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1章-2 白の聖騎士

 少し鬱になった。

 

 が、それも三本の煙草が灰になったときには治まっていた。

 自分の人生が無価値であることなどとっくにわかっていたことだった。僕に普通の人生は送れない。覚悟したのは中学校のときだ。

 

 それから十年、ゆっくりと死んでいくようなあきらめの気持ちが消えたことはない。ずっとそうやって生きてきた。誰にどう思われようがどう言われようが、いまさらどうってことはない。

 

 もちろん僕だってちょっとは傷ついた。いきなりおまえはニートだ、時間があってうらやましいなんて言われて一方的にパーティーを解消されたのだ。これからどうやって冒険を続ければいい? 

 

 感謝の想いだって偽りのない気持ちだった。この百数十時間、結構上手くやってきていたじゃないか。手に入れた宝物だって戦士用のものでなければ、ちゃんと譲る気だった。何だか丁寧に礼を重ねていた自分が馬鹿みたいに思えた。

 

 でもそれだけのことだ。所詮は顔も性別も出身地も何も知らないもの同士。縁が切れたからって嘆く必要はない。ゲームを進めていく上で、少しばかり厄介なことになったというだけのことだ――と、僕は自分に言い聞かせた。

 

 気を取り直し、僕は再びニトとなって仮想世界を歩き始めた。

 ゲームの中が現実の世界だったら、なんてことをちらりと考える。

 ウロボロスの世界では、僕はいっぱしの人間で、戦士としてちゃんと生きている。いっそ映画や漫画なんかでよくあるように、世界が逆転してくれないだろうか。

 

 ああ、また馬鹿げた妄想に浸りかけていた。僕は雑念を振り払い、ゲームに集中する。

 ボスキャラを倒したことで、僕には最後の迷宮へ挑戦する資格が与えられている。迷宮の最下層であり、数多い冒険者の中でもたどり着くことができるのはわずかな者ばかりだ。これまでに出会ったことのない怪物たちが徘徊している一方で、稀少アイテムが入手できる確率も高くなる。

 

 あの三人とパーティーを組んだままだったら、まだまだ足を踏み入れることはできなかったろう。せっかくひとりになったのだからその利点を最大限に活かすべきだ、などと自分を納得させつつ、僕は最後の迷宮へ繋がるワープゾーンに入った。

 

 明るい自然の広がる景色が、再び、薄闇に包まれたものへと変わる。

 最終迷宮、その名も「死と再生の魔都」。

 僕は今までにない緊張感を味わいながら、ワープゾーンから抜け出した。怖れることはない。僕だって一流の戦士だ。ドラゴンスレイヤーだってある。

 

 奮い立たせた気持ちは、あっさりとくじかれることとなった。そこらにたむろしているプレイヤーの誰も彼もが、伝説級の武器と防具で身を固めていたからだ。

 迷宮の入り口には小さなキャンプが張られていた。皆、ここで最後の準備を整えて迷宮に挑戦するのだ。

 

 キャンプの中を僕は小さくなりながら進んだ。地上ではあれほど乱舞していた「!」マークも、一切表示されることはない。ドラゴンスレイヤーなど珍しくとも何ともないということだろう。実際、それ以上に稀少な武器をぶらさげているプレイヤーもいる。

 

 ひどく場違いな気持ちになった。僕の身につけている冑や鎧だって悪い品じゃない。それでも周りの連中と比べると、みすぼらしく感じてしまう。

 

 何よりも、ひとりでうろついているのは僕だけだった。誰もが三、四人のパーティーとなって行動している。そんな中をひとりで歩くのはいかにも肩身が狭かったし、他人から見れば怪しいやつに見えるだろうことは容易に想像できた。

 

 僕は逃げるようにキャンプ地の隅へ移動した。ここまで来れば、他のプレイヤーの目にもつかないだろう。……とは言え、ひとりではどうしようもないのだが。

 引き返そう。僕が打ちのめされるような気分でそう思ったとき、画面の中でニトがひとりでに方向転換した。

 

