表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢人〜Dreamer〜  作者: chro
15/33

13.ある雨の日の思い出

◇リーフ



 朝早くから降りだした雨は、夕方になってもまだ激しく降り続いている。

 俺はコーヒーを入れてから、窓辺に座って外を眺めていた。眼下の通りには、傘をさして先を急ぐ人々が行き交っている。リシュトを覆うように広がる黒い雲は、もうしばらくは晴れそうにないな。

 初夏の雨は少し肌寒いが、俺は嫌いではない。考えごとをしたり、ゆっくりとコーヒーを満喫したりするには最適の静かな時間だし、雨の町を眺めていると、ふと昔を思い出すこともある。

「あの日も……」

 ちょうどこんな雨だった。コーヒーを一口飲むと、また懐かしい過去が雨音に蘇ってきて、俺はつい笑ってしまった。相棒と初めて出会った、二年前のあの日……。



「事故でもあったのか?」

 車が渋滞でまったく進まなくなってしまい、後部座席から前をのぞいてみた。様子を見にいって戻ってきた運転手が、困った顔で頭をさげた。

「申し訳ございません。事故ではないようですが、なにやら道の向こうに人だかりができていて、警備隊が捜査をしているようです」

「何か事件があったのかもしれないな。少し見てこよう」

「あ、閣下、お傘を!」

 すぐに車を動かせるよう運転手を残して、俺はその人だかりとやらを見に行ってみることにした。これから城で重要な会議があるのだが、何かあったのならば閣僚として放っておくわけにはいかない。道路まで溢れている野次馬たちを割って輪の中に入って行ったら、警備隊がロープを張っていた。

「これはクラウス様! このようなところへお越しいただき、光栄にございます」

「何かあったのか?」

「はい、つい先ほど、そちらの角で通り魔強盗事件があったのです。被害者は高齢の老人で、右わき腹を刺されて病院に搬送されました。現在、犯人の行方を追って聞き込みなどを行っているところですが……」

「まだ凶器を持っていたら、犯行が続く可能性がある。裏道を封鎖して、路地裏まで調べろ。倉庫などの中も見落とすなよ」

「はっ!」

 警備隊士たちに指示を出して、俺も現場を見にいった。目撃者の証言によると、金髪に黒っぽい服装の若い男が、北の方角へ走り去っていったらしい。人通りの少ない角を曲がったところで後ろから老人を刺し、現金の入ったかばんを盗んで逃走……計画的か発作的かはわからないが、すぐに去ったのならば、もう遠くまで逃げているかもしれないな。いや、もしかしたら近くに潜んでやり過ごすつもりか……。

「……?」

 立ち入り禁止になっているすぐそばのビルの間から、人影が出てきた。金髪に黒っぽい服装の、若い男。彼は俺と目が合った瞬間、きびすを返して出てきた方へと走っていった。

「待て!」

 俺もすぐに後を追ったが、ビルの隙間は狭く、少し行くと迷路のように入り組んでいて、そこから男の行方を探すのは不可能だった。彼が犯人なのか? 一瞬しか見えなかったが、血の匂いがしなかったというか、目が曇っていなかったというか……俺としたことがはっきりした理由はわからないというのに、社交界で嫌でも身についた人を見分ける勘が、あの男が老人を襲った犯人だということに疑問を呈していた。


 結局、会議の時間が迫っていたということもあって、事件のことは警備隊に任せてその場を後にした。そしていつものように政務に忙殺される日が続き、時間があっという間に流れていく中で、事件があったということさえほとんど忘れてしまった。

 父の死と同時に伯爵の名を継いで三年。それ以前からも宮殿に勤め、社交界にも出ていたとはいえ、当主という立場は想像以上に厳しいものだった。その強大な責任と重圧に負けないよう、できる限りのことを必死にやってきた。これまでの人生に不満も後悔もない。……はずだった。

