4章-7 八人目のプレイヤー
美濃部は棒立ちのまま横に倒れた。びくびくと動いていたが、それだけだった。
「待ち伏せして、一気にカタをつけようと思ってたんだが、仕方ねえよな」
野太い声が響き渡った。鎮座する岩の間から、巨体が姿を現す。
相手が誰なのかは、闇を通した第一声を耳にしたときからわかっていた。
多賀は獰猛な笑みを僕たちに投げかけた。最初に出会ったときに感じた、どこか人懐っこい雰囲気はもうどこにもない。
「とにかく再会を喜ぶべきかな?」
僕は膝が崩れそうだった。多賀は拳銃を構えている。それはこれ以上ないぐらいに、最悪の組み合わせだった。
多賀は轟然と胸を張って、隠れようともしていなかった。すでに自分の勝利を確信しているかのようだ。
けれど勝利とはこの場合、何を指す? それを考えると、僕は隠れた岩陰から動けなくなった。
「どうしてわたしたちの居場所がわかったんです?」
司馬が斜面のくぼみに身を潜めながら、質問を投げかけた。あくまで冷静な口調だった。
返ってきたのは、失笑だった。
「こいつらは小型マイクと補聴器みてえな無線機で、お互い連絡を取り合ってやがったんだよ。倒した“怪物”役の死体を、ちゃんと調べればわかったはずだぜ。――で、この美濃部ってやつは、最初から俺たち参加者を狙ってやがったんだ。仲間に先回りさせて、一網打尽にするって寸法だったんだろうよ」
鼻を鳴らしてから、多賀がつまらなそうに言う。
「この美濃部って男はなかなか切れ者だってことで、集められた“怪物”役の連中からは、リーダー扱いされてたらしいぜ」
僕は目を閉じ、天を仰いだ。
美濃部がときおり独り言をつぶやいていたのを思い出した。ただの癖だと思っていたが、実は計算された行動だったというわけだ。
いや、それだけじゃない。初めて出会ったときの驚いた顔や、命乞いも、全て演技だったのか。
食い縛った歯の隙間から、無念の思いが洩れた。怒りや悔しさはない。ただ無性に哀しかった。
たとえ仲間達と示し合わせ、待ち伏せの策略を張り巡らせていたとしても、僕たち冒険者に近づき、自ら囮となって罠に導くことは、相当に危険な賭けだったはずだ。
なのに美濃部は実行した。
僕たちのうしろを歩きながら、美濃部はどんな気持ちでいたのだろう。助かりたい一心だったのか。それとも金のためだったのか。
みんなで脱出しようと、僕は本気で考えていた。だが、その気持ちを伝えることができていなかったのか。僕も信用のできない相手でしかなかったのだろうか。
答えを聞きたかった。しかし、もう叶わない願いだった。
「お前らもめでたいよな。助けた相手にはめられるところだったんだからよ。ま、俺はそのお陰で先回りできたってわけだ。俺は無線機を手に入れてたからな。こいつの話は、全部筒抜けだったのさ」
「ノートパソコンはどうしました?」
「あれが発信機になってたらしいな。それも聞いたぜ」
問いかける司馬も、応える多賀も、その声音に何ら気負っている調子はなかった。まるで友人同士、日常会話をするように言葉を交わらせる。
だが交わされている内容は、これから命のやり取りを始める前の、最後の確認だった。
「だから俺は逆に利用したのさ。お前らが川底を通り過ぎたのを見計らって、川沿いの道にパソコンを捨てておいたんだ。そうすりゃ、引き返そうとしたときに反応が出るからよ、必ずこっちに進んでくるだろうって考えたのさ。あいにくお前らの進むのが思った以上に遅かったからよ、先に反応が出ちまって、ちょっと慌てさせたみたいだがな」
「なるほど、そういうことでしたか」
納得するためのひと呼吸を置いてから、司馬は続けた。
「あとひとつだけ、聞かせてくれませんか」
「何だよ」
「その拳銃です。トカレフTT33ですよね。一昔前は流行ったようですが、今は珍しい」
「それがどうしたってんだ」
「お聞きしたいのは、どうやって手に入れたのかということです。まさか、このゲームで?」
「違うな。俺の持参品だよ。ホームページを見ると、何だか随分とやばそうじゃねえか。だから高い金を払って手に入れたのさ。とっくに首が回らなくなってる借金を上積みすることになったけどよ、買ってきて正解だったぜ」
