2章-4 怪物出現
途方に暮れている時間はない。冷静になれないままの頭でも、それだけはわかった。
ディスクに書かれていた情報は確かに有益だった。ゲームを進めていく上で、大きなアドバンテージを手に入れたことは間違いない。
だが僕たちがメッセージを読んでいる間に、他のメンバーはずっと先へ進んだはずだった。
とにかく急いで遅れを取り戻さなくてはならない。そう考えた僕たちはただちに荷物をまとめ、廃屋を出発した。
舗装道路を進み、再び三叉路まで戻った。さっきの混乱が嘘のように、辺りは静まり返っている。
それぞれの道の先を見渡してみると、真ん中と左の道が村の中心部へ向かっているようで、広い平野部へ続いているのが確認できる。建物らしき角ばった影がちらほらと立ち並んでおり、また橋が架けられていることから、途中に川があることもわかった。右の道だけは山手へ伸びており、緩やかな坂道が木立の向こうへ続いていた。
すでに僕たちは、進むべきは右の道だと決めていた。
パソコンに入っていた地図によると、右の道は最も遠回りであり、宝物の数も少ないことがわかった。その代わり、怪物の出現ポイントも少ない。
このゲームにおいて、どんな“怪物”が用意されているのかは知るよしもない。だが襲撃してきた猛犬たちからも分かるように、危険な相手であることは確実だ。安全を最優先に考えれば、他の道の選択はあり得なかった。
僕は先頭に立って先へ進んだ。どのぐらい役に立つかは怪しいが、一応、右手には抜き放った剣を握っている。ずしりとした重さに捨ててしまいたいところだが、どこに危険が待っているか分からない今の状況では、気休め程度には頼りになる存在ではある。
うしろに続く香澄は、花火とライターを手にしている。肩から斜めに提げられたポシェットの口も開け放されており、いつでも花火や火炎瓶を取り出せる態勢を取っている。
ユマノンにはノートパソコンを脇に抱えてもらっていた。すぐに地図を参照できるように、パソコンの電源は入ったままだ。犬に噛まれた足の怪我は幸いにも軽く、ユマノンは僕たちの歩く速度に支障なくついて来れている。
アーチャーとしてユマノンが支給された弓はもう捨てていた。犬を追い払おうと振り回したときに壊れてしまっていたからだ。もともと素人がすぐに使いこなせる道具ではない。捨てたところで惜しいとは思わなかった。
ユマノンにも本名を尋ねたのだが、あくまで「ユマノン」で通して欲しいという要望だった。ゲームにおいてはもちろん、チャットやコミケといった場でも「ユマノン」名義で活動しているそうで、本名よりも愛着があるのだそうだ。
香澄は不思議そうな顔をしていたが、僕にはユマノンの気持ちが理解できた。僕自身、ここに来るまでは、自分が「ニト」であるという意識が強かったのだから。香澄に会っていなければ、僕も本名を告げることはなかったかもしれない。
やがて道は坂から平坦なものへと変わり、左手へ大きな弧を描いて伸びていた。この道もいずれは村の中央部へ至るものらしい。
道の左右には段差のついた土地が広がっていた。かつては傾斜した場所を開墾して作られた田畑だったのだろう。土地と土地の間には、水路らしき溝もつけられている。だが今はそこからも雑草が顔を出していた。
最初は草むらの中を進もうかと考えた。道をたどって行くのはあまりに目立つからだ。
しかし草むらが安全だという保障はどこにもない。また他のメンバーに遅れをとっていることを思えば、多少の危険を冒しても、足を取られない舗装道を進んでいくしかなかった。
満月と星々の恩恵で、明かりに苦労することはなかった。林の中や物陰など、影が濃くたたずんでいる場所を見通すことはさすがに不可能だったが、平野ならニ十メートルほど先までを見分けることができたし、さらに遠くなっても、動くものがあれば十分に気づける程度の状態が保たれていた。
常に風が吹いており、暑さに悩まされることもない。
道を進んでしばらくしたとき、香澄が恐る恐るといった口調で訊いてきた。
「ねえ、やっぱりあの運転手のひとも、殺されたってことかしら?」
僕は前方へ注意を向けたまま、小さくうなずいた。
