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幸也サイド   

目の前をベージュのスプリングコートを着て、長い栗毛色のポニーテールを揺らしながら友香子が歩いていく。その姿はとても若々しく、自分と同い年の母親には見えなかった。


幸也は駆け足で近寄り声をかけた。


「こんばんは」


甘い香りを振り撒きながら友香子が振り返った。


「あら?」


フランス人形のような顔をふんわり緩めて二コリと微笑む。

美しい。

幸也は単純にそう思った。

この人は本当に自分と同じ年の宙の母親なのだろうか?

幸也はその笑顔にゴクリと息を飲んだ。

久しぶりに会った美しい人。今、自分はきっと余裕の無い顔をしているはずだ。

この人の前では自制できない自分がいる。


「モテモテ君を無視してあげたのに、置いて来ちゃったの?彼女たち」


友香子が下り階段の前で足を止めて五人グループを振り返る。


「いえ、抜けだすきっかけ欲しくて困っていたとこです」


友香子がまた、無防備な笑顔を浮かべ幸也の胸に指を一本差し当てて


「また贅沢な事言って、世のモテナイ君を敵に回すぞ」


クルリと向きを変え階段を下り出した。手にはかなり重量がありそうな布袋をぶら下げている。

幸也はその華奢な腕からその紙袋を取り上げて


「持ちます」


また、立ち止まって

「いいの?嬉しいな。腕、凄く楽になった」


軽くなった腕を一回グルリと回して


「腕、痺れてきていたんだ。お言葉に甘えちゃおう。ワインを二本も買ってしまって後悔していたとこ」


そう言って、階段を降り始めたので、追いかけるように後に続いた。



友香子に初めて会ったのは十歳の時だった。宙の父がこの町で開業医を始めてその際に引っ越してきたのだ。


転校生で関西弁の宙に一番先に興味を持ったのは幸也の家の向かいに住む竹本晴騎だった。


新築したばかりの家に遊びに行こうと無理やり誘われ、宙の家を訪れた。


玄関に出てきた彼女を見て幸也は挨拶も出来ないほどその場に立ち尽くした事を覚えている。


今思えば一目惚れと言うのだろう。


この町にはいない何処か垢ぬけた感じの女性。


くっきりとした二重瞼に黒眼勝ちの瞳。


小さな顔なのに目鼻立ちがはっきりしていてまるで人形のようだと思った。


宙は彼女の事をカーやんと呼んでいた。


この人になんて似合わない呼び方なのだろうと宙を怒りだしそうになっていた。


おばちゃんと呼んだ晴騎を意味もなく小突いていたのを覚えている。


友香子と二人、駅を出て、二車線の国道を渡り薄暗い通りに出た。


二人の自宅へはこの通りは近道だった。今夜は満月でまだ足元は明るいが、闇夜なら男の幸也でも気味が悪いほどに街燈の数が少ない。


1つ先の大通りは車の数も多く通り、大きな街燈が沢山道沿いに並んでいるがかなり遠回りになる。


二人は月明かりだけの薄暗い道を歩き出した。


この人と二人きりで道を歩くのは初めてだと思った。


いや、この人の隣にはいつも宙かドクターがいて、多分二人きりで話すのさえ初めてだった。


時折見るその横顔が月明かりでぼんやり浮かび上がり幻想的だった。


「晴騎君も宙も彼女が出来たみたいだけど幸也君はフラワーショップの前に立っているようだからなかなか出来ないのかな?」


「フラワーショップ?」


「どれも素敵で選べない?って感じ。勿体ないなぁ」


「そんなんじゃないですよ。僕はそんなにもてて無いです」


「モテル人ほどそう言うもんよ」


「今は、あまり興味ないです」


「あら。勿体ないわね。晴騎君なんて今の彼女が合っているみたいで最近特に剣道の方が調子いいみたいね。杉本コーチの言う事も素直に聞いているみたいだし、この分だと彼はもっと強くなるだろうって主人も楽しみにしているのよ」


彼女の夫であり医者の桂木義男は晴騎の通っている剣道場のコーチもしている。


「晴騎の今の彼女は杉本コーチの娘さんなんです」


「えー。そうなの?それってものすごく笑える話なんだけど。これは主人の今夜のお酒のツマミに十分になるネタね」



通りを抜けると小さな公園に出た。


この公園を抜けると分かれ道になり友香子とはそこで別れなければならなかった。


公園には五本ほど植えられている桜が咲き乱れていた。月明かりを受けてとても綺麗だった。時折吹き抜ける


肌寒い風がその花びらを雪のように散らし、少し前を歩く友香子の小さな背中を包み込む。


幸也は……このまま時間が止まればいいと、この光景をずっと見ていたいと思った。


月明かりが彼女を照らす。


彼女との今のこの距離は彼女を思い続けていた自分の気持ちと同じだった。


時間はどれくらいたったのだろうか?


幸也は彼女を思い続けている自分の時間を考えた。


この時間は何時止まるのだろうか?


この先にこの時間を止めてくれる女性が現れるのだろうか?


「荷物、持ってくれてありがとう」


分かれ道に辿り着くと、友香子がそう言って手を差し出した。


「家まで送ります」


幸也は荷物を渡さずに言った。


公園内に設置されている、アンティーク調に作られた時計は七時過ぎを差していた。


「いいわよ。家に帰るのが遅くなるわよ」


「いえ、まだ大丈夫です。この先の道も暗いので心配です」


友香子は大きな目を更に大きくして驚いたように笑い出した。


「アハハ。心配?四十過ぎのおばさんを心配してくれるの?おばさんは幸也君のほうが心配よ」


友香子が幸也から紙袋を取り上げてから背中を向け、片手を上げてバイバイと手を振って歩きだした。


「オオカミが襲うのは二十代までって決まっているのよ」


彼女はまだケラケラと笑っている。


甘い香りを残して、彼女が小さくなって行く。


月明かりが……


桜の舞い散る花びらが……


彼女をさらっていく……


幸也はゆっくり手を伸ばした。


ダメだ。


何が?


もう少しこのままで。


思考が錯誤し始めた。


この人は宙の母親だ。


そう思いながらも足が動いた。



彼女の甘い香りがする首筋に鼻先が当たった。


「もう少し……一緒にいたいんです」


幸也は友香子を背中から抱きしめていた。


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