17.夢解(4)〜殺人事件〜
◆クラン
毎月恒例のけだるい夜が終わったら、次の次の朝には目覚めもすっきりになった。また来月までは何もないままきれいさっぱり忘れちうまうのも恒例だ。最初のころは、病気じゃねぇかって真剣に悩んだこともあったけど、まだ生きてるし、大丈夫だってことだろ。
ただ、今回はなんつーか……胸がドキドキして、たまに何かに引っ張られるみたいに意識が遠のくことがある。もしかして貧血かぁ? オレ、朝は強いんだけどなぁ。
「クラン、体の調子はどうだ?」
うおっ! あ、あの嫌味小言大魔王が、心配の言葉を吐いた!?
「き、気持ち悪ぃ……。お前こそ、なんか悪いもんでも食ったんじゃねぇのか?」
「お前が作る料理以外は、いたって正常だ」
「あぁ、やっぱその方がマシだわ。うん」
「? 何と何を比べて、どちらがなぜマシなのか、理論だてて説明しろ」
「おう、言ってろ、言ってろ。お前から嫌味をとったら、ただの――」
金持ちで、美形で、冷静で、頭脳明晰で、大貴族で……。
「……やっぱ嫌味の塊だな」もう存在そのものが嫌がらせだ。
「いつにも増して短絡的で、まったく意味がわからん。やはり後遺症か?」
「オレはいつものまんまだって言ってんだろ」短絡的ってのは余計だけど。「ったく、まるで病人みてぇな扱いしやがって」
「……!」
「おら、いつもの尊大なリーフ様はどうしたよ。あんまり考えすぎるとハゲるぜ?」
「……あぁ、そうだな。イオリにも同じことを言われた」
ケケケ、本気で悩んでやがる。伯爵家の当主が組長みてぇな頭してたら、確かに笑えねぇよな。いや、それはそれで見てみてぇかも。
「んじゃ、また変な虫がつかねぇように、イオリんところへ行くかな」
「ふっ、安心しろ。俺は調べものがあるから、しばらく部屋にこもる」
なーにが安心だよ。だいたい、あの立ちくらみがするようになったのは、こいつがイオリとなんかしゃべってた、あのすぐ後からなんだぞ。ったく、エリィちゃんがいるくせに油断ならねぇ……ヤツ……。
「おい、どうした?」
「な、なんでもねぇよ。ちょっと……目まいがしただけだ」
まただ。まるでオレの中に、別の何かがいるみたいな……そいつがオレの意識を奥の方に引っ張り込んで、オレを閉じこめようとしているような感覚になる。あー、いよいよ死んだばあちゃんが呼んでるのかなぁ。
「はい、クラン! あたしのとくせい・みどりジュースだよ!」
壁につかまってじっとしていたら、やっと落ちついたのに、シアが不気味な液体を差し出してきた。み、緑っていうより……この世にこんな色があったのかよ。
「お前、オレにとどめを刺す気か?」
「けんこーにいいんだよ。ママがね、ちたらくみ? になったときに、よくのんでたの」
「飲んでおけ、クラン。血流をよくして脳に酸素を送り込めば、貧血や立ちくらみにいいし夢も見にくくなる」
なんで夢が関係あんのかわかんねぇけど、じっと見つめる二人の無言の圧力が飲むまで続きそうだったから、思いきってひと思いに飲み干した。……。ぐぁッ!?
「ば、ばあちゃんが手招きしてる……ぐふっ」
「ところでシア、何を入れたのだ? ほうれん草のジュースではなかったのか?」
「んーとね、ほうれん草とピーマンとキュウリとセロリ、それとにがそうだったから、チョコレートとキャラメル!」
「……。クラン、成仏しろよ」
リーフが手を合わせてのんきなことを言って、シアが効かなかったのならもう一杯なんて恐ろしいことを言い出すから、おちおち死んでもいられねぇ。そもそもオレは貧血だったはずなのに、なんで死にかけてんだ?
