28.誘拐
◆クラン
大っきな岩にもたれかかって、木々の間から見える小っちゃな空に煙を吐き出した。冬の花スノードロップの横に南国のハイビスカスが咲いていて、桜と紅葉が一緒に舞い散ってる光景を眺めながら、オレはどういうわけかちっとも驚かなかった。
タバコ吸うのも何年ぶりかなぁ……。ダチが殺されたときと、付き合ってた女が裏切って敵対組織に売られかけたときと、解夢士一年目で初めてビクティムを助けられなかったときと、その三回くらいだ。ずっとポケットに入れっぱなしで、辛いときのお守りみてぇに持ち歩くだけだったけど、またこんなところで役に立つなんてな。
「俺も一本もらえるか?」
木漏れ日の逆光で顔が見えなかったけど、態度のでけぇ声は確かめるまでもねぇ。黙って取り出して火を付けてやったら、リーフはそいつをくわえて岩の反対側に座った。しばらく、二人とも白い煙にばっかり集中していた。
「お前がタバコを吸うとは知らなかったな」
「たまーに、な。ホントは酒の方がいいんだけどよ」
「相棒をやってもうすぐ三年になるというのに、単純なはずのお前がまだ知らないことばかりだ」
「単純はよけいだ」こんなときでもツッコんでしまう自分が悲しい。「まぁ、オレも自分のこと全然わかってねぇんだけどな」
ウグイスが遠くで鳴いている声を聞きながら、またひとつ煙の輪を吐いた。
「どうしたもんかね、超大物ゲストが居座ってくれてるってのは」
「同居歴は、俺より長いらしいな」
「うなされるようになったのは故郷を出てからなんだけど、なんだってオレを選んでくれたんだか」
「そのとき、何か変わったことはなかったか?」
んー、変わったことって言われてもなぁ。
『ねぇ、どこへ行くの? 寒いから車で行こうよ』
あの日……吹雪の中を親父に連れ出されて、一人で船に乗せられた日のことは、今もはっきりと覚えてる。オレの人生がトチ狂った、記念すべき日だ。でも、なんだって急に……
『クラン、ちょっとこっちに来なさい』
『わぁ、お父さんの部屋に入るの初めてだ!』
待てよ。そういや家を出る前に、親父の仕事場に連れていかれなかったか? 大事な機器とか薬とかがあるからって、のぞくことも禁止されてた部屋だ。そこで卵型のイスに寝かされて、ごちゃごちゃした機械につながれて……おいおい、ありゃぁもしかして、今オレ達が夢解で使ってるヤツとほとんど同じじゃねぇか! でも何をされたのか、今もよくわからねぇ……。
『いいか、これからお前一人で生きていくんだ。お父さんを恨むこともあるだろう。だが、それでも……世界の想いが共にあることを、人を愛することを忘れるな』
あぁ、今ごろになって、ずっと聞こえなかったと思ってた親父の最後の言葉を思い出した。思い出しても、くだらねぇ言葉だ。これから追い出そうって息子に向かって「人を愛せ」だって? ふざけるのもいい加減にしやがれってんだ。
「例えばだが、アーレント博士という研究者を知っているか? 彼と何か接点があったということは」
すっかり過去の記憶にトリップしてたけど、リーフの質問で現実に戻ってきた。
「え、誰だって?」
「モルディア国の“聖獣”研究第一人者、キリス=アーレント博士だ。同郷の有名人だから、名前くらいは……」
「……親父?」
「ん? いま何か言ったか?」
「いや、だから……キリス=アーレントだろ?」まさかここでその名前が出るなんてな。「そいつはオレの親父だ」
「なんだと?」いきなりリーフが立ち上がって叫んた。「しかし、名前が……」
「あー、名前ね。オージェってのは昔使ってた偽名のひとつでさ。オレ、本名はクラン=アーレントなんだよ。……あれ、言ってなかったっけ?」
「お前が、アーレント博士の息子……」
なんだ、何なんだよ。首だけで後ろを見たら、すっげぇ狼狽してやがった。