『君、ひとり?』

 

 メッセージが表示されたのを見て、誰かに声をかけられたのだとわかった。

 やはり怪しいやつと思われたのだろうか。すぐにでも逃げ出したくなる僕の気持ちを無視して、ニトが自動的に声をかけてきた相手の方へ向き直る。


「あっ!」


 僕は思わず声を上げていた。

 目の前には真っ白な甲冑に身を包んだ戦士が立っていた。


『ウロボロス』の住人なら誰でもが知っている有名な噂がある。入手方法さえ未だ明らかにされていない究極の防具「神人の鎧」をまとったプレイヤーがいるのだと。その異名は“白の聖騎士”。最終迷宮にときおり現れては、冒険者たちに色々なアドバイスをしたり、ときには稀少アイテムを譲ってくれるのだという。

 僕は息を飲んだ。もしかして、もしかしてこのひとが……?


『ここに来たの、初めてだよね?』


 問いかけられて僕は我に返った。息苦しいほどに興奮しながら、キーボードを叩く。


『間違っていたらごめんなさい。ひょっとしてあなたは白の聖騎士さんですか』


 一拍の間を置いてから、白い戦士は言った。


『まあそう呼ぶひともいるけどね。でも本当の名前はベルって言うんだ』


 感激の一言だった。あの有名なプレイヤー“白の聖騎士”が僕の目の前にいる。会話している。名前まで知ることができた。ベル。なんて素敵な名前なんだろう。

 

 僕は完全に舞い上がりながら、自分のことを色々と伝えた。名前はニトで、初めてこの最終迷宮へやって来たこと。ついさっき、ドラゴンスレイヤーを手に入れたこと。そのあと長く組んでいたパーティーからはずされてしまったこと。

 聞き終えたベルは言ってくれた。


『そういうの、ありがちだね。稀少アイテムを手に入れたひとが仲間はずれにされちゃうってこと。このゲームにのめり込んでいるひとほど、そういうとき嫉妬に駆られちゃうんだよね』


 画面のこちら側で僕はうなずいた。傷ついた心がみるみる癒されていくようだった。出会ったばかりなのに、ベルは僕のことをわかってくれている。


『まあ、そんなひとたちがいるから、RMTで商売が成り立っちゃうんだけど』


 ベルがおどけたように言う。

 MMORPGを語るとき、常に問題とされるのがRMTだ。リアルマネートレード、つまり現金取引のことだ。

 ゲーム世界の通貨やアイテム、不動産を、実際の現金によって売買するという行為は、実は頻繁に行われている。

 

 現実世界と同じように、ゲームの中でも大金を得るには多大な努力と膨大な時間が必要だし、稀少アイテムや土地となると、入手することがそもそも困難だ。だから現金でそれを取り引きする。

 僕のドラゴンスレイヤーもおそらくは数万の値がつくだろうし、土地ともなれば、町の中での立地条件や広さから数十万円にもなる。現実世界と仮想世界での価値観が逆転してしまっているという好例だろう。

 

 必然的に、色々なトラブルも起こる。現金だけ受け取って行方をくらませてしまう詐欺は、その代表的なものだ。

 他にもゲーム内で出会った恋人に振られた恨みから、相手のキャラクターで不正にアクセスし、その所持品を捨てたことで書類送検された者もいる。罪状は不正アクセス禁止法だとか。どれもこれも笑い飛ばすには重たすぎる喜劇だ。


『ところでニトさん、キャンプの中は回ってみた?』


 ベルのメッセージは丁寧だった。句読点でさえ省略されていない。その一点だけを見ても、ベルの柔らかで繊細な性格が伝わってくるようだった。

 

 ひょっとすると、ベルは女性なのかもしれない。そう思いついて、余計に胸が高鳴ると同時に、気恥ずかしくなった。

 ベルの目から見て僕はどのように映っているだろう。やはり場違いなやつが来たと思われているのかもしれない。それどころか、怪しいやつだとして探りを入れられているのだとすればどうしよう。

