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3月15日

 今日は本当に、驚かせて、ごめん。

 この書簡は射手座航空社の快速通信船で送るから。君の元に届くのは三日後、つまり前回の手紙が到着した次の日になるだろう。こんなに早く手紙を書くことになるなんて僕も思っていなかったのだが、もしかすると、これが最後になるかもしれない。状況はそれほど差し迫っているし、レイヴァンは、君ほどではないにしても僕の大切な友人だから。


 昨日、アルフォンス・レイヴァンがいなくなった。


「月読文具店に行く」と教室の僕の机に書き置きを残して。レイヴァンの目的は、文具店の地下に住む三人目の異邦人にあったようだ。あいつは、灰色の布で全身を覆ったあの異邦人が、彼らの正体を暴く鍵と睨んでいた。僕はもっと慎重に事を運ぶべきだと主張したのに、あいつは耳を貸さなかった。月読文具店にはなぜか百合印の高級文具が大量に入荷していて、潜入するのなら新商品目当ての生徒が詰めかける今しかないと考えていたから。

 レイヴァンは月読文具店に行って、帰らなかった。

 僕はレイヴァンを探したよ。

 あいつが行方不明になるなんて、何かの間違いだと思って。それに僕にはイェンやトーラが悪を成すような人間だとは考えられなかった。でも、レイヴァンは教室にも、図書館の書庫にも、湾のテトラポットにもいなかった。

 どこにもね。

 それでも歩き続けて、どれくらいの時間が経ったのだろう。途方に暮れた僕は、ライオン広場近くの壁画回廊に足を踏み入れていた。神話や寓話が色々な表現技法で語られている。天使と蠍の物語も、西日を浴びて輝いている場所に。

 丁度、蠍の王が権天使を守って息絶える、その間際のレリーフで、僕はイェンと出会った。

 ほら、偶然という概念は、何て都合の良いものなのだろうって以前書いたよね。本当にそうだよ。僕はレイヴァンを探していて異邦人と出会うとは思っていなかったから、彼を前に戸惑ってしまった。でも、イェンの方はというと、僕のことを待っていたかのように振り返ると、帽子を掲げて会釈をしたんだ。

 僕は勇気を出して問い掛けたよ。

「あなたがたは、何をしようとしているのですか?」

 それなのにイェンは、僕の言葉の意味を承知しているくせに、

「より良いものを、より安く、だよ」

 と、はぐらかした。

 僕はイェンを強く見詰めた。あの時、僕は異邦人にレイヴァンの所在を問い詰めるべきだったと思う。形振り構わずね。そうすれば、もっと僕にとって有利な形で事を進めることが出来たかもしれない。

 でも、穏和な表情を浮かべているイェンと向かい合っていると、彼が人攫いのような恐ろしいことに関係しているとは、とても考えられなくなったんだ。状況は、監察官はともかく、レイヴァンの失踪について、何か知っているのは確実だと警告していたのに。

「レイヴァンは……」

 と口にしかけただけで、その後を続けることができなかった。

 でも、イェンは僕の感情を推測したのだろう。

「君の友達のことは、悲しむことじゃない」

 と言った。オーウェン、信じられるかい? レイヴァンが行方不明になったことにかかわっていると、彼は自ら認めたんだ。

 イェンは蠍の王と権天使を背に、僕と目線を合わせた。

「アルフォンス・レイヴァンは今、幸せの最中にいるのだから」

 彼は僕を諭すように囁いた。レイヴァンは、数え切れないほどの痛みや苦しみ、悲しみ、そして死といった円の過程から解放されるのだから、むしろ喜ばなければならないと。円の過程、イェンは何度もその言葉を口にしたよ。この世界は嘘と欺瞞に満ちていて、体面だけは華やかな卒業式のような茶番が罷り通っていて、僕らに無用の責め苦を負わせているのだ、とも。

 オーウェンには、イェンの話が理解できるのだろうか。

 僕には分からなかった。

 彼が途方もなく邪悪な観念に支配されているということ以外は。

 だって、イェンは僕らが「神聖な」と教えられてきたことを、ことごとく否定してみせたのだからね。優しげに振る舞う異邦人の、闇の部分を僕は垣間見たのかもしれない。僕は嫌悪感で一杯になった顔で、レイヴァンを返せと呟いた。

 でも、イェンはとても穏和で、それでいて少し残念そうに俯いただけだった。きっと彼は、僕だったら理解できると考えていたのだろう。でも僕は違った。僕が何よりも友情を優先させる人間だと、異邦人も思い知ったに違いない。彼は、

「君は本当に清らかな魂を持っているなぁ」

 と賞賛すると、少し残念そうな表情は大半が色眼鏡で隠れてしまって、僕に「すっとするやつ」と一つの鍵を手渡した。

「すっとするやつ」は、レイヴァンが湾のテトラポットで吸っていたものと同じだった。

 鍵には、何の装飾もなかった。

「私たちは高貴な魂を好む。そういうものを探し続けて旅をしているんだ」

 その鍵は月読文具店の地下へと繋がる、とイェンは教えてくれた。もし僕に勇気があって、本当にレイヴァンを助けたいのなら、と前置きしてね。そして彼は帰っていったよ。まさか蠍の王が自分の誇りを捨てるようなことはしないだろうから、自分の言葉は失言だったと謝りながら。


 ああ、もう時間がないや。

 聡明なオーウェンなら気が付いているだろう。僕はこれからレイヴァンを助けに行く。

 月読文具店の異邦人たちは恐ろしいほど計算高い。助けを求めたけれど、誰も僕の話を信用してくれなかった。クリスやマーチンたちは月読文具店の商品に魂を奪われているから、僕の言葉なんて話半分にも聞いてくれなかったし、教師たちはそもそも月読文具店の存在を知らないから、誰も僕の話なんて立ち止まって聞こうとしなかった。機構クリムトに訴えるのが一番だと思うけれど、一介の生徒の身ではクリムトに接触する手段はないんだ。それこそ監察官なりが蟹座学園を訪れない限りね。

 僕はレイヴァンの気持ちを今更ながら痛感したよ。

 でも、レイヴァンに僕がいたように、僕にはオーウェンがいる。

 僕にできるのはこのことくらいだ。今、この手紙を書いている机の脇には、常夜路地の鍵屋で作ってもらった合い鍵がある。この手紙と共に同封しておくよ。もし僕が行方不明になったら、一週間以内に手紙を出さなかったら、君が異邦人の悪行を暴いて欲しい。

 彼らが月読文具店へと僕を誘い出しているというのは承知している。

 でも、彼らの正体を知るのは僕が望んでいたことでもあるんだ。僕は月読文具店の異邦人からレイヴァンを救い出し、自分の疑問に決着をつける。

 僕はオーウェンに誓うよ。

 絶対に君を悲しませないってね。

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