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それから逃げ出したカミラーは、市内タワーの一番高いところに座っていた。今は、変身を解かして本来の姿に戻っている。ここなら、監視カメラーも届かないし、人の目に触れることもない。彼女は、先ほど美口 凛という女の子から盗んだ携帯を片手に持って、遠いところを眺めていた。
「......」
風が強い。そして、なぜか心臓が早く脈打っているような気がした。それは、今日の出来事があまりにも新鮮だったからかもしれない。初めてだった。人によって助けられ、不思議な人に出会ったのは。
さらに、今まで感じたことのない出来事を経験した。怒りの欠如。人をちゃんと人として見れて接したのは、実は今日で初めてだったのかもしれない。今までたくさんの人と関わったことのある彼女だが、このように対等な関係で会話を交わし、人を殺すよりも理性を重視したのは初めてだった。少なくても、ただの生物としての人間ではなく、他人としての人間に接したことに大きな意味があった。本来なら、数秒で対象を切り裂くはずだったが、なぜか、体が勝手にそうは動かなかった。おかしかった。実はあの時その女子をすぐに殺さなかったのも、怒りの感情が足りていかったからだった。
カミラーは、その原因を何とか探ろうとしたが、どうしてもその原因がよくわからなかった。急に地面に倒れたのも、怒りを感じないのも、全部がおかしい。なぜ、その子にだけ変な出来事が起こってしまうのだろう。
だが、彼女は後々気づくことになる。実は、あれらの現象が「自己防衛」の行動であったと。
「......」
結局、いくら考えてもその理由が分からなかったカミラーは、もうこれ以上考えるのをやめ、手に持ったスマホの画面を覗き込み、その画面をスワイプしてロックを外そうとした。無論、当然のことながら失敗した。
しかし、彼女は諦めず、自分の能力を使ってロックの解除を試みた。一瞬、彼女の赤い瞳が光り、スマホの画面が歪み始めた。
しばらくすると、自動的にロックが外され、ホーム画面が表示された。カミラーはまるでそれが当たり前のように携帯を手に取り、色々調べ始めた。もちろん、彼女は自分の斧自体が素晴らしい電子機器の役割を果たしたため、こんなスマホなどの代物は要らなかったが、あくまでも調査のためだった。
カミラーは、ギャラリーのアイコンをタップし、あの動画を探し出した。無数の写真集が目の前に広がっていく中で、彼女は一つの動画を見つけ、再生ボタンを押した。すると、予想通りの動画が再生され、カミラーは、それをしばらくの間眺めていた。それを見ていて、カミラーはなぜあの時、あの美口 凛という子があんな行動を取っていたのか理解した。やはり、彼女は気づいていたのだ。カミラーは、秒で60フレームが流れる携帯の画面を一つ一つずつ目に納め、殺人の現場が映っていたかどうかを確認した。血の痕跡や人の肉などがたまにチラッと見えたりしたが、注意深く見なければ分からないほどだった。
カミラーは動画視聴を終えると、後ろボタン押し、それをゴミ箱に移動させた。もう、要らなかったからだ。より確実に隠蔽するため、彼女は情報操作能力を駆使し、その動画に関する情報を完全に消滅させた。この動画はこれ以上、この世の中に存在しないものになったのだった。
動画を消した後、カミラーはスマホの電源を切ろうとしたが、電源を切る前にギャラリーにある写真が気になり、電源ボタンから指を離してしばらくの間それらを眺めた。
写真は主に、レストランで撮った食べ物や自然の風景、友達や家族と一緒に撮ったと思われるものだけが画面を埋め尽くしていたが、カミラーはそれらを見ていると、なぜか不思議な感覚を覚えた。
「最近の女の子って皆こうなのか...」
彼女にとっては理解できないものばかりだった。なぜ、人間はこんなことをするのだろう。こんなことに意味があるのか。これが面白いのだろうか、カミラーには到底その気持ちが分からなかった。
一度、その写真を撮るための自分の姿を想像してみたが、もし、同じ場面に置かれていたら、自分がそんなことをするのは絶対にないだろうということに彼女は気づいた。そもそも、美味しそうなご飯の写真を撮るために食堂に行ったり、美しい自然を観にわざわざ出向いたり、友達を作って一緒に写真を撮るようなことはあり得ないと思うのだが。