 

 急にさっきまでとは別の意味で落ち着かなくなった。周囲のプレイヤーたちまでもが、じっと僕のことを警戒の目で見ているような気がしてくる。

 僕はなるべく丁寧に、それでいて時間をかけないように心がけてメッセージを打った。


『ついさっき来たばかりなんですけど、周りのひとが凄すぎちゃってもう帰ろうかと思ってたところなんです。まだちょっと僕には早すぎました』

『そんなことないよ。ドラスレも持ってるんだし』

『いえ、ベルさんに会えたことを土産話にします。それにひとりですし、また仲間を見つけて出直してきます』


 随分と卑屈なことを言っていると、自分でもわかっていた。それでも怪しまれるよりはましだった。正直、早く逃げ出したい気持ちになっていた。

 するとベルが言った。


『ならボクといっしょに回らない? 案内するよ』


 大いに慌てた。一体、どいういうつもりなのか。とにかくこれ以上目立ちたくないというのが本心だった。

 なのにベルは僕がいくら断ろうとしても、軽く笑うようなメッセージで取り合わない。


『いいから、遠慮することなんてないよ。せっかくここまで来たんだし……って言うより、ボクが暇なんだよね。だから付き合ってよ、いいでしょ? ね?』


 強引なベルの誘いに、どう対応していいかわからなかった。

 だからと言って、決して嫌な気分じゃない。何だか恋人にせがまれているような、むず痒さにも似た心地良さがあった。女の子とまともに付き合ったこともないくせにまったくいい気なものだ、と僕は自嘲する。


 何も言えずにいる僕を前に、ベルは『こっちだよ』とさっさと歩き出してしまった。

 仕方なくあとに続く。もうどうにでもなれという、開き直りの精神だ。いくら不審人物と注意されようが、今だけのことだ。男性キャラクターの顔パターンは全部で五十数種類しかない。僕と同じ顔をしたキャラクターも多いはずだ。明日になれば誰も僕のことなど覚えていないだろう。


『みんながキャンプを張っているこの広場を抜けると門があって、そこが最終迷宮の入り口になるんだよ』


 キャンプの中を進みながら、ベルは丁寧な説明をしてくれた。僕は観光地を引率される修学旅行生になったような気持ちで、話に耳を傾けた。


『この辺りにもときどきPKが出没するんだよね。だから気をつけて』


 PKとはプレイヤーキラーのことを指す。言葉通り、プレイヤーを殺す者という意味だ。

『ウロボロス』をはじめ、MMORPGはその世界における自由度が大きな特徴となっているが、その自由の中には“他プレイヤーの殺人”も含まれる。武器や魔法で攻撃することで、他のプレイヤーを殺すことが可能なのである。


 僕も殺されたことがある。瀕死の重傷を負いながら怪物と戦っていたとき、仲間の放った魔法に巻き込まれて、あっという間に昇天してしまった。よくある事故だ。逆に僕の振り回した剣で仲間を傷つけてしまったこともある。そんなときはお互いさまだと謝って終わりだ。


 だが無差別に襲い掛かり、殺人を楽しむプレイヤーもいる。それがPKだ。ひとが逃げ惑ったり、怒ったりするのを見て楽しむのだとか。まったく理解できない歪な精神だと思う。


“殺人”を犯したプレイヤーには色々なペナルティーが与えられる。レベルが下げられるとか、衛兵に狙われるとか、地獄に落とされるとか、その罰はゲームによって様々だ。

 それでもPKとして徘徊するプレイヤーはあとを絶たない。特に『ウロボロス』では殺した相手からランダムにアイテムを入手できるようになっているため、“強盗”を目的としたPKも多いのだ。