「キャーッ!」
! な、なんだ!? 悲鳴……近いぞ!
「シア、部屋から出るなよ」
オレとリーフはすぐにアパートを飛び出した。坂道を少し下ったところで、通りがかりの五,六人がビルとビルの間をのぞいている。そいつらを押しのけて入っていったら、非常階段の下のゴミ箱のそばで若い女が座りこんでいた。
「テオス! どうして、なんでこんなことに……!」
彼女が抱きかかえていた男は、首から足までめった刺しの血まみれで、心臓にナイフが刺さっていた。こいつぁひでぇ……。
「クラン、警備隊に通報してくれ。とりあえず救急隊もだ」
「お、おう」
「みな、ここから先には近づかないように。……さぁ、あなたも。何があったのか、こちらで聞かせてください」
リーフの冷静で的確な指示に、みんな逆らうことなく従った。部屋に戻って電話をかけて、のぞきたがるシアを部屋に閉じこめてからまた出てきたら、もう道の反対側まで野次馬が溢れていた。
「あんなひどい殺され方をするなんて、よっぽど誰かに恨まれてたのかねぇ」
「お金目的の強盗じゃない? ほら、先月も一家強盗殺人があったし」
「案外、あの女の人がやったのかもしれないわよ」
好き勝手な噂話が飛び交う何十人もの群れを突破するのは無理だった。やっと駆けつけた警備隊が強引に割って入っていって、替わりにあの女が救急隊に運びだされていった。
「どうだった?」
遺体も収容されて、現場検証が一段落したところで、事情聴取をされていたリーフも解放された。
「被害者は彼女の夫らしい。名前とそのことを話した後、ショックで倒れてしまった。これからすぐに司法解剖が行われるが、殺人に間違いないだろうな」
「あれだけハデに刺されてりゃ、なぁ」
後のことは第一発見者のヨメさんか、いるなら目撃者が取り調べに借り出されて、オレ達はお役御免だ。ますますシアが外に出してもらえなくなって暴れるだろうけど、今はオレもリーフの厳しい外出禁止令に賛成だ。世界一治安がいいって言われているコルスコートの王都でも、最近は凶悪事件が増えているからな。
あの凶器の殺人ジュースのおかげなのか、翌日も今日も立ちくらみはなくなって、心配された連続事件も起こらず、また落ちついた日常に戻った。都合が合わなくてイオリに会えない日が続いているからつまんねぇんだけどな。リーフはむずかしい顔でずっと部屋に閉じこもって、なんかの調べものをしているらしい。あいつの眉間のしわはいつものことだ。
事件に遭遇した日から三日後のこの夜、いつもと同じように仕事に出かけたら、『夢殿』の入口で見慣れねぇおっさんがたっていた。
「眠っているのと同じじゃないか」
「素人にゃぁわからねぇだろうが、全然違うんだよ。それに殺人事件なら、“獣”になってる可能性も……お、てめぇら、いいところへ来やがったな!」
あ〜、ヘッドに呼び止められるとロクなことがねぇんだけどなぁ。今からまさにそこへ行くところだからシカトすることもできなくて、しょうがなく出頭した。
「てめぇら、三日前に東地区であった殺人事件、知ってるだろう?」
「あぁ、アパートのすぐ近くだったからな。ということは、そちらは警備隊か。また何かあったのか?」
「ほう、察しがいいな。わしは分隊長のルベリグだ」
それを聞いただけで吐き気がした。はっきり言って、オレは警備隊が嫌いだ。昔はいつも追われていたし、言いがかりで牢屋にぶち込まれたことだって何度もある。オレの事情を少しでも知ってて理解しているのは、同じ匂いを持つ組長だけだ。まぁ、ヤる方は数えきれなくても、ヤられる方の経験はねぇだろうけどな……。
オレとドンはあからさまに反対したけど、『夢殿』のために協力姿勢を見せた方がいいとかなんとかリーフに無理やり丸め込まれて、ルベリグを中に入れて話を聞くことになった。
「わしは世間話が嫌いだから、単刀直入に言おう。第一発見者の女性、被害者の妻ポリーの夢を見てもらいたい」
「彼女が夢魔に捕まったのか?」