カミラーは、もうしばらくそれらの写真を見つめた。何回見ても何かが大きく変わることはなかったが、確かなのは心の中で何かしらの変化が生じたということだった。彼女は、そんな微妙な変化に気づかない振りをしながら携帯の電源を切り、懐にしまい込んだ。そして、立ち上がり、少しぼっーとした顔で先程の娘と母が一緒に撮られた写真のことを頭に留めながら、タワーの上から姿を消した。
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カミラーが立ち去った後、美口 凛は机の椅子に座り、ノートパソコンの画面を見つめていた。ブルーライトが彼女の顔を照らす。彼女が見ているのは、殺人事件の真相が記録されているあの動画だった。
彼女がまだこの動画を持っている理由は、実はあの時、犯人と会話を交わす前にチャットアプリに動画を転送したからだった。もしやという時に備えて一応、他のところにも保存しておいたのだ。
今のところ、スマホはあの人に奪われてしまったが、幸いにもノートパソコンがあったため、インターネットやソーシャルネットワークに接続することはできた。しかし、問題はこれからこの状況がどれぐらい続いて、どう乗り越えれば良いのか、また、この動画をどう扱っていくべきかということだった。
実は、先ほど刑事が家に訪れてきて聞き取り調査を行ったのだが、まだ令状が配布されていないとのことで、逮捕はされずに聞き取り調査だけで済んだのだった。その時は、今のこの動画を見せることはなく、その時の自分の率直な感情を質問に応じてそのまま答えたのだが、あのときの刑事の質問は次の通りだった。
「周りの人たちの証言によりますと、あなた美口 凛さんは人を背中に背負って道路を走っていたとのことですが、それは事実なんでしょうか。もし、それが事実であればその理由を詳しく説明して頂けますか?」
これらの質問に対しては、彼女は嘘をつけば後後不利になると思い、その時の考えを素直に述べた。困っている人を助けたかったからだった。
「なるほど、そうだったんですね。では、次の質問ですが、あなたはなぜあの時、その助けを求めていた人を病院などの施設や警察を呼ぶのではなく、自分の家に連れていったのでしょうか。その理由もちゃんと説明して頂けますでしょうかね」
この質問を聞いたときは、実は少し変わった刑事の雰囲気や鋭い質問に、彼女はけっこう戸惑ったが、これらの質問にもそれなりの理由をちゃんと説明した。
「それは私にもよく分かりませんけど、とにかくあの時は色々混乱してましたし...そこまで頭が回らなかったんです。多分...大事にしたくなかったのかもしれませんね。だって血を流していたわけではありませんし...」
「なるほど。その色々混乱していたとはどういう意味ですか?それについてもう少し詳しく話していただけませんか?」
その時の刑事の顔を鮮明に覚えていた。あの好奇心と疑念に満ちた顔。なぜ刑事なんかをしているのか分からないほどのイケメンだったが、あのときのその執念さには怖さを感じていた。
「だから...なんと言えばいいんだろう。状況的にっていうか。体が勝手に動いて......周りはめちゃくちゃ暗かったし...それに人が地面に倒れてたから......」
その後、美口 凛はその時自分が思ったことをそのまま話していたが、その内容は大体、路地裏で倒れている女の人を発見し、なぜその時間にそこにいたのか、そこで具体的に何を見たのか等だった。
無論、その時は自分が犯人っぽい男の人と出会したことや家に連れ込んだ人が実は犯人である可能性が高いということについては、後で犯人蔵匿罪の疑いを受ける余地があったため言及しなかったが、その時の若い刑事の隣にいたあのAIヒューマノイドの瞳の動きが彼女にはとても気になっていた。おそらく、目の前の人が嘘をついてるのかどうか確認していたのかもしれない。
「それでは次の質問ですが、あなたが家に連れていったその女の人は今どこにいますか?部屋の中を確認してもよろしいですか?」
彼はそう言って立ち上がろうとしていたが、美口 凛は少し躊躇った表情で彼に言った。
「えっと、すみません。実はもう部屋にはいないんです」
「と言いますと?」
彼女の急ぐ言葉に神谷 陽斗は少し妙な違和感を感じながらも聞き返した。
「私もさっき気づいたんですけど、お茶を用意して部屋の中に入ったら、急に窓の方へ逃げ出したんです」
その時、AIヒューマノイドの反応がほんの少しだけ変わった気がしたが、美口 凛はそんなのは物ともせず彼の目を凝視した。刑事も予想外の言葉に相当驚いているようだった。
「ほぉ、それは本当ですか?その旨をちゃんと説明していただいてもよろしいですか?」