『僕のこともPKのように見えませんでしたか』


 こういうとき、メッセージはいい。こちらの表情や口調は一切伝わらない。内心ではどんなに気負った言葉でも、表示された文字は平然としているように見える。

 悪人だと疑われているのではないだろうか。それは僕が一番気になっていることだった。


『見えないけど。どうして?』


 あっさりとしたものだった。ベルがきょとんとしている様子まで伝わってくるようだった。


『僕はひとりだったし、やっぱり怪しいかなって』

『心配いらないよ。ニトさんを見るの初めてだったしね』

『初めてと言うと?』

『憶えてるんだ。ここに来たひとは全部』

 

 僕は目を見張ったあと、すぐに苦笑した。軽い冗談だ。そんなことあるわけがない。僕は『からかわないでくださいよ』と「W」の三連打で笑いながら返した。


『ホントだよ』ベルは当然のように言った。『顔のパターンと装備を組み合わせるんだよ。男性キャラなら顔パターンが五十四種類。そのキャラが戦士の場合、あとの装備は兜、鎧、盾、剣、籠手、具足の六種類。これが全部一致するなんてことはほとんどないからね。ちゃんと区別できるんだ。もちろんこれから初犯ってPKまでは別だけど』


 僕は唖然とした。確かに理屈ではその通りだ。だがやってくる冒険者を全て暗記しているとは……。僕は途方もないものを目の前にしているような気持ちになった。


『でも何のために冒険者を憶えるんです?』

『自然と頭に入っちゃうってことがあるんだけど』一度メッセージを切ってから、ベルは続けた。『楽しいんだよね。こうやって出会って、友達になって、いっしょに冒険するのが』


 ベルは本当に話しているかのように、よどみのない長文を表示させていく。


『現実世界じゃ、なかなか気の合うひとっていないじゃない。でもここで会うひとなら、少なくともゲームって共通項があるわけでしょ。しかもここは最終迷宮、このゲームが好きで好きでたまらないってひとしかやって来ないもんね』

『だから気の合う相手が見つけやすいと?』

『そういうこと。まあ実際はそんなに単純じゃないけどね』


 ベルは苦笑するようなメッセージで締めくくったが、僕にはすごく理解できる話だった。


『それで僕にも声をかけてくれたんですね』

『ボクも気持ちわかるんだ』


 唐突なベルの言葉に、僕は「?」キーを押した。画面の中でニトが考え込むような顔つきになる。


『ボクも最初、ここにたどり着いたときひとりだったんだ。まだウロボロスがスタートして日が浅かったから、あまりプレイヤーもいない上に、周りはパーティー組んでるひとばかりでさ。本当に心細かったよ。そのときの気持ちが忘れられないから、今じゃひとりでいるひとを見つけてはしゃべりかけてるってわけ』

『やさしいんですね。ちょっと感動です』


 現実世界ではとても言えないようなクサイ言葉を僕は打っていた。紛れもない本心だった。

 ベルは「¥」キーによるピースサインを作りながら、照れるように言った。


『だってこのゲームが好きな仲間だもん』


 表示されたメッセージはすぐに消えた。

 だが僕の胸はじんと熱くなっていた。このゲームが好きな仲間。それはとても素晴らしい考え方だと思えた。別れてしまった三人に対するわだかまりも、捨てることができそうだった。


『ねえ、いっしょに迷宮へ入ってみない?』


 ベルの誘いを断る理由などどこにもなかった。僕は是非にと言って、ベルといっしょに最終迷宮「死と再生の魔都」へ足を踏み入れた。


 キャンプ地から門をくぐり抜けると、周囲の闇が一層と濃くなった。不思議だったのは、これまでのような石造りのトンネルが続くのではなく、そこに廃墟と化した建物が並んでいることだった。

 中世ヨーロッパを思わせる町並みで――とは言っても、中世のヨーロッパがどんな風だったのかは知らないのだけれど――石畳の道が続く先には噴水も設けられていた。


『この最下層の迷宮は魔都と呼ばれることからもわかるように、古に滅びた都という設定なんだよ』


 僕の戸惑いを察したかのように、ベルが説明してくれる。


『かつては賢者たちが暮らした伝説の都だったんだけど、大規模な魔導実験の失敗により滅びてしまったって物語になってる。だから強力な魔導生物が徘徊する一方で、他では決して手に入れることのできない貴重なアイテムも見つかるってわけさ』