「いいや。事件当日以来、ショック状態で昏睡から目を醒まさんのだ。被害者の死因は失血死、他には病も毒物も出なかった。お前たち最初の発見者がポリーの悲鳴を聞いてすぐに駆けつけ、死亡推定時刻もほぼあの時間、しかしあれだけの出血なら犯人は必ず返り血を浴びているはずなのに、それらしい者さえ目撃者ゼロだ。そして彼ら夫婦の身辺状況を調べたところ、戦争に行っていた被害者が最近帰ってきたあたりから、二人が言い争っている場面が何度もあったそうだ」
「それで、彼女が怪しい、と?」
「限りなく黒に近い灰色だな。もし犯人じゃないにしても、犯人につながる何かを知っているのは間違いない」
「でも、寝てるんじゃなくて意識がないんだろ? そりゃヤバいんじゃねぇのか?」
「オレもさっきから言ってやってんだが、まるでわかっちゃいねぇんだよ」
夢を見ているときと昏睡状態の脳の動きはまったく違う。夢の波長にリンクしてオレ達の脳波をシンクロさせる(あと本当は例の遺伝子をマトリクスに組み込むとかなんとかもするらしい)ことで他人の夢に入るんだ。だから夢を見ていないのにリンクしたら、無理に脳波に干渉することになって脳や精神に影響が出ることがある。……つっても、いまだに夢に入るなんてデタラメで、解夢士を胡散臭い宗教じみた詐欺集団だって言ってるヤツらもいるくらいだから、このおっさんが信じなくても別に驚かねぇけどな。
「だったら、できるようにすればいいじゃないか。それがお前らの仕事だろう」
やっぱりわかっていねぇルベリグは、簡単に言ってのけた。
「ウチの仕事は悪夢の退治だ。そっちこそ事件を捜査するのが仕事なら、自分らでなんとかしやがれ」
「協力しないなら、公務執行妨害で逮捕してもいいんだぞ? お前の経歴なら何十回でも牢に入れられるだろうな、元総長さん」
「んだと……!」
おっさんとオレが同時に腰を浮かせたのを、リーフがひとにらみで制した。
「何を言おうと、捜査令状がなければただの職権乱用だ。なんだったら脅迫罪に問うこともできるんだぞ?」
ルベリグは歯ぎしりをして押し黙った。ククク、いい気味だ。こいつに口で勝てるわけねぇだろ。
「捜査には協力しよう。ただし条件がある。昏睡状態でも夢を見ているときがあるから、脳波を調べ、それを確認してからリンクをつなぐ。ビクティムの安全を最優先にしてもらいたい」
「いいだろう。しっかりと証拠を調べてきてくれるなら、なんでもいい」
リーフが一人で話を進めて、オレ達にも確認の視線を向けた。チッ、殺人犯を放っておくわけにもいかねぇしな。しょうがねぇ、リーフのメンツを立てて協力してやるか。
さっそくオペレーター三人が病院に出向いて、意識のないポリーに機器をセットした。オレ達はそこから送られてくる脳波データを『夢殿』で見ながら、彼女が夢を見るタイミングを待つ。“獣”がいてもおかしくねぇ状況だから、最悪もう夢死しているんじゃねぇかと思ったけど、しばらくして微弱な夢の波動を捉えた。これならギリギリなんとかリンクできそうだ。
「こうなったらやってやるけどよ。やっぱ気が進まねぇな」
「正直、俺も迷ったが、このままでは“獣”に囚われて、どのみち彼女は助からない」
「なんのことだ?」
本当は部外者立ち入り禁止の部屋に無理やりついてきたルベリグは、やっぱりわかってねぇらしい。
「寝込んじまうほど悲惨な記憶に他人が土足に入っていって、無理やり掘り起こすんだぜ? こいつは夢魔とは違う、現実の問題なんだ。下手をしたら、二回もダンナを失うショックを受けて、精神がやられちまうかもしれねぇ」
「そんなことは後の問題だ。それに彼女が犯人なら、その心配もないだろう」
「お前……犯人が誰だとしても、彼女が寝込んでるのは事実なんだぞ。ちったぁ同情とかねぇのか?」
「同情で殺人犯をとり逃がしたら、それこそ職務怠慢だ。市民を守るのがわしの役目だからな」