神谷 陽斗は進んでいた足を止め、落ち付いた声で後ろにいる彼女に聞いた。彼の目が鋭くなっているのが彼女にも分かった。
美口 凛は、彼の指示通りその時の出来事を詳しく説明した。無論、真実をそのまま述べたのではなく、半分嘘で半分真実だったが、首を締め付けられたことやその人がおそらく人間ではないことを除いては全部事実だった。
話を聞きながらメモを取る刑事の顔はとても真剣だった。それは、何らかの証拠を掴んだからかもしれない。
「今までのことを整理しますと、つまり、あなたが家に連れてきたあの女の人は、あなたを見るとたんに窓から急に逃げ出し、姿を消したと。そして、気づけば携帯を盗まれ、あなたはそれをすぐ警察に届けに来なかったということですね」
「......」
実際に口に出してみると、少し口実がおかしいということに彼女は気づいた。無論、完全うそだらけの作り話ではなかったため、これ以上何かを言うことはできなかったが、なぜか胸がドキドキしていた。むしろ、本当のことを言った方が信じてもらえなかったかもしれない。
「でも、やはりおかしいですね。それは美口さんもすでに気づいておられるとは思いますが、普通に考えて負傷者の人がそう簡単に逃げられるとは思えませんし、携帯を盗む理由もよくわかりません。また、今のところだとこの地域周辺は完全に捜査網が張られていて、もし、そのような人が近くにいたら、きっと誰かに見つかって何かしらの報告が私の耳にも入るはずなんですが、残念ながらも、まだそんな事は起きてません。ということは......」
刑事の目が彼女の方に向かった。そして、何かを見抜くような表情で、彼女と視線を合わせた。
美口 凛は、彼の積極的な眼差しに少し恥ずかしさを感じながらも、唾を一度ごくりと飲み込んだ。緊張したからだった。
「すみません。失礼しました。今日はここまでにしましょう。調査に協力していただきありがとうございました」
彼はそう言って床からゆっくりと立ち上がり、ドアの方へ歩いていった。その後を追ってAIヒューマノイドがついていく。
その後の刑事の行動を美口 凛はよく覚えていた。それは、彼の後ろ姿があまりにも眩しかったからかもしれない。彼は確か、光が差し込む扉が完全に閉まる前にこう言ったのだ。
「今日はこれで終わりですが、明日は令状を持ってきますので心の準備をしておいてください。それと......」
彼は言葉のあと少し間を置くと、浅い鼻息をしてから口を開いた。
「どうやら、あなたは嘘をつくのが苦手のようですね。なぜ、そんなことをわざとするのかは今の私には分かりませんが、きっと何かがあったのでしょう。それでは」
彼はそう言って、廊下に響く靴の音とともに家を後にし、ドアが静かに閉まった。その光景を彼女は、しばらくの間ぼっーとした顔で眺めていた。
それは、彼が彼女好みのイケメンであったことも起因していたが、なにより、今までの自分の言動をまるでバカにしたような、彼の態度にもあった。悔しさだったのかもしれない。
そして、それらの感情は彼がすでにいなくなった今でも鮮明に残っていた。彼女はノートパソコンを前にしながら、しばらくそれらの思いに縛られていた。なかなか抜け出せない沼に溺れているのと同じようなものだった。
「......」
美口 凛は、画面に表示されている動画をぼやけた目で見ながら、これからどうすればいいのかについて考え始めた。家族にこの件を話すのも考えてみたが、やはり、やめることにした。その理由は、親を心配させたくないからだった。きっとこれを知ったら、自分に対して失望し、悲しむのが目に見えていた。
また、何より親から手伝ってもらっているところも大きかった。彼女の親は比較的お金持ちであり、家賃や電気代などを代わりに支払ってくれていた。その中で、こういうことに巻き込んでいると知れば、落ちこぼれとしての烙印が刻まれ、家族内での名誉を損なうことになると彼女は考えていた。
さらに、彼女は幼い頃から勉強が苦手で大学に行けず、バイトで生活を営んでいたが、美しい外見を除けば特に何もないというのが大きなコンプレックスだった。こういうトラブルメーカーとしての印象を未だ捨てられずにいるというのも嫌だったため、なおさらこの件を家族に打ち明けるのは難しかった。
「ふ......やっぱやめよう」
美口 凛は結局、何度も悩んだ挙げ句家族に話すのは後回しにすることにした。どうしても、そうする勇気がなかった。家族を傷つけるのがあまりにも怖かったからだ。
