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2章-5 逃亡者

 百メートルは走っただろうか。

 道路から右手――山側の方へ、石で作られた細い階段が続いているのを見つけた。


 僕たちは息切れした顔を見合わせた。休息を欲していたし、このまま道に沿って逃げ続けるのも危険だと思えた。目線でうなずき、僕たちは階段の上へと逃げ込んだ。


 階段を上りきると、林を切り拓いた場所へ出た。広さは四十坪ほどというところだろうか。一見して、神社か何かの跡地だと見当がついたのは、白っぽい大きな石で各所に段差が造られていることと、何体かの地蔵が並んでいたからだった。また奥へ続きがあるらしく、広場の一角から細道があるのもわかった。


「平介、大丈夫だった? 怪我はしてない?」


 いたわってくれる香澄にうなずいたあと、僕はようやく自分のミスに気づき、愕然とした。スタンガンはもちろん、剣までも放り出して来てしまっている。


「何をやってるんだ、僕は!」


 僕は自分を殴り倒したくなった。とんでもない失敗だ。何のために危険を冒したのか。僕のしでかしたことは、みんなの努力を無駄にしただけでなく、その身を危険にさらすことだった。

 でも自分を罵倒したところで、どうにもならなかった。僕は香澄とユマノンに、ただ謝ることしかできない。


「仕方ないわよ、あの状況じゃ」


 香澄はそう言って慰めてくれたが、僕の気持ちは微塵も晴れなかった。ばかりか、その言葉の裏に、深い落胆が隠されているのではないかと怯えまでもが生じてくる。


 何て役に立たない男なんだろう。悲鳴を上げて逃げ惑うしかできないなんて、全く足手まといなだけだ。そんな声が聞こえてくるような気がした。そしてその声は、僕が自分自身に抱く素直な思いだった。

 うなだれる僕を正気に戻してくれたのは、またも香澄の声だった。


「ねえ、見てよ。ここに水や食べ物が置いてあるわ」


 香澄が見つけたのは、石の囲いの中に敷かれたビニール・シートだった。そこにはペットボトルの飲料水や携帯食料などが乱雑に放置されていた。調べてみると他に、薬品類とヒップバッグが用意されていた。


「そうか。ここは多分、“回復の泉”なんだ」


“回復の泉”とは『ウロボロス』の迷宮内に点在している特殊エリアで、キャラクターの体力と気力を全快させてくれる効力を持っている。『ウロボロス』だけに限らず、RPGには同じような効力を持つ場所が設けられていることが珍しくない。


 パソコンの地図で調べてみると、はたして僕の読み通り“回復の泉”の存在が記されていた。注目すべきは説明文に『安全地帯・怪物の出現ナシ』と書かれていることだった。


「じゃあ、ここにはさっき襲ってきたようなやつは、やって来ないということかしら」

「確かにゲーム中では、怪物は寄りつかないって決まりだけど」


 僕は気落ちした気持ちを半分以上引き摺ったままでいることを自覚しながら、少しでも名誉を回復させようと頭を働かせた。


「長居はしない方がいいと思う。襲ってくるのはプログラムされた怪物なんかじゃなくて、人間なんだ。それに他のメンバーがここに来ないとも限らない」


 自分で話しながら、今さらながらに何てひどい状況だと嘆きたくなる。人間同士の殺し合いの渦中に、僕たちはいる。

 同じことを思ったのだろう。神妙な顔つきでうなずくと、すぐに香澄はシートの上の物色を始めた。


 僕も薬品類を重点的に手早く調べていく。包帯にガーゼ、傷薬は液状と塗るタイプの二種類を選び、あとは抗生物質をポケットに詰め込んだ。

 

 ありがたかったのはヒップバッグだ。一リットルサイズの水筒を左右に保持できるタイプのもので、これさえあればらくに水を持っていける。重量が同じでも、リュックの中で左右に揺れる二リットルのペットボトルは、それだけで足かせとなっていたのだ。


 僕は不要になった剣の鞘をはずし、代わりにヒップバッグを装着した。もちろん左右の水筒には水を満タンまで入れておく。

 

