3章-8 廃校⑧ ~遭遇~
「おや、ニトさんじゃないですか」
いきなり声をかけられて、僕は閉じたばかりの扉に背中をぶつけた。冷水を頭から浴びせられた気分だった。仰け反るようになりながら、声のした方へぎこちなく首を動かす。
階段を上り切ったところに、知った顔が並んでいた。
「すいません。驚かせてしまいましたか」
頭に手をやりながら謝ったのは、司馬だった。うしろにはエルフェンもいる。どうやらふたりはたった今、四階へ上ってきたところのようだった。
僕は自分のうかつさを呪った。少女とのやり取りに戸惑い、警戒心が途切れていた。殺人ゲームの中に身を置いていることを、一時のこととはいえ、完全に忘れてしまっていたのだ。
「それにしても奇遇ですね」
司馬が温厚な笑みを浮かべながら近づいてきた。エルフェンも無表情で無言のまま、それに付き従う。
僕は軽い挨拶の言葉を返そうと努力した。が、不可能だった。微笑もうともしたが、きっと唇を奇妙にゆがめたようにしか見えなかっただろう。
当然だ。こんな状況で笑えるわけがない。心の中では赤いランプがぐるぐると回っている。
ディスクに入っていた情報の内、あと判明していないのは、多重債務者と薬物中毒者、そしてスタッフの三名だ。
しかもスタッフをのぞくふたりの内のどちらかは、三番目のホームページを見た上で――すなわち殺人ゲームを承知して――オフ会に参加している。
となると、最低でも司馬とエルフェンのどちらかは、スタッフ、もしくは最初から殺人ゲームに乗っていた者ということになる。
最悪の場合は、その両者が組んでいるというわけだ。いくら優しい笑みを見せられても、友好的に振舞われたとしても、信用などできるはずはない。ましてや、司馬は右手にボウガンを、エルフェンは両手に鎌を持っている。
僕は、自分の命運が尽きようとしているのではないかという思いにとらわれた。
ひとりでいるのなら、一か八かで強行突破を試みることもできる。しかし今は、少女がいっしょだ。ひとりで行くことはできない。
少女を見捨てることはできない。それは誰かを殺さないことと同じように大切なことだった。そう思ったからこそ、僕はここまでやって来たのだ。
しかし、この危機をどう切り抜ければいい? 僕は果てしない荒野に放り出されたような気分になった。どこにも道は見当たらない。
とにかく今、少女に出てこられるのはまずい。そう考え、僕は右手を腰のうしろに回し、トイレの扉のノブを、そっと握り締めた。
「しかしニトさんもご無事で何よりです」
司馬はあくまで朗らかな態度のままだった。僕は右手でドアノブをがっちりと固定しながら、何気ないふりを装い、言葉を返した。
「僕の方こそ、おふたりにもう一度会えて嬉しいですよ」
「そうですよね」
司馬は深くうなずいた。
「もう亡くなられた方もいらっしゃるでしょうから」
司馬はごく自然な口調でそう言った。この悪夢のような殺人ゲームを、とっくに受け容れている者の態度だった。
「司馬さんは最初からご存知だったんですか。このゲームのこと」
「知っていた、とはどういうことです?」
司馬は軽く首を傾げた。その表情からは、とぼけているのかどうかは判別できない。
僕はそれ以上、追及することはあきらめた。今さら確かめたところで、どうなるものでもない。
重要なのは、司馬とエルフェンがどこまでやる気になっているのか、ということだった。
殺人ゲームとはいえ、あくまで一プレイヤーとしてゴールを目指そうとしているのか、それとも多賀のように、冒険者と“怪物”役の区別なく排除しようと考えているのか。
ちりちりとした緊張を味わいながら、僕は視線だけははずさなかった。ふと微笑んで、司馬は別のことを口にした。
「ところでライデンさんはどうされたんです? ご一緒なものだとばかり思っていましたが」
僕は肩をすくめて苦笑した。
「フラれちゃいました」
余裕ぶった態度は、全くの虚勢だった。
内心では追い詰められていても、決してそれを悟らせてはならない。モップを片手にした姿で、どれほどハッタリが利くのかは不安だったが、とにかくやってみるしかない。
司馬はボウガンを持っているが、お互いの距離は三メートルと離れていない。相手が飛び道具であっても怖れることはない、と思い込んでおくことにした。
「司馬さんの方こそ、多賀さんといっしょだと思ってましたけど?」
「そのつもりだったんですが、途中で怖いひとだと感じましてね。いっしょにいるのは危険だと判断しまして、どさくさに紛れて逃げたんですよ」
「それで今はエルフェンさんと?」
「ええ、学校に来る手前で会いましてね、そこからご一緒させてもらってるわけなんです。やはりこういうときは、誰かといっしょの方が心強いですしね」
意味ありげに司馬は微笑したが、とりあえずその言葉に嘘は見当たらなかった。ジャンヌが死ぬ直前に聞かせてくれた話にも合致している。
エルフェンはと言えば、ひとりで窓から夜空を眺めている。僕たちの話には何の興味もないようだ。
相変わらずとらえどころのない女性だ。ゲームが始まってからも、ずっとこんな調子だったのだろうか。本当に別世界の住人であるような、異質な雰囲気をまとっている。ただ、鈍く光る両手の鎌だけがいかにも不釣合いで、不気味だった。
「ところで、鍵は見つかりましたか」
司馬が訊いてきた。
