表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢人〜Dreamer〜  作者: chro
17/33

15.対峙

◇リーフ



 昨日から四日続けて夢解(ゆめとき)がなかったから、この隙に屋敷に戻り、たまっていた宮廷の仕事をすべて片付けることができた。これ以上放っておくと、じいだけでなくカリーナからも何を言われるかわかったものではない。しかし彼女はいつも最後には承諾してくれるし、すべてうまくやってくれるから、今日も安心して後のことを任せてくることができた。

 日付はとうに変わった深夜、外を出歩く者さえまばらな通りを闇に紛れてアパートに帰ってきた。ダイニングの明かりをつけると、夕食の食器が無残に放置されていた。いや、この量は四日分かもしれない……。俺も屋敷ではすべて使用人に任せていたが、初めてここへ来たころは、あきれて自分が片付けざるを得なかった。なんとか共有のダイニングだけはそうじ当番を交代ですることで収拾がついたが、彼の部屋はプライバシーうんぬん以前に、入る気にもならない。

「……?」

 ダイニングから左右に分かれた左側の自分の部屋に入ろうとしたとき、そのクランの部屋から妙な音が聞こえた。……うめき声?

「クラン? 大丈夫か?」

 念のためにドアを叩いて声をかけてみても、反応はなかった。最初は病気で苦しんでいるのかと思ったが、彼はいつでも呆れるくらい健康そのものだ。悪い夢でも見て……まさか。

「おい、クラン? おい!」

 身内だからとうかつだった。このうなされようは悪夢に捕まったのかもしれないと、最初に考えるべきだった。俺の部屋で寝ているシアを起こさないように注意しながら扉をこじ開けたら、クランがベッドで顔を歪めて苦しんでいた。

「うっ、あ……あっ……!」

「起きろ、クラン! 目を覚ませ!」

 まだ眠ってからそれほど時間はたっていないはずだ。今なら連れ戻せるはずだから、少し強めに顔を叩いて無理やり起こした。

「あ、あ……ん?」

「気がついたか」

 全身に汗をかいて肩で息をしながら、クランは何もなかったかのように目を開けた。とりあえずは、助かったようだな。

「あ? なんでお前がここにいるんだ?」

「お前がひどくうなされていたから、“獣”かと心配して来てやったのではないか」

「あぁ、オレ……またあの夢見てたのか」

 夢を見たことも覚えていないのに、どんな夢だったのかはわかるのか? とにかく水を持ってきてやったら、辛そうに起き上がってため息をついた。

「昔から、変な夢を何回も見てるみたいなんだ。全然内容は覚えてねぇけど、いつもこんな感じになる」

「“獣”ではないのか?」

「それならさすがに一人じゃ還ってこれねぇよ。でも、夢魔ともちょっと違う気がする……毎日じゃなくて、たまにだからな」

「昔からといってもいつからだ? 一,二年か?」

「もうかれこれ十年以上……たぶん十七年前からだな」

 そんなにも長い間、放っておいたのか……彼らしいといえばそれまでだが、解夢士をしているくせに危機感がないな。

「よし、俺が見てやろう」

「えぇっ? い、いいって!」

「これほどひどくうなされていたら、ただの夢魔ではない。このままでは精神をやられてしまうぞ」

「そんなオーバーなもんじゃねぇよ。まぁ、確かに気にはなってたけど、お前にのぞかれるってのはなぁ……」

「くだらないことを言っていないで、早くしろ」

 日の光で完全に夢とのつながりが切れる前に、先ほどまでの夢を見なければならない。まだ躊躇(ちゅうちょ)しているクランを引っぱって、月明かりだけで歩ける明るい夜道を『夢殿(ゆめどの)』に向かった。


 今夜は軽度のビクティムが二人だけだったということで、ちょうどウィルド達が帰ろうとしているところだった。

「駄目だ、駄目だ!」軽く使わせてもらうと言っただけで、ウィルドが怒った。「仕事以外で使うと夢境省(むきょうしょう)がうるせぇんだよ。どうしてもって言うなら、上の許可をとってこい」

「それなら問題ない」

「だから、お前の許可なんか誰も……ん? もしかして夢境省にコネでもあんのか?」

「かなり上の方にな。あまり大きな声では言えないが」

「(そういうのを職権濫用って言うんじゃねぇのかー?)」

 後ろからクランが小声でささやくのに気付かないウィルドは、眉をひそめながらも驚いていた。

「あそこの上級官僚はお堅いことで有名なのに、よくコネができたな。特に今の大臣閣下は、オレも会ったことねぇが、ニコリともしねぇ尊大な堅物だって話だぜ」

「(ククク、まったくそのとおりだぜ、おっさん。くくく……)いで!」

「……とにかく、借りるぞ」

 クランの足を思いきり踏みつけて、ウィルドを適当にはぐらかしておいた。こういうとき、いっそ身分を明かしてやろうかと子供じみたことを思ってしまうことがあるが、それを実行するほど子供ではない。外でどう思われているのか、正直な声を知るいい機会だったと思い直し、誰もいなくなった部屋でさっそく準備をした。

