天文19(1550)年11月16日~天文20(1551)年4月10日
11月16日~12月10日
事ある毎に雪かきして家の前には若干の広場を確保してある。健康維持と筋力低下を防ぐため、ラジオ体操第一・第二に続き100回の素振りを行う。我々男子は真剣の太刀、女子二人も真剣の脇差を使う。けっこう重いはずだが、神様の体力増強効果によって、問題無く素振りできる。振り被るよりも、振り下ろして止めるのに力が要る。江戸時代の剣術では、自分で自分の足を切らないよう臍の辺りで止めると教えるらしいが、我等四人は筋力があるのでそれより下まで振り下ろす。臍で止めるような癖をつけると、敵が屈んだりしたときに届かない。最も、そんなことが言えるのは常識外れの筋力があるからだけど。多分素振りのスピードも、常人よりも随分と速いのではないかと思う。それでも疲れすぎると危険なので、100回で止める。その頃には汗だくになる。女子は沸かしてあった風呂に向かい、我等は上半身裸で汗を拭って、ついでに雁木のところの薪をDKの土間に運ぶ。女子と交代で風呂に入り、さっぱりしたところで夕食。本日は “日曜日” と取り決めた休日で、夕食後は皆でトランプ遊びに興じる。
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天文20年1月1日(1551年1月30日)。 太陰暦の1月1日は、私達の太陽暦だと1/20~2/20の間を行ったり来たりするらしい。今年は太陽暦の1/30が太陰暦1月1日ということで、正月祝いをした。お屠蘇と、取り寄せたおせち料理、関東風のお雑煮で祝った。途中、神明社に初詣でし、尾頭付きの鯛の塩焼きとお雑煮をお供えして柏手を打ってきた。強く願った訳では無いので、御降臨は無かった。お供えは直ぐに消えたが。
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3月12日~4月10日。 季節は進み、如月(3月)の10日頃になると雪が止んで太陽が顔を出す日が続くようになった。部落民も外出をするようになり、12日には三郎とイカシパがやってきた。
「(三郎)無事に冬を越されたようで、またお会いできて恐悦至極です。」
「(優也)そちらも無事で何より。まだ寒いから、中に入って。」
「(三郎)この屋の中は暖こうございますな。」
「(秀明)壁の密閉性が良く外から隙間風が吹き込まないことと、両側にある暖炉のおかげだ。-(美香)どうぞ、紅茶とお菓子ですー 先ずは飲んでくれ。」
「(三郎)いつも紅茶はおいしいですな。この干菓子は初めて食しますが甘くて旨うございますな。」
「(イカシパ)何で・・・・・・・・・? 我々・・・・作る・・・・・・・・・?」
勉強したので、イカシパの言うことも所々分かるようになってきた。
「(三郎)何で出来ているお菓子なのか? 我々にも作れるか? と聞いています。」
「(美香)クッキーと言って、小麦の粉、砂糖、ミルク、少量の油をよく混ぜ合わせて焼いたものです。どれもこれも皆さんには入手できないので、自分達で作るのは無理ですね。帰るときに少し持って行ってください。チッカちゃんが喜ぶでしょう。」
「(優也)それで、何か用があってきたのかな、それとも無事に冬を越せた事の確認か?」
「(三郎)あと2月程で帰還する日がやってきます。船の方は如何なっておりますでしょうか?」
「(秀明)ちょうどそれを頼もうと思っていたところだ。明日から、毎日6名ほど人手を借りたい。如何だろうか?」
「(三郎)明日、・・・・・・・・・良いか、と・・・・。」
「(イカシパ)かまわない。また、・・・・・・・・・・?」
「(三郎)かまわない。また、働いた者に肉とか食料を貰えるか? と言っています。」
「(秀明)前回と同じで。良ければ朝8時頃来てほしい。」
「(三郎)分かりました。」
次の日から、船作りの突貫工事が始まった。全長80ft(フィート、約24m)、最大幅20ft(約6m)、マスト15ft(約4.5m)、櫂4対で帆でも櫂でも進むことができる船が出来上がる予定。安定性を齎す為に竜骨を備えているので、水深が2.7mは無いと座礁する可能性がある。そこで陸との連絡用に、両絃の甲板に長さ10ftくらいのボート2艘を括りつけられるようになっている。厚い栗の板材、ステンの鎹他の金具、タール、木工接着剤、その他を買いまくり、金槌や鋸、鑿、電動鉋、電動釘打ち機などを駆使して組み立てていく。実のところ、一番苦労したのは2本の曲がったダケカンバの木を継ぎ手で繋げて1本の龍骨材にするところと、キールおよびマストの固定。最後に隙間を木端と棕櫚の毛で埋めて木工接着剤を塗りまくり、固まってからバリを削るように磨いて、外・内の側面と甲板およびマストにタールを塗る。黒い、威圧感のある船が出来上がった。ここまで1月かかった。
船の固定具ごとコロと人手を使って砂浜を経て海に押し出すと、船は期待通り浮いて、安定している。中に入って見渡した限りでは水漏れはないので安心した。ちょっとだけ櫂を使って湾の中を廻ってみて、水深の深いところに錨を下ろして止める。まともな湊なぞ無いし、水深の関係で岸辺には就けられないので致し方無い。湾内は波が殆ど無いから、この儘で大丈夫だろう。船に積んであるボートを下ろして、砂浜へ漕いで帰る。それから毎日、イカシパに頼んでイメルッカを含む男手を三人ほど出して貰い、三郎、我等四人の合計八人で、先ずは湾内、そして湾の少し外と航行訓練を重ねた。帆と櫂による航行を繰り返し、1月足らずの間訓練を重ねてようやく自信がついた。間もなく、松前に向かって出発することになる。三郎に、この付近の白地図を渡して航路を確認するように言うと、目を剝いて、
「(三郎)このような正確な地図は、如何やって作ったのですか?」
「(優也)簡単だ、空の上から見たのさ。この船の速さは体感出来ただろう。ここを出発してから、明日は何処に、次の日は何処に、というように泊まる場所を考えながら航路を決定してほしい。」
「(三郎)・・・・・分かりました。一生懸命考えます。あの三人は一緒に行けるのですか? 彼等が居ないと人手が足りないと思いますが。」
「(秀明)それは今から、俺がイカシパに頼もうと思うので、三郎も一緒に来てくれ。」