「おそらくね。ユマノンさんが言ったように、毒のようなものを飲まされていたんだと思う」
「ゲーム中においても、賢者の亡霊は呪いによって消されてしまいますからね」
どこかあきらめたように言うユマノンに、香澄がきつく眉根を寄せた。
「何よそれ。じゃあ、ゲームに合わせるために、あのひとは殺されたってこと?」
馬鹿げてるわ、と香澄は吐き捨てたが、その声は弱々しかった。
そしてその馬鹿げたことが真実だろう。男はゲームの演出のために命を奪われたのだ。
短い沈黙のあと、また香澄が口を開いた。
「三番目のホームページを見たのって誰だと思う?」
「それは僕もずっと考えてた。あと、スタッフというのが誰なのかも」
すなわち、この殺人ゲームをやる気になっているのは誰かということだ。
《HP3》を見て参加した「多重債務者」と「元殺人犯」、そしてメンバーに紛れ込んでいた「スタッフ」の三名。
この三人は最初から殺人を行うことを覚悟していた上に、そのための準備もしていたに違いない。そうしながら、何食わぬ顔で僕たちと同じワゴンに乗り、いっしょにバーベキューを楽しみ、笑っていたのだ。その心理を想像するだけで薄ら寒い気持ちにさせられる。
もしも対決しなくてはならないときがくれば、必ずや大きな脅威となるだろう。そのためにも三人が誰なのかを突き止めておくことは重要だった。
「でも現状じゃ、誰もが怪しく思えるだけで、決定的なことはわからないよ」
僕がそう首を振ると、そうよね、と香澄は小さくため息をついた。
「だけど誰が怪しいか、見当をつけておくのも大切じゃない? こう言っちゃ何だけど、わたしはサブローさんは要注意だと思うわよ。ひとりでさっさと行っちゃうし、あの運転手のひとが死んだときだって、ひとりいなかったんだから」
香澄はそう主張したが、僕が内心で疑っているのはジャンヌだった。
初対面のときにみんなをまとめ、M駅がゲーム中の町と瓜二つであることに気づき、さらにはベルのことを確かめる質問をしたのもジャンヌだった。ゲームの続行を多賀が言い出したとき、強く賛成していたことも怪しく思える。ジャンヌこそがスタッフなのではないのか?
だが疑い出せばきりはない。たとえば司馬だ。運転手の死体を発見したときから、リーダーシップを取っていたのは司馬だったし、あの多数決のときには、司馬の一票でゲーム続行が決まったのだ。
だからと言って、サブロー、多賀、エルフェンの三人に気を許せるわけではない。
「やっぱり推測だけじゃどうにもならないよ。しっかりとした確証がないとね。香澄は誰かと話していて気づいたことはなかったの?」
「それが全然。ゲームの内容がわかっていれば、色仕掛けでも何でも使って、もっと色々聞き出したんだけど」
少しどきりとさせることをさらりと言ってから、香澄はユマノンに同じことを訊いた。
「申し訳ないです。僕もゲームやアニメの話ばかりをしてたので。ホント、お役に立てずにすいませんって感じです」
ユマノンは頭を下げたが、それなら僕も同じだった。
僕は冒険者として参加するという意識が強かったために、自分のことも話さず、他人のことも聞かなかった。それはベルたちの意図することでもあったのだろう。今にして思えば、本名を含む一切の履歴を相手に問いかけないというルールも、ゲームのことを見越してのことだったに違いない。
結局、解答や方針を何一つ見出せないまま、僕たちは次の分岐点にたどり着いた。
歩いてきた舗装道は真っ直ぐに伸びていたが、左手にほとんど直角にもう一本の道が枝分かれしていた。
もうひとつ目に付くのは、分岐点の先にある小屋だった。大きな箱が置いてあるような、素っ気無い建物だ。山から迫ってきている木々を、道路際で食い止めるように建てられている。
ユマノンのパソコンで地図を調べてみたが、自分たちのいる場所がどこなのかは、容易に判断できなかった。
当たり前だが、ゲームの地図と廃村では造りに隔たりがある。キャンプ地から最初の集落までは、まだ簡単に双方を照らし合わせることができていたが、ここまで来るとズレもかなり大きくなってきているようだった。
