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3章-2 廃校② ~逃走~

 

 階段を上る前に、廊下側を一度、のぞいてみた。

 一番手前は「用務員室」となっていた。だがその向こうの部屋は、もう識別ができない。

 ライトを照らせば、掲げられているプレートを読むことはできるだろうが、安全を考えればとても実行しようとは思わなかった。


 校舎の大きさから考えて、走って回ったなら、ニ十分もあれば全教室を確かめることができるだろう。が、どこに殺意を抱いた敵が潜んでいるかわからない状況では、一歩ずつ確かめるように進むしかない。


 僕たちは沈黙を守りながら、ゆっくりと階段を上り始めた。その際、壁際に沿って行くことを厳守する。以前に警備員のアルバイトをしたときに教えられた知識だ。こうすることで、踊り場や曲がり角でいきなり襲撃者と鉢合わせすることを避けられる。


 手に持つのはマグライトだ。ライトは点灯しないまま、肩で支えて保持しておく。それまで手にしていた火炎瓶はヒップバッグのポケットに入れておいた。こういった建物の中では、いざというとき、格闘ができるマグライトの方が役に立つ。本当に闘えるのかどうかは、また別問題ではあるが。


 階段は踊り場を挟んでくの字の形に折れ曲がり、二階へ通じていた。耳に神経を集中させていたが、何ら異常な気配を察知することのないまま、二階へたどり着くことができた。


 階段を上り切り、左手へ進む。そこがさっきまでいた入り口の広間の、真上に当たる場所となる。

 壁に背を預け、顔だけのぞかせる要領で掲げられたプレートを読んだ。「音楽室」となっていた。


 小さなため息が出た。簡単に見つかるとはさすがに思ってはいなかったものの、やはり落胆はあった。この学校から一刻も早く抜け出したいという思いが、焦燥感となっている。


 音楽室の逆側――廊下の方ものぞき見た。一階と同じく、廊下には様々な荷物が放置されている。人影らしいものは、やはり見えない。


 僕たちは廊下に身をさらし、改めて音楽室へ向き直った。

 入り口の扉は開いたままとなっている。

 香澄が姿勢を低くして中の様子をうかがった。ひと呼吸のあと、教室内へ向けてライトを点灯した。


「ダンボール箱があるわ」


 囁き声で言ってから、香澄は音楽室へ体を滑り込ませた。廊下側を警戒しつつ、僕もあとに続く。

 音楽室とは名ばかりで、部屋の中に楽器はひとつも見当たらなかった。楽譜の描かれた黒板と、壁に貼られた古ぼけた音楽家の肖像画だけが当時の姿を忍ばせている。


 ダンボール箱は、モーツァルトやバッハらが微笑んでいる足元に置かれていた。側面にはマジックで書かれた「宝箱」の文字。ガムテープの封は破られ、中は空っぽだった。


 わかっていたはずなのに、静かな緊張が走った。自分たちが遅れをとっている事実を形として見せつけられた思いだった。


「急がなくちゃいけないわね」


 僕たちは神妙な顔でうなずき合ってから、音楽室をあとにした。話していた手順通り、再び一階へ戻ろうと足を向ける。


 そのときだった。ガラスの割れる音が響いた。体がびくりと跳ねた。

 近い。どこだ? 探る間もなく、階上から足音が迫ってきた。


 誰かが走って来る。察すると同時に、足音が変化した。階段だ。何者かが階段を駆け下りて来る。


 咄嗟に香澄の手を取った。廊下の方へと走る。

 姿を見られるわけにはいかない。それをまず思った。階段を下りなかったのはそのためだ。


 身を隠す場所はひとつしかなかった。音楽室とは逆側にある一番手前の教室。幸運にも扉ははずされていた。


 香澄の手を引きながら、教室へ飛び込んだ。

 刹那の時間で見回す。黒板。教室のうしろに並んだ小さなロッカー。隠れる場所はどこにもない。


 かと言って、突っ立っているわけにもいかなかった。教室は外側と同様に、廊下側にも窓がはまっている。廊下からは、中が丸見えとなる。


 迫る足音が大きな音を立てた。階段を数段、飛び降りたのだろう。直後、はあ、という荒い息遣いまで聞こえた。

 僕は香澄を抱き寄せた。そのまま強引に、扉を入ったすぐ横の壁、教室の一角へ体を張り付かせた。


 古典的な方法だ。ちょっとのぞかれれば、すぐに見つかる。

 だが他に思いつかなかった。あとは運を天に任せるしかない。


 身を潜めた直後、足音が廊下を駆け抜けた。行ったのか? 助かったのか? 見つからずに済んだのか?