「変なところまで見るんじゃねぇぞ!」

「お前のおかしなところは、現実だけで充分だ」

「くっそー、ドンにこいつの本性を見せてやりてぇ……」

 ぶつぶつと悪態をつくクランを先に眠らせ、ふと思った。彼はその気になれば俺の正体をバラしたり、敵対する貴族に売り渡すこともできたはずなのに、いつも文句を言うだけで本当に秘密を漏らすようなことはしなかった。案外お人好しなのか、よほどばか正直なのか……ただ面倒くさがっているか、だな。

「さて……」

 俺も自分で機器をセットして、準備を整えた。“獣”ではないにしても、厄介な夢魔である可能性は高い。十七年も居座り続けるとは、よほどしつこい性格の夢魔なのか、クラン自身がずっと気にしていることに起因しているのか……一つ言えることは、いつもなら夢に入られるなど絶対に抵抗するはずなのに、簡単にあきらめたくらい、彼は体力的にも精神的にも侵食されているということだった。


 ここはどこだ……?

 耳が痛いくらいに静まり返っていて、何もない白一色の世界……いや、何もないから白く見えるのか? 右も左も上も下も、どこを見ても同じ景色が続いている。夢にしてもおかしなところだ。クランはいったい、何をイメージしているのだ?

「……ッ!?」

 一瞬、心臓が止まったかと思った。呼吸の方法も忘れてしまうくらい、とてつもない圧迫感……な、なんだこれは……。

『我が夢に土足で入り込むとは、なんの用だ』

 反射的にふり返ったら、いつの間にか、すぐ後ろに巨大な影があった。細い眼と耳はキツネに似ていて、すらりと伸びた黒に近い灰色の毛並みはオオカミのそれに近い。細身の体長のわりに異様に大きい手足には、象牙のような爪が鋭利な刃よろしくズラリと並んでいる。

 目つきも爪も殺傷力が充分にわかる鋭さだが、その全身から放たれる圧倒的な威圧感に比べたら、それさえ子猫のようなものだ。ただ大きいからというだけではない。すべてを退けるような近寄りがたい重圧と、それでいて一度見たら目を逸らすことさえ許さない圧倒的なプレッシャー。止まったかと思った心臓が今度は早鐘のように暴れ出し、全身が痺れて動けなかった。

「“獣”……?」

 からからになった口でどうにかしぼり出した言葉は、我ながらおかしなことを言っていると思った。逃げ出すか、さもなくばひれ伏さずにはいられない、神々しいまでの威厳。少しでも気を抜いたら体がバラバラになりそうな、殺意と呼ぶにもおこがましい力。こんな常識を逸脱した規格外の存在が、“獣”などであるはずがない。

「お前が、“聖獣”……なのか」

『そう呼ばれることもあるな』

 ようやく状況を理解し始めたところで、俺はとっさに腰に手を伸ばした。我が家に何代にもわたって受け継がれ、それまでどんなに引いてもビクともしなかった剣が、滑るように鞘からこぼれ出る。唯一絶対の特別な存在――“聖獣”にのみ光を解放する“儚月(ぼうげつ)”が抜けたということは、もはや疑いようがない。

『それは、かつて我を滅ぼした刃……しかしやめておけ。今はまだ早い』

 穏やかな話し方の中に、殺気はまったく感じられなかった。構えをといて剣を戻すと、少しだけ呼吸を落ちつかせることができた。しかし考えようによっては、さらに恐ろしいことだ。殺気もないのにこの威圧感。本気で襲いかかられたら、おそらく指を動かすことさえできないだろう。

『久しいな。その刃を目にするのも』

「お前は六百年前に倒されたのではないのか?」

『ある意味では消えた。だが我という存在は、この世に生命がある限り消えることはない』

 何を言っているのか、どういう意味なのかわからない。改めて、その色にも違和感を憶える。全体は黒に限りなく近い灰色で、右の前脚の付け根に三日月型の白い毛。記録にある“聖獣”は、耳から尾まで雪のような純白のはず。どういうことだ? ビクティムによって外見が変わるのだろうか。

「なぜ、お前がここにいるのだ。夢を渡れるのに、十七年もクランの(なか)にいたのか?」

『人間の科学というものは、我を固定するまでになったようだな。それが自滅の道だということも知らずに』

 十七年前に人が封じただと? 夢境省は世界中にある“聖獣”研究に関する情報のほとんどを把握しているはずだが、そんな話はまったく知らない。まさか水面下で不穏な動きでもあるというのか?