悦に入ったように笑う多賀に、僕は戦慄した。多賀が見たのはおそらく二番目のホームページだったのだろう。それでも多賀は拳銃を用意していた。すなわち、最初からやる気だったのだ。
しかし司馬は飄々としたものだった。拳銃が幾らしたのかと問い、多賀が五十万だと返すと、嘲笑うように言った。
「多賀さん。ぼったくられてますよ」
刹那、多賀の顔から笑みが消え、声には怒気がこもった。
「おい、種明かしはこのぐらいでいいだろう。ここにはじきに、“怪物”役の連中が殺到して来やがる。それまでにこっちの用事を済まさせてもらうぜ」
言うと同時に、多賀が地面を蹴った。岩陰の向こうに多賀の姿が消える。その足音だけが小刻みに聞こえた。
「ニトさん、何をしてるんです!」
司馬に鋭く叱責され、僕はボウガンを構えた。だが機械的にそうしただけだ。戦意など、自分の中のどこを探しても見当たらない。
「へえ、やる気なんだな。ひ弱そうな野郎だとばかり思っていたが、ひとは見かけによらねぇってことだ」
冷たい汗が伝った。居場所を知られている。そう思うだけで、悲鳴が出そうだった。
からかうような多賀の声が、どこからともなく響いてくる。
「いいだろう。まずはニトさん、あんたからやってやる。マグライトをぶつけられたお礼をしなくちゃいけねぇからな」
そんな、待ってくれ。多賀の宣言に、目の前が真っ暗になった。殺気が突風となって吹きつけてくるような錯覚にとらわれる。からからになった喉で、僕はあえいだ。
「ニトさん、迷っていては駄目です。あなたに全員の命がかかってる!」
司馬が叫ぶ。その声がやけに遠い。
ライト・スティックのぼんやりとした明かり。その光が届くぎりぎりのところで、何かが動いた。
「今だ、撃って!」
司馬の言葉が命令となった。引き金を引く。軽い反動を残し、矢が発射される。
かつん、と遠くで岩が鳴った。はずれた。悟った途端、重大な過ちを犯してしまったような焦りがせり上がってきた。
と、橙色の灯火がひとつ、宙を渡ってきた。
人魂か? そんな馬鹿なことを思った。
灯火は僕からほんの数歩離れた場所に着地した。ガラスが粉々に砕けて跳ねた。瞬間、炎が渦を巻いた。
火炎瓶だ。一瞬で理解しながらも、僕は本能的な恐怖によろめいた。
それが命を救った。
銃声とともに閃光が瞬いた。空気を貫くような鋭い音が、耳をかすめた。
僕は尻餅をついた。直後、何かが頭上から降ってきた。
プラスチックの欠片。なぜこんなものが。思って、反射的に頭に手を伸ばした。
ヘルメットについているはずのライト。壊れている。弾丸がかすったのだとわかって、かすれた悲鳴がこぼれた。
すっと手元が暗くなった。見上げた。多賀が立っていた。
炎の逆行で、多賀の顔は影になっていた。が、銃口が真っ直ぐ僕を狙っているのだけは、はっきりとわかった。
死ぬ。空っぽになった頭で、それだけを感じた。
突然、多賀が体勢を崩した。そのまま一歩、二歩、と後退る。
わけのわからないまま、僕は弾かれるように立ち上がった。死の気配がわずかでも遠退いた瞬間に、生気が甦ったようだった。
そして気づいた。多賀の腹に、深々とサバイバルナイフが突き刺さっていた。
「野郎……」
多賀は怒りに満ちた眼光を残し、そのまま足を滑らせるようにして倒れた。
ナイフの柄を握りながら、なおも多賀は上体を引き起こした。が、力尽きたのか、そのまま大の字となって動きを止めた。
僕はなおも恐怖に縛られたまま、多賀の姿を凝視していた。
「ニトさんにボウガンを持っていてもらって、正解でした」
司馬が淡々と言いながら、倒れた多賀のうしろの闇から姿を現した。その手にはもう一本、サバイバルナイフが握られている。
「投げナイフ。かなり練習をしましたので、今では百発百中です」
「え……?」
「やっぱりこういうときは、まず飛び道具を持っている相手から倒そうと考えるでしょうからね」
「じゃあ、始めから僕を囮に……?」
口を半開きにして見つめる僕に、司馬はすまなそうに笑った。
「いまひとつ信用できなかったんですよ、ニトさんのこと。素晴らしいひとだとは思いますけど、人殺しができるかどうかは、全然別のこと――」
銃声が連続した。司馬が吹っ飛んだ。
僕は驚愕に囚われながら、向き直った。怒号を上げ、多賀が突進してきていた。