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4章-6 裏切り

「どうします?」


 司馬に問われ、ようやく僕の心は肉体に戻ったようだった。頭をひとつ振ってから、訊き返す。


「青いランプということは」

「多賀さん、もしくはライデンさんが、五十メートル以内にいるってことですね。ただし、どの方向なのかはわかりませんが……」


 僕は喉の奥でうめいた。

 多賀だ。僕はそう直感した。その予想はほとんど確信に近かった。香澄なら、小切手を手に入れた今となっては、真っ直ぐゴールを目指せばいいはずだからだ。


 でも、どうして多賀は今ごろになって、こんな村のはずれまでやって来たのか。僕は得体の知れない、嫌な感覚を覚えた。


 どうする? 僕は数秒、沈思した。あくまで冷静に考えなくてはならない。ただ逃げようとするのではなく、最も合理的で確実な判断を――。


「ここで様子を見ましょう。相手が近づいて来ているのかどうか、まずそれを見極めないと」

「もし近づいているようなら?」

「そのときは前進します。それが最も、相手と遭遇する確率が低いでしょうから」


 全てを言わなくても、司馬は僕の意図を読み取ったようだった。


「確かに。ゴールは向こうなのに、わざわざ逆行してくるとは考えにくいですからね」

「ええ。今、反応があるのは、相手がたまたまこの近くを通りかかっただけ、と考えるのが妥当だと思います」

「異論はないですね。しかし“たまたま”でなかったとしたら?」


 司馬が試すように、目だけで笑う。僕はそのことに気づかぬふりをして答えた。


「それも探知機が教えてくれます。もし、相手が僕たちを追いかけてくるようなら、そのときはまた対応を考えます」

「臨機応変というやつですか」

「まあ、そうです」


 僕の返答はぎりぎりの及第点だったらしい。

 司馬は困ったような笑みを浮かべながら、大きくうなずいた。


「わかりました。その手でいきましょう」


 すぐに咲と美濃部にも状況を伝え、僕たち四人は少しずつ距離を取りながら、物陰へ隠れた。

 僕は咲といっしょに川岸に茂る草むらの中に身を沈めた。咲はそうしていれば見つからないのだと信じているかのように、僕にぴったりと体を寄せていた。


「大丈夫?」


 思わずそう声をかけた。すぐに取り消したくなった。


「うん。全然、平気」


 予想通り、咲は笑って答えた。

 僕は自分を殴りたくなった。平気だなんて、あるわけがない。そんな無理矢理の嘘をつかせて、一体どうしようというのか。もっと他にかけてやる言葉があるはずだ。


 そうわかっていながら僕は、安心しろとか、守ってやるという一言が言えない。口に出しても、それはやはり嘘になる気がしていたからだ。


 対岸に隠れている司馬が、探知機を掲げて見せた。ランプの色が、青から黄色に変わっていた。

 ボウガンを握る手が、意識とは無関係に強張った。相手は――多賀で間違いないだろうが――こちらに接近してきている。


 僕は司馬に合図を送り、できる限り音を立てぬようにしながら前進を始めた。少しでも見つかりにくいよう、川の中央は避け、岸をたどって歩く。


 一転して、あちこちに落ちる影が、不気味な存在感を漂わせ始めた。ほんの数メートル先までしか見通せない闇の中で、いきなり影が立ち上がってきそうに思う。


 僕は深呼吸をして自分を落ち着かせた。

 おそらく相手は、何らかの理由があって川の近くまでやって来ただけなのだ。それがたまたま探知機の範囲だったということだろう。


 でなければ、相手もわざわざこの枯れた川をたどろうとしていることになる。理由はなんだ? あり得ないことだ――と、僕はそんな思考を、呪文のように繰り返していた。


 決して楽観的にとらえているわけではなく、希望的な推測をしているつもりでもない。冷静に分析した結果、導いた考えだった。


 なのに、なぜだろう。僕の体内に毒素のように侵入した、漠然とした気持ち悪さは消えなかった。知らないうちに、決定的な過ちを犯してしまったような、気づかぬうちに罠の中に入り込んだような、そんな感覚。