 僕は廃墟の町を物珍しげに見回しながら進んだ。薄汚れて崩れかかった建物は、一軒ずつが違う形をしていた。細かなところまで描かれているな、と感心してしまう。プログラマーの意気込みが感じられるような風景だった。


『ここにある建物の幾つかでは宝箱が見つかるよ。また今度、時間のあるときにゆっくり探してみるといいよ。まあ、そんなに大したものは見つからないけどね。でも一箇所だけ、見落としがちなところがあるんだ』


 そう言ってベルが向かったのは、廃墟の町をはずれたところだった。


『ほら、あそこ』


 ベルが指し示す方向に、ぼんやりとした明かりが見えた。よくよく注意していないと気づかないほどの小さな光だ。

「?」キーで首を傾げる僕を、ベルが『まあ、行ってみなよ』と急かした。ベルが何かを企んでいるとは察したが、僕はあえて乗ってみようという気になった。

 先陣を切って明かりの方へ向かうと、そこにも打ち捨てられた家が建っていた。光はその中から洩れているらしい。


 僕は建物の入り口に立った。傾いた木製の扉の隙間から、淡い光がこぼれている。

 軽い緊張感を味わった。

 これまでの冒険でも同じように、幾度となく扉の前に立つことがあった。そんなときは必ず剣を抜いていた。冒険者の鉄則だ。扉を開いた途端、怪物に襲い掛かられることはよくあることだ。


 でも今は、剣を抜かないでおこうと決めた。

 いきなり怪物が襲ってくるような場所へひとを誘うような、そんなつまらないことをする相手だとベルのことを思いたくなかった。

 

 扉を開く。ひと呼吸の間、待った。

 何も起こらない。大丈夫、怪物はいない。

 僕は建物の中へ入った。

 光の正体がわかった。幾つもの人魂が、薄い光を放ちながら部屋の中をふわふわと泳いでいた。


 と、急にその人魂が集まり始め、ひとの姿を形作った。

 ひとりの老人が現れた。奇妙な模様が刺繍されたローブを身にまとっている。その体は幽霊のように透けていた。

 

 NPCだとすぐにわかった。誰かが操作しているのではなく、プログラムによって行動するキャラクターだ。物語を展開させたり、プレイヤーを導くために配置されている存在だ。


『かつてここに暮らしていた賢者の亡霊なんだよ』


 ベルが説明を付け加える前で、老人がこの町で起こった悲劇について語り始めた。

 僕はその話を聞きながら、自分の判断が間違っていなかったことに満足した。ベルを信じることができたこと。ベルが信じた通りの相手だったこと。些細なことかもしれないが、それはとても気持ちがいいものだった。

 話し終えた老人は、思い詰めたような表情で最後に言った。


『……呪いにより、わしの力ももはや尽きる。どうか冒険者の方々よ、この町を滅ぼした邪神を倒し、我らの魂をお救い下され』


 不意に老人の姿が歪み、そのまま掻き消えた。

 老人の立っていた場所には、光るものが残されていた。何かのアイテムだ。

 画面上の光に重なるようにニトを移動させ、「拾う」を実行。すぐにメッセージが表れた。


『ニトは“知識の宝玉”を手に入れた』


 初めて目にするアイテムだった。少なくとも武器や防具の類いではない。

 僕は「?」キーでベルに問いかける。待ってましたとばかりに答えが返ってきた。


『それを持ってるとね、この最終迷宮に登場する怪物のことがわかるんだ。名称はもちろん、種族や特性、弱点までもが表示されるようになるんだよ』


 僕は軽く驚いた。


『それってかなり重要なアイテムなのでは?』

『でしょ。ここの怪物って強いやつばかりだから、知識の宝玉があるかないかで、随分と難易度が変わっちゃうの。だけどみんな、結構見落とすんだよね。近くの廃墟を回って、そのまま先へ進んじゃう』