始めの三叉路から歩き始めて、まださほどの距離を進んでいない。その点を考慮して僕たちは地図をたどったが、道が伸びているだけで何の印もつけられていなかった。
「てことは、ここの分かれ道と建物はゲームに無関係ってことかしら」
「そういうことだろうね。もちろん分かれ道を進んでいくことはできるけど、方向から考えるとおそらくは村の中心部へ向かっているから」
「わかってる。危険性が増すって言いたいんでしょ」
うなずきかけて、僕は地図の先に目を留めた。刹那、胸に緊張が走る。
「いや、ちょっと待って。ここは……?」
僕は画面の一点を指差した。地図ではまだ随分と先にあたる場所だが、そこには分かれ道があり、近くに古の遺跡があることになっている。
だがそんなことはどうでもいい。注意すべきはそばに記された「×」印だ。それは怪物の出現ポイントを意味していた。
思えばゲーム中の距離がそのまま再現されているわけはない。ただあまりに地図に頼って進んでいたために、そのことを失念していた。となれば、気づかぬうちに危険な場所へ侵入していた可能性があるのではないか。そう、怪物の出現ポイントに。
僕の恐れはすぐに二人にも伝わった。慌ててノートパソコンを閉じ、僕たちは身をかがめて近くの茂みに逃げ込んだ。
ここまで来る間、周囲への警戒を怠ったつもりはない。“怪物”らしき相手がいれば発見できていたはずだ。そう思いながらも、どこからか狙われているのではないかという恐怖心がせり上がってくる。
僕は茂みから頭だけを出し、辺りへ視線を走らせた。動くものはやはり見当たらない。耳を澄ましてみても、聞こえるのは風のざわめきだけだ。
香澄とユマノンが地面に這いつくばる格好で、もう一度パソコンを開いた。途端に淡い光が広がった。今まで気にならなかったモニターの光がやけに明るく思える。ふたりは慌てふためいて、画面の上に覆いかぶさるようにして地図を調べ始めた。
「どう、分かる?」
「駄目だわ。地図からだけじゃ何とも言えない」
焦りのにじむ声で言ってから、けれど、と香澄は続けた。
「もしここが平介の言った場所なら、あの“古の遺跡”――じゃなくて、建物は調べた方がいいかもしれないわ」
「どうして?」
「地図の説明では、武器が手に入るって書いてあるの」
「武器?」
僕も素早く画面で確認する。注釈には「古の遺跡/武器:雷神の杖」と記されていた。
「魔術師用の武器です。宝箱から入手できるものとしては最高ランクってところです」
怯えた声ながらユマノンが解説してくれた。間髪入れずに香澄が語調を強めて言う。
「今のわたしたちに一番必要なのは、身を守る道具だと思うの。こんなこと考えたくないけど、この先、もしも誰かと戦うことになったとき、わたしの花火と平介の剣だけじゃ頼りないでしょ」
反論の余地はない。頼りない、という言葉がほんの一瞬、胸にちくりと刺さったが、それだけだ。君を守ってやるなんて、たとえ逆立ちして口が裂けても言えるもんじゃない。僕は僕自身の実力をちゃんと把握している。
「だけど、ほんとに武器になるものが置いてあるかどうかはわからないよ」
「だからそれを確かめるのよ。自分たちがどこにいるのかをつかんでおくことも大切でしょ。何もなかったのなら、平介の言った地点はまだ先だってことがわかる。逆に武器が手に入ればラッキーだし、お金だったとしても損はしないわ」
たくましささえ感じる香澄の意見に、僕は圧倒される思いだった。香澄はこの狂気のゲームに、懸命に立ち向かおうとしている。
正直に言えば、僕は“怪物”に遭遇するのが怖い。小屋を調べるのも何だか不気味で嫌だ。けれどもそんなことは言えない。僕は男なんだから、というささやかな矜持もあった。でも本当はそれ以上に、香澄に失望されることが怖かったからだ。
「わかったよ。行ってみよう」
僕はその言葉で自分を追い込み、無理矢理に立ち上がった。闇の向こうにたたずむ小屋を睨みつけて進み出す。
半歩遅れて香澄があとに続く。僕以上に怯えている様子のユマノンも、最後尾からパソコンを両手に抱えてついて来てくれる。
中腰のまま、茂みに紛れて進んだ。分かれ道を左手に見ながら横断し、道路を挟んで小屋の正面に回りむ。
