1.夢解(1)〜夢の始まり〜
◆クラン
……いつからそうしていたんだろう。痛いくらい目を大きく見開いて、呼吸をするのも忘れちまっていた。まずはパチパチと瞬きをして、それから目だけでまわりを見まわした。カーテンからもれる光、せまい部屋、酒ビンの転がった机。
確かにそこは、いつもの部屋、いつものベッド、いつもの朝だった。
「チッ、またあの夢かよ……」
いつもながら胸くそ悪いな。なんで他人の夢の面倒を見て、自分は夢にうなされなきゃならねぇんだか。しかも、もうずいぶん昔のことなのに、未だに引きずってるなんて……いや、ケリをつけるまでは絶対に忘れねぇ。ぶん殴って、一言文句を言ってやるまでは。絶対に。
あぁ、ムカついたらすっかり目が覚めて、腹もへってきた。この時間ならそろそろかな、と思って部屋を出たら、ダイニングにいい匂いが漂っていた。今日は焼き魚か。
「あっ、おい! キュウリは入れるなよ!」
「おはよう、クラン。一日の始まりがそのセリフか?」
「うっせぇ。なんでもいいからキュウリははずせよ。それと卵大盛りな」
リーフのヤツ、一日の始まりから嫌がらせかよ。オレが苦手なのを知っていて、バナナかと思うくらいバカでっかいキュウリを入れやがって。いつもオレの食事当番のときに仕返しをしてやろうと思うけど、こいつは苦手なものがないし、実際問題、いろんな意味でできないことなんかない。
「寝起きのままつっ立っていないで、先に顔を洗ってこい。クラン様のそんな顔を見たら、女性たちが幻滅するぞ」
「大きなお世話だ。オレはどんな顔でもカッコいいんだよ」
小さく切っただけでしっかり乗ったままのキュウリを横目で見ながら、水を一杯飲み干した。この嫌味といい尊大な態度といい、どうしてこんなヤツと一緒にいるのか、ときどき自分が不思議になる。
「しっかし貧相なメシだよなぁ。たまにはぱーっと肉でも食いてぇ」
「起きてすぐにそんな重いものを食べたいという気が知れんな。だいたい、贅沢だ」
「伯爵サマが、そんなケチくせぇこと言うなよ」
「これで充分栄養がある。それに今の俺は、ただの金持ちの一般市民だ」
「……お前、ケンカ売ってんのか?」
いつかぶっ飛ばしてやろうと密かに思っている嫌味たっぷりの顔が、ニコリともしないでさらっと言ってのけた。
リーフはオレの同居人で、仕事の相棒で、このコルスコート王国の大臣もやってる伯爵家の当主、泣く子も黙る正真正銘の大貴族サマだ。だからこのぶ厚いツラの皮も、こいつなら「高貴な威厳」という便利な言葉で片付けられちまう。どうよ、この特権。まぁ、確かに並の野郎どもよりは女うけする顔してるけど(でも絶対オレの方がいい男だぜ)、オレの場合は同じことをしても「態度が悪い」ってなるんだぜ? 不公平な世の中だ。
で、なんでそんなムカつくお偉いさんが、こんなおんぼろアパートにいるのかってことは……面倒くせぇから、知りたきゃ本人に直接聞いてくれ。もっとも、こいつの正体を知っているのはオレだけだけどな。
「あぁ、そうだ。先ほどウィルドから呼び出しが入った。食べたら行くぞ」
きれいにキュウリだけをよけたサラダと焼き魚を平らげて、好物の海藻入り卵を食べていたら、リーフが思い出したように言った。
「あんだよ。昨日もあれだけ働いたってのに、またこんな朝っぱらか厄介事か?」
「俺たちが呼び出される理由は、厄介な仕事以外にないだろう」
「頼れるエースは辛いよなぁ」
朝っぱら、って言っても、今は限りなく昼に近い。今日も朝日の直前に帰ってきて寝たばっかりだってのに、昼イチで呼び出しやがって。
朝メシを食べ終わって着替えたら、ほとんど休憩もなしに出かけることになった。なんて仕事熱心なんだ、オレ達。
アパートの前の、山から海までまっすぐ続く石畳の坂道を、いつものように人と車に気を付けながら歩いていった。コルスコートは世界一,二の大国だから、首都リシュトはそこらへんの小国より人口も建物もずっとでかい。排ガスで空がくもって見えるほど空気が悪い日もあるけど、ちょっと昔に比べたら、この国もずいぶん住みやすくなったもんだ。
「あぁ、世界がまぶしい……」