「お前、さっき親父が有名人だって言ってたけど、知ってるのか?」
「“聖獣”研究の分野では世界的権威だった」
どっかのレヴォン賞学者のオカマといい、オレのまわりにはじつはすげぇヤツが多いみたいだけど、そうは見えねぇ連中ばっかりだ。
「だが……お前は知らなかったのだな。博士は十七年前、モルディア革命の内乱で暗殺されたらしい」
「親父、が……?」
今度はオレが立ってふり返った。岩をはさんだ向こう側で、リーフの伏せた目が、動かしがたい事実のすべてだった。
わけも言わないでオレを追い出しておいて、知らない間に死んだだって? いつか絶対に探し出してぶん殴ってやるって、それだけを考えて生きてきたのに、どこまで勝手なんだよ、あんたは……。
「……」
いや、そうかもしれねぇって、頭のどっかではわかってたんだ。だからこそ、これまで一度もモルディアへ戻ろうとしなかった。昔はともかく、『夢殿』に入ってからは帰ろうと思えばいつでも帰れたのに。いろんな言い訳を自分にしながら、ずっと背を向けてきたのは、なんとなくそんな覚悟をしてたからなんだ。
でも、実際に人からそれを聞かされたら、やっぱりショックだった。もう二度と親父に会えねぇんだって……ぶん殴ることもあのときの理由を聞くことも、昔に戻ることもできねぇんだって、はっきりとわかっちまった。リーフの話から察すると、たぶん母さんも……。
「なんで殺されなきゃならねぇんだよ。有名な学者かなんだか知らねぇけど、親父とお袋が何したってんだ!」
なんでオレだけがここにいるんだ――やりきれねぇ虚しさが、誰にともなく怒ることでしか抑えられなかった。殴った岩の硬さと手の痛みでしか、今のオレの存在を確かめることができなかった。
「なぜお前に“聖獣”が封じられたのか、やっとわかった」
短くなったタバコをくわえて、リーフがつぶやいた。
「命の危険を感じた博士は、とっさにお前の内に“聖獣”を隠した。世界を破滅させ得る力を野放しにするわけにはいかないという、苦渋の決断だったのだろう。だが……それ以上に、お前に生きてほしかったのだ。共に行けない自分の代わりに、世界の想いがそばにあるように、と。」
そっか……なんとなく、わかった気がする。ずっと一人で生きてきたのに、いつも誰かが一緒にいたような温かい感覚……全然覚えてねぇけど、何度か会ったっていう“聖獣”と、オレはどんな話をしてたんだろうな。親父が残してくれた想いがあったから、オレは壊れずにいられたんだ。そいつを倒すってことは、つまり、オレも……。
「なぁ、リーフ。やっぱり……」
言いかけて、その後の言葉が続かなかった。今さら何を確認しようってんだ。それとも甘ったれた期待をしてるってのか? バカだな……こいつはそのためにここにいるんだぞ。そんなこと、ずっと前からわかってるじゃねぇか。
「あぁ、俺はどんなことがあっても、夢守としての使命を果たす。が……」
そう、だよな……。
「うん、わかった。オレも腹くくるわ」
「話を最後まで聞け」リーフが岩を回りこんできた。「外での俺は、クラウス家の当主である前に、いち解夢士でありお前の相棒だ。夢を解いて、必ずお前を救ってみせる」
そんなこと……。「世界を救って、オレも救うってか? 欲張りなヤツだなぁ」
「大金持ちの大貴族だからな。できないことはない」
まじめな顔して断言するもんだから、つい吹き出しちまった。あぁ、こいつはやると言ったら絶対にやる。嫌味なくらい、絶対に。
はは、そうだな。オレも相棒を信じねぇでどうするんだ。
「だからクラン、お前も思いつめて早まった真似などするなよ」
「その心配はねぇな。オレは世界のために犠牲になるなんて、崇高な精神は持ち合わせちゃいねぇよ」
「そうだな。愚問だった」
さっきの感動はどこへやら、またあっさりと元の嫌がらせヤロウに戻った。ちょっと簡単に信じすぎちまったか?
