葵サイド~一年前の回想~
「なぁ。あんたミカン食べるか?」
さっき母親が出してくれた空になったティーカップを持って部屋を出て行った宙がミカンをトレイに乗せてそ
う言いながら部屋に戻って来た。
「このミカンな俺のその故郷で取れたもんなんや」
葵がテーブルに近づくとその五個のミカンはどれも違う種類のように思えた。
「私、ミカン大好きだけどこんな大きなミカン初めて見たな」
「あんたが食べてるミカンはテーブルミカンって冬頃よく出てるやつやろ?それは温州ミカンって言うんやけど」
「うん。手で簡単に皮が剥けるミカンだけど」
宙の手にはゾーリンゲン製の果物ナイフが握られていた。宙はその五個のミカンの皮にナイフで器用に立てに
切れ目を入れてから素手で剥き始めた。
「このオレンジ色のが伊予柑。この上の部分が膨らんでるのが三宝柑。そして皮がボコボコのが甘夏。この硬くて山吹色したのが八朔。最後にこの黄緑掛った小ぶりのが春香柑。どうや?全部味見してみやんか?」
「いいの?こんなに色んな種類のミカンの味見が出来るなんて贅沢な感じがするな」
宙は丁寧に甘皮を剥いて綺麗に種まで取り除いて、直ぐパク付けばいい状態にして手渡してくれた。
「すっごく甘い」
「これは伊予柑や。この中で一番温州ミカンに近い味してる」
「うん。実は大きいけど味はよく似てる」
別のミカンの甘皮を剥いてからまた葵に手渡した。
「ありがとう。甘皮くらい自分で剥くよ」
「ええよ。気にせんでええ、俺が剥くさか。あんたの手汚れるやろ?」
宙が次のミカンを手なれた手つきで甘皮を剥いている。
「桂木君って以外に優しいんだね。学校とは印象が違うね。ありがとう」
すこし鼻で笑ってから
「なぁ。やっぱ俺って関西弁喋るさか女の子から見たら怖いってイメージか?」
「うーん。ほら聞きなれないからね。私は温かみのある言葉だと思うけど。今日ここに来て桂木君のイメージ変わったな。優しいし、色んな事知ってるし」
「相手にも寄るけどな」
そう言って二コリと笑った。いつもツンとした顔している宙のその笑顔は下手な女がぶっ飛びそうだと思っ
た。宙はかなり中性的な顔をしている。女装すればきっと葵なんかよりいい女になりそうだ。学校でいつも喋
らずその顔で笑ってだけいれば女子どころか男子まで近寄ってきそうだ。
「こっこれは実が柔らかいね。さっきのより淡い味がする」
「これは三宝柑。これは和歌山特産のミカンで神棚とかにお供えする時に使う木でできた三方って器あるやろ?それに乗せて殿様に謙譲したからこういう名前になったらしいんやけど、当時は城外持ち出し禁止とかもされてたらしいけど」
「ふーん。殿様謙譲品か。有り難く頂きます」
「ハッハッ。あんた、ほんま面白い子やな」
葵は次に渡されたミカンをまた口に入れる。
「うわっこれ結構酸っぱい。けど甘味もある」
葵は顔を顰めた。
「これは俺が一番懐かしい味のするミカンや。俺の住んでた近所の家にはなぜかこの甘夏の木が庭先に植えてあってな、この時期どこの家に行ってもこの甘夏が家にあったな。木自体が丈夫やし、実もいっぱいつけるし温暖な地域やったら手軽に収穫出来るからやろな。酸っぱいやろ?これは元々は夏ミカンから出来てるからな」
「はい、これはね種が少ないから俺は好きやな」
「これ、身がしっかりして一番ジューシー。噛み応えもあって美味しい。これが八朔?」
「うん。この八朔が一番病みつきになるな。苦みも少しあって酸味も甘味も水分も一番均整がとれてる気がする」
「うん。確かに味に均整がとれてるから食べやすい」
「はい、これで最後のミカンや」
「えっ?このミカンは色が変わってる。ちょっと三宝柑に色が似てるかな。でもそれより色が薄い」
そのミカンの実の色は黄色ではなく半透明色だった。
「実はこれが一番お勧め。結構珍しい品種や」
葵はその黄緑色した小ぶりのミカンを口に入れた。
「えっ?何?この味。ミカンっぽくない。今まで食べたミカンとは全然違う」
「うん。変わってる味やろ?」
「ミカンって言うより、梨とかパイナップルみたいな味だわ。酸味が少なくて風味が上品で凄く美味しい」
