5.“聖獣”
◆クラン
目を覚ましたら全身筋肉痛みたいに体が重くて、運動後とは違う強烈な疲労感があった。普通の夢解ならなんてことねぇんだけど、“獣”相手はさすがにラクじゃねぇぜ。
「お前ら、ご苦労だったな」
「お帰りなさい、先輩!」
オペレーターの姉ちゃん達やパップだけでなく、組長までホッとしていた。オレ達があんなヤロウにやられるかっての。まぁ、今回はちょっとヤバかったかもしれねぇけどな。
「ウィルド、すぐに警備隊に連絡してくれ」リーフが起き上がるなり真っ先に言った。「あのビクティムは、去年の連続児童失踪事件の犯人だ」
「なんだと? ありゃ誘拐だったのか?」
「誘拐殺人だ。詳しいことは後で俺たちが警備隊に証言する。それと精神心理治療も施した方がいい。彼は……夢にとっても危険だ」
忘れてた記憶や隠してた秘密が夢に出てくるのはよくあることだから、すぐにオペレーターが手配してくれた。っていっても、夢で見たことをそのまま証拠にすることはできねぇから、あくまでそれを手がかりに捜査を進めるだけだ。
「それよりドン、“獣”の波長はちゃんと消えたのか?」
「ヤツらが消えるか、てめぇらが死にかけるまでは帰還させねぇよ。それともまさか、殺り損ねたとでも言うんじゃねぇだろうな」
「オレ達がぬかるわけねぇだろ」
「少し、気になることがあったものでね」
シグルドが、オレが話してるところへ入ってきやがった。こいつは何かとオレの邪魔をしてくる。なんでかって説明はできねぇけど、理由がなくても気にくわねぇ。
気にくわねぇけど、ここはおとなしくヤツも含めて奥の会議室に入った。首領とついでについてきたパップに、昔の津波災害で精神異常になったビクティムが子供を殺していたこと、“獣”との戦いのことを話した。
「“聖獣”が復活する、だと……」
“獣”の最期の悪あがきがどこまで本当なのか、今となっちゃわからねぇ。でも、いつにも増して怖い顔でうなるドンと同じくらい、オレ達もショックを受けている。人間語をしゃべれるくらい知能が高いとなると、何か知っていたのかもしれねぇし、逆にデタラメを言ってオレ達を混乱させようってハラかもしれねぇ。どっちにしても、簡単には無視できねぇ内容だ。
「あのー」黙りこんだ一同に、パップがおずおずと手を上げた。「セイジュウって、なんスか?」
オレ達四人は別の意味でショックを受けて、いっせいに顔を上げた。パップは今にも泣きそうな顔になった。
「お前……“聖獣”を知らねぇのか!?」
「す、すみません……」
「入って三ヶ月もたってないんだから、知らないのも無理はないだろう」
「だったら、てめぇが説明しやがれ」
シグルドめ、一瞬こっちを見て笑いやがった。リーフはどう思ってるのかわらねぇけど、組長や女たちは、なんでこんな腹で何考えてるのかわったもんじゃねぇヤツを信用してるんだ。
「強力な負の思いが、まれに形を持って“獣”になるということは知ってるね?」
「あ、はい。普通の夢魔の何倍も強いって」
「その“獣”をもはるかに凌ぐ力を持つ“聖獣”は、威厳のある黒い姿と圧倒的な力を持っている。しかしこれは伝承の中でだけ語られている存在で、実際に見た者はいない。というよりは、生きて還った者はいない、という方が正しいな」
「……」
ん? リーフのヤツ、えらくむずかしい顔をしているな。
「そ、そんなにすごいんスか? そんなの、本当に……」
「いるよ、確かに。大昔からの伝承に何度も出てくるし、かなり信憑性のある記録も残っているからね」
オレも“聖獣”の存在は、イマイチ嘘っぽいと思わなくもない。“獣”でさえ下手な解夢士を何十人も返り討ちにしてるし、一般の夢死者は『夢殿』が知ってるだけでも十数年間で四桁だぜ? そいつが比べものにならねぇくらい強力だって言われても、想像もできねぇだろ。だいたい、そんなにやばいヤツが大昔からいたなら、とっくに人類滅亡しててもおかしくねぇぞ。
「“聖獣”が歴史に現れたのは六百年前だ。それ以前の記録はわかっていない」
さっきまでうつむいていたリーフが、いきなりぼそっと言った。それに、シグルドが意外なほど食いついてきた。
「へぇ、それはわたしも初耳だな。六百年前と断言しているが、そんな記録はわたしの知る限り聞いたこともない」
「知り合いに詳しい人物がいてな。それよりお前こそ、なぜ“聖獣”が『黒い』と言った? “聖獣”がどんな姿をしているのかなど、それこそ誰も知らないはずだ」
