葵サイド
「ここ、入る?」
瞬が指を差した場所は、乗り物に乗って、モンスターをレーザービームのような光りを当てて命中させ、得点を出すアトラクションだった。
「怖くないかな?」
「怖い筈ないって。中は暗いだけで、客を驚かすような仕掛けなんかないし。ただ、ビームを発射してモンスターを倒せばいいだけだし。もしかして、物凄く怖がり?」
一緒に歩き出して直ぐに葵の手を繋いで来た瞬がそう訊ねて来た。
「うーん。そうでもないけど……お化け屋敷やホラーハウス系は苦手かな」
「じゃあ、入ろう」
ゴールデンウィークを過ぎて、その時期よりは少ない入場者数だったが、それでも十人ほどの列が出来ていて、葵と瞬は最後尾へと並んだ。
観覧車を見上げるともう直ぐ五時だった。子供連れがパラパラと帰途に付き始めている。
乳母車の中の子供は遊び疲れて眠っていて、それを疲れた表情で押しながら歩く母親。
ここでバイトを始めて一週間、毎日目にする光景。いつもと違うのは、今日は客としてその光景を目にしている。
親は……子の為に疲れる事を知っていても、この場所に連れて来ては子の笑顔を見て幸せを感じているのだろう。
「ミチルはね。ここの遊園地が大好きだったんや。それで……私、ここで働き始めたんや」
葵が今、世話になっているあの人の言葉を思い出した。二年前に可愛い娘と愛する夫を同時に亡くした、村田美津子の事だ。
葵はあの日、宙の家から持ち出した大量の手紙から、宛て名に書いて有った住所を調べて、次の日にその地を訪れた。
書いてあった住所の家には人は住んで無く、庭に繋がれた一匹の痩せた犬が居ただけだった。
その家の雨戸は全て締め切られ、人の気配すら無い状態だった。
庭は荒れ放題で、草がボウボウに生い茂っていた。その中で、一匹だけ鎖に繋がれた犬が、
「クーン」
と啼いて葵を見ては尻尾を振りだした。葵は閉められていた外門を開け、中に入り、その犬の前に座って頭を撫でてやった。
その犬は嬉しそうに目を細め、尻尾を振り続けた。
「お前、一人ぼっちなの?」
「クーン」
犬はそう鼻を鳴らすだけだったが『そうだよ』と答えてくれたような気がした。
「嫌。嘘。ミっミチルちゃん?」
この家の向かいの住宅から女の人が出て来るなりそう声を掛けて来た。
葵は立ち上がって一回お辞儀をしてから
「すいません。勝手に入ってしまって。この家の人は……留守ですか?」
「ごめんなぁ。あんまり、ここの家のミチルちゃんと似ていたさか驚いてしまって」
この犬の餌を持って来たようで、その女の人も、外門を開けて中に入って来てた。
「コリーも間違えたんやろか?この犬ね、元は猟犬やから、知らない人には吠えるんやけど、お姉ちゃんには尻尾振って甘えて……せけど、ミチルちゃんに似ているなぁ」
手紙の中に混じっていたミチルの写真を見て葵は驚いた。眼鏡は掛けていないが、宙とそっくりな弟、翼の隣で笑うミチルは……自分にそっくりだったのだ。
この地から離れて以来、ずっとミチルと文通していた宙。そのミチルとそっくりな自分。
宙と付き合い始めて一年。その甘い日々がガラガラと音を立てて崩れて行った。
宙は……葵の中にミチルの面影を見ていたのだ。宙は……ずっとミチルを思い続けていた。
自分はミチルの身代りでしか無かったのだ。そう思うと居ても立っても居られず、ありったけの自分の貯金をかき集めて、気が付けば、名古屋行きの新幹線に乗っていた。
それから電車を乗り継ぎ、この地に降りた。宙が生まれ育ったこの地に。
学校へ行く気にもなれなかった。今の自分の生活の大半は宙への思いで成り立っていた。その大半が脆くも崩れ
て、ただ……本当の宙を追い求める事しか出来なくて……そんな思いで宙の生まれ育ったこの地を目指した。
「美津子さんな、今は、ここで、一人暮らししているんよ。小さな街やから、人の目もあってこの地におられんようになってね。無理もないわよね。それで、このコリーの世話だけ頼まれているんや」
葵を美津子の親戚だと思ったようで、直ぐに美津子の住所を葵が手渡したメモ帳へと書き記してくれた。メモ帳を返され、大事にカバンに入れた。