『僕も教えてもらわなかったら、きっと気づかなかったと思いますよ。ホントにどうもありがとう』

『そう言ってもらえると嬉しいよ。先のこと全部わかっちゃったらつまらないだろうけど、このぐらいは、ね』


 ベルは照れるのをごまかすようにまたピースサインを作ってから続けた。


『じゃあもう少し先へ進もうよ。時間も遅いから、あまり長くいられないけど』


 時計を見ると三時半になろうとしていた。今は初夏だけに、あと一時間もすれば空は白み始めるだろう。

 でも僕に否という気持ちは微塵もなかった。キーボードを叩く指もまだまだ快調に動く。


『よろしくです。ドラスレの切れ味も試してみたいですし』

『あれ? もしかしてまだ使ったことないの』

『恥ずかしながら』

『じゃあ行ってみよう。廃墟を抜けたところにヘルハウンドが出現するから』

『試し切りにはもってこいですね。腕が鳴ります』

 

 それから僕たちはつかの間の冒険を楽しんだ。時間帯もあってか、他のプレイヤーにはほとんど出会わなかった。ふたりきりの冒険だった。

 

 僕の勝手な思い込みかもしれないが、僕たちコンビはぴたりと息が合っていた。もうずっと長くいっしょにいるような感覚さえあった。冗談を飛ばし合いながら、協力して怪物を退治していった。ドラゴンスレイヤーを手に入れたときの興奮がかすんでしまうほど、僕はベルとの冒険を楽しんでいた。

 

 僕はいつになく饒舌だった。両親がすでにいないことや、現在は無職で、ときどき短期アルバイトをしているだけの身分であることなど、普段なら隠しておくことまで、ベルには気軽に話せた。

 再びキャンプ地に戻ってきたとき、すでに窓の外は明るくなっていた。


『今日はホントに楽しかったよ』


 そう言うベルに、僕も同じ言葉を返した。

 ベルは今日の記念にと、アイテムを渡してくれた。


『ニトはベルから“水竜の盾”を受け取った』


 メッセージを読んで僕は慌てた。それはドラゴンスレイヤーと同じく“竜族の装備”と呼ばれる稀少な防具だった。


『こんな貴重なものをいいんですか???』

『構わないよ……って言うより、ニトさんに受け取って欲しいんだ』

『どうお礼を言っていいかわからないぐらいです。でもどうして僕に?』

『嬉しかったからだよ。ボクのこと、普通の冒険者と同じように接してくれてさ』


 また「?」キーを返す僕に、ベルは言った。


『白の聖騎士なんて呼ばれるようになってからさ、みんな、ボクを見つけるとアイテムをねだってくるんだよ。もちろんRMTでね。ボクの着ている神人の鎧に百万円出すってひともいたぐらいさ。ホント嫌になっちゃうよ』


 ベルのため息が聞こえるようだった。しかし百万円とは……。僕は呆れるやら感心するやらという思いだった。


『でもニトさんは全然そんなこと言わなかったから。ひとりの冒険者としてゲームを楽しめたのは、すごく久しぶりだったんだ』


 上級者にしかわからない悩みもあるものなんだな、などと納得する僕に、ベルは『それにね』と続けた。


『あの賢者の家で、ニトさんは剣を抜かなかったでしょ』


 僕はわずかに目を見開いた。


『あれって、ボクを信用してくれたってことだよね。そのことが一番嬉しかった』


 僕は画面の前で動きを止めていた。思いはちゃんと伝わっていた。わかってくれていた。僕はベルとの間に、強い絆が結びついたような気がした。

 僕は心からの気持ちを打った。


『ありがとう。大切に使わせてもらいます』


 僕がピースサインを送ると、ベルも同じように応えてくれた。


『また会えますか』


 普段なら迷惑にならないだろうかと考えて、なかなか言い出せないセリフを、僕は素直に打つことができた。

 ベルは「!」キーによる驚いた顔を見せた。


『その言葉を待ってたんだよ!』


 僕はまた嬉しくなってしまった。僕がベルに対して感じていた友情にも似た思いを、ベルもちゃんと抱いてくれていたとわかったからだ。

 でも続くベルのメッセージは、僕の予想を超えたものだった。


『実はオフ会をするんだ』


 オフ会というのは、ネットで出会ったひとたちと実際に顔を合わせるために集まることをいう。ネットで話しているときの「オンライン」に対して、接続を切った状態である「オフライン」から生まれた言葉だ。