 黒い霧がかかったような気持ちを味わいながら、僕はそれを気のせいだと片付けようとしていた。

 ほどなくして、僕の正しさは証明された。探知機のランプは再び青色に変わり、さらに僕たちが先へ進むうちに消えてしまった。


「どうにかやり過ごせたようですね」


 司馬がそう言って微笑するのを見て、僕は一気に脱力するのを感じた。どれほど頭で大丈夫だと唱えていも、肉体は正直だ。思ってもいないほどの疲労を訴えてくる。

 だが休むことは、もちろんできない。僕たちの危機は、この廃村から脱出するまでは去ることはないのだ。


 緊張を解くことなく、僕たちは前進を続けた。

 周囲を警戒しながら進んで行かなければならないため、予想以上に時間を消費してしまう。ほんの数メートルがあまりに遠く感じられる。


 と、どこかで小石が転がった。軽快に跳ねる音。すぐに止んだ。

 普段なら、気にも留めなかっただろう。認識することさえなかったかもしれない。しかし今は、その音は何よりも大きく響いた。


 すぐ近くだ。暗闇の向こう、十メートルもない距離。

 察したときには体が動いていた。僕は咲の手を引き、岩の陰に飛び込んだ。

 岩は斜面に寄りかかるように鎮座していた。ちょうどいい隙間が空いている。


「ここに隠れているんだ」


 言いながら、僕は素早くリュックを下ろし、咲に預けた。


「いいかい? 僕がいいと言うまで、絶対に出てきちゃ駄目だよ」

「うん。でも平兄ィは?」

「心配しないで。ちょっと確かめるだけだよ」


 僕は言い置いてから咲のそばを離れ、岩陰をさらに前へ進んだ。咲を危険な目に遭わせないためには、同じ場所に留まっているわけにはいかなかった。


 司馬は先ほどと同じく、僕たちの対岸である、下流へ向かって左側の斜面に身を潜めていた。司馬は探知機に反応がないことを、手振りで伝えている。


 ということは“怪物”役の連中だろうか。それとも、参加者の逃亡を監視しているスタッフたちか。


 不思議と自然現象だとは考えなかった。ただ石が転げ落ちただけかもしれなかったし、小動物がいたのかもしれない。そんな可能性があると思いつきながら、僕は闇の向こうに、何者かが潜んでいることを疑っていなかった。


 何も見えないし、聞こえない。でも確かにひとの気配がある。

 極限状態が続く中、眠っていた本能が呼び覚まされたのかもしれない。


 僕は悟った。これが殺気というやつなのだ。

 身体が一気に熱くなった。逆に頭の中はしんと冷えていく。

 息を細く吐き出した。ボウガンの引き金にかけた指は、小刻みに震え出している。

 いよいよ、そのときが来たのだ。殺人のハードル。号砲はじきに鳴る。さあ、位置について、用意――。


 不意に、どこかで地面が音を立てた。足で小石を踏みしめた音だ。

 咄嗟に体が硬直する。来るのか? 思って、すぐに気づいた。その音は前方の闇からではなく、自分の背後から聞こえていた。


 振り返ると、美濃部が立っていた。物陰から川の真ん中へ歩み出て、全身をさらしている。美濃部は何かを探そうとするように、おろおろと辺りを見回していた。


 何を考えているんだ? 困惑と驚愕が同時に訪れたあと、僕は怒鳴りつけたい衝動に駆られた。今の状況がどういうものであるか、わからないはずはない。まるで美濃部は僕たち全員を、危機に陥れようとしているように思えた。


 だが僕は声を上げることができなかった。相手に居場所を知られるのは危険だと、盲目的に思い込んでいた。声を出すことが、そのまま死につながるような恐怖感さえある。

 何もできない数瞬が流れた。いきなり美濃部が走り出した。


 逃げるつもりなのか。そう思ったが、違った。美濃部はやって来た道を戻るのではなく、行く手に広がる暗闇へと向かったのだ。


「美濃部さん!」


 とうとう僕は叫んでいた。

 美濃部を立ち止まらせることはできなかった。それが使命であるかのように、美濃部は闇の中へ駆け込んで行った。


 美濃部の姿はすぐに暗闇に紛れてしまったが、気配だけは感じることができた。立ち止まった美濃部が、戸惑うような足取りで地面を踏み鳴らすのが聞こえた。


「わしだ。美濃部だ」


 いきなり美濃部が声を上げた。


「間違ってわしを打たないでくれよ。ちゃんと獲物は連れてきた。向こうに三人いる。若い男がふたりと、女の子がひとりだ」


 すっと氷の刃を差し込まれたような感覚があった。獲物? 連れてきた? それは、どういう意味なんだ?

 愕然となる僕を嘲弄するように、別の声が応えた。


「女の子? なぜ子供なんかがいるんだ」

「わしもわからんよ。それよりもあんた、どこにいる? 暗くてよう見えん。それに他の連中はどうしたんだ?」

「俺はひとりだ。他のやつらはまだ来てない」


 ぐらぐらと頭の中が揺れていた。衝撃はふたつ。ひとつは美濃部に裏切られたこと。そしてもうひとつは――。

 司馬が何かを取り出すのがわかった。目が合うと、司馬は苦笑を刻みながら、声を抑えようともせずに言った。


「こうなったら、隠れていても仕方ないですからね」


 司馬は十五センチほどの短いプラスティック製の棒を、何本か持っていた。僕はやはり、声を抑えて問いかけた。


「それは?」

「補助魔法“灯火”の代わりで、ライト・スティックというものです。サバイバル・ツールのひとつなんですけどね。まあ、見ていてください」

 

 そう言うなり、司馬はその棒――ライト・スティックを半ばから折り曲げた。なるほど、僕はその名の意味を知った。折れ曲がったスティックが、たちまち発光し始める。

 

 司馬は光を放つライト・スティックを、闇の向こうへ投擲した。赤、黄、緑の三色の光が、宙に放物線を描く。

 スティックの明かりは、小さな電球程度の弱々しいものだった。が、暗闇における威力は十分にあった。地面に落ちたスティックは、その周辺を柔らかな光で浮かび上がらせる。

 

 驚いた顔で振り返る美濃部がいた。怯えた表情など、もはやどこにもなかった。あるのは敵意に満ちた目だけだ。


「おい、あんた、どこにいるんだ。早くあいつらを!」


 慌てて美濃部は、辺りを見回しながら呼びかけた。

 ぬっと近くの影が動いた。

 僕は何かを叫ぼうと口を開いた。声が出るよりも、影の動きが早かった。


 乾いた破裂音が鳴った。

 刹那、美濃部は目を閉じ、歯を食い縛った。正面からいきなり、冷たい水をかけられたような顔だった。


 美濃部の側頭部から、ぱっと黒い霧が広がるのが見えた。

 その光景を見るのは人生で二度目だったから、僕はすぐにわかった。美濃部は銃で撃たれたのだ。

 


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