「このミカンな、春香柑言うて春が香るミカンって名前なんやけど、俺はこのミカンが好きでこの時期には必ず親戚から送って貰うんや。今回は色んな種類も送って来てたさかこの際やからあんたに食べて貰おう思ってな」
葵は宙が剥いてくれたテーブルに並んであるそれぞれのミカンに交互に手を伸ばしては食べた。
「こんなに一度に色んなミカンを食べたの初めてだな」
葵はご機嫌だった。
「そんなにミカン好きか?」
「うん。桂木君は故郷が大好きなんだね。海と山とミカンの話しで私その桂木君の故郷に旅行した気分になった。それに凄く嬉しそうな顔して話してくれるし」
宙は照れた顔をして
「俺、何であんたに今日は故郷の話しばっかしたんやろ。アホやな。こんな話つまらんよな」
「ううん。もっと聞きたいって思ったよ」
「あっ。八朔と夏ミカンで出来たジュースもあるけど飲むか?」
葵は首を振って
「ううん。これで十分。あっもう三時前?私、そろそろ帰ろうかな。これから同じクラスの子たちとキャンプの打ち合わせがあるんだ」
「キャンプってゴールデンウィークの?」
「うん。桂木君も誘われてるの?六組だけの計画みたいだったけど」
「誘われた言うか、幸也が俺んちの別荘貸せってこの前家に来てたさか」
「えっ?松本君と知り合い?」
「うん、幼馴染や。もしかして、あんたも幸也のファンの口か?あいつ女子にモテルもんな」
葵は何も言わず下を向いた。確かに葵は言われたとおり幸也が好きだった。と言うより憧れ的な存在だった。
「図星みたいやな。それでルンルンでこれから幸也の家に行くつもりなんか?」
宙の顔から笑顔が消えた。そしてテーブルの上にある大量のミカンの皮をナイロン袋に入れ始めた。
「そっそんなんじゃないって。クラスのみんなが集まるって言うから」
一端立ち上がろうした葵はもう一度座り直して宙の方を向いた。
「松本君の家に行きたいわけじゃないよ。そんなんじゃないから」
「言いわけするいう事は俺の気持ちに半分気付いてるからやろ?」
宙が葵に視線を合わせてきた。葵が視線を逸らそうとすると
「もう、視線逸らさんといてや」
今日ここに来て一番大きな宙の声を聞いた。
「俺の事嫌いか?」
葵はそのまま横に首を振った。
「桂木君には嫌われたくない」
「それやったら俺と付き合ってくれへんか?俺はあんたが好きや。これからももっとあんたと色んな話ししたいんや」
葵は顔を火照らせてコクリと頷いた。
「私も桂木君と色んな話がしたいと思ってた」
宙は満面の笑顔を見せて
「幸也は忘れてくれるか?」
「だからそんなんじゃないって。松本君とは同じクラスでも話をした事がないの。取り巻きの女の子に圧倒されて怖くて声さえ掛けられないのよ。どんな性格か何てのも知らない。私がこんなに男の子と色んな話しをしたのは桂木君が初めてだよ」
こんな自分のような地味で変わった女の子を好きだと言ってくれる男の子はそういないと思った。宙なら全ての自分を曝け出せる。
「男の子とあまり喋った事が無いって言ったけど、1つだけ忠告しておくけど、無防備に男の横で寝るのはもう辞めろや。葵は警戒心が少なすぎる。今日のあの状態はいつ犯されても文句言えんで」
「ごめん。本当はあれ、桂木君をためしたの。あの時もし、変な事されたらそのままカップリングせずに帰るつもりだった。いくらカブトムシでも乱暴するような飼い主の相手との交尾は可哀相な気がして。でも桂木君は泣き出した私を逆に慰めてくれたし、オマケに数学まで教えてくれるって言ってくれて。本当に嬉しかった……」
葵はまた涙ぐんだ。
「葵は本当に変わってるな。自分を犠牲にするつもりやったんか?」
葵は宙に抱き締められていた。
「今、俺の考えてる事わかるか?」
葵は首を横に振った。
「今、葵にキスしたらどんなミカンの味するかなって思ってる」
眼鏡を外された。そして唇をそっと重ねてきた。葵にとってのファーストキスだった。宙の言ったとおりミカンの味がした。
「故郷の味するな。葵の言うとおり、俺は故郷が大好きや」
そう言ってもう一度抱き締めてきた。