 剣の重さから開放されたことも手伝って、体がいきなり軽くなる。ついでに置いてあった水で喉を潤すと、沈みっぱなしだった気分もいくらか好転させることができた。

 盾も捨てていくことにした。さっきの斧の一撃で、ふたつに割れてしまいそうなほどの深い亀裂が入ってた。持っていたところで、もう僕を守ってはくれないだろう。


 と、そこでユマノンが何の準備もせずに、座り込んでいることに気がついた。思えば、さっきの小屋から逃げ出してから、一度もユマノンの声を聞いていない。


「どうしたんです、ユマノンさん?」


 声をかけても反応はなかった。その表情は憔悴し切っている。だがゆっくりもしていられなかった。僕はそばに寄り、ユマノンの肩を軽く揺すった。


「急ぎましょう。休憩はまた別の場所で」


 虚ろな目で僕を見上げ、ユマノンはぼそりと言った。


「リタイヤします」

「え?」

「僕はもう嫌です。これ以上、耐えられないって感じです。だから逃げるんです」


 ユマノンは立ち上がり、ひとりで歩き出した。


「逃げるって、どこへ?」


 問いかけようとして、その答えを見つけた。ユマノンが向かっているのは、空き地からさらに奥へと続いているらしい小道だった。

 僕と香澄は慌てて追いかけようとしたが、その前にユマノンは自ら足を止めた。小道の入り口で見えない壁に阻まれたかのように立ち尽くす。


 ユマノンの隣にまで近づいたとき、僕もそれに気づいた。道を封鎖するように張り巡らされているのは、鉄条網だった。見ると、山側の空き地を囲むように、幾本もの鉄条網が鈍い光を放っている。

 ディスクの最後に書かれていた、ベルからの注意事項が脳裏に流れた。


 ――絶対に村からはずれて山の中に入らないこと。


 そう忠告したあと、ベルは記していた。村と山の境目には鉄条網を張り巡らせてあるのだと。そしてさらに――。


 僕は携帯電話を取り出し、その明かりを鉄条網に近づけた。ねじって作られた針の部分を注意深く観察する。

 鋭く尖った切っ先に、茶色に濁った粘液のようなものがついていた。一箇所ではない。全ての針が同じように汚れている。


 僕は息を飲みながらうしろへ下がった。触れなければ大丈夫だと分かっていても、本能が逃げようとしているような感覚がある。


 ――猛毒が塗ってあるからね。ちくりって刺さるだけでも死んじゃうよ。


 嘘だと思っていたわけじゃない。いや、事実その通りなのだろうと覚悟していた。だが現物を目の前に突きつけられるのは、思っていた以上に衝撃だった。


「絶対に逃がさないってことみたいね……」


 香澄が重たい口調でつぶやくのに、僕はうなずくことさえできなかった。とにかくここから離れたかった。行く手を阻む鉄線を見ているだけで、胸が絶望で塗りつぶされそうに思える。


「こんなの大したことないですよ」


 せせら笑うようにユマノンが言った。


「要するに、この針に触れなければいいわけで」

「ユマノンさん……?」


 僕と香澄が唖然とする前で、ユマノンは自分のリュックを探り始めた。ぶつぶつと独り言を洩らしながら、ときに頭を掻き毟る。その姿にはすでに、平常心が見当たらない。


「ありました。これですよ、これ」


 ユマノンが取り出したのはペンチだった。ユマノンは軍手をはめると、そのペンチを片手に鉄条網へ歩み寄った。


「ユマノンさん、止めるんだ。危ない!」


 僕は声を上げて制止したが、近づくことはできなかった。万が一、針に触れてしまったら。その恐怖が僕をがんじがらめにしている。そしてそれ以上に、今のユマノンに僕は危険なものを感じていた。


「大丈夫。大丈夫ですよ」


 ユマノンは次々とペンチで鉄条網を切断し始めた。一定の間隔を空けて二箇所を断ち、鉄線を取りのぞいていく。その作業はてきぱきとしていて、全くよどみがない。見る間に鉄条網は除去され、細道への入り口が開かれた。


「ほらほら、これで通れますよ。全然、余裕って感じですよ」


 くすくすと含み笑いをこぼすユマノンに、僕は努めて冷静な口調で訊いた。


「それで、どうしようと言うんです?」

「決まってますよ。ここから入って行って、山を越えるんですよ。村をぐるりと迂回して行けば、こんな馬鹿馬鹿しいゲームに付き合わずに済むって寸法です」


 僕たちに背中を見せたまま、ユマノンはまくし立てるように言った。


「僕はこんなゲームはごめんって感じなんです。みんな、全くどうかしてますよ。僕は五千万円なんて要らない。その代わりゲームにも参加しない。それのどこが悪いんです? 理はこちらにありますよ。そうでしょう?」


 ユマノンの言うことは正しかったが、ここでは空しく響くだけだった。道理が通るような相手なら、そもそもこんなゲームは開催されていない。

 それが分かっているからこそ、僕はユマノンを止めようとした。今は混乱しているだけだと、落ち着かせさえすればいいのだと、そう考えていた。


「ユマノンさんの言うことは分かります。けれど、やっぱり危険過ぎます。思い出してください。ディスクのメッセージによれば、用意されているのは鉄条網だけじゃありません」