「何が市民を守るだ。てめぇらはいつだって、誰か犠牲を作って適当にやり過ごしてるだけじゃねぇか!」
「やめろ、クラン」
「放せリーフ! こいつらのやり方はもう我慢できねぇ!」
「殴りたければ殴ればいいさ。お前のような輩は、暴行罪で刑務所にぶち込むのが一番手っ取り早いからな」
「挑発に乗るなよ。向こうの思う壺だ」
「うるせぇ! このままヤツを放っておけっていうのか!?」
「そうは言っていない。……俺に任せておけ」
リーフに小声で言われて、オレも仕方なく拳を引いた。こいつの声と表情は、怒ってるときほど静かになる。本当はひと思いにぶっ飛ばしてやりてぇけど、何か考えがあるんだろう。自分のことは全然わかってねぇ伯爵閣下は、人のことになると任せて間違ったことはない。
「いざとなったら何十万でも召集してやる。てめぇらは夢解に集中しろ」
こういうときのドンも、すげぇ頼もしい。うるせぇ警備隊をシャレにならねぇ脅しで黙らせて、オレ達は夢が続いている間に夢解に向かった。
場面は空港から始まった。二人乗りの小型機が数機並んでいる。数年前に開発された飛行機は実用化が始まったばかりだから、かなり最近の記憶らしい。まわりはだだっ広い平原で、どうやらよその国みてぇだ。
「クラン、なぜあれほど感情的になったのだ?」
リーフの言葉には、純粋な疑問しかなった。だからつい、話してしまおうかとちょっとだけ思っちまった。
「ヤツらは前歴や雰囲気だけで決めつけて逮捕して、助けを求めたときには面倒くさがって何もしねぇ。だからオレは警備隊が嫌いなんだよ」
「前に少し言っていた、昔のことと関係があるのか?」
「まぁ、つまりそいうことだ。毎日逃げまわってた……何年も。最初はヤツらが捕まえるべき相手から、次はヤツらの目からな」
「……そうか」
これ以上はまだ言えなかったけど、リーフはもう訊こうとはしなかった。
「お前の仇というわけではないが、彼のことは俺に考えがある。あのテの者は、叩けば必ず埃が出る。……フッ、次に署に戻ったとき、まだデスクがあればいいがな」
独り言みたいにつぶやいた顔は、恐ろしくご満悦の表情だった。こ、怖ぇ……。感情ねぇのかと思ってたけど、これでかなり頭にきていたらしい。
「さて、そろそろビクティムのお出ましだ」
滑走路に小型飛行機が着陸して、ビクティムが駆けよってきた。降りてきたのはもちろんあの被害者、彼女の旦那だ。
『お帰りなさい、テオス! 無事でよかったわ』
『ただいま。また君のところに戻ってこられてうれしいよ。……でも少し疲れたから、またあれを飲まないと』
『あの薬、まだ飲んでいたの? 元気にはなっても、いつも後で体調を崩すじゃない』
『来週にはまた出発しなきゃいけないんだ。しばらく飲んでいたら慣れるさ』
旦那、病気だったのか? けど解剖結果には出てなかったし、この後にも戦争に行くっ言ってるてくらいなら、死ぬほど重症でもなかったんだな。
「ところでリーフ、戦争ってどこのことだ?」
「ケ=ドルセの北部戦線だろう。民族統一を掲げて侵略してきたモルディア国の軍隊と、市民部隊が衝突している。今のところ規模は拡大していないが、泥沼化して、もう三年近くにもなる」
「そういえば、山二つを焼き討ちにしたって、聞いたことがあるな」
戦争は人間だけじゃなく、自然も容赦なく手当たり次第に破壊する。で、それも結局は自分たちに返ってくるんだ。山がなくなったら川が干上がって、ケ=ドルセだけじゃなく下流にあるモルディアも水不足が深刻だって話だ。……どこまでもバカだな、あの国は。
「ん? どうした?」
「いや、なんでもねぇ。……お、なんだ?」
景色が揺れて、意識が引っぱられるような……あぁ、あの目まい、夢から還るときの意識の海に沈む感覚と似ていたんだ。でも、なんで急に現実に戻されるのかと思ったら、すぐに違う景色になって、また世界が安定した。
「昏睡状態だからな。夢が途切れやすく不安定なのだろう」
