宙サイド
一秒でも早く来て欲しいと願っていた救急車より、救急隊員からの連絡を受けたと見られるパトロールカーの方が先にこのアパートの駐車場に到着した。
パトロールカーから二人の制服警官が飛び降りて来た。厳格な表情でアパートの階段を駆け上がり、宙と葵の傍へと駆け寄って来た。
血に塗れた二人の状況を目にした制服警官が宙に向かって
「君が刺したのですか?」
「違います……」
「通り魔の犯行ですか?」
「違います……」
「顔見知りの犯行ですか?加害者の行方は分かりますか?」
そう訊ねた警官の声が聞こえたのか葵は首を横に振った。美津子の名前を出すなと言っているような仕草だった。
宙は警官の質問に戸惑った。
「正直に答えなさい!事態は深刻なんですよ!」
質問をした警官が大声を上げた。
その声に宙は我に帰った。
「すみません。このアパートの中にいる女性に刺されました」
そう言いおえ冷たくなった葵の手のひらを握り締めた。葵の眼からは涙が伝った。
「葵……もう……何も考えるな。なぁ。俺と一緒に家に帰るんやろ?」
警官二人が警戒しながら、アパートのドアを開け、中の様子を伺っている。部屋の中から
美津子の泣き声が聞こえた。
「ミチル……ミチル……」
目配せをした二人の警官は安全を確認し合い、玄関の敲きの上で泣き崩れて座り込んでいる美津子に警官の一人
が駆け寄った。
後の一人は玄関のドアを押さえて開け放ったままその場に立っている。
「娘さんを刺したのですか?」
警官の質問に朦朧とした美津子は答えない。美津子の傍に落ちていた血まみれの果物ナイフ目をやり
「これで刺したのですね。あなたは大変な事態を引き起こしたのですよ」
「被疑者として署に連行します。いいですね」
現行犯逮捕だった。
美津子は項垂れたまま身体を震わせているだけで警官の声さえ耳に届いていないようだった。
「立てますか?」
美津子は両脇を二人の警官に抱きかかえられ、ヨロヨロと立ち上がった。
駐車場にサイレンが鳴り響いた。ようやく救急車が到着して中から二人の救急隊員が降りて来た。
「被害者の水口葵さんは、村田さんから監禁されていたのですか?」
この街の総合病院へと搬送された葵は直ぐに手術室へと運ばれ外科医によって、緊急手術を受けていた。
宙はその固く閉じられた手術室の前で先ほどからずっと私服警官の二人に事の経緯を質問され続けている。
救急車の中では救急隊員に、病院では医師や看護師に何度も同じ説明をしたが頭の中は血の気の無くなった葵の事ばかりが気掛かりだった。
いつものように冷静な受け応えが出来ていない。
そんな中での、この私服警官たちからの質問は美津子が未だに喋れる状態では無い事が伺えた。
「監禁されてはいないです。村田さんは僕を刺そうとしたので、それを目撃した葵が僕を庇ったんです」
相手の私服警官は宙の表情をジッと見据えている。
「それは、あなたが葵さんを連れ出そうとしたからじゃないですか?本当は脅されて監禁されていたんじゃないですか?」
「違います。葵は……僕を避ける為に……村田さんと一緒に住んでいたのだと思います」「彼女と喧嘩をしていたと言う事ですね?」
「はい」
「桂木君。君と喧嘩をしたからと言って、自宅から何百キロも離れたこの地で、しかも赤の他人と一緒に暮らすなんて普通は考えられないでしょ?」
私服警官の言う通りだった。普通では考えられない葵の行動。第三者から見れば監禁されていたのではと疑いを持つのは当然だ。
「葵は……バイトをしていました。だから、村田さんから逃げ出そうと思えばいつでも逃げだせたと思います。それをしなかったのは……僕を避けたかったからです」
宙の返答にまだ納得が行かない私服警官たちが
「あなたと村田さんは、どのような関係ですか?」
「村田さんは……僕の弟の死んだ彼女の母親です。偶然、葵は村田さんの死んだ娘に似ていたので、葵の事をずっとミチルと呼んでいました。だから……そんな村田さんが可哀相で……葵はそう言う子なんです。優しい子なんです」
「事情は分かりました。もう一度、お話を伺うと思いますのでその時は、葵さんも含めてお聞きします。葵さんが助かる事を願います。君も気を確かに持ちなさい。きっと葵さんは助かりますよ」
そう言ってくれた私服警官たちに頭を下げた。
「ありがとうございます」
私服警官たちが去った後、宙はズルズルと手術室の前のソファに腰を下ろした。右手には血の付いた携帯を握り締めたままだった。
「葵の事を頼みます」
葵が失踪してから二日目に、宙が葵の自宅を訪れた時だった。葵の両親は宙以上に気が滅入った様子で、そう告げたのだ。
葵は小さい頃から手の掛らない子で、祖母が亡くなってからは何もかも葵に頼り切っていたと話した。母親以上に気を配り、妹や弟の面倒を見ていた葵。そんな葵が家出をするなど、よほどの事が有ったのだろうと家族全員話していた所だと言った。
今までよくやってくれていた葵を、早く帰って来いと叱れないと母親は泣いていた。葵の居場所さえ分かれば、元気で居てくれさえすれば葵の事なら、気が晴れたらきっと家に帰って来るだろうとそう、両親たちは思っていると言った。だから……葵の事は全て宙に任せたとそう告げたのだった。
「必ず僕が連れて帰ります」
宙は両親にそう頭を下げた。
無機質な白い天井を見上げたまま声を上げて泣いた。
結局、自分が渡瀬家を出た時から悲劇が始まっていて、自分さえ桂木家に養子に来なければこんな事にはならなかったのだ。だが、それは自分が選択した道だった。選択を誤ったせいで関係の無い多くの人を巻き添えにして、そして、大切な葵までも傷つけてしまった。
戻れないと思った。自分が今更渡瀬家に戻るのならこの今までの悲劇は何のために起こったのか?
何の為に多くの人が犠牲になったのか?
かけ間違えた歯車は元には戻らない。間違えたまま、自ら傷を付け、ギシギシと軋みながらも回るしかないのだ。
もう……故郷に自分の居る場所は無い。自分が選択した道を歩む事が犠牲になった人たちへの報いのように思えた。
赤く点灯している『手術中』の文字を見上げた。
「葵……俺と……一緒に帰るんやろ?もう……俺はどこへも行かへん。葵とずっと一緒や」
Fin
長々と最後まで読んで下さった方々、有難うございました。
初めて書いたミステリーです。
拙い文章、構成。
徐々に書き直して行きたいと思います。
ミステリー大好きな自分ですが、いざ書いてみるとその難しさに無い頭を捻りました。
作家先生がたは凄いと思います。
これからは自分なりにもっと、勉強して行きたいと思います。
どうも、有難うございました。