オレ達は、もっぱら夜が本業だ。いや、そんな言い方したらなんだか怪しい仕事みたいだな……つまり簡単に言うと、寝ているヤツの“悪夢”を片付けるってもんだ。ほとんどの場合、みんなが寝ている時間がオレ達の仕事タイムだから、下手をしたら何日も明るい昼間に出歩くことがない。たまにこうやってお天道様を仰いだら、まぶしくて溶けてしまいそうになる。
あーぁ、これで森の散歩でもできれば上機嫌なんだけどな。リーフはとてもそうは見えないなんて嫌味を言いやがるけど、オレの趣味の一つは森林浴なんだ。気持ちいいんだぜ、あの澄んだ空気につかるのはなんとも言えない。じじくさいって? ほっとけ。
「で、今回はどんな仕事だって? こんな明るい時間じゃ、ロクなもんじゃねぇだろ」
これが終わったら気晴らしに出かけようと思いながら、今はとりあえず目の前の仕事を片付けちまうことにした。
「入院中の患者が、四日前からうなされたまま目を覚まさないらしい。医学的な病状は安定しているらしいが」
「あー、病人はヤバいな。ただでさえ悪い夢を見やすいってのに……」
「キャーッ! クラン様ぁ!」
……まーた面倒なのに見つかっちまったなぁ。オレの金髪とエメラルドブルーの眼は、嫌がおうにも人目を引いちまう。ま、これだけカッコイイんじゃ仕方ねぇか。自分で言うのもなんだけど、外を歩いていて女がふり返らなかったことはない、イイ男だ。
「あぁ、お前は黙って立っているだけなら、貴族も顔負けだ。俺が保証する」
「へへ、まぁなー」
たまにはいいこと言うじゃねぇか、リーフ。なんか引っかかる気がしないでもないけど。
「ねぇ、クラン! またすてきなお店に連れてってよ」
「おう、悪いけど今から仕事なんだ。また今度な」
「リーフ様、お仕事がんばってください! 応援しています!」
「あぁ、ありがとう。……いや、急いでいるんだ。すまないが通してくれ」
いきなり取り囲んだ女たちの包囲網をどうにか抜けたときには、妙に疲れちまっていた。真っ昼間に外を出歩くと、いつもこうだ。
「あたたた、髪の毛引っ張られた。ハゲるっての」
「またボタンがなくなっている。もう三回も付け替えているのだぞ」
リーフも乱れた上着を直しながら、さすがに参っていた。へへ、モテる男はツラいなぁ。
なんて、のんきに言ってもいられない。そこから先は、他の女の子に見つかったときの面倒を避けるために裏道を走ったのに、ごっつい影がすでに裏口で待ち構えていた。
「おせぇぞ、てめぇら! どこで油売ってやがったぁ!?」
あちゃー、やっとのことで『夢殿』の事務所についたら、ものすごい形相のお出迎えを喰らっちまったよ。
「怒るなよ、ドン。せっかくの男前が台なしだぜ?」
「うっせぇ! てめぇら、まとめて根性叩き直してやろうか、あぁ?」
「すまない、ウィルド。途中でいろいろあってな」
「てめぇの言い訳を聞いてるほど、こちとら暇じゃねぇんだよ」
「そうだったな。では急いで詳細を聞かせてくれ」
リーフにうまく丸め込まれて、ドンは真っ赤な顔で押し黙っちまった。ケケケ、いい気味だ。オレは毎日あいつにあぁやってやり込められてるんだぜ。この苦労を思い知ったか。
「チッ、てめぇらの腕を買ってなきゃ、即シメてやるんだがな……」
ウィルドのおっさんは『夢殿』の代表者で、ボス、首領、ドン、組長、ヘッド、あと何があったかな……まぁ、みんな好き勝手に呼んでいる。今まで何人の女、じゃなくて子供を泣かせてきたかわからねぇくらい、人相も性格もごつい。いちいち怒鳴り声がうるせぇけど、これはこれでいじってやるとおもしれぇんだよな。
「組長、まだ五十前でこの頭はやベぇだろ」
「こいつはわざとやってんだよ。なんならそのうっとうしい金髪、今ここでバリカンしてやろうか?」
「遠慮しとくわ。そんなことになったら、泣く女がゴマンといるんでね」
「ふん、このスキンヘッドはな、その昔二十万の族を束ねて荒らしまわった総長の印として、今も恐れられてんだよ」
おっさんは見かけによらず、というか見かけどおりか? 数えきれないほどの武勇伝を持っている。かつてコルスコート中の暴走族・不良・ヤクザその他もろもろの怖い人たちの頂点として君臨した伝説の総長は、ケンカをやらせたら大陸一、豪快な肝っ玉なら宇宙一だろう。十五年ほど前にいきなり引退して、こうしてかたぎの仕事を始めた今でも、裏世界のあらゆることをやり尽くした男として、この国で知らない者はいない。
でもよ、その話をこいつの前でするのはどうかと思うぜ?