小屋は山から続く林に食い込むようにして建てられている。何の飾り気もない、コンクリート製の四角い建物だ。
道路に面してぽっかりと空間が広がっているのを見ると、集会所にでも使われていたのかもしれない。入り口の床にレールが走っているのは、かつては扉が備えられていた名残だろう。
薄闇がたちこめる建物内の一角に、真っ黒の四角い穴が空いているように見えるのは、まだ奥に通路が伸びている証拠だった。
「やっぱり、あの奥も調べなくちゃならないよね」
一縷の望みをかけて訊いてみたが、香澄の答えは無常にも「当然よ」というものだった。
こうなっては覚悟を決めるしかない。一か八か。やけくそに近い気持ちで行こうとした僕の腕をつかんだのはユマノンだった。
「ユマノンさん?」
「ご、ごめんなさい。あんなところに入って行くなんて、僕には無理です。怖いんです。本当に申し訳ないって感じなんだけど」
ユマノンはぶるぶると振動させるように首を振りながら、そう頭を下げた。ずっと抑えていた恐怖や不安が、また表層に上ってきたのだろう。
うらやましい、と僕は思った。
ユマノンは今にも泣き出しそうな表情で、怖いと訴え、建物へ入ることを拒み、そのことを謝っている。そんな風に振舞えるユマノンがうらやましい。
自分の気持ちを包み隠さずに伝えるということは、ありのままの自分をさらけ出すということだ。それが僕にはできない。こんな極限状況の中でも、自分を偽り、隠そうとしている。
だって仕方ないだろう? 僕は無意味で無価値な人間なのだ。そんな自分をさらけ出して、一体何になる?
偽るしかない。隠し通すしかない。そうすることでしか、僕という人間の意味や価値は生じないのだから。
「じゃあユマノンさんは入り口で見張りをお願いします。中は僕と香澄で調べてきますから」
無理しやがって、と誰かがせせら笑うのが聞こえた。言い返す言葉はなかった。
無言でうなずき合ってから、僕たちは建物へ近づいた。周囲をもう一度見回してから、そっと中へ足を踏み入れる。ユマノンには手振りで外で待つように伝えた。
道に面した最初の部屋は十畳ほどの広さがあった。調べるまでもなく、何もない。いつのものともわからない枯葉やゴミが散乱しているだけだ。
奥への通路は部屋の右端から伸びていた。のぞき込んだところで、完璧な暗闇が先を見通すことを封じている。
どうする、と目線で問うと、香澄は懐からペンライトを取り出した。しかもヘアバンド付きだ。香澄はペンライトを点灯すると、それをヘアバンドで頭に装着した。
香澄の用意の良さに感心すると同時に、僕は自分の用意のなさを罵った。仕方なく僕は携帯電話を取り出し、その画面の明るさに頼ることにする。
通路を照らしてみると、奥行きはわずかだった。まず目に入ったのは、突き当たりにある和式の便所だ。その手前の左手にも、もうひとつ部屋があるのがわかった。なぜか扉の類いは全て撤去されているらしい。
僕は物音を立てぬように慎重に足を運び始めた。通路は狭く、どうしてもひとりずつ進むことになる。心細さと戦いながら、注意するのは手前の部屋だけでいいと、僕は胸中で唱えた。
なぜならトイレには何も置かれておらず、誰かが隠れるような場所もないことはひと目でわかる。その汚れ方に嫌悪感が湧くものの、恐怖と緊張をともなって調べていく手間が省けるのなら、大歓迎という気分だ。
剣を前に突き出しながら、僕は部屋の中を照らした。真っ暗闇の中では、携帯電話の明かりだけでも十分にライトの代わりを果たしてくれる。
あった。ダンボール箱。側面には“宝箱”と書かれている。
はやる気持ちを抑えて、部屋全体へ視線を走らせる。拍子抜けするほど何もない。向かい側に鉄線の入った小さなガラス窓があり、天井に電灯の根元が残っているだけだ。
香澄へ合図を送り、ふたりで部屋の中へ入った。僕は香澄に手元を照らしてもらいながら、さっそく宝箱の開封に取り掛かった。僕にとっては始めての宝箱だ。少し興奮しながらガムテープをはがし、僕は箱を開いた。
手のひら大の黒い物体。何だろう? 思って手に取ったときに、わかった。
スタンガンだ。電気ショックにより暴漢を撃退することを目的とした、代表的な護身道具のひとつだ。