 ベルはそのオフ会をやろうと言っている。今度は僕が「!」で驚く番だった。


『オフ会って、どういうひとたちが来んです?』

『もちろん、このウロボロスで会ったひとたちだよ。ボクも初めて会う人ばかりなんだけどね。ぜひニトさんにも参加して欲しいな』


 僕は内心で迷いながら、その迷いを悟られないために質問を続けた。


『日にちはいつなんでしょう?』

『それが急でさ、明後日なんだ。いや、もう零時を越えてるから、正確には明日ってことになるのかな』


 僕はまた「!」を押すこととなった。


『さすがに無理っぽい? 予定入ってる?』


 正直に言えば、予定などまったくなかった。アルバイトはここ数ヶ月していないし、約束をするような相手はそもそもいない。

 なのにすぐ返事ができなかったのは、ひとと会うのが苦手だからだ。苦痛と言ってもいい。

 

 僕がつまらない男で、くだらない人間だと見抜かれたらどうしよう。いや、きっとすぐに見抜かれるに決まっている。強迫観念に近いそんな思いがいつもつきまとう。無価値な僕が、価値あるひとたちといっしょに過ごさなくてはいけないのは、いつもとても辛いものだった。

 やっぱり断ろう。思ってキーボードに指を伸ばしたとき、ベルが先に言った。


『とにかく一度、ここへアクセスしてみてよ』


 続くベルのメッセージには、英文字と数字の羅列が表れた。ホームページのアドレスだった。

 僕は手早くメモしてから訊いた。


『これって何のアドレスです?』

『オフ会の詳細が載せてあるんだ。ゲーム中のメッセージで伝えると、どこから見られているかわかんないからね』

『何だか秘密めいてますね』

『もちろん。限られたひとだけで楽しくやりたいもんね。集まるメンバーも、いろいろなひとの中から厳選してるんだから』

『僕はそれに合格できたわけですか?』

『ばっちりだよ。ボクが思うに、ニトさんは今回のメンバーでも一番の注目株だね。理想の冒険者だって感じるんだ』


 持ち上げすぎだと思ったが、悪い気はしなかった。


『まあくわしいことはHPで。ニトさんにもきっと喜んでもらえると思うな』


 僕は嬉しいような弱ったような気持ちで、そっとため息をついた。

 少なくともこの場で断ることはできそうにもない。ベルが純粋な気持ちで僕のことを歓迎してくれているのがわかったからだ。


『じゃあHPを見させてもらいます。都合がつけば参加したいと思います』

『うん、きっとね。ボクも楽しみにしてるから。じゃあね、ニトさん』


 本心を偽った僕の言葉をまったく疑う素振りのないまま、ベルは光に包まれて消えていった。


 僕も「帰還」コマンドを選ぶ。

 ニトが光とともに消え去ると、画面はまぶたを閉じるように暗転し、『ウロボロス』のタイトルロゴを映し出した。

 現実世界への帰還。ここにいるのは、強大な怪物にも剣一本で立ち向かう戦士ニトではなく、オフ会に参加することにさえ及び腰になっている男がいるだけだ。

 

 途端に疲れがのしかかってくる。目の奥に鈍痛があり、体も重い。煙草に手を伸ばすのも億劫だ。ベッドに入ればすぐ、落ちるように眠れるだろう。

 

 だが僕はなおもキーボードとマウスを操作し始めた。とりあえずホームページだけは見ておこう。

 僕は大きな欠伸を漏らしながら、メモしたアドレスをのろのろと打ち込んだ。


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