 答えはすぐに出た。さらに複数の足音が近づいてきた。

 誰かが追いかけられていたのだと直感した。だとすると、最初の足音は、冒険者側の誰かだったに違いない。


 頼む、そのまま通り過ぎてくれ。そう願った。

 メンバーの誰かが危険に陥ることを気遣う余裕などなかった。お前たちが追いかけていた相手は向こうだとさえ、胸中で教えていた。


 小さく素早く太鼓を叩くような足音が、廊下に満ちた。ひとの気配が熱となって伝わってくるようだった。沈殿していた空気がいっせいに動き始めるのがわかった。


 幾つかの足音は、僕たちのいる教室の前を通り過ぎた。が、すぐにその動きは止まった。追いかけられていた誰かも、どこかの教室へ逃げ込んだのだ。


 ひとの声が聞こえた。短く言葉を交わしているようだ。何を言っているのかは聞き取れない。が、相手を見失ったことで戸惑っているのだと察することができた。


 さっさと行ってくれ。思わず、そう叫びそうだった。

 がらりと音が聞こえた。扉だ。教室の横引き扉を開いた音だ。それも近い。隣の部屋かもしれない。


 全身に戦慄が走った。追っ手が探索を始めたのだ。

 近くの教室を全部調べるつもりだろうか。それとも、およその見当がついている上で、相手を追い立てようとしているのか。


 どうする? どうすればいい? 迷うばかりで動けない。動けば、それが命取りになるように思える。

 また一枚、扉が開かれた。その音が遠くなっているのか、近くなっているのかわからない。


 と、胸に圧迫する力を感じた。

 香澄が間近から僕のことを見上げていた。僕はようやく、自分が香澄を抱き締めていたことを思い出した。

 香澄は僕の胸を軽く押しながら「離して」と囁いた。


「ご、ごめん」


 慌てて僕は香澄を開放した。

 香澄は離れなかった。僕の胸に手を添えたまま、体重を預けてきた。壁に押し付けられる格好になり、僕は動けない。


 香澄が目を閉じ、そっと顔を近づけてきた。真っ白の時間が訪れる。

 唇が塞がれた。乾いていた唇が、香澄の唇で濡らされた。


 僕は一ミリも動けなかった。きっと息もしていなかった。

 やっと目を瞬いた。香澄はもう離れていた。


「どう、落ち着いた?」


 香澄が微笑んだ。風邪を引いた子供に、体の具合を聞くような優しい笑顔だった。


「平介の心臓の音、すごいんだもの」


 自分の顔が、自然とほころぶのがわかった。キスをした。キスをしてもらった。それはとても、今までの人生で最高と言ってもいいぐらい、幸せなことだった。


「ありがとう」


 僕は気持ちをそのまま言葉に変えた。香澄はちょっとびっくりしたような顔をしてから「馬鹿ね」とまた笑った。

 不思議なぐらいに僕の心は平静を取り戻していた。揺るぎない力が漲っている。そんな気さえした。


 だが危機は未だ去っていない。廊下にはまだひとの気配がしている。どこかでまた、扉が開かれる音がした。


「ここでじっとしていても駄目よ。じきに見つかってしまうわ」

「だからって、廊下に出るのはもっと危険だよ」


 僕たちは体を密着させたまま、囁き声を交し合う。とは言っても、甘い雰囲気は微塵もない。話す内容は、命懸けの脱出方法についてだった。


「逃げ道なら他にあるじゃない」

「どこに?」


 驚く僕に、香澄は親指で教室の外――廊下と逆側を指した。

 まさか、窓から飛び降りると言うつもりだろうか。そんな馬鹿げたことを一瞬考えたあと、すぐに香澄が指さしたものを見つけた。


 教室の外には、ベランダが存在していた。非常口の役割も兼ねていたのかもしれない。よく見ればベランダへ出入りするためのドアも設置されている。教室の内部ばかりに気をとられていたために、見落としていたのだ。

 

「よく見て。あのベランダ、隣の教室まで繋がってるわ」


 香澄の指摘通りだった。

 ベランダを出て右手側は、さっき上ってきた階段がある空間のために行き止まりとなっているようだったが、左手側は壁や柵にさえぎられることなく、ずっと続いているのがわかった。ベランダを伝って行けば別の教室へ逃げることができる。


「でも問題は、どうやってベランダまで行くかだよ」


 ベランダまでは、教室を横切るほんの七、八メートルを行けばいい。だが今は、それが途方もない距離に思えた。

 移動している間、ほんの一瞥でも向けられてしまえば、たちどころに発見されることになる。しかもベランダへ通じる扉は閉じられていた。開くのにはさらに数秒を要するし、大きな音が出るかもしれない。