「いろいろな書物で、憶測や想像を書いているからね。はっきりどれとは覚えていないが、わたしもその中のひとつを読んでそう思っていたんじゃないかな」
「なるほど、確かにそういったものは少なくない」
たぶん総長とパップは気付いてねぇだろうけど、オレには笑顔で腹の探り合いをしている二人の間に火花が見えそうだった。先祖代々夢の研究だかなんだか(あんまり詳しくは聞いてねぇ)をしているらしいリーフは『知り合い』なんて流暢にシラを切ってて、あいつの正体を知らねぇとお得意のポーカーフェイスを見破るのはまず無理だろう。シグルドも絶対何か隠してやがる。まぁ、こっちは完全にオレの勘だけど……あの胡散臭い顔からして、すでに信用できねぇ。こいつら似た者同士で仲がいいのか悪いのか、いつも微妙な関係だ。
「も、もし“聖獣”が現れたら、どうなるんスか?」
パップはもうすっかりビビッている。どうなるって言われてもなぁ。
「“獣”はビクティムが死んだら消えるけど、“聖獣”は夢を移れるって言うからな。伝染病みたいなもんじゃねぇか? 世界規模の」
「そ、そんなあっさり……」
「対策はある、心配するな。お前も人々を守るために解夢士になったのだろう」
「は、はい! そうッスよね、リーフ先輩。僕もがんばります!」
んー、いいねぇ、若いって。青春って感じがするべ? オレがこいつくらいの歳には、どこにいたっけ……ずっと転々としていたからよく覚えてねぇけど、少なくともこんな見てて恥ずかしくなるくらい純情じゃぁなかったな。
「しかし夢を移れるなら、今さら現れるも何も、今までもずっとどこかに存在していたはずじゃないのかな?」シグルドはちらっとリーフの方を見た。「その、六百年前から」
「今までなんかどうでもいい。“聖獣”は絶対に復活させねぇぞ」
めずらしくずっと黙ってたドンは、いきなりそれだけ言ってさっさと部屋を出ていっちまった。
「なんかヘッド、いつもより怖いな」
「彼は妻を“獣”に殺されている。恨みも決意も大きいのだろう」
上司であるボスの上司は、内部情報をなんでも知っている。おっさん、だから『夢殿』を……。十五年前、大陸中で恐れられた伝説の総長がある日いきなり表舞台から姿を消した理由が、なんとなくわかったような気がした。
夜明け前にアパートに帰ってきたオレ達は、疲れてすぐにでも休みたいと思ってるのに、なんか興奮して寝られなかった。リーフが茶を入れてくれるって言うからよろこんだら、当然のようにコーヒーが出てきた。一日十杯でも軽いカフェイン狂に期待したオレがバカだった……いま飲んだら、余計に寝られねぇだろうが。
「コーヒーは神経の昂ぶりを整えて、気持ちを落ちつかせてくれる。頭を使うときには特にいいぞ」
「それじゃ、オレには必要ねぇな」
「だろうな。言ってみただけだ」
「……。シグルドもムカつくけど、お前もなかなかだな」
「何を今さら」
確かに。
「ところでよ、お前、“聖獣”って本当にいると思うか?」
「納得していいのか? ……まぁ、“聖獣”はいると思うか思わないかではなく、いる。これは事実だ」
「誰も見たことねぇんだぜ? それに、そんなやばいヤツがいたら、もっと大事件になってるんじゃねぇのか?」
「なかなかいい質問だ」なんかエラそうだな。「今からおよそ六百年前の大戦の時代、“聖獣”の暴走で世界中が危機に瀕した。眠れば二度と目覚めないと、誰もが寝るのを恐れてな。実際、眠ったまま目を覚まさなかった者は、大陸の全人口の三割に達したと言われている」
「見てきたように言うなぁ」
「確かな記録だ。世間は誰も知らない、隠された闇の歴史だがな」
「それじゃぁ、なんでお前は知ってるんだ? 前に先祖がどうとか言ってた、あれか?」
最初は思いついたことを言っただけだったけど、我ながらうまい誘導尋問だ。もちろんリーフはそれに気付きながら、少し迷った後に話を続けた。
「我がクラウス家は、十八代前の先祖が六百年前、“聖獣”を倒した功績によって王から爵位を賜った。しかし完全に消滅したわけではない。いつかまた世に現れたとき、“聖獣”と戦い夢を守るという使命を、当主の名とともに受け継いでいるのだ」
「ふーん。それで大臣閣下御自ら現場にお出ましになったってわけか。お偉いさんってのも大変だね」