「いた! クランさん! 大変なの!」
エリィちゃんとキリルだ。二人とも血相変えて、なんだ?
「あの、さっき、夢で、変な男の人がクランさんを……!」
「えーっと、何がどうしたって?」
「すみません」混乱するエリィちゃんの変わりに、キリルが冷静に答えた。「夢の世界を調べていたミヌイ族の一人が戻ってきて、妙な男に会ったと言っていました。その男は突然現れて、鍵を預かったとクラン=アーレントに伝えろ、と」
「は? 鍵?」
「夢で意識的にぼく達に接触してくるなんて、普通のミディじゃありません」
「アーレントって、クランさんのことなの?」
「まぁね。でもオレ、アパートの鍵もバイクのキーも、ちゃんと持ってるぜ? そいつ、なんか夢でも見たんじゃ……」
「おい、クラン」
黙って聞いてたリーフが、横から怖い顔して乗り出してきた。
「お前、本名を誰かに言ったことがあるのか?」
「え? いや、昔からずっと偽名だったから……そういや、イオリには前に話したかな」
「まずいな。すぐにコルスコートへ戻るぞ」
「ちょ、ちょっと待てよ! いったい、なんのことなんだよ?」
「その男が誰なのかはともかく、“鍵”はイオリだ」
イオリがさらわれた――最後にそう言ったときには、リーフはもう歩き出していた。その後をキリルが追いかけていったけど、オレはその意味をすぐに理解できなくて、どうしたらいいのかわからなかった。
「クランさん、急ぎましょう!」
「イ、イオリが……なんでだよ……」
「わからないけど、クランさんにわざわざ伝えたってことは、すぐに傷つけるつもりじゃないと思うわ。だから、急いで助けに行かなくちゃ。イオリちゃんが待ってるわ。ね?」
エリィちゃんに諭されて、やっと現実が頭ん中に入ってきた。そうだ、こんなところでぼーっとしてる場合じゃねぇ。イオリは、あいつだけは絶対に……
「うぐっ……!」
「クランさん!?」
あ、頭が……割れそうだ……! また、あの遠くに引っ張られるみたいな感覚……“聖獣”、なのか……?
「待ってて、リーフさんを呼んでくる!」
「い、いいよ、大丈夫だから……そ、それより、急がないと置いてかれるぞ」
気合いで立ち上がって、エリィちゃんに腕を支えられながらオレ達も戻った。
もし本当に“聖獣”が何かしようとしてるなら、頼むから今はおとなしくしていてくれ。オレの一番大事なヤツを、失うわけにはいかねぇんだ。もし無事に再会できたら、またあいつの笑顔を見ることができるなら……そんときは、お前の好きにしていいから。だから今だけは……。
『また、会ったな』
あぁ、そうだな。
『覚えていたのか』
思い出したよ。全部。今、やっと。
『我が内にいるとわかって、臆したか』
リーフから聞いたときには驚いたけどな。でも、今は忘れていたのが不思議なくらいだ。ずっと一緒にいたのにな。
『それは、お前が本能的に記憶を消していたからだ』
オレが? どういうことだ?
『我はこの世界に生きる、あらゆる生命の想い……人ひとりが背負い込めるものではない』
おいおい、それじゃぁ次に起きたらヤバいんじゃ……。
『心配ない。お前はすでに鍵を手にした。それがある限り、もはや心が壊れることはないと、お前が判断したからこそ記憶がつながったのだ』
そう、それ。前にも言ってたけど、鍵ってなんのことだよ?
『我を解放する力。すべてを内包し、世界の想いをつなげるもの』
なるほど。さっ……ぱりわかんねぇ。イオリが鍵とかなんとかって、リーフが言ってたけど……。
『けして鍵を失うな。そして淀んだ想いを解放するのだ』
言われなくても、イオリはオレが絶対に助ける。でも、お前を解放するって、どうすればいいんだ?
『失われた言の葉とともに、ただ願えばいい。負の想い渦巻くこの世界をどこへ導くのか、すべてはお前の心次第だ』