「わかってる。でも、やるしかないわ」

「やるって、何を?」


 答える代わりに香澄は体を離し、ライターに火を点けた。


「ここはわたしに任せて」


 香澄は花火を取り出した。

 

「いい? これで相手の目を引きつけるわ。その間に逃げるのよ」


 わかった、と僕がうなずく前に、香澄は花火に点火した。途端に花火はシャワーのような火の粉を散らせ始める。


 香澄が廊下へ花火を転がした。廊下の闇がぱあっと明るくなる。間髪入れずに花火の勢いは強まり、一発目の光弾が発射された。

 大気を切り裂くような甲高い音とともに、光が廊下の向こうへ飛んでいく。一方、花火の本体はその勢いで、ロケットのように火を噴きながら、逆側へ滑って行った。


 たちまち廊下には、悲鳴とも怒号ともつかない声が満ちた。辺りに火花を撒き散らし、煙をもうもうと立てながら、光弾が次々と飛んでいく。突然、発生した人工の光と煙に、廊下にいた連中が混乱状態に陥るのがわかった。


「今よ!」


 香澄の合図で、僕たちは教室のベランダへと走った。できる限り姿勢は低く、しかし速度は落とさぬように。

 二秒か三秒。それで扉までたどり着いた。廊下側とは異なり、押し開くタイプの扉だ。


 ノブに手をかけてひねる。力いっぱい、押した。

 開かない。扉全体が揺れただけで、びくともしない。


 なぜだ? もう一度、押す。駄目だ。鍵がかかっているのか? 調べようとしたが、手元が暗くてよくわからない。

 焦りが圧し掛かってくる。意識とは無関係に、僕は廊下の方へ振り向いた。


 眩暈がした。花火はもはや沈黙している。何連発だったのかは知らないが、もう燃え尽きてしまったのだ。

 くそっ、頼む! ノブをひねりながら、駄々をこねるように扉を揺すった。


 ふと抵抗がなくなった。わ、と無様な声を上げながら、僕は尻餅をついた。

 扉が開き、夜気が流れ込んできた。何て間抜けなんだろう。ここは押し扉じゃなかった。引き扉だったのだ。


「先に!」


 囁き声で叫び、香澄をうながした。

 香澄は小動物が逃げるように、開いた扉の隙間に身を滑り込ませた。

 廊下に響く幾つもの足音を聞きながら、僕は足をもつれさせるようにして、ベランダへ身を投げ出した。


 半瞬の差もなく、香澄が扉を閉めた。思った以上に大きな音がした。空気抵抗を押し潰したとき特有の、重たい音だ。

 気づかれただろうか? 危惧したが、確かめようとは思わなかった。窓の端から顔をのぞかせたことで見つかってしまったら、それこそ最後だ。


 息つく間もなく、僕たちはベランダを移動し始めた。ベランダは大人がふたり横に並ぶ程度の幅しかない。香澄が先陣を切り、そのあとに僕が続く。

 

 ほとんどしゃがみ込むような格好で進まねばならなかった。窓ガラス越しに見つかる危険を考えれば、中腰にさえなれない。全面ガラス張りである扉の前を通過するときは、特に警戒しながら進んだ。


 ベランダにも多くの障害物が放置されていた。植物を育てるための鉢だ。素焼きや色つきのプランターが、ごろごろと転がっている。

 かつては朝顔やひまわりが、児童の手で育てられ、その目を楽しませていたのだろう。今の僕たちにとっては、よく響く音を立てる、邪魔者以外の何ものでもなかった。


 物音を立てぬように細心の注意を払いながら、三つか四つの教室を越えた。行く手に伸びるベランダの残り距離から推測すれば、L字型である校舎の、長い建物側の半ばにいるらしい。


 校舎の中がどういう状況なのか、外からではわからない。だからこそ、いつまでもベランダを進むのは危険だと感じた。ベランダを往来するのは、何も僕たち冒険者側にのみ与えられた特権ではない。花火で虚を突いたものの、いつ“怪物”役たちがベランダに現れないとも限らない。

 僕は前を行く香澄の背中を指で叩き、小声を飛ばした。


「どこか適当な教室へ入ろう。ベランダに居続けるのは、逆に危ないよ」


 問い返すこともなく、香澄は無言でうなずいた。

 一番近い扉は、香澄のすぐ前にあった。他の扉と同じく、全面が鉄線入りのガラス張りとなっている。

 香澄が顔半分だけで中の様子をうかがった。


「いいわ。誰もいないみたい」


 そう告げると、香澄はためらうことなく扉を開き、俊敏な動きで教室へと足を忍ばせる。遅れまいと僕もすぐあとに続き、音を立てぬように扉を閉めた。


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