完全に途切れたら、オレ達どうなるんだ? ……いや、あまり考えない方がよさそうだな。
『すごい活躍だったよ、テオスさん』
家の前で、ビクティムが誰かと話をしている。あの格好、あの男も市民兵か。
『彼は英雄だよ。敵陣に正面から突撃して、小さい砦とはいえほとんど一人で壊滅させたんだ。爆弾も、あの人を避けていくみたいでね、一度も医療班の世話になったことがないくらいさ』
かなり優秀な兵士だったんだな。ビクティムに続いて家の中に入ったら、その噂の旦那が床に転がっていた。おいおい、なんか苦しそうだぞ。
『うぐっ……あ、が!』
『あなた! また発作が……やっぱり、病院に行った方がいいわ!』
『い、いい……すぐに、落ちつく。それより、薬……』
『もうないわよ。今朝ので最後だったでしょ。とにかく、少し休んで』
ビクティムは旦那の肩を支えて、奥へ連れていった。色こそないけど顔はどす黒くなってて、ちょっと見えた腕と胸元には切り傷の跡がいくつもあった。まさか……。
「こいつは……病気じゃねぇぞ」
「どういうことだ? わかるのか?」
「あの症状と顔色……間違いねぇ、ヤクだ」
たぶん、戦場での疲れをとるためにヤクをやっていたんだろう。だから気持ちが興奮して、敵に突っ込んでいくなんて命知らずなマネもできたんだ。でも帰ってきてからも、だんだん薬がやめられなくなってきた……。
「薬が切れたって言ってたから、この後売人のところへ行ったんだ。それでリシュトにいたのか……」
「待て。ということは、リシュトに麻薬の密売人がいるというのか?」
「どこにでもいるさ。特に大きな町ほど、地下組織は作りやすいからな」
「バカな。俺はそんな話、聞いたことがない」
「そりゃ大臣(お前ら)が知ってるくらいなら、とっくに壊滅してるぜ。拠点がリシュトにあっても、そこで使われるわけじゃねぇ。使用者は中規模な町や、ああいう戦争地域がほとんどだから見つかりにくいんだよ。あとは……当局が一枚かんでるか、だな」
「……これはデスクだけでなく、署ごとなくなるかもしれないな」
新聞に『警備隊、汚職・背任発覚。防衛大臣辞任』って記事が出るのも時間の問題だな、こりゃ。
「それにしても、よく知っているな。麻薬中毒者の症状をすぐに見抜いたし、組織の実態まで……まさかお前」
「やってねぇよ。ヤクにだけは絶対に手ぇ出してねぇ」
「すまない。疑って悪かったな」
「いいよ。実際、近くで何度も見てきたからな。売る方も、買う方も」
こんな言葉だけでリーフが信じてくれたのがうれしかった。
『あの人、あんな体でコルスコートに行くなんて……やっぱり放っておけないわ』
今度はいつもの、カーテンが引かれるみたいに速やかに場面が変わって、玄関から出た先はリシュトの港だった。ビクティムの服装はあのときの、オレ達が実物と会ったときと同じだ。どうやら事件の瞬間が近いらしい。
『すみません、この写真の人を見かけませんでしたか?』
『ん? この人なら少し前に、東地区の方へ行ったぞ。ふらふらしてたみたいだけど』
港で行方を聞きながら坂道を進んでいくビクティムの後を、黙ってついていった。やっぱりウチの近所へ向かって歩いていく。現場になったビルの近くまで来て……
「つっ……!」
今度は景色が歪むだけじゃなく、壊れたテレビよろしく場面がゴチャゴチャになって、今にも真っ暗になりそうにちかちかした。そのたびにオレ達は意識と身体が引き離されるみたいな感覚になって、もう気持ち悪いなんてもんじゃねぇ。
「やっぱ、あの瞬間に動揺しているみてぇだな……」
「心を強く持たないと、意識の闇に落ちるぞ……!」
そりゃ、できれば二度と思い出したくなんかねぇよな。その気持ち、オレはすげぇわかるぜ。でも、オレが人に言えた義理じゃねぇけど、辛くても現実から目を逸らさないでくれ。オレ達はあんたの味方なんだ。どんなに厳しい悪夢でも、オレ達が受け止めてやる。あんたを助けたいから……頼む、真実を見せてくれ!