「クランはそのことを、お前がいるということを知らないのだな?」

『闇が最も薄くなる夜にのみ、我の封印は弱まる。そのときに他の夢に渡ったり、宿主と話をしたりするが、夢での記憶は(うつつ)に戻ると消えるらしい』

「彼は、大丈夫なのか?」

『我が定期的に外に力を出していれば制御できるようだ。これまで、それでどうにか暴発は避けられている』

 ということは、クランは何度も“聖獣”と会っていて、しかしそもそも自分の内に封じられたという現実さえ知らないのか。知らないまま、いつ暴発するかわからない爆弾を抱えて……。

『我はここで、ずっと宿主のことを見てきた。()の者は世界に溢れるあらゆる闇に触れ、今も心に深い暗闇が巣食っている。何度も狭間でたゆといながら、それでも光を追いかけることをあきらめきれない。とても興味深い存在だ』

「興味深いというのは同感だな」

『お前のことも知っている。お前もまた、表の光に隠した暗い闇を裏に持っている。それを本能的に感じたからこそ、宿主は最初からお前には警戒心を持たなかった。彼の者は光を見出そうとしている……お前と、鍵に』

「鍵……?」

『宿主がようやく見つけた、我を解放する鍵。しかしそれは外的要因からの圧力では意味がなく、宿主の心が自ら選び、願わなければならない。お前は彼の者に最も影響力を持つ者の一人である故、これ以上を明かすわけにはいかん』

「その必要もない。わたしはクラウス家の使命として夢の秩序を守るため、お前の解放は必ず阻止する」

『愚かな……お前は何もわかっていない。早く我を解放しなければ、それこそ夢が崩壊するぞ。それが人間による世界の総意だというのならば……我にはそれに(あらが)(すべ)はない』

 俺が殺気にも似た宣告をしても、“聖獣”は静かに語るばかりだった。

「……残念だが、そろそろ限界のようだ」

 わからないことが多すぎ、もっと詳しく訊きたいことがたくさんあるのだが、俺の精神ではここまでが精一杯だ。“獣”でさえ長時間いると消耗が激しいのだから、“聖獣”とはこうして対峙しているだけでもかなり厳しい。クランはこんな存在をずっと内に宿していて、よく今まで精神が壊れなかったものだ。

『すべてはお前たちの心次第だ。しかし、せめて彼の者が深淵に堕ちぬよう……頼んだぞ』

 遠ざかっていく夢の岸辺で聞いた“聖獣”の声は、憂いに満ちていた。言われずとも、クランを見捨てるようなことは絶対にしない。彼は俺の、大事な相棒だからな。


「どうだった?」

 先に目を覚ましていたクランが、すぐに起き上がって訊いてきた。さて、どうやって答えたらいいものか……と少し思案していると、不安そうに顔を曇らせた。

「そ、そんなにヤバい悪夢だったのか?」

「いや、そういうわけでもないのだが……」

 さすがに、この疲労は隠しきれなかったか。二十時間休みなしの会議にも耐えられる頭にはもやがかかっていて、全身がなまりのように重い。しかし、どんなときでも平静を装うのが俺の特技であり、役目だ。

「あまりにばかばかしくて、真剣に対処していたら疲れてしまっただけだ」

「な、なんだよ、それ!? お前、よけいなことしなかっただろうな!?」

「心配しなくても表層部しか見ていない。言っただろう、お前の馬鹿は現実だけで充分だと」

「てめぇ、何見やがったんだ!?」

 こういうときは単純な性格でよかった。さすがにこれ以上ごまかすのは辛いし、相棒にはできる限り嘘を言いたくはない。

「んで、夢魔は消えたのか?」

「それが、かなり深いところに源があるようでな。根本的には解決できなかったが、どうやら危害を加えるつもりはないらしい」

「夢魔と話し合いでケリつけてきたって言うんじゃねぇだろうな」

「ふむ、よくわかったな。お前に似て、おかしな夢だった」

「なんだよ、それ! 全然役に立ってねぇじゃねぇか!」

 クランは本当に何も覚えていないのだ。しかし、今はまだ言えない。自分の内に“聖獣”がいるという事実を、彼が受け入れる準備ができるまで。そして俺も、これからのことを考えなければならない。

「チッ、なんかのぞかれ損だったな。帰って寝なおしだ!」

 文句をまき散らしながら出ていくクランの後について帰る前に、データはすべて消去しておいた。波長は一瞬で振り切れたまま画面の外に飛び出していて、機械はほとんどショート寸前だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