「我々も色々な教室を探したんですが、まだどこにもなくて」
当然、予想していた質問だった。僕は手のひらに汗がにじむのを感じながら、内心で決めていた通りの答えを返した。
「僕もさっぱりですよ。教室に入るのが怖くて、あまり探せていないんですけど」
「ふたつの宝って、何なんでしょうね」
「さあ……」
笑ってごまかしたとき、後ろ手に握っているノブが動こうとするのが伝わってきた。僕は焦燥感を抑え込みながら、扉に背をもたれさせた。扉を隔てた向こう側にいる少女に、もうしばらく大人しくしておいてくれと念じる。
「それで、ニトさんは女子トイレで何をされてたんです?」
背中に汗がにじんだ。
「一応、ここも調べておこうかと思いまして。まあ、何にもなかったですけどね」
「なるほど。確かに女子トイレというのは、わたしたち男からすれば盲点ですものね」
感心したようにうなずいてから、司馬は言った
「では、わたしも少し調べてみることにしましょうか」
近づいてこようとした司馬に、僕は大いに慌てた。
「あ、待ってください!」
「はい?」
「いや、実は――」
ぎりぎりの選択だった。少女のことは隠したままでいたかった。少女が“財宝”のひとつだとわかれば、司馬たちがどんな行動に出るかわからないからだ。
たとえ鍵はもうひとつあるのだと教えても、到底信じはしないだろう。が、これ以上ごまかし続けるのも限界だった。ならば、この場を切り抜ける方法はひとつしかない。司馬たちが、少女のことを“財宝”のひとつであると気づく前に、逃げるのだ。
「今、ちょっと使用中なんですよ」
言いながら、僕は右手をノブから離した。
すぐに背後で扉が開く。「あ、やっと開いた」と、少女の声が聞こえた。
司馬が軽く目を見張る。僕はうしろに振り返り、少女に声をかけた。
「もう大丈夫? すっきりしたかい」
言ってから、女の子にかける言葉じゃないなと気づいた。デリカシーのないやつだと思われただろうか。が、今はそんなこと、どうでもよかった。
「うん、すっきりした」
少女はあっけらかんとしていた。
「けどドアノブが固うて、出られへんようになったかと心配したわ」
「まあ古い建物だからね、壊れてるのかもしれないな」
そんなことを言って、僕は適当に話をあわせた。目を驚かせたまま、司馬が問いかけてきた。
「ニトさん、その女の子は?」
「どうやら迷子みたいなんです」
苦しい嘘だとは思いつつ、他に思いつかなかった。
「仕方なく、いっしょに連れて来たんですよ」
少女が余計なことを言い出さないかと危惧したが、少女は意外にも「こんばんわ」と挨拶をしただけで、不自然な反応ひとつ見せなかった。
僕はようやく少女のことをはっきりと見ることができた。女の子にしては珍しい、耳がのぞくほどの短い髪をしていて、活発そうな印象がある。細くて長い足は、いかにも敏捷そうだった。
黒目がちな大きな瞳にはまだあどけなさが残っていたが、それが逆にまぶしく思えた。きっと、僕がとっくに失ってしまったものが、いっぱい詰まっているのだろう。
察するものがあったのか、少女は自分から僕と手をつないだ。
「へえ、迷子ですか」
値踏みするように、司馬は目を細めた。ぎゅっと、少女の手に力がこもるのがわかった。
無理もない。怯えているのだ。そう思ったとき、少女が口を開いた。
「うち、お父ちゃんと魚釣りに来ててん。でもはぐれてしもて、山ん中あちこち歩いてるうちにここに着いたんや。お腹減ってどないしょ思てたときに、このお兄さんに助けてもろてん。ほんま、助かったわ」
飛び出した関西弁に意表を突かれたのか、司馬は目を瞬かせた。が、すぐに笑みを取り戻し、言った
「そうだったんですか。優しいですね、ニトさんは」
「うん。このお兄さん、ほんま、ええひとやわ」
「そうしていると、歳の離れた本物の兄妹みたいですよ」
「ほんまに? それやったら、ごっつ嬉しいわ。うち、一人っ子やさかい、お兄ちゃん欲しかってん」
司馬を相手に、ぽんぽんと弾むような会話を交わす少女に、僕は目を丸くしていた。普段通りに対応しただけなのか、それとも機転を利かせてくれたのか。どちらにしても少女のテンポいい関西弁が、疑念と緊張に満ちた空気を軽やかなものへと一変させていた。
「ほなトイレも済んだし、お兄さん、行こか」
「え? あ、そうだね」
少女に言われ、僕はうなずいた。
「それじゃ司馬さん、僕たちは行きます」
「その子を連れて、ですか?」
そう問いかける司馬の瞳には、試すような光があるように見えた。僕は心のままにうなずいた。
「危険は承知の上です。けれど放ってはおけませんからね」
わずかな見つめ合いのあと、司馬はなぜか嬉しそうに口元をほころばせた。
「ではお元気で。ご縁があれば、またお会いましょう」
もう二度とごめんだ、と心につぶやきながら笑みを返し、僕は階段へと足を向けた。
うまく切り抜けることができた。僕はそっと安堵の息をつく。
でもどこかに居心地の悪さがあった。ひょっとして司馬は、全てを見抜いているのではないか。その上で、僕たちを見逃そうとしているのではないのか。
だとすれば、司馬は――。
いや、今はこの場を離れるのが先だ。そしてこのままゴールを目指せばいい。僕は少女の手を引きながら、足早に去ろうとした。
と、行く手に立ち塞がる者があった。




