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2章-7 賢者の塔へ

 

 ひとつ丘を越え、たどっていた道が下り坂になったとき、眼下の視界が一気に開けた。

 広い平野部をひとすじの川が横断し、その向こう側に村の中心部が遠望できる。上から見下ろすことで田畑の区割りもはっきりと見て取れ、その間を細道が縦横に走っている様子も分かった。


 特に目に付いたのが平野部の奥――向こう側の山すそに建つ、学校の校舎だった。

 距離はまだ一キロ近く離れているだろうが、更地の真ん中にあるために、その姿はとても目立っている。L字型の建物で、三階建てというところか。これまで壊れた家屋しか見かけなかった中、校舎は威風堂々とそびえているように見えた。


「あの学校が、ゲームに無関係とは到底思えないわね」


 香澄と同じ考えだった。僕たちは足を止め、前後の道が見通せる場所に移動してから、パソコンを開いた。

 迷うことはなかった。最終迷宮の地図にも、ほぼ中央に位置するところに巨大な建築物があることが記されている。その名も“賢者の塔”。


「と言うことは……」


 輝きの増したように見える香澄の瞳に、僕はうなずいた。


「あの学校のどこかに、五千万円の小切手が隠されてるってことだよ」


 ――迷宮の半ばには“賢者の塔”が建っているんだけど、そこには最高の財宝が眠ってるんだ。


 ベルは確かにそう言っていた。あの校舎のどこかに“財宝”があるのは間違いない。では、それはどこなのか。当てずっぽうに探すには、学校という場所は広すぎる。


「この地図がヒントになってるはずだよ」


 僕は“賢者の塔”に関する情報を順に調べ始めた。

“賢者の塔”に関する地図は、独立して別に記されていた。付記されている注釈も圧倒的に多い。


「ごめんなさい。わたし、よくわからないわ」


 いっしょに地図をのぞき込んだ香澄は、途端に目を白黒させた。

 無理もない。描かれている地図には、ゲームをやり込んでいる者でなければ理解できない記号や専門用語が乱発されている。


「任せて」


 僕はひとり地図に向き合った。内心には、名誉を挽回するチャンスだ、などと意気込む自分がいる。


 羅列されている注釈の中で、実際にヒントとなるのはひと握りのはずだった。

『魔導生物実験室』や『巨人族の死体』が実現されているとはさすがに思われなかったし、第一、建物の階数が違う。ゲーム中の“賢者の塔”は全十三フロアとなっている。

 雑多な情報の中から、僕は“財宝”に関する記述だけを拾い集めた。


「どうやら滅びた賢者たちの遺産は、塔の最上階に封印されてるらしいね」

「最上階? ってことは、屋上かしら」

「いや、僕の予想では、言葉通り、最上階のどこかにあるんだと思う」


 ゲームの塔にも屋上があることが記されている。塔を脱出するためのワープゾーンがあるらしい。となると、屋上と最上階は別だと考えるほうが妥当だと、僕は読んだ。


「けれど最上階と言っても、学校ならたくさん部屋があるわよ」

「そうなんだけど……」


 僕はそこで言葉を濁さなくてはならなかった。香澄の指摘通り、もう少し場所を限定できるヒントがあっても良さそうなものだったが、最上階であるという情報以外に、財宝の場所を示す記述はない。


「簡単に手に入ったんじゃ、つまんないってことかもしれないわね」

「でも重要なこともわかったよ」


 僕は少し胸を張る気分で言った。

 

「賢者の遺産は、鍵がなければ手に入らないと書いてある。“知識の宝物庫”という場所にあるらしい」

「宝物庫って?」


 僕は小さく首を振った。


「ヒントは“宝物庫”の方じゃなくて、“知識の”という言葉にあると思うんだ。学校には必ずあるだろ。“知識”がたくさん置かれている場所が」


 あ、と口を開いてから、香澄は言った。


「図書室のことね」

「勝手な推測だけどね。一番に調べてみる価値はあると……」


 科白の途中で腕を引かれた。


「さあ、行くわよ、平介!」


 坂道を下って行くにつれ、遠望できていた村の全体図が、再び平地の凹凸や雑木林の向こうに沈んでいった。

 周囲の地形は開けていくのに、見通しは逆に悪くなっていく。それにつれ、しばらく薄れていた警戒心と緊張感が、また色濃さを増し始めていた。


 手には火炎瓶を持ち、催涙スプレーはいつでも取り出せるようにポケットに準備していた。情けないことにどちらも香澄から譲り受けたものだ。思えば僕が自分で手に入れたのは、これまでにフロッピーディスク一枚きりだった。