「……収まった、のか」
雪が積もるみたいに少しずつ景色が落ちついてきた。ありがとうな、信じてくれて。さて、ダンナを殺した犯人は……。
『テ、テオス!?』
「なっ……!?」
ビクティムもオレ達も、目を疑った。まさかこんな光景だとは、まったく予想していなかった。そこには確かに被害者がいて、加害者もいた。
ただ……加害者は、被害者だった。
『くっ、ククク……血、血だぁ!』
テオスは自分の足にナイフを突きたてて、おかしそうに笑っていた。左腕にもわき腹にも、いたるところから血が噴き出している。まさか、こんなことが……自分で自分を刺していたのか!? しかも単なる自殺じゃねぇ。目がイッちまってて、全然痛みを感じてねぇみたいだ。
『テオス! やめて!』
『オレは死なない! こんなに血が出ても、痛くもなんともないんだ。ほら、ポリー、ここにだって……うぐっ!』
『キャーッ!』
最後には柄にまで埋まるほどナイフを自分の心臓に突き刺した男は、大量の血を吐きながら倒れて、それきり動かなくなった。な、なんてこった……こいつは、噂の……。
「“トマス=モア”……完成していたのか」
「なんだ、それは?」
「痛みも恐怖もなくなって、どんどん血に飢える……しかも死んだら解剖しても反応が出ねぇっていう、最悪のヤクだ。死ぬまで殺人マシーンになって、証拠も消える、売人にとってはまさに楽園……そこから同じ題名の本を書いたヤツの名前で呼ばれている。でも、オレが聞いたときにはまだ試作段階で、効果がヤバすぎるからってお蔵入りになりそうだったのに……」
「そんな危険なものが、このコルスコートに存在していたとは……」
「今のままじゃ、こいつを立証するのは無理だ。表じゃまだ“トマス=モア”の存在さえほとんど知られてねぇからな。他の使用者の状況を調べるか、組織をとっ捕まえて吐かせるしかねぇ。お前、なんとかできねぇのか?」
「省の管轄が違うから、閣議に提案する以上のことはできない……」
「でもこのままじゃ、いるはずのない犯人を探して迷宮入りになるか、下手したらビクティムが疑われちまうんだぜ」
「ふむ……あまり好ましいやり方ではないのだが、陛下に直接お話をしてみよう。王の提議ならば、議会も無視はできないからな」
頼むぜ、王様。本当の意味でダンナの仇をとってやらねぇと、彼女があまりにかわいそうすぎる。
「とりあえずルベリグには、ビクティムは犯人を見ていないと言っておこう」
「彼女はどうなるんだ?」
「事件の真相がわかるまでは疑われるかもしれないが、せめて手を出せないようにはしておこう。それと、夢での証拠能力が認められるように働きかける。これは俺の本来の役目だからな」
夢解で救えるのは夢だけで、結局現実を助けることはできねぇんだ。過去を変えることも、旦那を生き返らせることも……彼女を守ってやるって言ったのに、オレにはどうすることもできなかった。本当に、すまねぇ……。
「うっ……」
「おい、大丈夫か?」
視界が揺れて、とっさにひざをついた。リーフは平気みたいだから、今度はビクティムの影響じゃねぇみたいだ。夢の中でまで貧血になるなんて、かなり重症だな。ってか、ここ夢なのに、思いもしないでなるもんなのか?