「それについては、また別の機会にじっくりと聞かせてほしいものだな」
クックック、知らないってのはいいことだよなぁ。お城の大臣閣下に向かってペラペラと犯罪履歴を暴露されたら、さすがのリーフも対応に困っちまうじゃねぇか。オレも笑いをこらえるのに、顔が引きつってしょうがねぇっての。
「こいつが今回のビクティム(被害者)だ」
十九歳、女性。内臓疾患で国立病院に入院中。手術が終わって数日後には退院予定だったはずが、うなされたまま目を覚まさなくなった……と。
「なんで今ごろ捕まったんだ? 手術は成功したんだろ? あとは退院するだけなら、何も問題はないじゃねぇか」
「それを調べるのがてめぇらの仕事だろうが。さっさと行ってこい!」
人の思考ってのは厄介なもんで、昼の起きている間だけじゃなく、夜の夢にも影響を与える。病人がうなされるってのは、そりゃ不安だらけなんだからよくあることだ。うれしいことがあれば楽しい夢を見るし、悲しいことがあれば辛い夢を見る。ここまでは世間でも常識だな。
でも、夢がただの空想っていうのは、違う。異次元でも別空間でもなく、夢の世界っていうのは確かにそこに存在しているんだ。オレ達がいる、このすぐそばに。
起きているときに経験したことや感じたことが、寝ている間に形を変えて投影されて、無意識のうちに普段の精神状態に影響を与える。昼間の現実が夢を創り、夜の夢が現実を形作っているわけだ。
まぁ、いくら二つの世界がお互いに干渉して成り立っているとはいえ、普通に生活しているぶんには、ただの空想って思っていても大して問題はないかもしれねぇ。問題なのは、夢に囚われちまうこともあるってことだ。“こっち”側の人間が“あっち”から還ってこなけりゃ……文字どおり眠ったように死んじまう。ここ何年かで、そういう夢死者が急激に増えているらしい。そもそもの原因はわかってねぇけど、そうなる前に悪夢の原因を排除して連れ戻すのを夢解っていって、これがオレ達の仕事だ。
「ほいじゃ、ちょっくら行ってきますか」
半分欠けた卵形のイスに入ると、オペレーターの姉ちゃんがいろんな線を取りつけた。この機械でつないだ相手の夢と接続することができるんだけど、誰でも夢の中に入れるってわけじゃねぇ。なんとかって遺伝子構造を持ってることが条件で、そこにリンクして……ノウテイブからの電波を増幅させて、ダイノウヒシツを刺激することで……えーっと……とにかく生まれつきの才能と後からの訓練で、できるヤツは限られてるってことだ。
「DNAパルス、脳波をマトリクス化……読み込み完了。ドリームライン異状なし。ビクティムにリンクします」
起きたばっかりだし、このイスもあんまり居心地がいいとは言えねぇんだけど、耳には聞こえない音波ですぐに眠くなってくる。病院で同じ機械を取りつけられているだろうビクティムの夢が、すぐに目の前に広がってきた。
「……教会、みてぇだな」
いつもながら、いきなりその場所に放り出された。まずは、ここがどこなのかを知らないことには始まらねぇ。この国に住んでるヤツの夢なら、だいたいわかるけどな。夢の世界ってのは、現実の町とほとんど変わらねぇんだ。ただ、白黒なだけで。
「ミサをしているところを見ると、日曜の朝か」
色のない祭壇で色のない牧師が祈るのを、カラーなリーフがすぐそばで見物していた。向こうの音や声は聞こえるけど、お互いに触ることも見ることもできねぇ。
「熱心に祈ってるねぇ。何が楽しいんだか、オレにはさっぱりわかんねぇぜ」
「祈りの前に、この光景はどうかと思うが」
あぁ、オレも同感だな。席に座って祈りを聞いているのは、全部同じ顔のじじぃばっかりだ。ほとんど現実と同じって言ったけど、白黒なところと、突拍子もねぇことがごく普通にあるっていうのが、似ても似つかない大きな違いだな。どうせなら、きれいな女ばっかりだったらよかったのに。
「ここ、たぶん北地区のイチョウ坂の大通りだな」
立ち上がったじじぃの後について外に出たら、町の至るところに同じじぃ達が溢れていた。洗濯物を干すじじぃ、車を運転するじじぃ、八百屋で叫ぶじじぃ、じじぃと遊ぶじじぃ……うえぇ〜、確かに悪夢だな。
「ビクティムは、よほどこの老人に何か思いがあるのだな」