「今月だけで十二件か」

 ある日の午後、大臣執務室で報告書を読みながら思わずつぶやいてしまった。このところ、夢に囚われて還らなかった夢死者(むししゃ)が急増している。何か悪いことが起こる前兆でなければいいが……夢境省(むきょうしょう)として早急に対策案を立てるために、現場からの報告に目を通しながら、ふと手が止まった。

 父が市民団体や関係者と設立した民間組織『夢殿(ゆめどの)』のメンバーに、どういうわけか見覚えのある顔があった。あそこに行ったことはないし、父とは面識がある代表者とも俺は文書や電話でしかやり取りをしたことがないから、見知った者などいないはずなのだが。この男、どこかで……。

「あのときの……!」

 金髪に黒い服。唐突に、一ヶ月前の雨の日の事件を思い出した。あのときの、ビルの裏手に逃げていった男……この目は彼に間違いない。

 すぐに別の資料を引っ張り出して、あの強盗事件の犯人がまだ捕まっていないことを確認した。本当に彼なのだろうか……三年前に『夢殿』に入り、今ではトップクラスの実力で数々の夢を解く。家族はなし。性格は短気で粗暴。これだけではどうとも判断できないな。

「クラン=オージェ、か」

 なぜか急に、この男に会ってみたい気がした。事件について知りたいというより、彼自身に興味を持ったからだ。どうして突然そんなことを思ったのか……まぁ、理由は会ってみればわかるだろう。

 さっそく『夢殿』に連絡をして、ここへ来るように……いや、待てよ。どうせなら真相を見てみよう。電話に伸ばしかけていた手を再び動かして、『夢殿』ではなく屋敷のじいを呼び出した。


 数日後、朝からあれほど晴れていた空は、昼過ぎになってにわかに暗くなってきた。じい以外には誰にも行き先を言わず、俺は傘を片手に屋敷を出た。いつも宮殿での政務以外は平服だが、その中でも一番ラフな服装だ。

 夕方の界隈には、にぎやかな人通りが溢れていた。あちらで魚屋が叫ぶ声が響き、こちらでは子供たちが駆けまわっている。立ち話に花を咲かせているご婦人たちは、市民も貴族も同じだと思っていたら、横を通り過ぎるときいっせいに視線が向いた。内心あわてたが、どうやら正体を知られたわけではないらしい。角を曲がってひと息つき、またこの光景を楽しみながら先へ進んでいった。

 何度も車で通って見慣れていたはずなのに、初めて一人で出歩く町並みは、まるで遠い異国のようだ。人々の目線と同じ道を同じように歩いていることが、なぜかとても大切な経験に感じられる。城や宮廷にこもってどんなにむずかしい顔で議論をしようと、市民の現実も必要とされている政策も、わかるはずがないと思った。

「何なんだよ!? 放せ!」

 人通りの少ない路地裏から、怒鳴り声が聞こえてきた。すぐにその声がした方へ走っていくと、数人の警備隊士に取り囲まれた男が暴れていた。

 ……あの男、クラン=オージェに間違いない。

「お前がこの現場にいたことはわかっているんだ」

「知らねぇよ! オレじゃねぇって言ってんだろ!」

「お前には前科があるそうだな。詳しい話を聞くために、ご同行願おうか」

「うるせぇ! んなこと関係ねぇだろうが!」

「どうしたのだ」

 タイミングを見計らって入っていき、反射的に敬礼をしそうになった隊士たちを目で制した。

「今度はなんだよ」

 両腕を捕まれたまま、クランは敵意を込めた目で俺をにらみつけた。今にも飛びかからんとする野獣のような荒々しさなのに、なぜか黒く濁ってはいない。汚れきった笑顔を日常的に見てきた俺には、とても不思議で新鮮だった。

