。僕はすぐに作業机の下から這い出し、ブロックを手に取った。父は鼻血を流しながらうめいていた。僕は高々と掲げたブロックを父の頭の上に落とした。
気づけば僕は、ハードルを越えていた。
僕は父の殺害を計画していたが、それを完全犯罪に仕立て上げようなどとは夢にも思っていなかった。だが数時間待ってから救急車を呼ぶと、あとはとんとん拍子に事故死ということになってしまった。
警察もやって来たが、手短に話を聞くだけで、あっさりと退散して行った。どころか父の虐待が明るみになり、同情までされた。それまで傍観を決め込んでいた隣人たちが、すすんで証言してくれたこともある。曰く、酒浸りだったようです。曰く、よく怒鳴り声が聞こえてました。曰く、迷惑してたんです。
こうして僕は父から解放された。
すぐに問題になったのは、残った僕をどうするかということだった。母が失踪したときにはまだ縁のあった親戚筋も、父が原因で、そのころはすでに絶縁状態だった。
だから僕も疎まれ、迷惑がられていることは明白だった。そのくせ、僕が相続する家と土地のことが一同の頭をちらついていることも感じ取れた。
でも僕はもう誰かといっしょに暮らそうとは思っていなかった。もしもまた、と考えると怖かったのだ。血のつながった肉親とでさえ家庭を築けなかった僕に、他人の家でどうしろと言うのか。
だから僕は「ひとりで大丈夫です」と主張してみた。「もう大人ですから」とか適当なことも付け加えたと思う。
迷惑をかけたくなかったし、迷惑がられるのも辛かった。ときどき様子を見に来てくれたりなんかして、あとは僕の年齢ではどうにもならないことに、少しばかり力を貸してもらえればそれでよかった。
思惑は外れた。ものの見事に誰も来なくなってしまった。
ぼんやりとわかっていたが、自分が誰からも必要とされていないことを、そのときにはっきりと悟った。そりゃそうだ。僕は自嘲した。母にも捨てられた僕を、一体誰が必要とするだろう。
でも僕が本当に打ちのめされたのは、父の遺書を見つけたときだった。
遺書は僕への謝罪から始まり、自ら命を絶つ決意表明と、母のことだけは恨まないでやって欲しいという言葉が続き、最後に、幸せになってくれ、と結ばれていた。日付は、僕が父を殺す二日前となっていた。父は近いうちに自殺するつもりだったのだ。
同じ場所から、僕の名義の通帳が見つかった。二千万円もの金額が残っていた。母の不倫相手から取った慰謝料だった。そのとき初めて、父と母の間に正式な離婚が成立していることを知った。
母の現在の住所と電話番号も記されていた。電車で三十分ほどの街に、母は暮らしていた。
母は失踪したわけではなかった。僕が知らなかっただけだった。母が僕に連絡を取ろうと思えば、いつだってできたのだ。
なのに五年間、何もなかった。父の葬儀にも来なかった。知らないままなら、甘い想いも抱くことができたろう。だがそんな期待も希望も打ち砕かれた。母の中から僕は消えている。その現実を思い知らされた。
僕は今まで確かだと思っていたものが、信じていたものが、ごっそりと抜け落ちていくのを感じた。天地もわからない暗闇に放り込まれたような気分だった。
そして、どうして自分が生き残ったのか、どうして生き残ろうとしたのかがわからなくなった。ふと気付けば僕は、無意味で無価値な人間になってしまっていたのだ。