 この先にいるだろう“怪物”役はどんな武器を持っているのだろう。他の連中はどんなものを手に入れているのだろう。

 小屋で襲ってきた相手は斧を持っていた。宝箱にあったのはスタンガンだった。それらの事実から類推するだけで、暗澹たる気分を禁じ得ない。


 だが本当に問題なのは、相手がどんな道具を持っているかということではなかった。


 ――自分が生き残るために、誰かを殺す。その覚悟がある。そういうことだと思うわけです。


 ユマノンが最期に突きつけていった問いの答えは、未だ僕の中にはない。答えが出せるのかどうかでさえ、今の僕には自信がない。

 最悪だとわかりながら、僕は思考を停止することで、現実に目をつむっている。


 丘陵地から平野に入ると、それまでの一本道は四方に分かれていた。地図によれば“賢者の塔”へと続く迷路が存在している辺りとなる。無論、ただの廃村にそんなものが造られているわけはないのだが、かつての田畑に沿って巡らされているあぜ道は、冒険者を惑わす迷路のように思えた。


 目指す学校はまだ随分と距離を置きながらも、村の中心部を越えた向こうにその影をのぞかせていた。道筋は大きく分けてふたつ。ひとつは川を越え、村の中心部を抜けていく道、もうひとつは川の手前に広がる田畑の中を、川に沿って進む道だ。


「どうしよう?」


 僕は香澄に問いかけながら、内心では後者を選択した方がいいと考えていた。村の中心部を通ればアイテムや現金は手に入るかもしれないが、その分、危険も大きい。安全を優先させるなら、田畑を横切って行く方が懸命だろう。

 香澄はひと呼吸ほど沈思してから言った。


「村へ入るのは駄目よ。田んぼの中の道を通って行くのがいいと思うわ」


 香澄の意見は僕と合致していた。が、その理由は違っていた。


「その方が最短距離を進めるわ。狙うのは五千万円だけでいいものね」


 僕は思わず、香澄のことを見返していた。パートナーとなり、共に行動してはいるものの、ゲームに対する姿勢は全く違うことを思い知らされた。


 僕が消極的で香澄は積極的。または、僕が守備的で香澄は攻撃的。いや、どうも違う。とにかく僕は初めて香澄との間に、はっきりとした齟齬を感じていた。


「平介は村を通っていく方がいいと思ってるの?」

「あ、いや、僕も同じ意見だよ」


 理由は話さず、ごまかすように威勢のいい声を出した。

 

「そうと決まれば、先を急ごう」


 僕は先に立って、縦横に走るあぜ道をたどり始めた。遠くに見える校舎を目標に、田畑の間をジグザグに折れ曲がりながら歩いて行く。

 どこから狙われているかわからない。他からの見通しが利く場所は極力避け、ときには茂みの中や雑木林の影に潜みながら進んだ。


 川を挟んだ向こう側には、廃屋が小さな土地を挟みながら建ち並んでいるのが確認できた。時折、そちらの方へ視線を飛ばしはするものの、人影らしきものが見えることはない。


 歩きながら、ふと思い立って時間を確認すると、十一時を回ったところだった。ゲーム開始がほぼ九時だったから、まだ二時間と少ししか経っていない。


 でも僕はこの短い間にふたりの死を目の当たりにし、一度は自分自身も殺されかけた。これ以上ないぐらいに不条理で異常な夜となっている。

 ここまでに何人の人間が死んだのだろう。これから何人が死ぬことになるのだろう。浮かんできたそんな疑問に、自分で震えた。


 やがて僕たちは、一本の橋の前にたどり着いた。向こう岸まで、三十メートルはあるだろうか。幅は車ニ台が余裕ですれ違える広さがある。改めて目の前にすると、思っていた以上に大きな川だった。


 僕たちは近くの草むらに身を隠し、辺りの様子をうかがった。

 学校はもう近い。集落の向こうにどしりと座り込んだ校舎は、僕たちの来訪を待ち構えているようだ。


 視線を転じて、川の流れの先を見遣った。川は少し先でふたつに枝分かれしており、細い支流の方は進路を大きく変え、学校とは逆側へ蛇行している。

 すなわちこれより先へ進んでしまうと、学校へたどり着くためには橋を二本渡ることになる上、遠回りをすることにもなる。


「学校へ行くには、ここから川を越えるのが近道のようだけど……」


 僕の科白を香澄が引き取った。


「橋を渡るのか、川まで下りて、水の中を向こう岸まで行くのかってことでしょう」

「言い換えるなら、目立つ数秒か、目立たない数分かってことだね」

「平介はどう思うの?」


 問われて、すでに導いていた答えを口にした。


「僕は橋を一気に走り抜けるのがいいと思う」


 橋を渡るのは確かに目立つ。しかし待ち伏せされているのなら、川に下りたところで危険は変わらない。いや、むしろ川岸からの攻撃に晒されることになれば退路は断たれ、危険度は増すだろう。逆に待ち伏せがなかったときは、橋を行く方が労力も消費時間も少なくて済むという算段だ。

 そう説明すると、香澄は深くうなずいた。


「平介に任せるわ」


 カウントダウン。


 三、ニ、一、の合図で、僕たちは同時に飛び出した。

 


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