彼女は最後に、この動画を最後の切り札として保存しておくことにした。もし、犯人とまた再会し、命を狙ってきたときに脅迫できる武器として使うのを思い付いたのだ。あの人は今自分がここにいるというのを知っている。ならば、再開できる確率も高いことを意味した。少なくてもあの人は人間ではなかった。本能がそう告げていた。そうなのであれば、いつか自分を狙いに来てもおかしくないと彼女は考えていた。
さらに、たとえ運悪くやっとこともない罪で濡れ衣を着せられたとしても、刑事にこの動画を見せることで犯罪の疑いから逃れられるのではないかと思っていた。無論、この動画の内容を信じてもらえるかどうか、犯人蔵匿罪としての自分の罪が消えるかどうかはまだ分からなかったが、やってみる価値はあった。
「よっし、じゃこれはこのままにして、何とかこの状況を乗り越えてみよう!私、頑張るぞー!おお!」
部屋の中だけでなく、窓ガラスを越えて外までその声は響いていき、やがてその声は夜空全体を満たしていった。
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今日の捜査を終えて警察署に戻ってきた神谷 陽斗は、疲れた顔とともにドアを開けると、そこには見慣れた人が部屋の中で立ち尽くしていた。それを見つけた彼は苦笑し、彼に話しかけた。
「おや、久しぶりですね。副署長。今日は何のご用でしょうか」
彼が少し冗談ぽっくいうと、烏丸 健司は腕組みをほどかないまま言った。
「それを今、冗談として言ってるのか?」
部屋に漂う半端ない雰囲気に、神谷 陽斗は命の危険を察知し、尻尾を下げてから言った。
「もちろん、ただの冗談ですよ。すみません」
「今は冗談なんかしたい気分ではない。あれを見ろ。あれを見てもまだ冗談が言えるのか?」
烏丸 健司の視線に引き寄せられて、同じ方向に目を移してみると、そこには今日のニュースが流れていた。予想通り、彼が今日ずっと扱っていたあの殺人事件に関するものだった。どうやら、彼の耳にも入ってしまったらしい。
「おい、一体どいうことなんだ。神谷くん。なぜ、あの事件が報道されている?俺はきっとあの時、ちゃんと口止めしろと釘を刺しておいたはずなんだが、これについてちゃんと説明してくれるかな」
副署長の周りを纏う凄まじい気迫に、神谷 陽斗は少し慌てながらも自分の考えを述べた。
「無論、知ってますよ。副署長。私もこの事件が初めて水面に浮かび上がったときは、相当驚いてました。しかし、どうやら、今回の事件が今に至った背景には、他の要因があったらしいです」
「はぁ?その他の要因ってなんだ」
烏丸 健司が不機嫌な顔で聞くと、神谷 陽斗はしばらく経ってから話を続けた。
「今まで調べた限りだと、この事件を最初にインターネットに発表した人は、フリーランスのある記者のだったらしいです。その人はそれを公表する前からすでに多くの読者を持っていて、その影響かこんなにも早く拡散されたわけです」
「なんだと...」
神谷 陽斗の話を聞いていた烏丸 健司は口をつぐむことが出来なかった。予想外の出来事に腹を立てているのかもしれない。
「なるほど...だから、口止めが効かなかったわけだ。これは運が悪いな...はぁ...あんなにたくさんのお金を注ぎ込んでまで頑張ったというのに、こんなにも空しく終わるとは...神谷くん。俺たちの関係は、もうこれで最後になるかもしれん」
副署長の力の込められていない声に、神谷 陽斗も同調し、言葉を返した。
「そうかもしれませんね...真相が暴かれるまでどれぐらいの時間がかかるかはまだ分かりませんが、これから、この事件に関する情報がどんどん明るみに出て、その最後にはおそらく、賄賂の件まで調べられることでしょう。その時は......」
神谷 陽斗が語尾を伸ばしていると、烏丸 健司はどうしようもない状況に大きくため息をついた。すでに、その結果が目に見えていたからだ。
「まぁ...一旦、それらのことについては放って置いて、もうすぐここに記者たちが迫ってくると思うし、記者会見の準備をしておきな。捜査一課や広報課の皆にこう伝えてくれ。今、警察署は日本で一番ホットな場所に成り変わったと」
烏丸 健司がカリスマに溢れた声でそう宣言すと、神谷 陽斗もそれに合わせて答えた。
「はい、分かりました。では、失礼します」
神谷 陽斗はそう言って足を引き返し、ドアを開け、音を立てないよう静かに閉めた。そして、走っているのと同じスピードで歩いていき、廊下を通り抜けていった。
彼のスーツに残った香水の香りだけが、建物の中を微かに満たしていった。