「最近よく目まいがあるようだが、前からなのか?」
「ついこないだからだよ。もしかしてオレ、栄養足りてねぇのかな? きっとそうだ。だからうまいもん食わせろ」
「あれだけ食べていれば充分だと思うのだが……仕方がない、今度いいものを食べさせてやろう」
やったぜ。言ってみるもんだな。
「さて、還ったらやることがたくさんあるから、悪いが俺はしばらく屋敷へ戻る。臨時議会を召集するが、捜査を含めて早くても一ヶ月はかかるだろうな」
「おう、いいぜ。お前の分くらい、オレがちょいちょいっと片付けておいてやる」
警備隊が絡んでいるからなのか、ヤクが他人事とは思えねぇからなのか、ビクティムと約束したからなのか、自分でも不思議なほどこの件には協力したいと思った。それなのに、たまにこうやって殊勝なことを考えてるときに限って目まいがひどくて、リーフの手前平気な顔してるけど、本当は今にも意識がふっ飛びそうなくらいクラクラしている。慣れねぇことはするなってことかぁ? ほっとけ。
オレ達の報告を聞いたルベリグは恐ろしく苦い顔をして、「失敗したんだろう」とか「やっぱり役に立たない」とかわめきながら出ていった。はん、ざまぁみやがれ。夢に入ったヤツしか内容はわからねぇし、それも限られた人間にしかできねぇんだから、証拠がねぇのはお互いさまだ。
「なぁ、首領。今でもまだ裏とのつながりはあるのか?」
「あん? なんだ、急に?」
「“トマス=モア”って言ったら、わかるよな?」
「……ッ!」
ボスの顔色が一瞬で変わったことで、答えはわかった。今まで見たことねぇくらい焦ってるところからも、あのヤクのヤバさを物語ってる。
「あいつには、マジで関わらない方がいい。……まさか、この事件」
「あぁ、そういうことだ」
ヘッドはある程度はオレの過去を知っている。なんたってその道のドンだったから、敵でも味方でも業界で関係のなかったヤツはいねぇし、だからこそオレもここへ入ることができたんだ。ちょっとばっかし経歴をいじってもらってな。
「俺は先に行っているぞ。ウィルド、明日からしばらく休みをもらうからな」
話しにくいだろうと察したリーフが、ついでに一方的に休みをとって行っちまったけど、組長はそれどころじゃなかった。
「まさか、あれが使われていたとはな……」
「あいつを扱ってる組織、知ってるんだろ?」
「噂にはな。だが、てめぇは手ぇ出すな。ヤクは桁違いの金だけじゃねぇ、買うヤツまで敵にまわすことになる。まして“トマス=モア”は、痛みの感じねぇゾンビみたいな殺人狂なんだ」
「でもよ、このまま警備隊のバカどもが気付かねぇで野放しにしておくなんて、気にくわねぇぜ」
「そいつはオレも同感だな」総長はちょっと迷ってから口を開いた。「……あれの原料はモルディア国から流れてて、船は使わねぇで陸路らしい。てめぇに言えるのはここまでだ。いいか、絶対に首を突っ込むようなマネするなよ。てめぇのまわりのヤツらも消されるぞ」
「ありがとよ。オレはもう二度と関わるつもりはねぇよ」
オレは自分を犠牲にできるようなエラい人間じゃねぇし、他のヤツらを巻き込むほどバカでもねぇ。ただその筋に情報を流すだけで、あとはそいつらがやってくれる。リーフは、来月まで帰ってこられねぇかもな。