「先月、ここで起きた強盗殺人事件の容疑者を逮捕するところだ」

「し、死んだのかよ、あのじいさん?」

「やはり知っているじゃないか。お前がやったのだろう!」

「違う! オレは運ばれていくところを見ただけだ!」

「それじゃぁ、なんでそのときここにいたんだ?」

「そ、それは……」

「この路地の先は何もない。まさか、森に用があったわけでもないだろう」

「……」

 警備隊士が質問するのを黙って聞きながら、クランの様子を見ていた。彼はそこにいた理由を訊かれたとたん、急に黙りこんで目を逸らしてしまった。わかりやすいな。

 しかし本当に森に行く途中だったというなら、なんのために? 考えられる理由は二つ。一つは実際には手を下していないとはいえ、犯人の仲間で、待ち合わせをしていた。そしてもう一つは……。

「彼を放してやってくれ。彼はあの事件には関係ない」

「しかし、こいつは……」

「いや、今思い出したのだが、彼とは事件があった時間に町はずれで会っていたのだ。ちょっとした知り合いでな。わたしが隣町から帰ってくる途中だったから、わざわざあそこまで来てもらった」

 すべてが嘘ではない。隣町での打ち合わせの後、城へ向かう途中だったのだからな。彼とは……これから知り合いになるだろう。

「うむ、証人がいるなら仕方がないな。後日、改めて貴殿の証言をいただく」

 目で一礼をして、隊士たちは去っていった。猿芝居に付き合ってくれた彼らには、口止め料も含めて後で充分に礼をしておこう。

「……お前、なんのつもりだよ」

 当然ながら、クランは自由になってもなお敵を前にした猫のように、距離をとったまま警戒の視線を向けてきた。とうとう重く真っ黒だった空から雨が降りだしたが、どちらも動かない。彼にしたら、見ず知らずの通りがかりがいきなり出てきて、でたらめを言って助けられたとしても、素直によろこべるわけもないだろう。

「覚えていないだろうが、わたしは事件の直後にここでお前を見かけた。すぐに逃げられてしまったがな」

「あのときのヤツか。だったらなおさら、オレが犯人だって思うんじゃねぇのか?」

「血の匂いがしなかった。それにあのときも今もそうだが、お前のその目は人を傷つける人間ではない」

「はん、知ったふうなこと言うな。お前に何がわかるってんだ」

「何度もこんなところを通るのは、この先に目的があるから……あの日も、誰かに会いに行ったのだろう? そしてその人物が事件に巻き込まれないよう、自分が不利になっても黙っていた」

「……!」

 本当に嘘がつけないな。俺はいつからこんなに人の心を見透かすことが癖になり、平気で嘘を言えるようになったのだろう。しかしこうでもしなければ、宮廷で正気を保っていることはできない。そしてそんな生活に、いつの間にか慣れてしまっていた。

「だからって、なんでオレを助けたんだよ。何が目的だ?」

「お前に興味を持った。それだけだ」

「はぁ? 何わけのわかんねぇこと言ってんだよ」

 事実を言ったら、あきれられてしまった。そんなにおかしいことだったかな? 初めて少し肩の力を抜いたクランは、今度は警戒とは少し違う目で、胡散臭そうに俺を見た。

 おもしろい男だな。俺が今まで生きてきた社交界には絶対にない明快な思考と、正直すぎる表情だ。俺より少し若いとはいえ、この歳でこれほどまっすぐな眼を持っていられる者がいたのか。それも、ただ純粋に善良なだけではない。暗く冷たい闇を、彼は知っている……そこまで買いかぶるのは考えすぎかな。ふふ、この男のことを、ますます知りたくなった。雨に濡れた髪から滴が落ちるのも気にせず、俺は不意に突拍子もないことを思いついた。

 彼やこの町の人間をもっと知ることができ、増加する悪夢の対策になり、これまでにはあり得なかった日常がある……いろいろな理由を言い訳のように思い浮かべながら、気付いたらそれを口にしていた。