「お前、この光景を見て、よく真面目な顔していられるな」
「そうか? お前の顔を見慣れていると、それほどでもないぞ」
「てめ……」
めったにお目にかかれないリーフ様の笑みが、ここぞとばかりに向けられる。女たちは、この皮肉屋の正体を知らねぇからキャーキャー言ってられるんだ。あぁ、でも一人だけ、こいつと立派に言い合えるツワモノがいたっけな。
『おじいちゃん、駄目じゃない。外に出たら風邪をひくわ』
通りを歩いていたら、じじぃの群れの中で一人だけ違う若い女が出てきて、同じにしか見えないじじぃの一人を連れて家の中に入っていった。
「おそらく、あれがビクティムだな」
「で、このじじぃがどうしたって?」
ここではオレ達にとっては、扉も鍵も意味がない。開け、って思うと戸が開いて、堂々と玄関から上がりこんだら、子供から二十歳前後まで同一人物らしい女が、やっぱりちょっと若いころからしわしわのじじぃと、部屋のいろんなところで会話をしていた。
『今晩は何が食べたい、おじいちゃん?』
『ねぇ、見て見て! この絵、先生に上手ですって誉められたんだよ!』
『ふふ、おじいちゃんの毛布、あったかいねー』
ここではこれくらい当たり前の展開で、いちいち驚いていられねぇ。いくつも同時再生される過去の記憶を横目に、オレ達は遠慮なく家捜しさせてもらおうとしたら、いきなり後ろから声がした。
「さわらないで!」
出たな、夢の核。文字どおり夢解のキーになる存在で、現実に悩むビクティム本人だったり、悪夢が形になったものだったりするけど、こいつだけはオレ達が見えるし話もできる。外から来たオレ達以外で唯一色のある、病院着の現在のビクティムだ。
「ここはおじいちゃんとの大切な思い出の場所なの。よその人は出てって」
「そうはいかない。その思い出に縛られたお前を連れ戻しにきた」
「あなた達には関係ないでしょ」
「別にここじゃなくても、現実でじじぃに会えばいいじゃねぇか。それとも思い出ってことは、じじぃは死……」
「違う! 私は……私はずっとおじいちゃんを守る!」
「ぐあっ……!」
目に見えない風みたいな圧力で、後ろの壁までふっ飛ばされちまった。これで万一首が飛ぼうものなら……あぁ、縁起でもねぇ!
「妄執が怨念に変わっているな」
リーフのヤツ、うまくよけたのはいいけど、なに冷静に分析してやがるんだ。
「このままでは聞く耳を待たない上に、自分で自分の夢を破壊してしまうぞ」
「んなこたぁわかってるって。一発ガツンとぶっ飛ばして、目を覚まさせてやる」
「駄目だ。手加減できないお前の力では、彼女を消してしまう」
加減なんて、そんな面倒なことできるかよ。
「じゃぁ、どうすんだよ? ……ッ!」
「出てって! でなきゃ、あんた達なんか消してやるわ!」
「クラン、しばらく時間稼ぎをしろ。間違っても攻撃はするなよ」
「あぁんっ!? てめぇ、逃げる気か!」
あんにゃろ、オレを盾にして、さっさとどっかへ行っちまいやがった。どうしろってんだよ。
「ちょ、ちょっと待てって!」
とっさに作り出した鋼鉄の壁は、あっという間にでろでろに熔けちまった。今度は灼熱波ですかぁー? ビクティムは黒い光に包まれて、ほとんど妖怪じみた怖い顔でこっちをにらんでる。あぁ、殺る気満々だよ……。
夢の中では、意志、思念、精神力がすべてだ。だから想像すれば、それが本当になる。壁、って思えば壁が出るんだ。もちろん怨念も立派な精神力で、彼女の思いは鋼鉄をも熔かしてしまうくらい強烈らしい。
「あのヤロウが戻ってくるまで話し合おうぜ! なっ!」
「うるさい! 消えろ!」
華奢な女の子がマシンガン連射しちゃ駄目だろ。オレは徹底的にぶっ壊すのは得意だけど、守ってるところなんて想像するのもむずかしいんだよ。熔けた盾の残骸を見てしまったら、防御する自信も木っ端微塵になって、逃げまわりながら愛用の銃を出した。リーフに言われなくても、ビクティムを傷つける気はない。彼女の弾道に当てるイメージして、銃弾をすべて撃ち落とした。
「なっ……!」
マシンガンに気を取られて、ここが彼女の世界だってことを忘れちまってた。いきなり床そのものが足に絡みついて、動けなくなったところへ台所の包丁が飛んできた。ヤバい!
