第一話 現実は小説より暇なり
現実は小説より暇なり。
この方がしっくりくると、私、麻井睦美は一人納得した。
誰だろう、「事実は小説より奇なり」などと言い出した人は。というか何の小説と比べたのだろう、ぜひ一度読んでみたい。
言ったからには、その人物は奇想天外な人生を送ったのだろう。
もしくは、よほど現実味溢れる生々しい小説だったに違いない。
なるほどその考えがあった。じゃあどんな――
「――っ。麻井っ」
教師の呼びかけに、現実に引き戻される。英訳の順番が来たらしい。はいはい、わたくしの出番でございますね。
「授業に集中してくださいね」
そう思うのであれば、もっと聞きやすい発音を心がけてください先生。英語なのに訛ってるってどういうことですか。
県立F工業高等学校一年土木科。現在午後一時四十分、四時間目英語の授業中。
「麻井、サンキュー」
授業終了後の休み時間、ヘラヘラした声で今年度から知り合いになった同級生が話しかけてきた。
着ている学ランは早くも少し改造され、そいつのソフトモヒカン気味の髪は茶色に染まっている。見た目も中身も軽薄そうな印象を受ける。少なくとも私はそう思う。
「はいはい、どういたしまして」
私は社交辞令程度に微笑みながら声の主、飯島大介に返答した。
工業高校に入学してから想像していた通りだと思ったのだが、やっぱり女子が少ない。おまけに土木科。
クラスに女子は私一人で、必然的に男子と話す機会が増えている。この飯島もさっきの授業直前、宿題をやっていないからと前の席に座る私に泣きつき、英語ノートを必死に写していた。
ここで誤解の無いように言っておく。
ここまでを聞いて、世間的に言うところの逆ハーレムだと思ってもらっては困る、本当に困る。もしそう思った女性がいるのなら工業高校で高校生活を送るのをおススメする。現実が身にしみてわかる。
「なあ麻井、お前、援助交際とかやってんの? いくら」
「ふざけんな」
こいつらは私を女と認識していない。フレンドリーと言えば聞こえは良いが、体育の授業で問答無用で目の前で着替えだすし、下ネタも遠慮せずに話す。こいつらの頭にセクハラの言葉はない。
内心、ムッとしていることに気づいたのか、飯島は急にフォローをしだした。
「えーと、いやー良かったよ、麻井が落ちてくれて。英語は助かるし、つーか華があるもんなあ」
フォローにならないフォローとはこういう事を言うのだろう。飯島はバカの癖に人をイライラさせるのが上手いらしい。飯島は一応本当に褒めているつもりらしいのであえて突っ込まないことにする。
本来、私は違う学科を第一志望にしていた。しかし運悪く落ちてしまった。そうとも運が悪かったのだ。学力に問題があったわけではない、多分。
『どうして私立に行かなかったんだよ』
『家は貧乏だから。バカみたいに金がかかる私立には行けないの』
入学当初、油断して座席の裏にいる飯島とこんな会話を交わした。どうやらそれは、私の高校生活におけるスタートダッシュの完全な失敗を意味していたようだ。なぜか飯島は「しまった」という顔をし、不憫に思われた挙句、なぜか瞬く間にクラス中に広まってしまった。もはや教室で知らない人間はいないだろう。私はすっかり貧乏キャラとして認知されている。
親に迷惑はかけたくないって心構えを言ったまでで、そこまで金銭的に貧乏って訳じゃないんだけどなあ。ついため息をついてしまう。いや確かに隠すようなことでもないのだけれど、とても面倒くさい。
「ため息をつくと金運と幸せが逃げるぞー、麻井」
頭が幸せそうな飯島に言われると微妙に説得力がある。でも原因はあんたなんだけど。私は、飯島の忠告はお構いなしにもう一つため息をつき、五時間目の授業の用意を始めた。