「ところで、交換条件というわけではないのだが、お前にひとつ提案がある」

「言っとくけど、オレは金なんかねぇからな。脅しても無駄だぜ」

「そんなものはいらない。それよりどうだ、わたしと……」



 ……すっかり冷めたコーヒーを飲み干して、俺はまた自嘲した。いつしか雨は上がっていて、見上げると黒い雲の間から真っ青な空がのぞいていた。

 我ながらとんでもないことを言い出した自分の言葉と、驚いてあきれ果てたクランの顔は、今でもはっきりと覚えている。彼はもう忘れただろうが、俺にとっては退屈な人生が大きく変わった瞬間だったからな。

「まったく、悪夢の始まりだったぜ」

 ノックもせずにいきなりクランが入ってきたから、空だったからよかったものの、驚いてカップを落としてしまった。彼が俺の部屋に来るのはめずらしい。

「もしかして、お前も同じことを考えていたのか?」

「お前がなに考えてたかなんて知らねぇよ。オレは二年前の、お前にハメられたときのことを思い出しちまったんだ」

 言い捨てながら、二つ持っていたコーヒーの一つをぶっきらぼうに押し付けると、乱暴にイスに座った。

「……苦いな」

「文句あんなら飲むな。お子ちゃまめ」

 何も考えずにどばどばと入れるクランのコーヒーは、彼の性格そのままだ。この苦さは、これまでの過去の苦労を表しているのだろうか。

「しかし、ハメられたとは人聞きが悪いな。策を労したと言ってくれ」

「あんな猿芝居が策たぁ、よく言うぜ」

「……なんだ、気付いていたのか」

「ったりめーだ。お前、あんな高価な服着て路地裏なんかをうろついていたら、不自然に決まってるだろうが」

「そうなのか? あれが一番ラフな服だったのだが」

「相変わらず、さらっと嫌味なヤツだな」

 そう言ったきり、しばらく二人とも黙ったままコーヒーに集中した。

 この二年で、あらゆるものが変わった。宮廷での政務を同時にこなしながら、初めて屋敷を出て町で暮らす仕事や生活の中で、今まで見たこともない環境や考え方を知ることができた。こんな不敵な人間がいたということもな。

「身分を名乗って『あ、そう』と言われたのは、お前が最初で最後だ」

「そのカタブツな顔は、いかにもじゃねぇか。他にどんな感想を言えってんだよ」

「そうだな、すまない。お前の貧相なボキャブラリーに期待した俺が悪かった」

「てめぇ……いつかぶっ飛ばしてやるから覚えとけ」

「あいにくと俺は多忙な身でな。くだらんことはすぐに忘れるのだ」

「だぁーッ! そんなにケンカ売りてぇなら、今すぐ買ってやる!」

 ククク、相変わらず短気で単純だな。彼といると俺まで気が楽になってしまう。最近では屋敷に戻るたびに表情が穏やかになっていると、じいから冷やかされるくらいだ。

「あーっ、何してるの? あたしもまぜて!」

 そのうちシアまで加わって、なぜか三人で取っ組み合いの乱戦になった。俺はクランの左ストレートをかわしながら、飛びかかってきたシアを受け止めてソファに放り投げてやり、あとは二人が本来の理由も忘れて(最初からなかった気もするが)、楽しそうにじゃれ合っている。

「……もしもし」

 二人の喧騒から離れて再びコーヒーを飲もうとしたら、ちょうどイスに腰をおろしたところで電話がなった。

「おい、仕事だ」

「チッ、この勝負はまた今度だな。覚えてろよ」

「おぼえてろよー!」

「クラン、シアにおかしな言葉を教えないでくれ」

「おぉ、パパは怖ぇなぁ」

「こえぇなー! ……あはは! でも、リーフはこわくないよ。やさしいもん。ねぇー!」

「ねぇ〜!」

「やめろ、気持ち悪い。さっさと行くぞ」

 同じ精神年齢の厄介な同居人たちをにらみつけ、ことさら急いで部屋を出ていった。彼らには、これからも苦労させられるのだろう。それはそれでおもしろいかもしれないと思う自分がおかしくて、バタバタと走ってくる二人を待ちながら苦笑した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