「何をしているのだ」
刃の切っ先が眉間すれすれに止まって、目の前の棒に突き刺さっていた。
「遅ぇぞ、リーフ!」
「デートの邪魔をするのも悪いと思ってな」
部屋の戸口から伸ばした五メートルの棒は、ヤツの意思ひとつで手のひらサイズになって、先端に刺さった包丁を抜き捨てた。タイミングを見計らったような登場の仕方が気にくわねぇけど、これ以上ビクティムの遊び相手をするのはゴメンだ。
「それで、じじぃは見つかったのか?」
彼女を元に戻す唯一の手段が、あのじじぃだってことはオレもわかってるけど、どのじじぃでもいいってわけじゃない。彼女がこうなった決定的な原因が起こったときのじじぃが夢のどこかにいるはずだから、リーフはそれを探しに行っていたんだ。オレに面倒な役を押し付けてな。
「あの老人の死の間際をイメージしたら、見えてきた」
リーフの後ろから、色のあるじじぃが出てきた。もちろんリーフが作り出した偽物で、他とどう違うのかやっぱりわからねぇけど、驚いたビクティムは次に用意していた出刃包丁一ダースを落としちまった。
「おじいちゃん! 私……ごめんなさい!」
「どうして泣いておるのじゃ? わしがお前を悲しませておるのか」
「そうじゃないの! 私が……私が教会にお祈りに行ったから、おじいちゃんが倒れたのに助けられなかったの。私のせいで、おじいちゃんが……!」
なるほど、それが原因か。大好きなじじぃが自分のせいで死んだから、いっそ自分も、ってか? 自分の中に閉じこもるのは勝手だけど、夢の中に閉じこもられるとオレ達の仕事が増えるんだっての。
「わしがお前を恨んでおるとでも思っておったのか。わしの病気が治るようにとお祈りに行っていたことは知っておるよ」
「おじいちゃん……」
「お前がそんな顔をしていたら、わしも悲しいではないか。さぁ、いつものかわいい笑顔をみせておくれ。お前は笑っているのが一番じゃ」
リーフの誘導尋問は、いつもながらあきれるくらいうまい。具体的なことも名前も知らねぇくせに、ビクティムはすっかり信用しちまっている。
「わしがいなくなっても、わしとお前の思い出が消えることはない」
「また……会える?」
「もちろんじゃ。お前が願えば、いつでも夢で会える」
「ごめんなさい、おじいちゃん。ごめんなさい……」
「お前は、わしの大切な自慢の孫じゃ。いつまでも、ずっと……」
じじぃが消えても、彼女はうずくまって泣いていた。もう黒い光も殺気もない。
「じじぃも、あんたが元気になった方が喜ぶぜ」
後悔はそう簡単には消えねぇだろうけど、これからは前を見ることができるはずだ。リーフが作っていたじじぃの言葉に間違いはねぇと、オレも思う。過去の記憶のじじぃは、本当に孫をかわいがって幸せそうだったからな。
「私、戻るわ。早く退院して、おじいちゃんのお墓参りに行かなきゃ」
「それがいい。ずっとお前を待っていたはずだ」
やっと顔を上げて立ち上がったビクティムは、さっきまでとは別人なくらい明るくかわいい顔になっていた。同時に世界がぼやけて、どんどん遠くなっていく。核を縛る未練がなくなったらビクティムは目を覚まし、波長の変化を見たオペレーターがオレ達も現実へ連れ戻してくれる。ここへ来たときと同じように、オレ達の姿は意識の海に溶けた。