 僕は周辺の森に目を走らせた。


 ――それにスタッフが鉄砲を持って見張ってるんだ。


 ベルはそう警告していた。ならば、それが事実なのだろう。


「僕だって怖いです。でもベルの言うことがはったりだとは思えません。悔しいけれど、ゲームを続けるしか方法はないんです」


 香澄も加勢するように言う。


「そうよ、ユマノンさん。先へ進めば、もっと他に脱出するいい方法が見つかるかもしれない。とにかくここから逃げるのは駄目よ。わざわざ殺されに行くようなものだわ」


「とにかく落ち着きましょう」と僕はユマノンの肩に手を置いた。

 その手が振り払われた。ユマノンは僕たちの方へ向き直り、そっと突き刺すように言った。


「じゃあ、殺すってわけですね」

「殺す?」

「自分が生き残るために、誰かを殺す。その覚悟がある。そういうことだと思うわけです、ゲームを続けるってことは」

「ち、違う。そんなことを考えてるわけじゃ……」


 うろたえる僕に、ユマノンは容赦なかった。


「もしも、すごく確率は低いかもしれませんけど、もしもこのままゲームを続けて、五千万円も手に入れて、僕たち三人ともが無事にゴールまでたどり着いたとして、そのときどうなるんです? ベルは言ってたわけです。ゲームの勝者は原則的にひとり、最大でもふたりまでだと。じゃあ僕たちはどうすればいいんです? どうなるんです?」


 口を意味もなく開閉させるだけで、僕には言うべき言葉が見つからなかった。ユマノンの指摘したことは、メッセージを見たときから心の深いところに重く圧し掛かっていたことだからだ。


 ゲームの勝者は最大でもふたり。それが絶対の決まりごとなのだとすれば、僕たち三人の中で誰かが脱落しなくてはいけなくなる。

 ゴールテープを切るとか、順位の書かれた旗がもらえるというぐらいなら、僕は勝者を譲っていもいい。しかし敗者になるということが“死”を意味するとしたら――。


 僕は深く考えることを放棄していた。そのときになってからのことだと目をつむっていたし、そのうちどうにかなるのじゃないかと無責任でいい加減なことを思っていた。


「ニトさんとライデンさんには、ホント感謝してます。こんな僕をここまでいっしょに連れてきてくれて、大感謝って感じです。でも、だからこそ、いっしょにいるのはマズイと思うわけです。誤解しないで頂きたいんだけど、僕はおふたりを疑ってるわけじゃないんです。でも、やっぱりゴールにたどり着いたときのことを考えると、今のうちにこうする方がいいと思うわけです」


 僕はとんでもない勘違いをしていたことを悟った。ユマノンは冷静だった。誰よりも平常心を保っていた。だからこの先に起こりうるべきことをリアルに想像し、どうすればいいのかを模索していたのだろう。


「僕にはひとを殺すなんてこと、とても無理っぽいです。戦えないって感じです。けれども殺されるのも絶対に嫌だって感じで。だから逃げます。逃げるしかないんです」


 ユマノンはリュックを担ぐと、透明な笑みを浮かべた。


「じゃあ行きます。おふたりにはホント、お世話になりましたって感じです」


 僕も香澄も、もう何も言えなくなってしまっていた。言葉にすべきたった一言も思い浮かばないまま、僕はユマノンを見送るしかなかった。


 ユマノンは鉄条網を避け、小道へと入った。ゲームの舞台の境界線を越えたのだ。

 二、三歩進んだところで、不意にユマノンが振り返った。


「ユマノンです。僕のこと忘れないで下さい。今度はネットの中でお会いできればって思います」


 うなずくことだけで、僕は精一杯だった。胸の中でもやもやとした塊が膨張していたが、それはやはり言葉にならなかった。


 ユマノンが小道を軽い足取りで進んで行く。そのうしろ姿に気負った様子はなく、ちょっとしたハイキングに出かけるような雰囲気にさえ見えた。

 しかしそれは紛れもなく、死と隣り合わせの逃亡を開始した男の姿だった。


「ユマノンさん、待ってください!」僕は考えのまとまらないまま、声を上げていた。「僕たちと行きましょう。帰って来てください!」


 道はカーブを描いている上に、凹凸があるらしく、ユマノンの姿はすでに茂みの向こうに隠れ始めていた。だが僕の呼びかけにユマノンが立ち止まり、振り返るのがわかった。


 数瞬、こちらを見つめたあと、ユマノンが大きく手を振った。

 

 頭が弾けた。

 薄闇の中でもはっきりと見えた。ユマノンの左側頭部から細かい破片が飛び散った。それに引かれるように、体も左側へ棒倒しに崩れる。別れの挨拶の途中だった右腕は、そのままぐるんと半回転した。


 僕は馬鹿みたいにぽかんと口を開いたまま、突っ立っていることしかできなかった。倒れたユマノンはもう動かなかった。


「ど、どうしよう……?」


 香澄の声が耳元に聞こえた。いつの間にか、香澄は僕の腕にしがみついていた。

 おかしなことを言うな、とぼんやりとした頭で思った。どうするも何も、もはやユマノンは――。


「行こう」


 誰かがそう言った。気づくと自分の声だった。思ってもいないことが、勝手に口をついて出てきたようだった。

 だが何も考えられない頭には、その言葉が指針となった。僕と香澄は機械的にその場へ背を向け、歩き出した。


 そのとき、小道の向こうの茂みが大きくざわめいた。風か、野生動物か、それとも──。

 しかし確かめようとは思わなかった。僕たちは一度も振り返らないまま、広場をあとにした。


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