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3月1日

 蟹座学園に雪が降った。

 冬の終わりに積もる雪は、辛い季節を乗り越えた御褒美のようなものだった。租界地はここからずっと南に位置しているから雪は降らないだろうけれど、君なら僕の高揚した気分が分かるよね。今日の天気は雪、休み時間に雪遊びをしたり、理科の授業で結晶を顕微鏡で覗いたりした。

 雪の結晶は一つ一つ違う形をしていて、そのどれもが美しい。

 でも、美しい自然の被造物は顕微鏡のプレパラートの上で、瞬く間に溶けてしまうんだ。僕はその儚さを観察しながら、思い立った。

 君に手紙を書こう、と。


 そういうわけで、オーウェン、租界地での暮らしはどうだい?

 風邪なんか引いていなければいいが。


 どんなに完璧な構造物であっても、やがては溶けて、消えてしまう。それが自然の摂理だったり、現実だったりするのだけれど、理解はしているのに僕は永遠性を求めてしまう。儚さを愛でる心なんて、僕はいらない。でも永遠なんて、きっと、どこにもないんだ。

 こうして君に手紙を書いているのも、いつかは霧消してしまう友情を、一秒でも長持ちさせようとする僕の無駄な足掻きなのかもしれない。オーウェン、僕にはそれが許せない。僕たちの友情は永遠不変であって当然なはずなのに、僕はそれを信じることができないでいるんだ。

 ねえ、僕らは今でも親友だよね。

 たぶん、そうだ。でも、未来までそうとは限らない。そんなことを考えると、僕は夜も眠れなくなる。ベットの中で両足を抱えて、僕はじっと自分の中の恐怖と戦うんだ。

 僕はこれからもずっと、自分の弱さに向かい合わなければならないのだろうか?

 思い悩むけれど、まあ、いいや。こうして君に手紙を書いているときだけは、確かに君と繋がっていると感じていられるのだから、ね。


 前回、僕は月読文具店の上映会に招待されたと書いた。映画鑑賞の機会なんてほとんどない蟹座学園の生徒にとって、海洋冒険の記録映像はとても刺激的なものだった。次の日、僕はクラスのみんなから羨ましがられたよ。

 レイヴァンを除いて。

 僕と君の共通の友、アルフォンス・レイヴァンは変人だ。彼は霊的な感性が強くて、理性をあまり信用していない。勉強が嫌いだけれど試験の選択問題は百発百中で、いつも湾で夕日を眺めながら、どこかで調達した「すっとするやつ」を蒸かしている。レイヴァンはそういう人間だから、月読文具店が開店したら真っ先に常連客になると思ったのだけれど、

「あそこに行くのは感心しない」

 と、妙に分別臭いことを言うんだ。

 な、可笑しいだろ? あのレイヴァンが僕を非難するんだぜ。

 でも、僕はあいつの言うことにも一理あると思う。月読文具店は蟹座学園の、ひいてはクリムトの認可を受けていない店だし、三人の異邦人がここにやってきた理由も分からない。商売のため? だったら他にもっと儲かる場所があるさ。オーウェン、君がいる租界地とかね。

 それに店内に陳列された奇妙で綺麗で世に二つとない品々は、どこから仕入れたものなのだろう? それらを手頃な値段で僕らに売るわけは?

 レイヴァンは、たぶん月読文具店から何かを感じたに違いない。

 だからあんなに嫌悪するんだ。

 オーウェンはどう思う?


 レイヴァンと月読文具店の話はこの位にしておこう。


 さて、気が付けばもう三月だね、オーウェン。

 月読文具店がなければ退屈で仕方なかったに違いない二月から、僕ら蟹座学園の生徒が待ち望む三月へ。それはもちろん卒業式があるからに他ならない。

 卒業式。

 本当は『華やぐ世界へ連なる式祭』というみたいだけれど。

 まあ、それはともかくとして、卒業式が蟹座学園で最も重要な行事だってことは君も承知しているだろう。我らが学園長の言葉を借りれば、「君たち蟹座学園の生徒諸君が卒業すること以上の大事は何一つない」というわけだから。

 白い紙吹雪が舞い散る中、祝福を受けた卒業生たちはクリムトの天秤宮院によって選別されて、射手座航空社の水銀ロケットで外界へ旅立つ。二重螺旋の六道通天台から飛翔する水銀ロケットはちょっとしたスペクタクルさ。僕とオーウェンは去年、それを羊ヶ丘で眺めたよね。

 でも、不思議じゃないか。

 僕らは卒業生たちが水銀ロケットに乗って、それからのことを何も知らないのだから。

 蟹座学園は地理的には純血海岸の南端に位置し、地政学的には機構クリムトが管理する「聖域」に指定されている。純血海岸一帯を統制経済によって運営するクリムトは、帝制期に三千世界の調停を目的に組織されたというけれど、僕らが知っているのは蟹座学園に対して絶対的な権威を持っていて、生徒を外界から隔絶しているということぐらいだ。

 こういうことってみんな気にならないのだろうか?

 僕らは物心つく前から蟹座学園にいて、自分の未来について何も知らされないまま成長していく。僕はこの時期になるとそれが不安でたまらなくなるんだ。卒業したらどうなるのだろうって、ぐるぐると、終わりのない渦巻きのように考えてしまう。オーウェン、君は僕のことを笑うだろうね。自分だってそう思う。だって、巣立っていった卒業生はみんな祝福されているのだから。

 祝福されているのだから、不安になることもない。

 そうだよね、オーウェン。

 僕が魚座剥製水族館に行ったとき、イェンにこのことを話した。

 彼は少し考えて、

「君たちは、円の過程にいるのだから、その疑問はもっともなものかもしれない」

 と意味深げなことを言い、煙に巻いたけれど。

 でも、円の過程というのも面白い言葉だね。僕ら蟹座学園の生徒が円の過程にいるなら、君は今、円の外にいるわけだ。

 ねえ、オーウェン、君は……

 いや、ここで書くことではないな。それにしてもオーウェン、租界地での暮らしにもそろそろ慣れたみたいだね。君が生活しているのは、機構クリムト、南軍、友邦都市連合の勢力が拮抗している場所だから、僕には窺い知ることのできない不便さがあるのかもしれないけれど。ね、正直なところ、どうなんだい?

 蟹座学園にいると、そういうことも気になるのさ。


 今日は何かとても取り留めのないことばかり書いたと思う。まるで世間話だね、これじゃあ。しかし、たまにはこういう内容でも良いじゃないか。蟹座学園に雪が降って、卒業式の準備で忙しくなり、レイヴァンはいつものように湾のテトラポットで「すっとするやつ」を味わって、僕は食料雑貨店で百合印ソーダを買った。

 そんな一日だったのさ。

 そんな一日の方が、君も、蟹座学園や僕を容易に思い浮かべることができるかと考えて。

 小細工かな?

 そうかもしれない。

 こう見えて、僕も君に色々と気を遣っているんだ。


 今日は、


『    』


 という言葉で締めくくりたい。本当は君のすぐ側で告げたいのだが、それが不可能な境遇だから、お互いに。そうそう『    』の中には君が思う言葉を入れてほしい。

 それが僕の言葉だよ。

 どうだい、しゃれてない、かな?


(追記)

 今日、僕が百合印ソーダを買った頃、機構クリムトから監察官が蟹座学園にやってきた。監察官がどういった目的で訪れたのか、良く分からないけれど、午後はその話題で持ちきりだったよ。不穏な気配がするとレイヴァンは言っていたが、とりあえず様子を見てみよう、と思う。

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