「現場に出たのは俺の意思だ。百年ほど前までは夢も穏やかだったが、父の代のころから夢死事件が増え始め、対応策として『夢殿』を創った」
リーフの親父さんサマサマだな。でなきゃ今ごろ、オレもここにはいなかった。またどこかに流れて、あのままの生活をいたはずだ。そんなの、もう考えたくもない。
「そういえば、お前はなぜ解夢士になったのだ?」
「なんとなくだよ。エランなんとかって、例の遺伝子……」
「エラン・ヴィタール二重構造遺伝子だ」
「そう、それ。それがたまたまあるってわかって、おもしろそうだからやってみただけだ。ほら、オレとちょっと名前似てるし」
あとは……あの生活を変えたかったからだ。オレの人生はあの夜と『夢殿』に入ったときと、二度大きく変わった。一回目はどうしようもないまま変えられちまったけど、二回目は自分の意思で変えたんだ。まだ過去が完全に消えたわけじゃねぇけど。
「お前は……嫌じゃねぇのか? 大臣も解夢士も、子供のときからやるのを決まってたんだろ?」
「正確には生まれる前からだな」リーフはかすかに自嘲したみたいだった。「しかし正直、今まであまり抵抗はなかった。徹底した帝王教育のおかげで、疑問に思う暇もなかったのかもしれんな」
マジかよ。自分のことなのにわかんねぇって。こいつの本心はイマイチ読めねぇ。
「初めて自分で選んで自分で決めたのが、今のこの生活だ。これが思ったより楽しめて、満足している」
「こんな貧乏生活を喜んでいるなんて、ご愁傷様だな」
「このおんぼろアパートでの質素な生活、なかなかできるものではないぞ?」
こいつ、最近誰の影響か言葉遣いが崩れてきて、嫌味がますますパワーアップしてやがる。
「でもよ、“聖獣”っていやぁすっげぇ化けもんなんだろ。そんなのと一戦やらかして、勝ち目なんかあんのかよ?」
「俺がいつも夢の中で持っている剣を、覚えているか?」
「あぁ、あの使えねぇってやつ」
「あれは初代が“聖獣”を倒した剣で、あまりに強力な力のために“聖獣”にしか抜けないようになっているのだ」
へぇー、ただの錆びたおんぼろだと思ってたのに、そんなすげぇ剣だったのかぁ。でも普段は使えねぇから、普段は棒でがんばってるのね。
「なぁ、リーフ。もし本当に“聖獣”が出てきたら、やっぱ戦うのか?」
「それが使命だからな。逆らうつもりはない」
「じゃぁ、もし使命うんぬんがなかったら、どうするんだよ」
「……さぁな。どうだろう。今まで考えたこともないから、わからないな」
リーフはうつむいて、コーヒーを飲んだ。貴族や金持ちなんて、もっと気楽で楽しいもんだと思ってたんだけどな。こいつの横顔を見ていたら、それほどでもないみたいに思えた。
「クラン、使命のことは王家しか知らない極秘事項だ。俺の身分以上に、絶対に誰にも洩らすなよ」
な、なんかとんでもねぇ秘密を聞いちまったらしい。いいのかよ、オレなんかにそんなことしゃべっちまって。
「お前は悪用はしない。ただ、うっかりして気付かれることはあるかもしれないから、普段からもう少し頭を使えよ」
「うっせぇ、余計なお世話だ」
こいつも、なんでこんなに正面きって言い切れるんだろう。リーフがパップみたいに、誰でも信用するほど無邪気でもバカでもねぇことはわかってる。それなのに、なんでオレなんかを信用するんだ? イオリもそうだ。しゃべれねぇことでさんざん辛い目にあって、人と接するのを避けるように森の近くに一人で住んでるのに、いつもオレを慕ってくれる。相棒だから? 人さらいから助けたから?
……違う。オレはそんな立派な人間じゃねぇよ。本当のオレを知ったら……みんないなくなっちまうだろうな。それでも今は、できるならずっと、このまま毎日を続けたいと思っちまう。
「……なんか、寝られそうだから寝るわ。コーヒーのおかげかな」
「その方がいい。俺はこれから屋敷へ戻る。帰りはまた明日のこの時間だ」
「休まなくていいのか? よく身体もつな」
「あちらも放っておくわけにはいかんのでな。お偉いさんの辛いところだ」
この期に及んでもさらっと嫌味を言うのを忘れずに、リーフは上着と帽子で芸能人みたいに変装して出ていった。
ふあぁ〜、さて、オレは寝るとするか。リーフが心配するまでもなく、起きたらさっきの秘密なんざ、ほとんど忘れてるだろうな。……それも計算のうちだって、あいつなら言いかねねぇけど。