知識としては知っていたものの、本物を手にするのは初めてだ。なるほど、ゲーム中の武器である“雷神の杖”――雷で敵を攻撃する――代わりの道具としてはうってつけと言える。
「勇気を出して入ってみたのが正解だったようだよ」
手に取ったスタンガンを香澄に見せようとしたとき、外からユマノンの声が届いた。
「だ、誰かいます! 助けて!」
はっとなった目を見合わせ、香澄がすぐに部屋を出て行く。そのあとを追いかけようとして、僕は剣を置き忘れていることに気づいた。
香澄のペンライトの明かりがなくなったことで、部屋には再び闇が立ち込めている。焦って僕は床に手を這わせて剣を探した。
くそっ、どこへ置いた? 苛立たしさに舌打ちする。携帯電話を取り出すべきか、それとも重い剣なんてあきらめて、すぐにユマノンのところへ駆けつけるべきか。ほんの一秒あるかないかの間に選択肢を突きつけられ、そのくせ答えの出せないまま、僕は暗闇をまさぐり続けた。
ずずっと何かを引き摺るような音が響いた。途端に、すっと青い光が僕の手元に差し込んだ。僕は床に這いつくばったまま、顔だけを前へ向けた。部屋の窓が開いていた。え、どうして? 呆然とした瞬間に、外から窓枠へ手がかかり、乗り出すような格好で人影が現れた。
「あ、うあ!」
僕は短い悲鳴を上げ、すぐに立ち上がろうとして失敗し、その場に尻餅をついた。
相手が何者なのかはわからなかった。が、香澄でもユマノンでもないことはわかった。
侵入者はマントのようなものを身につけていた。頭には何か頭巾のようなものを巻いている。その右手に握られているのは斧だった。
こいつが“怪物”役なのだと、僕は直感した。そう思いついたことで、混乱に拍車がかかった。逃げなくては、と思うのに、体が動かない。
侵入者も窓枠に足をかけところで動きを止めていた。どうやら驚いたのは相手も同じようだった。建物内にまだ誰かが残っているとは思っていなかったのかもしれない。
だが侵入者の決断は早かった。短い呼気を吐き、いきなり飛びかかってきた。
開け放たれた窓からの薄明かりに、侵入者が斧を振り上げるのがはっきりと見えた。僕は喚きながら、右手のスタンガンを無我夢中で前に突き出した。
硬い音が響き、右手に衝撃が走った。スタンガンと斧が激突したのだと瞬時に理解した。そして、その弾みでスタンガンを手放してしまったことも。
無防備になったという事実が、恐怖となって僕を締め上げた。両足で床を掻くようにして、僕は尻餅をついた態勢のまま、相手から離れようとした。とてつもなく愚かな逃げ方だった。努力のわりに、全く距離を稼げない。
侵入者は呻き声を上げ、斧を振りかぶった。相手の顔がおぼろげに見えた。血走った目の光、食い縛った口。
恐怖に喉を締め上げられる。考えもなしに、僕は腕で自分の体をかばった。直後、火花が散った。弾かれるような痛みが左腕に走る。
偶然だった。左腕に装備していた盾が、斧の一撃を防いでくれていた。
さらに逃げようとして、地面に擦れた尻が何かにぶつかった。剣だ、こんなところに置いていたのか! 僕が剣の柄をつかんだのと、相手が再び襲い掛かってきたのはほとんど同時だった。
僕は無茶苦茶に剣を一閃させた。力一杯振り切るつもりの剣は、その途中で鈍い感触を伝えてきた。僕の一撃は相手の足をとらえていた。苦悶の声とともに、襲撃者が倒れこむ。
今のうちだ。僕は急いで立ち上がった。
「平介っ!」
部屋を出ようとしたところで、ライト光に目を焼かれた。顔をしかめる僕の腕を、ひんやりとした細い手が握ってくれる。確かめるまでもなく、香澄だとわかった。助けに来てくれたのだと思うと、瞬く間に涙が滲みそうになった。
視界の戻らない僕の耳に、スプレーのような噴射音が聞こえてきた。途端に襲撃者がくぐもった悲鳴を上げた。
何がどうなっているのかわからないうちに、僕は香澄に手を引かれ、建物から外へ出た。僕の両目はすぐに一帯の夜景をとらえた。建物内の暗闇に比べれば、随分と明るいものだと思う。
「早く、逃げるのよ!」
言われる間でもなく僕は走った。途中で何度か振り返ったが、誰かが追いかけてくることはなかった。それでも走った。足を止めるのがただ怖かった。